地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鉄コレ流電クモハ52スカ色をN化&色差しする

2012-03-31 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 昨日の記事では身延線電車の模型をダシに飯田線の話をするという暴挙に出てしまい恐縮ですが (同じJRCゆえお許しを ^^;)、飯田線電車の模型といえばこちらを忘れるわけには行きません……祝!鉄コレ流電クモハ52発売!\(*^O^*)/ 散々発売が延び延びになったこの一品、恐らく予約が多く増産したためであろうことが想像され、私は近所の模型屋に予約して購入したものの、昨日新宿のヨドをのぞいてみたところ完売の様子ということで、非予約分の店頭売りは割と早々に売れていったのではないでしょうか (快速色は残っているところもあるようですが)。
 そんな鉄コレ流電、これのためにわざわざ動力TM-17に流電用スペーサーが用意されるなど、トミーテックとしても気合いの一品なのであろうと思われ、去る横浜みなとみらいでの模型まつりでも試作品の出来映えは上々であったことから、内心「これは傑作間違いなしだろう」と期待していたのですが、いざ開封してみるとたちまち失望に……嗚呼!チナ・クオリティ全開の仕上がりとは……(T_T)。



 とくに、車体や屋根の激しいコスレが即座に目立つ個体があるだけでなく、そもそも塗装自体が相当おざなりで、クリーム色はプラスチックの下地をそのまま車体表面にしているのではないか?と思われるほど「塗りました感」に欠けているのみならず、一体成形となっている屋根とスカ色青との塗り分け目がイイ加減であるために折角の流麗な正面部の印象が損ねられているという……。そして、青塗料の吹き方も相当ケチっていると見え、濃淡のムラが生じて下地のクリーム色が見えそうになっている部分があるだけでなく、プレスドアの凹部に十分塗料が回っていない状態が顕著……。他にも、青とクリーム色の境目の乱れが多々……。
 うーむ、旧国の前作・クモハ43が非常に美しい出来映えだったのは一体何だったのでしょうか。例によってモールドは素晴らしいと思うだけに、チナ品質全開の塗り上がりには返す返すも残念……。生産数の増大による焦りの生産が、とりわけ春節前後の労働力不足シーズン(農民工がこぞって長期間故郷に帰ってしまい、下手をすると大都市だからといって高賃金を得られるわけではない現状に愛想を尽かして戻って来ない)と重なったことで品質低下につながっている可能性が考えられます。そしてそもそも、チナ国の急激な高コスト化の嵐と鉄コレ生産費用との折り合いがつかなくなりつつあり、品質面で手を抜く(とくに、不良品を不良品としてハネない)ことで切り抜けようとしているのでしょうか。あるいは、同じ鉄コレといっても複数の工場で生産されており、今回の飯田線旧国はハズレ工場での生産となったためでしょうか……(東急&弘南6000系や、これまた先日発売の15弾は総じてキレイな仕上がりでした。いっぽう秩父ウグイス1008Fは、正面窓が大きく破損した個体に当たってしまい鬱……検品しろ! →まぁキタイスキーの目は節穴であることが多いのでムリか -_-;)。
 こういう場合、個人的に満足出来る水準に持って行くためには、一部再塗装を含む色差し作戦しかありません。そこでまずは、屋根と車体の境目をシャキッとさせようというわけで、車体をすっぽりとマスキングテープで多い、屋根をタミヤのグレイバイオレットで再塗装~。2枚目の画像の未施工ボディに見られるような、青塗装が屋根側に大きくはみ出している状況を解消しました。そしてマスキングテープを剥がすと……あわわわ、今度は屋根と接した幕板部分の一部青塗装が一緒に剥がれて行ったという……(-_-メ;;)。というわけで今度は幕板、ならびにプレスドアの凹部や正面行先板受のカーブ塗り分けを中心に、GMスカ色青を使って面相筆でタッチアップ……。最後に半光沢クリアを2回重ね塗りのうえ、N化パーツ&動力を装着し、今回同時初登場のPS-11パンタを載っけまして、ようやく個人的に眺めて満足出来るところまでドレスアップ (?) 終了~!! GMの板キットもそうですが、最後は自分で手を入れるほどにオレ様のものになって行く、ということでしょうか。
 いっぽう、中間に挟まれているはずのサハ48は……もっと面倒な作業が (汗)。

鉄コレ身延線62系をJRC化する (下)

