地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

福井鉄道冬物語 (2) 元揖斐線770形

2011-02-28 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 先月の福井鉄道訪問時には最初からいきなり復活急行色の203Fを引いてしまった私ですが、ラッシュアワーが終わる午前9時前後以降ではあくまでラッキーで偶然な出来事に過ぎないようで……途中で交換した201・202Fはそのまま武生にて昼寝となってしまい、日中の福井鉄道は名鉄岐阜600V出身車両の天国となっています。個人的にはこれまで、福井に転じてからの岐阜600V車両の様子を撮影したのは、営業運転開始前に工場で整備されている様子のみでして、自走しているところを乗って撮るのは初体験でしたので、これはこれで非常に楽しみなことでありました。しかし……高床編成の活躍を眺めるのも楽しみである以上、出来れば200・610形と入り乱れての運行であれば有り難いことは言うまでもなく……203Fが武生へと去ったのちは完全に「名鉄福井600V線」状態になってしまい、少々「何だかなぁ~」な気分を禁じ得なかったのも確かです (^^;)。



 とはいえ、訪れた日は標準塗装車が多数運用に入っていたことにつきましてはやはりラッキーですね♪ 周知の通り、経営のダウンサイジングを進めて来た名鉄は、岐阜600Vの経営のみならず子会社・福井鉄道への出資も引き上げてしまいましたが、その名鉄が福井鉄道に最後に残したのが岐阜600V車両と美しい新塗装 (そして名鉄本社ロゴに似せた福井鉄道ロゴ) だったのではないかと思います。
 揖斐線の急行用として新造された770形は、戦前製旧型車目当てで揖斐線に通っていた当時高校生の私からみて超敵役な存在でありまして、新造ホヤホヤの770形を「あな憎し」という視線で睨みつけていたものです (^^;;;)。しかし今にして思えば、770形は併用軌道での小回りの効く運転と郊外線での高速運転を両立させ (福井鉄道転出時にさらなる高速対応とした模様)、デザイン的にも実に穏健にまとまった秀作であることは疑いなく、そんな770形が爽やかな塗装とともに主力として大活躍しているのは嬉しいことですね……(*^^*)。
 と申しますか……バリバリの新車だと思っていた770形が、いつの間にか車齢24年であるという事実が信じられないのですが……。自分もオッサンになるわけですな (爆汗)。
 ちなみに、773+774の2連 (2枚目の画像) は、クリスマスも過ぎたというのに天井が派手な電飾によって彩られ、床面にはチェスの目のような白黒模様の敷物が……(@o@)。そんな車内インテリアの落ち着きのなさは、ミ○ーカとは別の意味で天下一品ですらありました (^^;;;)。

南武線の黒船電車・リゾート踊り子91号

2011-02-27 00:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 東京近辺でも梅がほころぶ今日この頃、非常に寒いという印象が強かったこの冬も、いつの間にか終わりが近づいていることをしみじみと感じます。そんな中、もともと温暖な伊豆は2月下旬で既に春爛漫。とくにここ10年来一気に知名度が上がった河津の桜も満開となり、この週末にはJRE~伊豆急も総力戦体制を布き、いち早い春の到来を待ちかねて怒濤のように押し寄せる観光客をさばいているようです。
 そんな河津桜シーズンのピークにピタリと照準を合わせるかのように、去る金曜日には南武線からの臨時特急「リゾート踊り子91号」が「黒船電車」編成 (リゾート21EX) を用いて運行されました。南武線からのリゾート踊り子は、確か昨年か一昨年あたりから多摩地区~南武線沿線からの誘客の一環として何度か試しに (?) 運行され、複線の両側を宅地が埋め尽くした南武線をリゾート21が走るという「場違い感」が何とも心くすぐるのもさることながら、南武線から東海道線に入るために南武支線にも入線し、工場地帯ド真ん中の浜川崎で折り返して東海道貨物線の短絡カーブを通過するというマニアックさもグッと来るものがあります。



