地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ソウル保存車両周遊 (1) ナローSL

2018-08-29 22:07:00 | 韓国の鉄道


 このところ多忙で更新が途絶え気味で大変恐れ入ります m(_ _)m
 先週金曜日から9年ぶりに韓国に出張しておりまして、昨日遅くに無事帰国しました。今や日本的な雰囲気が漂う抵抗制御車がほとんど引退し、電機子チョッパ車も風前の灯火となった中、自分の金で韓国に行きたいか?と問われれば答えはNoとなりますが、訪れたら訪れたで撮ってみる気は満々です。そこで、到着初日と最終日はフリータイムでしたので、気になる車両を駆け足で撮ってみました。そのネタの半分は、いつもお世話になっております西船junctionどっと混む様でも詳細に紹介されている、ここ数年の間にお披露目された保存車両であり、もう半分は京釜線ゴールデンルートを走る現役の車両を撮り貯めることです。折悪しく、新潟・北陸あたりを連日の雨に陥れている秋雨前線がちょうど韓国にもかかり、とくに最終日は土砂降りで参り果てましたが……。



 というわけで第一部、保存車両編と参りましょう。まずは、既に廃止されて久しい京春線・花郎台 (ファランデ) 駅の跡地に整備されつつある「京春線숲길(森の道)」を訪ねた際の記録です。かつてフーゾク街・清涼里を拠点駅として、所謂ヨン様の「冬ソナ」でも広く知られた内陸の盆地・春川まで、ムグンファ号や統一号といった客車列車が往来していた京春線は、今や優等列車は龍山始発の「ITX青春」、各駅停車は上鳳始発の交流電車となっており、その出発点付近における大きく曲がりくねった区間は路線改良で廃線となってしまいましたが、その跡地を活用したのが、地下鉄6号線花郎台駅付近から旧・花郎台駅に至る区間ということになります。そしてこの、花郎台駅に置かれた車両の面々が実にカヲスで濃いぃ……。
 そんな場所ですので、到着早々に時間が余っていれば、ただちに訪れない手はありません。今回は用務先(会議場&宿)が江南エリアの南の外れという、鉄活動するには結構トホホな場所にありますので (※1)、3〜8〜5〜6号線を乗り継ぐという、やたらと時間のかかる最低最悪な乗り換え三昧を経て (※2)、やっとのことで花郎台へ。駅から出ますと、をっ、早速ありました廃線跡! しかし……西船junctionどっと混む様での解説によりますと、2018年中に地下鉄花郎台駅から旧・花郎台駅まで電化し云々、ということのはずが、その準備をしているどころか、明らかに車両限界内に電灯が立てられており、潰された大通りの踏切も復活の機運なし……。アイゴー!結局ケンチャナヨな計画倒れのようです。もっとも、線路を残してウッドデッキを敷いた廃線跡は、地元住民が地下鉄駅とのあいだを往来するのによく利用されています。
 そんなこんなで、大踏切の先に目指す旧・花郎台駅が見えて来ますと、まず入口には水仁・水驪線で使用されていたというヒョキ形SLと客車!! 如何にも箱庭然というか、ちんまりとした姿に思わずほっこりです。

※1……それでも、8号線・盆唐線・新盆唐線といった、韓国への短期鉄ヲタ訪問ではまず用のない路線にも乗りました。……って、ホームドアに車両が隠されたトホホな路線を自慢するほどでもありませんが。

※2……かつて1〜4号線はソウルメトロ(ソウル特別市地下鉄公社)、5〜8号線はソウル特別市都市鉄道公社と運営母体が分かれていましたが、国鉄線を含めて運賃は通しでした。2017年に5〜8号線はソウルメトロに大合併され、ソウルメトロの正式社名は「ソウル交通公社」となりました。新シンボルマークはなかなか格好良いです。9号線は9号線会社、新盆唐線は新盆唐線会社&京畿鉄道会社の独立採算による経営ですので、乗換改札があります。なお、韓国の地下鉄乗り換えは、駅全体が北朝鮮の攻撃に備えた待避所となっているためやたらとデカく、時間を要します (日本も人のことは言えませんが)。そして、運転間隔が意外と開くため、乗り継ぎに失敗するとやたらと待たされ、しかも一部の路線・時間帯を除いて基本的に各駅停車ですので (9号線の急行は神!)、ソウル市内の移動でもやたらと時間がかかります。