2012-03-30 01:10:00 | 超へっぽこ模型製作


 明日を以て、いろいろあった2011年度は終了。そして複数の鉄道路線で廃止や車両の引退が断行される節目のときであります。このうち、十和田と屋代は空いているうちに乗って撮ったので今さら行かないとして、どうしても遺憾を禁じ得ないのは……飯田線119系の引退がほぼ明らかになった頃から今まで結局一度も訪れる機会がなかったことです。これもひとえに、昨年夏に膝を骨折して以来大幅に行動上の制約が生じてしまったためですが、骨折以来約7ヶ月半を経て、昨日ついに医者から「もうこのまま歩き続ければ間違いなく完璧な状態に戻る。リハビリ器械運動ももう来なくて結構。これにて終了!おめでとさん!」という有難い宣告を受けたものの、もう119系は明日しか走らないのですね……。
 まぁ119系は過去数回乗り、撮ってもいるので良いのですが、個人的に思い出してみれば、やはり飯田線旧国を29年前に全廃に追いやった元凶ということで、余りにも不幸な出会い方をした車両でした。しかもそのタイミングは、小学校を卒業してやっと親に一人旅を認めてもらったのと同時でしたから……。既に数回飯田線旧国に乗れていればまだしも、119系のせいでその機会はたったの1回になってしまったことの怨みといったら……少なくとも中学生の頃は「クソ119」云々と、ただひたすら呪わしい表現しかしなかったような (汗)。



 しかしそもそも119系は、MT55モーター装備の大人しい外観・古き良きセミクロスシートと、全く文句のつけようのないスペックであるはずのですので、そのような思い込みは中坊の若気の至りにも程があろうというものです (滝汗)。ともあれ、結局今まで、私と119系はそんな不幸な関係を引きずってしまったのだなぁ……ということを、去るダイヤ改正の前日、西浜松に集結し寂しく廃車解体を待つ119系の大群を「こだま」車内から見下ろしつつ思ったのでした。
 あ……それでも119系は決して嫌いではありませんので、マイクロの水色バージョンを冷房・非冷房の両方所有しておりますし、いずれ発売される鉄コレJRC色119系も買う気マンマンなのであります。しかも、妄想長大編成を楽しむべく複数編成を予約……(笑)。さらに、妄想でJRC色に塗り替えたモハ62・クハ66との混結編成なんていうのもさぞ面白かりなん……と画策しているところです (^^;)。
 そこで、土砂崩れでしばらく一部区間が寸断されていた身延線が目出度く全線復旧!というナイスな話題ともからめつつ、既にクハ66・1両に試しに塗っていたJRC色を計3両のモハ62・クハ66に塗りまして、ジャーン!!妄想JRC釣掛編成の完成です!! (*^O^*) デカール帯を貼るのは下手っぴな私ですので、全てマスキングによる塗装で仕上げておりますが、それゆえ些か帯の太さや正面の仕上げ具合にシロウトっぽさが現れているのはご容赦を……(^^;)。

ハノイ懐旧鉄散歩 (4) 聖地ザーラム駅

2012-03-29 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ロンビエン橋をやっとこさ渡り終え、午前中何本かやって来る列車 (そのうちアップします) を沿線で撮りつつ、ムワッとする蒸し暑さの中チンタラ歩いていますと、いつの間にかハノイ北東の鉄道の要衝・ザーラム (嘉林) 駅にたどり着きました。
 ここザーラム界隈は、旅行者一般にとってはベトナム北部の各地へ向かうバスが発着するザーラム・バスターミナルの存在で知られているところですが、鉄道についてもザーラム始発の列車が少々あり、またロンビエン発着の列車が単線のロンビエン駅を塞がないよう運転上はここザーラムを拠点としている (→留置はザーラムとし、必要に応じてロンビエン駅まで回送、あるいはロンビエン駅から回送)ほか、駅の南東側にはベトナム国鉄の客車製造と車両保守を広く担っているザーラム工場あり、そしてハイフォン (海防) 方面とランソン (諒山)・ラオカイ (老街) 方面への分岐あり……ということで、極めて枢要な地位を占めているところです。