 そこで、いずれまた運行される機会があれば是非一度撮ってみたいものだと思っていた私 (^^;)。昨日は京急1000形の最終運行 (?) を撮影したのち川崎界隈へ向かえば時間的に丁度良かったことから「これは好機到来!」と判断しまして、快特に乗って一気に川崎へワープ! 南武線に一駅乗って尻手に向かいました。当初は尻手で南武支線直通貨物を撮る際のいつもの行動として上りホーム先端に向かったのですが、そういえば尻手の矢向方には南武本線から貨物線に合流するポイントはないことを思い出しまして (米タンを撮るとしたら大体安善界隈なもので……^^;;) 下りホームに移動~。待つことしばし、ちょうど微妙に側面も順光になり始めた頃、ダイヤ通りに黒船電車が御登場! う~ん、リゾート感がまるでないバックのマンション群との異次元的な組み合わせが最高ですね……(^O^)。
 尻手での撮影後は南武支線を行くシーンを撮るべく浜川崎行に乗って移動……と行きたいところでしたが、スカスカダイヤの南武支線ではそんな芸当が上手く行くはずもなく (苦笑)、徒歩で八丁畷へ。春一番がスギ花粉をたっぷり含みながら吹き荒れ、猛烈に蒸し暑くヘロヘロになりながらも、事前に地図とにらめっこした通りに小走りして何とか関東○メラ○ービス前の東海道線踏切にたどり着き、目出度く八丁畷に到着~。普段はELが牽引する貨物のみジャンジャン行き交う線路上を、巨大HMも凛々しく黒船電車が悠然と走る光景に思わず圧倒されつつも、何とか無我夢中でシャッターを切ったのでした……(^O^)。撮影を終えて京急上りホームに下りてみますと、ドンピシャなタイミングで普通車が到着~。京急川崎駅から歩いてすぐの「天下一《いずま》」店にて昼食とし、大満足に浸ったのでした (笑)。
 ちなみにこの列車は平日運転にもかかわらず、翌日が土曜で温泉一泊&観光に適していることから、見たところ多くの席が埋まっており大盛況。南武線沿線の駅でいろいろ集客企画を打って大当たりしたということなのでしょう。世界中で物価高や革命が沸き起こる中、日本は何のかの言って平和だなぁと思う次第です (^^;

※JR線内での撮影ですが、車両の所属に合わせた記事カテゴリとさせて頂きます。

京急1000形最後の力走?・1351+クト2走る

2011-02-25 19:52:00 | 事業用車両


 京急1000形がさよなら運転を行って早いもので約8ヶ月。たとえ駅や沿線で電車を待っていても、古風ながら洗練され端正なボディがやって来ることはありません。それでも、昨年末の京急百貨店イベントで発売された1000形鉄コレに思わず飛びついてしまう心理の底には、やはり1000形の勇姿を求めて止まない渇望が……。
 そこで今日は、行き交う後輩たちの姿と1000形の幻影をファインダー越しに重ね合わせ、1000形への思慕を改めて内心で確認してみようかと思いまして、さよなら運転を撮影した場所を再訪してみたのでした。しかし……何とそのとき奇跡が!! さよなら運転の先頭に立ち、引退後もクト2の牽引用として生き残っていた1351+1356が、クト2を引き連れて猛スピードで迫って来たではありませんか!!  



 いや、これは奇跡でも何でもございませんで (^^;)、実はとある方から回送の運転を昨日ご教示頂きまして、「平日休みとこんな超貴重な機会が重なった以上撮らないわけには行かない!」と勇み立って沿線を訪れた次第です。現役当時と何ら変わらない俊足ぶりは誠に素晴らしく、ファインダーの中であっという間に迫って来まして、緊張とオーラで思わず身震いしてしまうほど……。
 そしてクトが動いているシーンも、後追いながら初めて撮影することができ大満足……と記したいところですが、後追い可能な位置まで猛ダッシュすべきところ、折悪しく幼稚園児の親子連れが狭い道をこちらに向かっており遠慮せざるを得ず……(鬱)。ワンテンポ行動が遅れ、必死に構えてシャッターを切った時点で手ぶれ補正の効き具合がイマイチでした……(号泣)。レタッチでシャープを思い切り強く施し、何とか見られるレベルとなりましたが……。まぁこれも運命でしょうか。
 伝え聞くところでは、1351+1356+クト2の組み合わせも最早長くはなく、デト全車の下回り交換が終了し、デト1編成を常時救援車としてスタンバイさせることが可能になる時点で完全引退となるとか。したがって、1351+1356が検査目的で本線を走行する機会もこれが最後という可能性もあります。それだけに、1000形の本当の最後かも知れない力走を記録出来たことのありがたさをしみじみと噛み締める次第です……。果たして今後、1351+1356は保存されるのでしょうか? まずは一縷の望みを抱き続けるしかないでしょう。
 最後に、この運転をご教示下さった方に心よりお礼申し上げます!! m(_ _)m

福井鉄道冬物語 (1) 往年の急行塗装203F!

