地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鉄コレ第10弾の一部を速攻でN化する

2009-07-31 00:05:00 | 超へっぽこ模型製作


 昨日は待望の鉄道コレクション第10弾発売日ということで、ここ数日来の超多忙が一段落したこともあり、帰り道に近所の模型屋に立ち寄りまして、かねてから予約していた2ボックスを引き取って参りました。いやはや、昨日はTOMIXのキハ28・58etc..の発売と重なっていたため、模型屋の狭い店内は仕事帰りの皆様が行列をつくって順番待ち状態でしたが、私はというと鉄コレ第10弾用の新動力TM-11に加えてキハ28・58・65、それに阪和線113系も同時に引き取りましたので、店頭でのお楽しみ儀式=動作チェックに時間がかかって御免あそばせ (^^;
 それはさておき、まずは帰宅後すぐにビールをプシュッと開けて前祝いをし、ほろ酔い加減で早速鉄コレの全ての箱を開封してみたところ……ぬほっ♪特に期待していた湘南顔の両巨頭=関鉄鉾田線時代のキハ431と東武熊谷線キハ2002が最高に良い感じ……(*^O^*)。さらに開封を進めて行きますと……ぬわんと!!鹿島鉄道晩年の金太郎塗装をまとったキハ432がシークレットとして入っているではありませんか! バンザーイ!!\(^O^)/ そこで早速、とりあえず1個購入しておいたTM-11をキハ432に装備しまして、即席エンドレス線を走らせてみたところ、まさに霞ヶ浦の畔の単線を小さなDCが走っていたあの頃 (何か早くも遠い昔の話のような気が……) が蘇ってくるようです……。 



 そこでさらに、関鉄鉾田線キハ411・431もN化し、その横にはキハ28・58を並べてみますと……DC急行「ときわ・奥久慈」「あじがうら」と小さなDCたちが顔を合わせた良き時代の石岡駅という雰囲気に……(^O^)。全然ジオラマでも何でもないので恐縮ですが、とりあえずは脳内で変換して楽しんだ次第です、ハイ (^^;;;
 ところが、そんな鉄コレ第10弾にもちょいと難点が……。新規製作された旧型DC用の台車枠に金属製車輪をはめこむと、精度のいい加減さのためか車輪を強くしめつけたような感じになってしまい、トレーラーとして連結するとギクシャクした走りになってしまいます (T_T)。当初そのことに気付かず、しばらく2~3連で走らせていたところ、やがて摩耗した車輪から発生した微細な屑が集電に影響したためか、あるいは車輪に生じたフラットのためか、恐ろしく不安定な走りに変わり……まさかもう動力がヘタれたのか?!と青くなったのですが、レールを清掃し直して単行で走らせたところ再びスムーズな走りに戻ったことから、ようやく原因を特定出来た次第です。確か、長電2000系新塗装のときも同じような症状が出たんだよなぁ……。紙ヤスリを使って台車枠の車輪受け部分を微細に削れば良いのですが……さすがここらへんのいい加減さはキターイ (ロシア語) 製だけのことはある……と。
 ともあれ、こんな感じでさっそく楽しんだ「キハ=コレクション」ですが、そういえば東武はキハ2001ではなくキハ2002なのは何故か……と思うにつけ、ひょっとするといずれ旧塗装でキハ2001を出すという予告ではなかろうか、という気がしています。と申しますか、東武旧塗装キハ2001と鹿島の「緑金太郎」キハ431につきましては、是非オープンパッケージでお願いしたいところです。銚子1000形「桃太○電鉄」がなかなか売れず大量に積んである光景を目にしますが (苦笑)、これらは速攻で売れること間違いなしではなかろうか、と信じて疑いません (笑)。
 この他の第10弾各種につきましては、片上・新潟・蒲原が結構良い感じ♪ いっぽう羽後キハ3は「湘南顔+片側のみ前面に荷物スペースつき」というスペックがなかなか魅力的ですが、正直なところ塗装が微妙……(^^;)。遠鉄キハ802も、富士山麓モハ1と同じく、単に赤いプラスチック素材を成形しただけで無塗装に近く、リアリティがない……。というわけで、個人的に余りイケていない車両を使ってどのようなフリーランス車両を作ろうか、と思案しているところです。もっともその前に、最近なかなか模型いじりをする時間がないのですが……(汗)。