東急7700系、養老鉄道へ

2018-08-23 00:51:00 | 大手民鉄 (東急)


 これまで近鉄南大阪線系1067mm車両が余生を過ごす場であった養老鉄道が、伊賀鉄道と同じく東急からステンレスカーを譲り受けることになっていたのは最近広く知られていたところです。ただ個人的には、養老鉄道は21m級車両が入線できること、そして地方民鉄に最適な1000系はほとんど枯渇してしまったことから、養老鉄道には8500系が行くのかも知れない (だと良いなぁ♪) と思っておりました。ところが、事実は小説よりも奇なり……。昨日養老鉄道が正式に発表したところによりますと (PDFファイルあり)、何と!東急から譲り受けるのは7700系とな?!



 いくら電装品は1980年代後半にごっそり交換されているとは言え、そしていくらステンレスの車体そのものは劣化しないとは言え、1960年代製、車齢約半世紀突破という車両が、地方民鉄の「最新鋭車両」として新たな車生へと踏み出すとは……。しかも、車内の一部は転クロに改造! さらに帯色は計4種類あり、うち2種類は現在の東急での帯色を参考にしたグリーン濃淡 (歌舞伎風もあり。とゆーか、公式PDFに歌舞伎と書いてある……笑)、そしてもう2種類は今のまま! どう考えても東急ヲタをホイホイするためとしか思えないですし、鉄コレのカラバリ展開を狙っているとしか思えない……(もっとも、水間1000系鉄コレのその後がパタリと音沙汰なく、養老でも同じように将来複数カラバリを売るのかどうか、気になるところではあります)。
 何はともあれ、美濃・伊勢の田園地帯にギンギラコルゲートが光り輝くのを楽しみにしたいものです。

ベトナム国鉄の客車 (1) 計画経済的車両

2018-08-15 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 硬座車 B42847



 硬座車 B41660



 荷物車 HL71729  ※HL=Hanh Ly (行李)



 郵便電源車? BV.PD81624
 ※BV=Buu Van (郵文) ? PD=Phat Dien (発電)

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 先日のインドネシアの宴では、「満鉄客車で今も運行されていると思われるベトナム国鉄ハロン線は、公式サイトによると金曜日のみ予約できる列車があるが、それ以外の日は全く列車が表示されない」という奇怪な話を伺いました。ひょっとして毎週1回、金曜のみの運転という没落の極みに至ったのか、それとも、毎日1往復の行商列車が消えるとは考えにくく、金曜のみ予約可能な (それこそ伝説のソウルメトロ再利用バッタもの客車「ハロン・エクスプレス」を起用した新急行列車運行か……? とにかくどうなってしまったのか、最新情報にも疎く、恐る恐るベトナム国鉄公式HPにアクセスしてみたところ、確かに毎週金曜日だけはイェンビエン〜ハロン間の鈍行の時刻が表示されます (多少スピードアップしたように見えますが、新急行と呼べるようなシロモノではないはず)。これであとは、「毎日運転ながら、公式HPの気まぐれで、毎週金曜のみ走っているように見える」のか、それとも道路網の発展により列車行商が衰退し、本当に毎週金曜日の運行のみになっているのか……?  他にも、公式HPで表示されないドンダン行き・ラオカイ行きの鈍行が残っているのか否かも非常に気になります……。なにせ急激にバスが便利になっていますから。そこで、どなたか人柱となって確認して頂ければ幸いです。日越往来がますます盛んな今日、ハノイ御在住の鉄ヲタ駐在員の方も、いらっしゃるはずでしょうし……。

