地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

神奈臨浮島線・東燃スイッチャー回送を撮る

2010-08-31 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 大井町のJREまつり見物を冷たい生ビールで締めたあとは、再び京浜東北線に乗って川崎へ移動。「天下一いずま」中華料理店にてもやしそばを食べて腹ごしらえをしたのち、浮島バスターミナル行のバスに乗って浮島町界隈へ。もちろん目的は神奈川臨海鉄道の撮影でしたが、今回は撮る対象が極めて特異で、並々ならぬ緊張と気合いを以て臨んだのでありました……。
 その対象は、製油所構内の専用線で働くスイッチャー! 浮島線の輸送量の一大部分を占める石油輸送は、言うまでもなく神奈臨のDD13級DLによって担われていますが、それは基本的に川崎貨物駅とのあいだの往復と、川崎貨物駅構内における行先別仕分け作業のみ。公道からは見えずヴェールに包まれた製油所構内の入換は、専用の数台のスイッチャー(神奈臨所有? あるいは石油メーカーが所有して神奈臨に管理委託? 少なくともボディには神奈臨の社名が大書されています)が担当しており、彼らの日常の姿を通常一般人が目にすることは勿論出来ません。それを拝むことが出来るのはあくまで、塩浜機関区との間で検査回送がなされるときのみ……。そんな滅多にない機会をとある方からご教示頂きまして、自分の予定と目出度く合ったという次第です(^^)。



 今回の回送は、事前に大まかな運転スジが分かっていたものの、臨海鉄道でありがちな運転時刻の変更に備えるべく、だいたい1時間前に浮島町界隈に到着~。基本的な撮影意図として、製油所のスイッチャーと石油タンク (いや、球体なのでガスでしょうか?) の組み合わせを是非……ということで、敢えて強烈な逆光を覚悟で末広町駅の脇を撮影地として選んでみたのですが(浮島線には順光で撮影出来るところもありますが、バックは高速道路……)、それにしてもとにかく激しく暑い……(@_@)。重化学工業地帯でこれだけ透き通った空気とは如何に!と思えるほどドピーカンな青空の下、多摩川の河口を挟んですぐ向かいの羽田空港を次から次へと飛び立つヒコーキを眺めつつ、のんびりと列車の到着を待つ……と記せば風流かも知れませんが、実際には舗装道路の上はもう完全に逃げる場所なき鉄板焼 (爆)。もし送電線の鉄塔がつくりだす日陰という恵みがなく、僅かばかりの海風も吹いていないとしたら、こりゃあマジで熱中症決定だぜ!と思えるほどの灼熱地獄でした (-o-;)。これに加えて、臨海鉄道で極めてありがちな突発的ウヤの恐怖も完全に拭い去ることは出来ず……。しかし何がどうあれ、超レアなスイッチャーの回送をしかと拝むためには、この程度の忍耐や不安は当然甘受しなければなりません (爆)。
 というわけで、製油所の貨車門が開いた瞬間……灼熱地獄でヘロヘロな私は、まさに極楽浄土への喜悦の門が開くかのような心地すら覚えたのでした……(笑)。そしていよいよ、末広町駅の荷役作業員に列車接近の注意を促す警戒ライト&ミュージックが作動して、お出迎えのDD5516が登場! その約10分後、スイッチャーDD501を従えた重連がやって来ました!\(^O^)/ このスイッチャー、確か根岸で働いていたものを譲り受けたのではなかったかと記憶していますが、神奈臨の新塗装に合わせたネイビーブルー+白+黄色が何とも似合っています♪ そして勿論重連も良い感じです☆
 このあとは、何とか浮島橋まで猛ダッシュして後追いできないものか……と思ったのですが、最近の運動不足とこの暑さゆえにあっけなくギブアップ(笑)。それでも、念願のスイッチャー撮影を果たしたことで心地よい充実感を感じつつ(実際には猛烈な暑さで完璧にヘロヘロでしたが @_@;)、川崎に戻ったのでした……。
 というわけで、情報をご教示下さった方に心よりお礼申し上げます m(_ _ )m うーん、昼前に撮ったお召し機とはえらく違った存在&世界ですなぁ……(^^;