韓国鉄道新事情09 (4) 振子試作車TTX

2009-07-29 07:35:00 | 韓国の鉄道


 韓国出張からあっと言う間に約1ヶ月。この忙しさは一体……ということで (滝汗)、神出鬼没的に韓国ネタの続きです。旧型DCの話題の直後に異国の最新鋭車両の話題というあたり、節操ゼロな展開ではありますが……(^^;
 さて、動力分散化へと傾きつつある韓国在来線新時代を象徴する新顔として、先月から「ヌリロ」が運行を始めたことにつきましては既に触れたとおりですが、いっぽう恐らく「セマウル」に取って代わる「ビチュロ」につきましては当面その具体的な運行計画は示されていません。しかし、時速180~200km/h前後の振子式特急電車として「ビチュロ」をデヴューさせるべく、実証試験用車両として「TTX」1編成が製造され、各地で試運転を重ねている……という話はかねてから伝えられておりました。もっとも、如何せん1編成限りの試験車両ですので、目撃は全くの期待薄。まぁ外国の一鉄ヲタとしては、実際にデヴューしてからその実力のほどを確認することになるのだろう……と思っていたのでした。
 ところが、ななな何と! 今回ソウルから用務先の地方都市へ向かう途中、韓国の鉄道貨物輸送における一大中心地である堤川[チェチョン]にてちょいと途中下車し、駅撮りに励んでいたところ……全く見慣れないシルエットが迫って来たではありませんか! (@o@) そこで、ひたすらファインダーを覗き込んで連写してみたところ……ぬををっ!これがかのTTX!!



 TTXの前面の塗り分けは、如何にも最近の韓国国鉄の好みを反映したものになっていますが、いっぽう連結器カバーの形状は何やら本朝の0系新幹線を思い出しますなぁ……(笑)。そういえば、運転席脇の「TTX」ロゴの下には「HANVIT 200」と記されており、HANはほぼ間違いなく「韓」、VITは新列車名「ビチュロ」を念頭に置いたものだと思われますが、「ビチュロ」とは「光のような」という意味ですので……形とネーミングが相まって日本の新幹線を意識しているのかも知れません……。あるいは、「ひかり」という列車名自体がもともと朝鮮半島を縦断する日満連絡急行列車の名前ですので、少々穿った見方をしますと、韓国が言うところの「日帝時代」に韓国自身が秘かに憧れてリファインするということでもあり…… (^^;)。とはいえ、少なくともこのカラーリングは「りょうもう」としか言いようがないような気もします (^^;;;
 そんなことが瞬時に脳裏を駆けめぐりつつ、ひたすら連写を続けていたところ、やがてパンタが下げられ、編成中央部のドアが手動で開けられました。その後に展開したのは……てんでバラバラな私服姿の研究員の皆様がゾロゾロと線路に下りて昼食に向かうという光景……(汗)。何ともケンチャナヨな光景ではありますが、それが逆に何となく微笑ましくホッとするのは私だけでしょうか (^^;
 ともあれ、そんなTTXですが、「ビチュロ」として量産が始まったあかつきには、まず複線化・新線化が急速に進む中央線系統に集中投入され、所要時間を劇的に短縮することになるのでしょう。それがどれだけ革命的なことであるかにつきましては、いずれ中央線ムグンファ号の旅をご紹介がてらご説明する予定です。


 振子運転で180km/hを達成した慶祝ラッピング。
 「韓国型複合○制 ティルティング列車 (ハンビッ200) 180km/h 証速試験 達成」と書いてありますが、○の部分は、辞書がいま自宅の手許にございませんで、すぐには思い浮かばずスミマセン (^^;



 左のイラストは「ちょいゆるキャラ」っぽくもあり……(^^;

茨交キハ112 (キハ11 25) 現役の頃

2009-07-28 00:14:00 | 地方民鉄 (関東北東部)


 茨交塗装の旧型車がゴロゴロしていた頃の那珂湊の光景をアップしたついでに、これまた未アップだった茨交のキハ112の画像をお一つ……(まだこのブログを始めていない頃の撮影につき、自ずと未登場 ^^;)。
 周知の通り茨交のキハ112は、日本最後のキハ10系列営業車両として知られた存在であり、2004年5月の引退運転後はJREが買い戻し、入念な整備を経て国鉄時代の番号・キハ11 25に戻り、大宮の鉄道博物館の片隅にて保存されています。屋内保存ではなく、デモ走行線に留置されていますので、その気になれば公開運転も可能かと思われますが、高崎線の車内から見るにつけ全く動く気配がないのは何故……? 本当に勿体ない限りです (その前に、まだ私自身が鉄道博物館を未訪問 ^^; ←世の中に背を向けるひねくれ者ですみません。笑)。
 そんなキハ112は、とりあえず入念に保存されているだけ幸せな車両だと言えますが、茨交時代の末期はスペック上の見劣りに加え、そもそも機関の老朽化が激しいことから通常の運用には入らず、確か毎月1回、定期運用の旧型DC (とくに国鉄色を復活させたキハ205) に連結して、那珂湊→阿字ヶ浦→勝田→那珂湊と正味1往復するだけのイベント走行を行っていました。