2011-02-24 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 早いもので約1ヶ月以上前の話となってしまいましたが (^^;)、1月の京都出張のついでに福井界隈を久々に訪ねた際の記録をぼちぼちアップしたく存じます。
 京都にて青帯205系を撮影したのち「サンダーバード1号」の客となり、雄琴で現れた積雪が堅田以遠で急激に増えて行く光景に「京都のベッドタウンと言っても厳冬の雪国じゃん・・・」という驚きを感じている間もなく、永原~近江塩津界隈ではついに猛吹雪の世界に突入! そこで「こ、これは……目指す福井鉄道でも雪景色をかきわけ走る電車を激写出来るのだろうか?!」という期待が高まったものの、北陸トンネルを抜けて武生に着く頃にはみぞれに変わり、「雪とみぞれでは全然違う……う~んどうしよう」という落胆のまま、ビシャビシャな駅前通りを歩いて武生新あらため越前武生駅に向かったのでした。当初の目論見では、雪降りしきる西武生あらため北府(きたご→難読駅名の仲間入り? ちなみにこの駅名は既に廃線となって久しい南越線で用いられていたようです。駅の位置は北陸線を挟んで反対側ですが……) にて駅撮りをしたのち福井市内に移動することを考えていたのですが、気分は萎え気味……。
 しかし、越前武生駅に着いたところ……改札口の奥で扉を開き客を待っていたのは何と!往年の急行塗装を復活させた203Fではありませんか! 約5年ぶりの訪問で一番撮りたかった編成が目の前で発車待ちしており、今さら北府駅までダッシュしても間に合わないとなれば、これはもうそのまま田原町まで乗り、その力強い走りと懐かしい車内を楽しむ他に選択肢はありません (笑)。



 というわけで、ただでさえ昭和30年代の日車気質に満ちた古めかしい車内にプレスドア・国鉄近郊形電車の廃車発生品と思われるボックスシートが鎮座する光景と、MT46近似のモーター音が奏でるハーモニーを心の底から味わいつつ、田原町まで約1時間の旅を楽しんだのでした♪ 武生や鯖江から福井市内へはJRの方が最早圧倒的に速く、随所に急カーブが点在する古い線路を走る福井鉄道には分がないことは否めませんが、それでもJR駅からは遠い交換可能駅ではコンスタントに客を集め、地域の足として何とか健闘している姿を見て取ることが出来ます……。とくに通学生が集中する時間には名鉄岐阜600V出身車ではかなり苦しいと思われることから、圧倒的に大型車である200形にはまだまだ老骨鞭打っての活躍が期待されているのでしょう。
 そして200形といえば……間もなく長電2000系が引退することから、今後は富山地鉄20系列と並んで、昭和30年代に生まれた日車地方私鉄ロマンスカーとしての貴重な価値をますます輝かせることになるでしょう! 今回は他の2編成を撮りそびれましたが (途中で交換したものの、ともに武生到着後入庫……-_-;;)、う~ん、乗って良し、撮って良しな福鉄200形。何度でも通って楽しみたいものです。
 そんなことを考えているうちに列車はやがて軌道線内に入り、市役所前では一旦スイッチバックして福井駅前に寄り道することから、速攻で下車して激写! (^o^ 1枚目) その後は福井駅前から戻って来た列車に再び乗って田原町へ~。今回は福鉄・えち鉄共通フリー切符(土日限定で激安!な1200円!) を利用していますので、このような小まめな利用も大いに可能♪ もっとも、市役所前から田原町まで歩いても10分少々ですが……(^^;)。終点の田原町では、午前中の早い時間で下校となった近所の高校生が古いホームにあふれ、203Fは余裕の収容力を活かして折り返して行ったのでした……。嗚呼!雪と福鉄急行色……最高です (*^^♪)。

淡雪の神奈臨千鳥線 (下) 東線運行!

