本日を以て、約30年4ヶ月続いた平成が幕を閉じることになりますが、この30年間を鉄道趣味的見地から締めくくるとすれば、ひとえに昭和高度成長期以後の抵抗制御車やチョッパ制御車が激減し、VVVF、さらには「走るんです」やAトレインをはじめとした世代へととって代わられたということに尽きましょう。昭和末期 (という呼び方も最近は増えて来たものです……) の1980年代に製造された車両すら、ここ10年は加速度的に消えて行ったのは余りにも悲しいものです。どう見てもまだまだ使えそうな車両すら、電気代を食う・地上設備改良に対応しない・譲渡先好みのスペックではない……といった理由で消えたことに至っては、モヤモヤした気分をどう表現したものやら……。
個人的にみてそんな車両の代表格は、小田急5200形でしょうか。田の字窓の5000形はやや古いのでさておき、5200形は1978年から1982年にかけて製造され、小田急ながら一段下降窓の明るい車内となり、性能的にもデザイン的にも小田急抵抗制御車の決定版と言える大所帯を誇っていたはずだと認識しております。同じ時期まで増備が続いた東武8000系と比べても何ら遜色はなかったはずでしょう。
しかしながら、一段下降窓が腐食しやすい・下北沢地下化に性能的に対応しない・高架複々線化に先が見えて車両新造の余裕が生まれた、等々の理由で、2011年までにあっという間で6連が消え、僅かに4連化された編成も長続きせず……。インドネシアに行っても全くおかしくない車両でもあったかと思いますが、既にステンレス車がお気に入りとなっていたKAI・KCJとしては結局魅力ありと思わなかったのでしょう。
ああそういえば、1980年代前半に増備された113系2000番台も2000年代に入ると急速に潰されたのだっけ……ということを思い出しつつも、何と言っても小田急5200形は伝統の住友・アルストム系空気バネ台車を装備し、乗り心地は圧倒的に上。そんなこともあってなおさら、技術革新の急激さの中でいつの間にか「旧型車」扱いされてしまった5200形の不憫さを感じたものです。
そんな5200形にとって代わった3000・4000形の狭い車体が、快速急行の混雑に輪を掛けている状況にトホホな気分を抱くこと久しかった中、平成の最後の最後に発表された新5000形 (非貫通ですので地上用?) が幅広車体を採用したことに、思わず拍手喝采を覚えました。新時代の鉄道車両技術が果たしてどのような方向に展開して行くのか、文系ドシロートには全く予想もつきませんが、沿線イメージに合致し居住性も良い車両がもっと増えることを願うばかりです。不景気が長引いた平成の車両は、残念ながらその限りではない車両が多かったですから……。