地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

KATOの飯田線旧国・クモハ53007/008

2013-11-30 00:00:00 | 模型素人物欲見聞記


 昨日、かねてから首を長くして待ち望んでおりました、KATO入魂の飯田線旧型国電・クモハ53007&008がついに発売となりました。バンザーーイ!\(^O^)/ 小学校の卒業記念として、生まれて初めての一人旅の目的地に引退直前の飯田線旧国をチョイスした者として、飯田線旧国と聞けば思わずパブロフの犬状態となってしまう私ではございますが (笑)、これまで手を染めたブツとしましては……マイクロは造形が今ひとつウソっぽく、鉄コレはチナ・クオリティ全開であり、GM板キットは結局作り手の技量に依存してヘタクソなものにしかなりませんので、今回のKATO完成品の出現は本当に福音です♪ そして実際に模型屋での試走にあたりパッケージから取り出した瞬間、余りにも精緻なモールドで完璧に再現されたプロポーションに惚れ惚れ……♪



 というわけで帰宅後さっそく再び開封し、こんな感じで記念写真を撮ってしまいました! 但し既にお気づきの通り、本来クモハ53007と008は逆向きであり、それに対応して今回のクハ47とクハ68も逆向きですので (ジャンパ栓の挿入穴が53007と47009にあり、購入者の自己責任で付属パーツを後付けするようになっています)、インチキと糾弾されようが何だろうがあくまでクモハ53007・008を同じ向きで並べてウットリしたいという妄想のあらわれに過ぎません。悪しからず (^^;)。
 なおカプラーは、TNカプラーとよく似た雰囲気の新型カプラー (?) が付いていますが、ボディマウント式TNカプラーとの連結は出来ません (苦笑)。そもそも、今回の飯田線旧国のスカ色紺色塗装は、鉄コレやGMのそれと比べて今ひとつ明るい色ですので、混結すると雰囲気が合わないという問題もあります。
 何はともあれ、これは個人的にとにかく珠玉の美しさだなぁ……と思いますので、是非今後のシリーズ化を期待したいところです。とくに、2両いずれもT車となるセットの販売を希望……。いっぽう、鉄コレといいKATOといい、こんな感じでヲッサンホイホイ飯田線攻勢を強めて来るとなりますと、何よりも自宅にしこたま貯め込んだGM・LJ板キットのさらなる製作に着手する意欲が削がれてしまいそうで (時間の無さにかまけてしまうこともあり)、これはこれで大問題でもあります (^^;)。

第五ジャカルタ炎鉄録 (15) バンテン線客車鈍行

2013-11-29 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 今回のジャカルタ訪問において体感した新事物のうち、もう一つ忘れるわけには行かないのが、スルポン=バンテン線の電車列車運転区間延長です! ジャカルタから遠く離れたバンテン州の田舎町・マジャまでの電化工事は、確か数年前に完成していたと聞きますが、逼迫する電力事情、そして他の路線における本数増に追われる中、なかなかパルンパンジャンから先の新規電化区間まで回す電力がなかったようで、結局宝の持ち腐れ状態が昨年・一昨年の訪問時に展開しておりました。しかしここに来て、発電所や変電設備の整備が進んだためか、この4月から1日あたり5往復の電車列車がマジャまでの運行を始め、起伏が多く緑豊かな麗しのバンテン線沿線風景と日本中古電車(主に東京メトロ05系)とのコラボが始まりました!
 というわけで、正直申しましてメトロ05系への関心は薄い私ではございますが (^^;)、バンテン線の田園風景との組み合わせは是非一刻も早く体験してみたいと思いまして、活動4日目の日中から夕方にかけてはマジャまで往復することにしました。しかし同時に、パクアン急行様がマジャ電化開業の直後にレポートされた通り、マジャの一つ手前の「秘境駅」……と申しますか、ロクにホームもなく掘っ立て小屋のような切符販売窓口があるだけの超ヘロヘロ駅であるチコヤ駅にも立ち寄り、ジャボデタベック・エリアで最もヘロい駅と05系 (またはメトロ7000系あたり) との組み合わせを激写してそのまま電車に乗るという、最高にハードなマニアックさとしか言い様のない体験もやっておこうと思いまして、往路はチコヤに先回りするべく客車鈍行に乗った次第です。