 それはさておき、去る2年少々前にマイレージ消化のため超とんぼ返りで訪れたハノイでは、勿論満鉄等の標準軌客車に注目したものですが、一連の鉄活動のシメとして、メーターゲージの客車形式写真も撮れるだけ撮っておくことにしました。これもまた、急速に変わりゆくベトナムの映し鏡だと思いますので……。
 というわけで一発目は、コルゲートがある古めかしいボディで、如何にも1970〜80年代の計画経済臭をたっぷり残したシリーズです (*^^*)。タマ数は勿論そこそこ多く、ハノイ以北でしたらハイフォン線やラオカイ線の列車に多数連結されていますが、中国で22系客車が急激に過去のものとなった昨今、ベトナムでも同じように今後急速に淘汰される可能性がありますので、今のうちに見かけ次第撮っておくに越したことはないでしょう。

103系中間車を撮る@ブキッドゥリ

2018-08-14 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 モハ103-654 → K1 1 04 11。



 モハ102-810 → K1 1 04 10。



 モハ102-221 → K1 1 04 03。



 サハ103-246 → K1 1 04 02。

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 いつも編成単位で列車を撮っていると、意外と中間車を撮らないもので、後になって後悔しがちです。しかしジャカルタの103系の場合、先頭車は女性専用車ラッピングを貼られてしまいましたので、純正なKCJ色を撮りたいと思えば自ずと、中間車を形式写真的に撮っておきたいという思いがムラムラと。そこで、パクアン急行様のお取り計らいでブキッドゥリ電車区の構内にお邪魔した際には、赤・黄帯が見事に似合う姿を記録しておいたのでした。純粋な103系の戸袋窓設置車が消滅してしまい、今や西の103・105系 (加古川・播但除く。和田岬はどうなることやら……) すら風前の灯火となりましたので、ただただ懐かしい、カッコ良い……という言葉しか浮かびません。

ジャカルタの103系@ブキッドゥリ (14年)

2018-08-12 12:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日は、いつもお世話になっております『Asian Railway Plaza』の井上様のお声がけのもと、ジャカルタの電鉄会社KCIの技術者として南武線車内の忘れ物スマフォを発見したことで世に知られるOmatさんが来日されたのを歓迎する宴が、都内某所のインドネシア料理店にて開催されました。個人的には、2009年から2016年まで毎年今の時期はインドネシアを訪問しているところですが、昨年と今年は仕事が多忙さを増していることから日本にいる……ということで、歓迎する側の日本人鉄ヲタの末席に連ねさせて頂きまして、マンガライ駅の高架化工事やら、細帯車の消滅やら、武蔵野線205系増備やらで引き続き変化の真っ只中にあるジャカルタの地に思いを馳せるひとときとなりました。ご参加の皆様には大変お世話になりました!



 それにしても痛感したのは「皆さん103系が本当に大好きなのだなぁ!」ということ (笑)。103系の話をするだけで、ビールも食事も旨みがグッとアップします。というわけで、これまで撮り貯めていた膨大な量のインドネシア画像の中から「そういえばアップしそびれていた」ということで、KCJ色103系のブキッドゥリ電車区入庫シーンを貼ることに致します。これを撮影したのは早いもので4年前のこと。パクアン急行様が取得された撮影許可に有り難く加わらせて頂きまして、朝方のタナアバン・フィーダ運用を終えた103系がちょうど入線するところを激写したものです。また2枚目の画像は、今や完全に立ち入り不能になった「マンガライのボゴール寄り」の撮影向き空間にてゲットした、ブキッドゥリへの引き込み線にゆっくりと進入するシーンです。
 思い出すにつけ、ジャカルタの計16両のうち、最後まで生き残った8両は整備スタッフの必死の努力で良好な状態を保っていましたが、入線後数年間の予算不足&酷使がたたって満身創痍だったことは否めません。しかも、2014年の時点ではメトロ6000や205系が増えた後であり、103系がジャカルタでも圧倒的に古い電車に見えてしまったという……。とはいえ、満身創痍の圧倒的旧型でも何だかんだで力強く走ることが出来る103系は、やはり偉大な電車なのだなぁ……ということをしみじみと感じます (この年の訪問では103系がスルポン線の運用に入り、マジャからタナアバンまで延々と通し乗るという特典もありました♪)。