EF58とDD51・ロイヤルエンジンの競演

2010-08-30 00:00:00 | 国鉄型車両


 当ブログの200万アクセスに華を添えるべく豪華車両を撮影!というわけでは決してなく、単にタイミングが重なったに過ぎませんが、周知の通り去る土曜日はJREの東京総合車両センター恒例の一般公開があり、事前に告知されていた高崎機関区のDD51 842に加え、ここで保存されているEF58 61が並んで展示されました。
 この日、私は川崎近辺でとある超マイナーな車両(改めてアップします)を撮影していたのですが、昼前後は時間に余裕があったことから「そういえば今日はJRE大井町祭りか。ただでさえ死ぬほど暑いのに加えて人人人……でヘロヘロになりそうだけど、まぁDD51をちょこっと撮ってすぐに退散すれば大して時間と体力のロスもなかろう」と思いまして、京浜東北線に乗って大井町へ。すると……何ざますか、開場から約1時間過ぎているというのに、列が延々とJRの社用地内道路の奥まで行って折り返すほどとは……(@_@)。しかし、列そのものは流れているため、しばらく炎天下に耐えればさほど時間も食わずに入れるだろうと予想したところ、大井町駅改札から正門まで約20分でした。
 ちなみに、ここまで猛烈に暑いにもかかわらず、来場者は横入りすることなく、最低限の警備・誘導人数で列が整然と流れていたのは……見事の一言に尽きます。「これぞ日本の美徳。GDP世界2位上昇と自惚れている某キターイ国では永遠に有り得ないぜ! もっと自信を持てよ日本人!」とミョーに熱くなってしまう私だったのでありました (^^;←この段落に関するコメントはご遠慮を)。



 それはさておき、正門にて恒例のうちわを頂いた後は(これを何枚配ったかで来場者数をカウントするのでしょう)、「元祖・走るんです」として車番を復元したクハ901-1の姿に「ホントにハリボテだよなぁ……」と思いつつ、脇をスルーしてどんどん中へ。ただでさえ炎熱がこもった検修場内で子供向けイベントだなんて……担当者の皆様お疲れ様です。そしていよいよ車両展示撮影コーナーに着いてみますと……何と!DD51 842だけでなく、EF58 61も展示されているではありませんか! ロイヤルエンジンの競演をこうして偶然かつお手軽に楽しめてしまうなんて、いや~贅沢なひとときです(*^^*)。
 まぁ、EF58 61とDD51 842の並びを展示する旨を事前に告知すると撮り鉄の殺到で収拾が付かなくなることから、あくまで訪問者だけのお楽しみということにしているのでしょうか。普段は長時間にわたる撮り鉄の場所取りカオスが苦手ということもあって、この手の車両を撮影することは少ない私ですが、三脚禁止の周知徹底ということもあって非常にスムーズに撮影者が譲り合って入れ替わるこのイベントでは、安心してまったりと貴重な車両を撮影出来るのが嬉しいところです。思うに、ここ1~2年来撮り鉄のマナーが社会問題としてあれこれ言われるようになってからというもの、無用の混乱は避けて譲り合いに徹したいという心理が広まっているようにも思われ、そんな雰囲気が見られたのも素晴らしいことでした……。
 この後はEF60 19を一応撮影したものの、両隣が「なのはな」とE217という点は個人的にイマイチ (^^;)。クモヤ143でしたらサイコー!だったのですが、撮影不可な位置に引っ込んでいたのが残念……。旧型国電の残党がことごとく解体されてしまい、その跡地には総武緩行線用E231の中間車 (山手用新4扉車の輸送用に駆り出された編成からあぶれた車両) が放置されていたのも寂しい光景でした……。
 まぁ何はともあれ、毎年のように貴重な車両を並べ、膨大な来場者をさばいておられる関係者の皆様には、この場ながらお礼を申し上げる次第です m(_ _)m 
 正門から入場して30分少々のあいだ、お目当ての車両をパパッと撮るだけでも猛烈に汗が噴き出て来た私は、撮影終了後社員食堂内で黄金色の苦い炭酸水をゲットしてほとんどイッキ飲み (爆)。こうして何とか生気を回復した後は、さらに極限的に鉄板焼き状態な本命スポットへと移動したのでした……。

200万アクセス御礼・大雄山線新旧交代

2010-08-29 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 当ブログはこのたび、200万アクセスの大台に到達しました。
 当ブログは、モテ度ゼロで根暗な管理人がシブい鉄道車両を撮り歩いた記録を、とにもかくにも主観的に綴っているだけのブログでありまして、まず何よりも管理人自身の備忘録として、そしてごく僅かな懇意の方々に楽しんで頂くために始めたものです。したがいまして、始めた当初しばらくの間は毎日数アクセスという状態が当たり前で、それ以上増やそうという意図も皆無でした (今もありません。笑)。しかしその後徐々にアクセス数が増え、最近では不特定多数の方が連日千数百名もアクセスされるという展開は、そんな当初を思い出すにつけ驚愕に値するものであり、意外ですらあります。加えて、アクセス数が増えれば「こんな御仁と同じ趣味を共有しているとは……(-_-;)」と思わされる事態や、当ブログで記事にしたためにむしろ自分自身の首を絞めているのではないかと思わされる事態が増えることも避けられません。このため、「一体誰のために記事を作っているのか。もう止めようか」と思ったことも数知れず……。
 しかし一方、当ブログの内容に共感して下さる方々から懇切なコメントを頂くのは本当に有り難く、そのような方々にはいっそう楽しんで頂きたいという強い思いもあります。というわけで、結局どっちつかずでダラダラとアップを続けていたところ、ついにこんな数字となってしまったという次第です (^^;)。
 最近はますますややこしい仕事の依頼が重なり、脳味噌がオーバーヒート気味の管理人でございますので、今後このブログをどうするのかは「一寸先は闇」状態ですが、とりあえずお気に入りなカットが撮り貯まるあいだは引き続き備忘録として綴って行こうかと思っております。これまでお世話になってきた皆様のご厚情に厚く御礼申し上げますとともに、引き続き稚拙な内容ながらも笑って温かく見守って下さいますよう宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m 