 当時既に利用客減で湊鉄道線の廃止が取り沙汰されていた茨交が、キハ11の歴史的価値を十分に踏まえて定期的な保存運転を行って下さっていたことは、ファンから見て本当にありがたいことでしたが……問題は、余りにも老朽化が進んでいたためエンジンの不調は頂点に達し、しばしば直前に運転中止が告知されていたことです。ただでさえ水戸は遠く、予定を合わせるだけでも一苦労だった私からみて、突然の運転中止は悲し過ぎ……(-_-;)。というわけで、ようやく乗って撮って楽しむことが出来たのは、引退から約半年前の03年10月のことでありました。
 このとき、一応中根界隈で撮っている……はずなのですが、当時はまだデジ一眼を導入したばかりで (610万画素の時代がありました……)、メインはまだリバーサル。ところが現在自宅のスキャナが壊れていますので (^^;)、その姿をお目に掛けることは出来ません (^^;;)。というわけで、日工前で何となく後追い撮影したカット (キハ205が先頭 ^^;) と、那珂湊入庫後に憩う姿をアップしておりますが、今考えてみますと、鉄道写真はリバーサルよりもデジタルの方が暗部の再現が超ラクですので、全てのカットをデジタルで撮っておけば良かった……。それでもまぁ、こうして現役な姿を記録出来ただけでも有り難いことだと思わなければなりますまい。
 それにしても、朱色とクリームの国鉄色で揃った2連は良いですね……(*^^*)。今後ひたちなかの旧型DCが何時まで持ちこたえるか分かりませんが、最後にキハ22タイプのうち1両を朱+クリーム塗装に塗り、キハ205と競演♪なんていう展開になったらなぁ~と妄想しています (^^;


 床の腐食が激しく、全てが青息吐息という状態でしたが、とにかくDMH17の激しい唸りとバス窓・古い椅子の組み合わせは私を酔わせてくれました……。
 肝心の乗客はほとんど地元客で、ファンの姿は稀……。全然イベントの意味がないのですが、それでも茨交は運転して下さったのでした。最近のひたちなか旧型DC人気を思えば、余りにも貴重なキハ11がスカスカというのは信じ難い限りかも知れませんが、他の「鉄」が忙しく動き回る姿をなるべく気にせず (爆→まぁ私の鉄活動中の姿もやはり傍目には鬱陶しいのでしょうが ^^;) のんびり・まったりとオールドタイマーの魅力を楽しみたいと常日頃思っている私にとって、キハ112の小さな旅は最高のひとときでした……。

ひたちなか223引退に寄せて・茨交塗装天国

2009-07-27 07:22:00 | 地方民鉄 (関東北東部)


 既に広く雑誌やネットで伝えられている通り、ひたちなか海浜鉄道はこのたび三木鉄道の軽快DCを購入し、冷房化率のアップおよび三木鉄道時代の塗装を保ったままのある種の動態保存 (?) を兼ねたデヴューを目指して整備中と伝えられています。結局三木鉄道には一度も訪れる機会がなかった私にとって、全く違った土地でその独特の塗装を見られることになるのは非常に楽しみなことですが、その一方で非冷房の国鉄キハ22タイプ旧型DCが廃車になるのは、天寿を既に十分全うしておりやむを得ないこととは言え残念……。そこで昨日、廃車となるキハ223のさよなら運転が実施されたようですが、私は朝から晩まで仕事でしたので、もっぱらネットを通じて昨日の模様を知るのみ。とりあえず平穏無事に有終の美を飾ることが出来たようで良かったのではないか……と思います。
 というわけで、茨城交通時代に撮影したキハ223の画像をアップしてみることにしましょう。この1枚は、那珂湊で昼寝中のキハ223ほか3連を何となく撮影したものに過ぎませんが (4年前の真夏に訪れたところ、2運用ともキハ3710が入っており拍子抜けしたという……^^;)、まさかこのカットが、車体中央部のラインがより大胆な雰囲気の「茨交時代最終塗装・旧タイプ (ビミョーな表現でスミマセン ^^;)」をまとった最後の車両としてのキハ223の良き記録になろうとは……。



