しばらく間が開いてしまいましたが、3月のミャンマー訪問特集に入る前に、『北海道新聞』Web版に載っていたキハ183タイ輸出の衝撃 (^o^) とともに、タイの日本がらみ車両ネタを片付けておくことにしたく存じます。鮮度は切れておりますが、あくまで自己満足の備忘録として記します。
さて、マップ・カバオで膨大な数のキハ28・58及びキロ28に興奮した後は、待機させていたバイクタクシーに跨がって再びケーンコーイ駅へ爆走! 駅東側1.5kmほどのところにある踏切では、サタヒープ方面から来てバイパス線 (巨大なダム湖を通過) へと入る中国中車製最新罐 (※) 牽引の長大セメント列車に数分待たされるというヒヤヒヤものの事態となったものの、何とかウボン行き快速が定時で到着する数分前にケーンコーイ駅に戻って参りました。そして快速は僅か2~3分の遅れで入線~。「バンコクから乗った特急が最初から大幅に遅れたので、この快速もそんなノリで20~30分遅れて来るかも知れない。では、マップ・カバオでもっと長居しよう」などという誤った思い込み通りにせず、本当に良かったです……(爆汗)。
というわけで、半鋼製の車内が余りにも素晴らしい2等車のリクライニングシートに収まり、いざ次の目的地・ナコーン・ラーチャシーマへ! まず、地図やGoogle Earthの画像、そしてマップ・カバオ界隈で眺めた景色からして、マップ・カバオ通過後ただちに壮絶な峠越えに入ることが予想されましたが、実際にここが凄かった! 超強力なタイ国鉄電気罐を以てしてもガクンと速度が落ち (概ね30~35km/h程度?) 暑季につきカラッカラに乾いた岩山の風景の中を大蛇のようにうねりながら登って行きます。2・3等快速の場合、2等車は基本的に最後尾に連結されますので (そのために終着駅や客車区でわざわざ客車の位置を変えるという御苦労なことまで実施)、罐の凄まじい喘ぎは聞こえて来ませんが、これは実に古き良き山越え汽車旅の浪漫そのものではありませんか……。そんな中、車内販売の鶏そぼろ飯 (勿論,味はタイ風の甘辛ですが) を、マップ・カバオ激闘後の空腹に放り込んで行くというシアワセ……。やがてカーブの連続が終わると、進行方向右手には広大なダム湖が広がり、雨期の晴れ間は夢のような青空と緑に包まれるのだろうと想像するのもいとをかし。こんな感じの山越えを終えてパクチョン駅に停車した後は、ひたすら緩い坂を下って行き、やがてオアシスのような緑の水田が増えて行きますと、ちょっとした都会の中に進んでスピードが落ち、目指すナコーン・ラーチャシーマ (通称はコーラート) に到着です。
ナコーン・ラーチャシーマ駅は、イーサーン地方=東北タイ最大の交通の要衝ということで、街の中心街を歩くと例によって (?) 華人系の商店が占めています。さらに街の北には、国道(タノン・ミットラバーブ)に沿ってロードサイド型の巨大店舗が軒を連ねているようです (そこまでは散歩していない)。しかし、そんな街の構成からして、市街地の南西にある鉄道駅はどちらかというと場末で、昼前後は凄まじい日射しのもと、何ともまったりと気怠い空気が漂っています (^^;)。そんなロケーションですので、駅・機関区・貨物客車ヤード等々は非常に広大なスペースを使っており (否どう考えても、街外れの未開地に悠々とした鉄道設備が造られ、その周辺に鉄道関係者の街が出来た、というノリに違いない)、それはそれでGoogle Earthの眺め甲斐があります。しかし、それは裏を返しますと……構内のうらぶれた場所に廃車体が放置してあっても、そこにたどり着くまでは炎天下相当の回り道をしなければならないことを意味します……。
そこで、事前に画面で発見したキハ28・58を求めて、駅東側の踏切からさらに構内南側の道へと進むことしばし……うう暑い……。しかも、最近構内の廃車体魔空間が整理されたようで、数両のキハ28・58がいなくなっている……(号泣)。辛うじて数両、荒廃しすぎて移動を諦めた車両が数両放置され、その中に1両だけ、台枠付近が骨組みだけになったキハ28が転がっていました……(帰る際に車内から機関区周辺を観察したところ、数両の《転がることが可能な》キハ28・58が、機関区の柵の奥、撮影出来ない位置に移動しているのを確認できました)。
しかし、天・神・仏は我を見放さず……! 荒廃が進んだキハ28・58の代わりに、ほどほどに (?) 荒廃し始めた14・24系客車が、非常に撮りやすい位置に鎮座しておりました♪ (このこと自体は、快速列車で駅に着いたときから明らか) しかも、紫色寝台車の傍らには構内踏切があり、関係者が頻繁に歩いています。そこで、踏切南側の木陰でダラ~ンとしていた警備員氏に、14・24系を指差しながら「サッワーディークラップ! ロットファイ、フォト、OK?」と訊いてみたところ、面倒臭そうに「OK、OK~」との御回答! というわけで、水タンクやら窓やらいろいろなものが消えたのは痛々しいながらも、タイでの現役時代を辛うじて感じることが出来る姿に感動しつつ、酷暑を忘れて激写したのでありました……。14系座席車が何故ここにいるのか不明ですが、寝台車については恐らく、一時期ウボンラーチャターニー行き夜行客レに連結されていたものが、連結終了とともにウボンラーチャターニーから回送され、そのままここで無期放置となっているのかも知れません (それがいつ終わり、別の所に移動するのか、全く分かりませんので悪しからず)。
ちなみにこの構内踏切、夕方になると地元の中学生が勝手に下校ルートとして歩いていました。地元民に開放されているのかも知れませんが、念のため外国人は駅舎を出た後、構内東側踏切~構内南側道路へと回り込む方が良いかと存じます。
(※) この罐は基本的にサタヒープ港~ケーンコーイを主軸とする貨物線ルートを中心に用いられているようで、今のところバンコク中心部では見かけたことがありません。