 それはさておき、キリの良い数字の際に恒例となっております (?) 懐かし画像、今回は1984年3月の伊豆箱根大雄山線を掘り起こしてみました。今ではすっかりオリジナルの高性能車・5000系の天下となり、たまに大場工場との間で車両を回送する際やレールチキを授受する際のみ釣掛車コデ165が走るというのが大雄山線の日常ですが、1980年代前半は国鉄17m旧国 (一部西武経由) と元相鉄2000系 (まぁこれも国鉄17mの系譜に属します) という二大陣営からなり、小田原駅の片隅で何とも言えず地味で鈍重なオーラを放ちまくっていたものです……(*^^*)。
 その中でも特に個人的に超!お気に入りだったのは、モハ154+モハ155+クハ183の3両編成♪ 前面窓のHゴム化改造を受けた車両や、電装時に後パンとされた車両が多かった中、とくにモハ154は前パンと木製窓枠の凛とした表情を備えており、中1となってから撮影旅行を許されて初めて撮影に訪れた私は超メロメロとなったものです……(*^^*)。また、何故か3列ガラベンという特異でゴツい姿を備えた中間電動車モハ155のマニアックな存在感もグッと来るものがありましたし、クハニ19を譲受したクハ183もゴツゴツなリベットや木製窓枠を維持した格調高き存在でした……。そしてこの編成の最も偉大な点は……オール・ニス塗り車内!! v(^^)v 小学校卒業記念旅行として上諏訪から豊橋まで通し乗った飯田線旧国が1983年初夏に総崩れとなり、これから付き合おうとしていた存在と一度きりの別れをせざるを得なかった中1の私にとりましては、東武73・78系と並んで大雄山線のこの編成が燦然と光り輝いて見えたのです……。
 しかし、半鋼製釣掛式電車が加速度的に消えて行ったこの時代にようやく中学生となり、趣味活動を本格化させたことの悲哀は、今思い出しても例えようもなく胸が張り裂けるほど。蜜月は早くも幕を閉じ、愛しの154+155+183編成は1984年3月に登場した5001Fと入れ替わりに廃車となったのでした……。鉄道雑誌で5000系の完成を知った私の脳裏を真っ先によぎったのは、大雄山線旧型車のうち一般客から見て格別にボロいこの編成が真っ先に廃車になるだろう、ということ。この編成との最後の語らいは、確か3月の学年末試験が終わったあとの土曜日の放課後だったでしょうか……「新型車近日デヴュー」という『神奈川新聞』の報道にいてもたってもいられず小田急線に乗り、早春の陽光の中で最期の雄叫びを上げるモハ154の雄姿にシビれ、心の中で咽び泣いたのでした……。
 もっとも、いま改めて冷静に眺め返してみますと、登場記念HM付き5000系とモハ154が並んだ貴重なシーンもしっかりと撮っており、「よくやった、中1のオレ」という気分です (笑。但し、超逆光という悪条件に加えて、フルマニュアル状態のコンパクトカメラでヤマカン露出ですので、スキャンしても暗部をうまく再現できないのが残念)。そして……モハ154の最期を追っかけ回してこんなシーンを撮っているのは自分一人だけだったこと (他の撮り鉄を見かけず) を思い出すにつけ、心の底から「昔は良かった……」と痛感します。それほど、ローカル私鉄趣味というのはマイナーで流行らない地味な世界だったのです。世間一般の鉄道趣味エネルギーのほとんどが、国鉄・JRのネームド・トレインや機関車に注がれていた時代よカムバァァァック!! (空しく超爆)