 現在、スルポン=バンテン線の客車鈍行は、冷房改造車と非冷房車が入り乱れているようですが、私が今回当たったのは背もたれが浅いプラ製の2+2ボックスシート非冷房車。とはいえ、窓が開きますと適度に乾いた空気が外から入ってきますので、窓が密閉化済みでありながら冷房の出力がダメダメで結果的に死ぬほど蒸し暑いプルワカルタ鈍行と比べれば天国のようです♪ それに加えて、タナ・アバン通過措置に伴い、客車鈍行は運賃激安であるにもかかわらず (何せ、ジャカルタ中心部からランカスビトゥンの手前・チテラス駅まで延々と乗っても1,500ルピア……) 思いのほか空いており、他の客もどことなく寛ぎまくりな雰囲気……。こんな客車鈍行でしたらいくらでも乗れまっせ♪
 そして……電車のエコノミー列車が全廃された現在、このバンテン線客車鈍行はプルワカルタ鈍行と並んで、ジャカルタ近郊で物売りや流しバンドの車内活動を楽しめる最後の舞台となりました。というわけで、混み合うエコノミー電車列車内では「うざっ……」としばしば思った物売り攻勢も、今や「懐かしいのぅ……久しぶりだのぅ……」という気分で眺めるのみです (^^;)。そして、上手い流しバンドが来れば思わず500ルピア硬貨を袋に入れ、モスク建設のための募金を呼びかけるマドラサ (イスラーム宗教学校) の学生が来れば、私自身全くムスリムでないにもかかわらず「アザーン (定時のコーラン朗唱→大音量放送)で涼味を感じる御礼」というつもりで1,000ルピアを寄付し (ケチ!)……。気が付いてみたら、車内での物売りや寄付募集が一切禁じられている冷房電車に乗る際に払う運賃と、エコノミー客車列車に乗る際に払う運賃と諸々の寄付等の出費の総和がほとんど変わらないのではないか?という事実に気づいたのでした (笑)。
 とまぁこんな感じで、古き良き非冷房客車鈍行の旅を満喫し、途中パルンパンジャンからは機関車の次位に連結された荷物車に移動して、アメ罐らしくやかましいディーゼル発電機音に混ざる釣掛サウンドを楽しんだのち、目指すチコヤ駅に到着! (2枚目の画像) 列車が去ってしまうと申し訳程度の駅前商店街 (?) を除けば本当に緑の水田と熱帯雨林しかない静寂と、それとは裏腹に叩きつけるような暑さの中、じっと電車列車の到着を待ち構えたのでした。しかし間もなく悲劇が……(笑。つづく)。