2011-02-23 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 約1週間前の神奈臨千鳥線訪問は、単に旧塗装出目金+エチレンコキ5車の豪華編成を雪化粧の中で撮影したのみならず、もう一つの超!感動的なシーンに恵まれました♪ 何と……長年来滅多に運行されないことで知る人ぞ知る (?) 存在であった千鳥東線でも、エデト酸塩コキが運行されたのです!! v(^O^)v
 千鳥線が運河を渡って千鳥町界隈に入る際、通常は右にカーブを切って大踏切を渡り西群線ヤードへと入って行きますが、これとは別に大通りに沿って直進する線路があり、千鳥東線と通称されています。この路線、開設当初は油脂会社に入る小運転もあったようですが、私が臨海鉄道趣味にハマるようになった7~8年前の時点では、先端部が東電前バス停の脇で忽然と絶たれており、大部分の区間は石油輸送閑散期にタキ35000が大量に放置されるスペースとして利用されているに過ぎなかったのでした……。いっぽう本線に近い区間(日触前バス停付近) は、S電工引き込み線へと出入りする青化ソーダ用タキ22900 (コキ転換後から二本木貨物廃止までの短い期間にはタンクコンテナコキ) がごく稀に出入りしており、一度出入りが始まると週2~3回の割合で運行されたことから、そのような機会に遭遇するたびにごく一部の方々と激しく盛り上がったものです (懐かしい……)。しかし、2006年頃までにその運行もパタリと止まり、S電工への引込線分岐の先は線路そのものが撤去され、用地は火力発電所から発生する高温蒸気を周辺工場に分配する配管のスペースとして流用……。そこで「やがてこの配管は本線との分岐付近まで延び、千鳥東線そのものが消滅してしまうのではないか?」と懸念したものですが、幸いにしてS電工引込線から北西の区間では配管が線路を避けて設置され、「やれやれ、激レア線ヲタにとって最悪の事態は避けられた……」と胸をなで下ろした次第です。



 しかし、その後も長らく東線の線路が真っ赤に錆び付いた状態が続き、203~204レ撮影や甲種撮影で千鳥町を訪ねる度に「う~ん、やっぱり復活はムリか」と思うこともしばしば。ところが、確か1年~1年半ほど前でしょうか、レールが削られた跡とともに、貨車門の奥には小振りなタンクコンテナを載せたコキの姿が! それを目撃した瞬間、どれほど内心「よっしゃぁ~!」と叫んだことでしょうか (笑)。しかし、かつてS電工の青化ソーダタキ・コキ出し入れで用いられた204レにそのコキが連結されることは結局なく、早朝の202レでの出し入れに変更されたのだろうか……と落胆。というわけで、結局撮らないままズルズルと……(汗)。
 その後、新たに輸送が始まったこのタンクコンテナの中味はエデト酸塩 (EDTA。私は化学には詳しくないのですが、保存料等の原料とか) であることが判明し、しかもとある情報筋の方 (お世話になっております!) から伝え聞くところでは、商売繁盛につき最近割とまめに運行されている雰囲気らしい……とのこと。そこで今回、あわよくば東線の出入りもあり、しかも淡雪との組み合わせという究極のレアシーンも満喫出来るのではないか??と期待していたところ、果たせるかな、市営埠頭行きバスの車内から貨車門の奥にコキが留置されているのを確認! そして……201レ・エチレンコキ撮影を終えて日触前バス停まで出て来たところ、何と貨車門が開いているではありませんか!\(^O^)/  間もなく、大踏切を渡り終え千鳥運河鉄橋にて折り返したDD5517単機は、いよいよ東線に入線!! (1枚目の画像) デッキ上には操車担当氏が4名、そしてバラストにはほんのうっすらと雪……。そんな超激レアシーンの豪華絢爛さにはメロメロです (笑)。そしてエデト酸塩コキを連結したDD5517は、力強く唸りを上げて川崎貨物へと帰って行ったのでした……。
 201レが西群線ヤードに現れてから、202レが千鳥運河を渡りきるまで約25分。その間とにかくシャッターチャンスを求めて走り回りましたが、日頃の運動不足がたたってしばらく筋肉痛に……(笑)。貨物撮影はまさにスポーツです。