東急恩田通信・目黒線5184F入換編

2010-08-28 00:00:00 | 事業用車両


 先日久しぶりに恩田を訪れ、デハ8190 (正確な車番は不明) が秩父デハ7603と番号を改めているのを目撃した際には、これまた久しぶりに工場内の入換シーンをのんびり・じっくりと眺めることが出来ました。猛暑の中、高台から「ををっ!新番号がついている」ということで激写しておりますと、オレンジ色の作業服を着た係員氏がアントAD85に乗り込んでエンジンがかかり、入場後間もないと思われる5184Fの日吉・中央林間方3両と連結され、しずしずと入場線脇の3両分の直線から無架線ゾーンへと移動~。



 その後、正門近くに留置されていた渋谷・目黒方3両にもアントAD84が連結され、やはり無架線ゾーンへと移動~。既に3両の旧入換機が引退して約1年8ヶ月、もちろん昔ほどワクワクする入換作業ではなくなっていることは否めませんが、やはりこうして滅多にない入換に遭遇するのは嬉しいですね~。しかもこの日は、夏休み中の甥っ子 (京急沿線民の小2) を連れて来ておりまして、甥っ子は初めて見るアント入換に思わず目を皿のようにしておりました (笑)。初訪問・待ち時間ほぼゼロで、これだけ濃いぃ入換を目撃できるとは、何ともうらやましいヤツではあります……(ちょこっと叔父さん冥利 ^^;)。
 ちなみに、甥っ子と都内から長津田に向かう途中、甥っ子は最初に乗った東武50050系の急行には余り興味を示さなかったのですが、鷺沼で乗り換えた8500系は一発で気に入ってくれ、「さすがオレの甥っ子」という感じです (笑)。50050系急行の車内から8500系を目にした私が「あっちの電車の方が楽しいぞ」ということで無理矢理引きずり下ろし、甥っ子は当初「暑いよ~。急行の方が速いよ~」と言っていたのですが……やはり8500系のオーラと走行音は偉大です☆ 東急が5000系列ばかりになる前に、あと何回甥っ子を8000系列に乗せてやれることやら……。

南海高野線全通80周年・記念HM付8200系

2010-08-27 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 このたび南海高野線は、高野山ケーブルを含めた全区間の開通から80周年を迎えましたが、最近では首都圏の駅でも活発に広告を打つなどして宗教観光路線としての価値をアピールしてきた結果、ここ数年で末端区間の利用客が2割増えた云々と(昨日怪社でいろいろな新聞を読んでいたところ、どこかに載っていました ^^;)、なかなか景気の良い話が多いようです。個人的には、予約が簡単には取れない「天空」の存在感や盛況ぶりがかなり大きく効いているのではないかと思いますが、東京でも以前表参道、来月新丸ビルで主に女性を対象に「高野山カフェ」(でしたっけ?)を期間限定でオープンし、所謂巷の「パワースポット&ヒーリング」ブームに訴えていることなどもそれなりに効を奏しているのでしょう。
 (※個人的には雑誌『○ー』系や女性向け雑誌系の話題は興味ございませんので、末尾2行に関するコメントはご遠慮下さいませ ^_^:)



 しかし……そんな南海高野線で全線開業80周年HMを一部の編成に取り付けていることなど露も知らずに。今回阪和線で撮影した後に三国ヶ丘(=南海と阪和電鉄の合併と、大和合ムード演出の象徴……すぐに阪和線は鉄道省に吸収されてしまったわけですが……)にて高野線に乗り換えた私は思わずビックリ! 最前部にかぶりついて (^^;)、久しぶりに乗る高野線の撮影好適地をロケハンしていたところ、早速すれ違った8200系に何やら「80」と書かれたヘッドマークが……。その数分後、改めて難波からやって来た8200系にも同じHMあり。しかし、6000・6200・6300系など他の編成には全くついていないため、「うむむ……少数派の8200系に限って何らかの目的でHMが付いているらしい。しかし8200系は6連3本しかない……。これから短時間、日暮れ前の新今宮で撮り鉄をするとしても、多分もう撮れないだろう」と諦めたのでした。
 ところが、天は我に見方せり! 新今宮にて主に南海本線の下り列車を撮るべく4番線に陣取っていたところ、ををっ何と! 後から来た急行難波行がHM付き8200系!! (^O^) 3本目がこうして絶妙なタイミングで現れてくれるなんて、有り難や有り難や……。そこで高野線上り兼南海本線下りホーム (2・3番線) に移動し、区間急行三日市町行として折り返してきた8701F (という呼び方で良いのでしょうか?) の雄姿を激写!! その後デジカメの再生画面をクローズアップして、初めてこのHMが高野線全線開通80周年を意味することを知った次第です (^^;;
 ちなみに南海8200系といえば、界磁チョッパを採用した東急車輌製ステンレスカーということで、言わば南海版東急8000・8500系ですが、額縁状の正面は同時に東葉高速1000系を思い出させるわけでして、ジャカルタから戻って来て間もない私は何やら非常に不思議な気分にとらわれたのでした(笑)。