 そんなザーラム駅の基本的なあらましは、リンク頂いている「中国鉄道倶楽部」管理人でおられるボーゲン様のレポート (付属掲示板にあり)、及びGoogleマップ等で出発前に大体分かっていたのですが、いざ実際にたどり着いてみますと、時間が止まった「古き良き停車場」という風情に圧倒されます……。仏領時代からのものかどうかは分かりませんが瀟洒な駅舎には、金星紅旗 (ベトナム国旗) と鎌&ハンマー印のベトナム共産党旗が翻り、低いホームの片隅には荷物が積まれ、あらゆるポイントは全て非自動! しかも駅舎付属操作室からの集中管理ではなく、転轍機ごとにレバーを操作する必要があるという、日本であればレア側線や臨海鉄道等でしか見られない超アナログな設備となっています……。というわけで、自動閉塞などはまるで遠い世界の話。タブレット閉塞であることは言うまでもありません。
 そして、数本ある副本線や留置線には、ダークグリーンのボロ客車がゴロゴロ……(*^^*)。勿論、留置されている客車の数及び種類・塗装のバラエティは、統一鉄道 (ハノイ~サイゴン[注]) の優等列車や、山間の避暑地サパ (沙[土+覇]) に向かう外国人観光客が利用するラオカイ線の豪華夜行列車が日中数本ゴロゴロしているハノイ駅に及ぶべくもありません。それでも、今回の旅においてダークグリーンのボロ客車を追っかけることを最重点としていた私にとっては、ザーラム駅の光景の方がはるかにグッと来るものがあります♪ というわけで、ザーラム駅にどっぷりハマったばかりに、ハノイ中央駅を日中訪れるのを忘れてしまったほどです。実は……ザーラム駅のみならずハノイ中央駅も円借款による都市鉄道化大改造の対象となっていますので、ハノイ中央駅も外すべきではなかったのですが (^^;)。

 ※注:都市名はベトナム戦争による南北統一後ホーチミン市(城舗胡志明)に改称されたものの、駅名はサイゴン(柴棍または西貢)のまま。

ハノイ懐旧鉄散歩 (3) 恐怖!ロンビエン橋

2012-03-26 22:29:00 | ベトナムの鉄道


 昨日は小田急海老名イベントから一旦帰宅したのち、夕刻から横浜西口に繰り出しまして、かねてから大いにお世話になっております「ぱれっと」様と約1年ぶりのミニオフ会を開催しました。沖縄料理店にて定番のオリオンビールやシークワーサーのサワーを傾け、美味い料理や沖縄そば、そしてシメにこれまた定番のブルーシール・アイスを賞味しつつ、延々と積もった話を続けること約4時間少々 (爆)、いやはや、舌も鉄ネタも超濃厚なひとときを過ごさせて頂きました。貴重なお土産を含め、ぱれっと様には改めて心より御礼申し上げます! m(^^)m
 そんな小宴における話題の中心は、ぱれっと様が昨年敢行された東欧の旅、そして私が先日敢行したベトナムの旅についてであり、さらには国内のローカル線や台湾etc...と縦横無尽に展開していったのですが、最大公約数的な結論としましては、日本国内において濃いぃ路線や車両が消えて行き、ヲタが加速度的に特定の路線・車両に集中して雰囲気が悪化する中、のんびり・まったりと鉄旅や撮り鉄を楽しむのであれば今後ますます海外をブラブラする方が満足感が大きいのではないか、ということ。そして同時に確認したのは、海外の車両と言っても最新型のヨーロッパ・韓国製の車両ではどうにもこうにも萎えるわけで、いっぽうで旧社会主義圏の車両は、その体制には全く共感できないにせよ、計画経済的なそっけなさをビンビンに残した質実剛健なボロさが逆にサイコー!ということ (笑)。というわけで、ポーランドやハンガリーのボロ車両、そしてベトナムのボロ車両の魅力を互いに語り尽くすという、常人は勿論フツーの鉄ヲタであっても到底ついて行けない奇っ怪な議論百出となったのでありました (笑)。