 チコヤ駅1。ジャカルタ側を向く。ホーム無ぇぇ~(滝汗)。



 チコヤ駅2。メラク側を向く。駅舎の垂れ幕を先に見ておくべきでした……。



 これがチコヤ駅前通り (滝汗)。間違いなくKCJエリア内で最も長閑です……。



 マジャ駅前通り。電車を降りた客がゾロゾロと。しかしバイクが多いな……。



 駅の外れで撮影中、若いママさんがおどけながらポーズをとりまくり (笑)。


バンコク近郊大周遊 (8) 南本線の客車鈍行

2013-11-28 00:00:00 | タイの鉄道


 メークロンからいちかばちかの都市間連絡バスの旅を選択し、右も左も分からず到着したラチャブリーの街。とりあえずバイクタクシー氏に連れられるがままに、街外れの緑の中にしっとりと佇む、如何にも昔ながらの停車場という雰囲気のラチャブリー駅(南本線)にやって来ました。清潔に保たれた待合室やホームのベンチでは、列車を待つ客がのんびり・まったりと涼んでおり、今も昔も変わらないタイの鉄道旅情を感じます……♪ しかし、当面の最大の問題は、果たして13時52分のトンブリー行に間に合っているのかということ。そこで、窓口で恐る恐る、次の目的地であるナコーンパトムまでの切符を購入したところ、コンピュータ発券ということもあり、13:52と印字されているではありませんか! よっしゃ!予想通りに遅れている!……というわけで、メークロン~ラチャブリー間のバス連絡大作戦、大成功です♪
 (※注意:はっきり申しますが、あくまでこの時に限っての偶然です。南本線・ラチャブリー13:52の鈍行が定刻通りに運転されている場合、メークロンを12時頃発車するバスに乗るに越したことはありません。メークロン線が恒常的に遅れる可能性大であることに鑑みて、この連絡作戦の成功は一切保証出来ませんので悪しからず……! まぁ乗り遅れた場合でも、ホアヒン始発、ラチャブリー16時発のクルンテープ行[バンコク・ホアラムポーン行]DC鈍行に乗れば良いだけの話ですが)



 しかし問題はここから……。ランスアン発の客車鈍行が遅れてくれたことは良かったものの、その遅れ具合が尋常ではない!! (@_@;;) 大体20~30分遅れであれば、ちょこっと待つのみで入線シーンも激写出来、万々歳ものだな……と暢気に構えていたのですが、やがて14時30分を過ぎた頃から「これってヤバくねぇか……。ナコーンパトムでの街歩きの予定がぁ……」とヒヤヒヤな気分が募って参りました。しかも、頭上はにわかにドヨ~ンと暗く曇り、仕舞いにはポツポツと降り出す始末……。下手すりゃスコールということで、折角の駅撮り計画も空しく潰え、土砂降りの中で鈍行客車のデッキに客が群がるという凄惨な光景も脳裏をよぎらざるを得ません (滝汗)。
 もっとも、さらに列車が大幅に遅延したことにより、そんな天気の悪さもやがて好転し、撮り鉄には上々な明るさが戻って来ました。そして15時15分、先ずやって来たのは (1枚目の画像)、バンコク・トンブリー駅を13時過ぎに発車したプラチュアプ・キーリカン行の鈍行……この列車は定刻通りの運転じゃねーか!! (爆) 果たしてランスアン発トンブリー行は何時来るのか……(待ちくたびれたぁ~-_-)。しかし、プラチュアプ・キーリカン行はなかなか発車しません。これは何か変だ……と思った矢先、南側から汽笛が聞こえ、お目当てのトンブリー行が堂々のオール旧塗装客車10連で登場!! 罐も旧塗装だったらサイコーなのだが……と一瞬思ったりもしましたが、今や紫系新塗装車と青白ツートン旧塗装の混結が一般的となっている中では、こんな編成が来るだけでも超!贅沢です♪ というわけで「1時間半も待った甲斐があったぜ……ハァハァ」と思いつつ、日本の10系客車のタイ輸出バージョンと呼ぶべき客車に勇躍乗り込んだのでした♪

ヤンゴン熱鉄記 (24) 環状線客車形態観察

2013-11-27 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 DC改造車の正面窓潰し顔。一番よく見かけるタイプです。



 DC改造中間車・貫通路封鎖バージョン。



 4扉客車。窓割りからしてアッパークラス客車の格下げ?