 キハ223の引退により、茨交塗装をまとった旧型DCは今後キハ2005が残るのみとなりますが、ここで今から約6年前のカットを引っ張り出してみますと……検査を受けたてほやほやのキハ2005 (2枚目左側の車両) はもとより、今は国鉄準急色となっているキハ2004、それに今ほど朽ちていなかった鹿島臨海からの譲受車などが一同に会し、まだまだ茨交色旧型DC全盛 (?) を感じられたものです。茨交塗装はお世辞にも人気があったとは言えず、スカ色や準急色が復活するまで、圧倒的多数のファンにとっての茨交訪問の目的はキハ112やキハ205などの国鉄色撮影だったと思われますので、茨交色全盛期でしたらこんなカットは何の自慢にもならなかったかも知れませんが (^^;)、いや~、今こうして見るとやはりひとつの時代を写し込んだ壮観なカットだな~と思えて来ますね……。
 ↑なお、このカットは車庫での撮影となっていますが、このときはキハ112 (現在、大宮の鉄道博物館入り) の不定期運行イベントがあり、那珂湊の車庫も一声掛ければすぐに見学・撮影をお許し頂けたという特別な日でありました(まだ茨交→ひたちなかを訪れるファンの数が多くなかった頃の話でして、社名も変わった現在では決して安易に立ち入りが出来るわけではないと思われますので誤解なきよう)。
 ともあれ、こうして茨交塗装は過去の記録となって行くわけですが、今後はもしキハ2005が延命するとしたらどのような塗装になるのか楽しみですね……。ひたちなか新塗装というものが果たして旧型車に似合うセンスの良いものになるのか……。あるいはもっと別の懐かし塗装になるのか……。

阪急京都線礼賛・09年5月 (3) 6300系万歳

2009-07-26 00:19:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 RP誌の京阪特集増刊号をつらつらと眺めておりますと、京阪本社の担当者氏によって執筆された概要・社史的な部分が簡にして要を得た内容で読み応え満点なのですが、とくに印象に残るのは……阪神急行電鉄(いまの阪急)との戦時合併を経て京阪として再発足する際、淀川でエリアを仕切るという方針ゆえ、京阪資本で育てたはずの新京阪電鉄=いまの阪急京都線を切り離したという記述……。約60年の時を隔てて完全に既成事実になったとはいえ、阪急の戦前製車両とは全く異質な高速運転用の名車・デイ100に象徴される新京阪の短命な歴史に対して、今も京阪としては秘かに思い入れを持っているのだろうなぁ……と思った次第です。
 というわけで、2ヶ月前に出張撮り鉄した阪急京都線の画像のうち、一番肝心の女王陛下・6300系をまだアップしていなかったのを思い出しました (^^;)。最近は9300系の増備や一般3扉車の特急運用増加、それに嵐山線用4連化により、6300系の特急運用はめっきり減ってしまい、下手をすると京都線全線で1本しか走っていないという事態もあり得るほどに……。以前一度そういう悲惨な目に遭ったときのショックといったら……とてつもなく絶望的な気分になったものです。



 しかし、この日は至高の存在・6330Fをはじめ計3本が運用に入っており、天気もよろしく万々歳……\(*^O^*)/ しかも、僅か2時間少々のあいだにこれだけのカットを決めることが出来、夕方から夜にかけての用務=会議が終わった後のビールが美味かったこと……(笑)。マルーン・ボディの煌めきを脳内で思い浮かべるだけで最高の酒の肴になる車両というのは他にそう多くないと思われます。
 そして今、RP誌京阪特集の記述を踏まえて6300系の画像をこうして眺めてみますと、6300系はまさにデイ100に象徴される新京阪のスピリットを伝える最後の車両なのだなぁ、ということを改めて強く感じます。6300系の登場当初、153系を使った国鉄の新快速は大して脅威にならず、京阪間の直通需要のかなりの部分を6300系が欲しいままにしていたわけですが、やがてJRWのアーバンネットワーク攻勢により形勢が逆転し、阪急京都線の特急は停車駅を増やすようになったのは周知の通り。それは同時に古き良き新京阪の没落でもあり……6300系の後継車であるはずの9300系は3扉&「巨大オデコな阪急新スタイル (?) 」となったことで、ついに新京阪時代からの「何か」が京都線から消えて名実ともにベッドタウン路線・阪急の一路線となって行くのだろうか……と。ま、こんなことを考えているのは私だけかも知れませんが、これからも6300系の最後の一編成が京都線の定期運用から消えるまで、歴史的ストーリーへの思いをこめて撮り続けることになりそうです。