 標準ボックスシート客車を改造した (?) 3扉客車。

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 これまでしばらく、ヤンゴン環状線客車列車の基本的なスタイルを罐ごとにご紹介して来ましたが、ここで一応客車についてもご紹介しておかねばなりますまい。
 ヤンゴン環状線の路線図を眺めるにつけ、それは決して複数方面へ向かう本線を連絡するというものではなく (マンダレー方面への本線とピィ方面への本線はヤンゴン中央駅でダイレクトにつながっています)、ヤンゴン中央駅に貨物列車を流さないためのバイパスルートとしての考慮も一切無し。したがってこの路線は線路配線からみても、もっぱらヤンゴン中央駅を振り出しに近郊列車を環状運転させることで、一種の田園都市的なものを郊外に展開させようとした、大英帝国の夢の跡であることが見て取れます……。
 そこで英国は、機動力のあるディーゼルカーを環状線に大量配置し、それなりにフリークエンシーを保って営業していたようですが、2扉裾絞り客車の一部に如何にも英本国やインドあたりの古いEMUやDMUとよく似た顔が残っていることから、当時の雰囲気を何となく偲ぶことができます。日本のアジア戦線拡大による第二次大戦の混乱と独立義勇軍の奮戦を経て英領ビルマが崩壊して以来早いもので60数年、もちろんエンジン自体はとうの昔に外されてしまったわけですが、車体と台車については頑強に生き残っているのは、製造時の作りの良さ、そして困窮を極めた独立ビルマ史の中で鉄道関係者が必死に保守してきたことのあらわれでしょう。
 いっぽう、ヤンゴン環状線は長年の漸進的な人口集中のためでしょうか、あるいは近年の本格的な経済発展開始に伴い、混雑が加速しているためでしょうか……長距離用の古い客車を3扉や4扉に改造した車両も結構見られます。果たして何時3扉や4扉に改造されたのかは判然としませんが……何となく日本国鉄オハ71 (戦災復旧車で狭い3扉を装備) を思い出す風貌は、ボロ客車大好き人間である私としましてはグッと来ます♪ 基本的に日本の旧型客車と似た雰囲気であるだけに、GM板キットを使って製作し、ミャンマー国鉄色に塗り替えたDD51に連結させればOK……などという妄想が (まぁDD51改めDD2200は環状線運用に入りませんし、今回そもそも撮ってない……残念)。


 どどーんと古色蒼然! 最初期DCの改造車?

駿遠私鉄周遊2013春 (8) 天竜二俣の保存車両

2013-11-26 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 天浜線・天竜二俣駅の由緒ある転車台及び扇形庫を見物し終え、ガイド担当社員氏に誘導されて構内踏切まで戻って来たところ、天竜二俣駅のもうひとつの名物である貴重な国鉄型保存車両=キハ20 443とナハネ20 347が、春の柔らかい光に照らされているという、何とも絶妙な光景が広がっていました♪ このうちキハ20 443は、長らく天浜線の前身である国鉄二俣線にて活躍したのち、三セク化・LE-DC化と同時に廃車、そのまま側線に押し込まれたものです。



 一方ナハネ20 347は、かつて下関に配属されて「あさかぜ」の晴れ舞台で活躍したのち、尾久に転じてオール寝台急行「天の川」に用いられたとか。しかし周知の通り、東北新幹線の本数増に伴う夜行列車の削減やら、そもそも20系の余りにも狭い客車三段寝台が流行らなくなってきたことやら……により、僅か車齢10数年で廃車となり、縁あってこの側線にて保存されることになったとか。ただ、長年にわたり管理の手が入らず、以前ここを訪れた際には相当荒廃した雰囲気……。
 しかし今や、地元で発足した保存会の皆様のご尽力により、このように極めて美しい姿を眺めることが出来るとは……本当に嬉しく有り難いことです。駅前広場に桜が咲き乱れる余りにも長閑な田舎の駅に、このような国鉄時代を偲ぶ貴重な車両が佇んでいる光景は、季節を変えてこれだけを目当てに訪ねても良いと思えるほどのものですし(時間が……汗)、あるいは思わず模型でこのような通常では「有り得ねー」編成を再現してみたくなると言うものです(笑)。