 というわけで、ベトナム・ハノイ撮り鉄日記の本番へといよいよ突入致しましょう。まずは、4日間の鉄活動&観光の皮切りとして、ハノイを代表する景観のひとつであり、ベトナム戦争の激戦ぶりを今に伝える古蹟でもある鉄道&道路兼用橋・ロンビエン (龍辺) 橋を訪ねた記録です。
 旧市街にある宿からまずチンタラ歩いて着いたのはロンビエン (龍編) 駅。漢字に起こすと、ロンビエン橋は龍辺、ロンビエン駅は龍編(どちらも由緒ある地名。龍辺は紅河北東側の龍辺郡を指し,龍編は西湖東側の繁華の地を指す)ということでヤヤコシイですが、今やそんなことを気にするのは漢字を使っているヤツだけということで、フランス人宣教師が考えたローマ字 (クォックグー=国語) に乗り換えたベトナム人にとってはどうでも良いことなのかも知れません (^^;)。
 それはさておき、旧市街のカオスの真っ直中に佇むロンビエン駅は、折返し駅であるというのに何と単線の停留所! 要は、ロンビエン橋~ハノイ駅間の中心街で長時間踏切を閉めるのを避けるため、紅河の北東側からやって来る日中のほとんどの列車は市内バスのターミナルがあるロンビエン界隈で折り返しているという次第。そんなロンビエン駅に朝8時40分過ぎに到着するハイフォン (海防) 発の列車を、由緒あるロンビエン橋のど真ん中で撮影することに。
 怒濤のバイクや車をかわして大通りを渡り、何とか橋を渡り始めますと、今度は……歩行者用スペースの余りの狭さとベコベコぶり、そして欄干の低さにメッチャ恐怖! ジャンジャン行き交うバイクのため、老朽化極まりない橋の上は常にビミョーに揺れていますし、仏領時代の建設によるのではなくベトナム戦争時に応急復旧された橋の中央部はとくに不安定なうえ眼下には紅河の濁流が渦巻いていますので、こういう場所が苦手な方には断じてオススメできません (^^;)。そして……かっ飛ばすバイクをかわしつつ待つことしばし……約10分遅れでやって来た列車を激写!! をを~バイク行き交うロンビエン橋と中国製罐、そしてボロ客車……ハノイの現在をある意味で最も象徴する光景と言えましょう。
 そんなこんなでやっとこさ約2kmの橋を渡りきり、今度はロンビエン橋を渡り終えてハイフォンに向かう列車を激写! ともあれ、時速10~15kmの最徐行で鉄橋上を列車が渡る光景はある意味で牧歌的ではありますが、いずれ円借款で建設されるという都市鉄道の新複線橋に置き換えられるのもやむを得ないかな?というわけで、その工事が本格化する前にこうして自分で歩き記録出来たことをラッキーに思う次第です。


宿を出て旧市街を歩いていると、ちょうど回送列車が来てラッキー!



そしてロンビエン駅に到着。これでも首都中央駅の隣駅です (^^;



ホームに勝手に入ってロンビエン橋を望む。ボ、ボロい……。



ハノイ市街へ入る歩道兼自転車道は、怒濤のバイクに占拠されコワ過ぎ。



では渡りますか……滝のような車・バイクをかわして橋の歩道に入るのが一苦労。



ベトナム戦争で何度でも橋を破壊され仮橋を造り直した生々しい爪痕。



ようやく対岸のザーラム側に到着。バンザーイ!!

小田急3車種さよならイベント (上) 5000形

2012-03-25 18:00:00 | 大手民鉄 (小田急)


 想いは、引き継がれる。……このようなキャッチフレーズとともに大々的に喧伝されてきた小田急5000・10000・20000形の引退劇。伝統の小田急顔に、野心的なハイデッカー構造の流麗な連接特急車、そして小田急史上最初で最後 (?) の二階建てスーパーシート組み込み特急車と、まさに小田急の歴史とバブルの遺産を雄弁に物語る3車種が同時に消えるということで、多少人が殺到することを覚悟してでも小田急の各種記念行事に賭ける気合いは半端ではないものがあったように思われます。そして昨日と今日の2日間、一連の記念行事を締めくくる一大祭典として、海老名検車区にて3車種が一同に会する大撮影&見学会が開催されました。一時は、周知の某不祥事により誰もがその開催を危ぶんだものですが、やはり沿線民やファンとしてはこのような余りにも歴史的なひとときが消えてしまうのは忍びないものがあるわけで、とくに私などは「5000形正面のブランドマーク除去+運転席直後の引退記念ステッカー貼付」姿に遭遇しておらず、最後海老名で一目その勇姿を拝むことによって、小田急沿線民を30年以上やっている中でのひとつの節目としたいと思っておりましたので、公式HPにて無事開催が告知されたことで一安心した次第です。



 そこで本日は、昨日の会場内の模様をネット上のあちこちで確認した結果、なるべく早めに海老名に到着のうえ、人が会場内にあふれてしまう前にパパッと狙ったカットを記録するのが得策であろうと判断しまして、ベトナム旅行以来の連日の寝不足をこらえて (^^;) 朝7時に起床、朝8時過ぎに海老名駅構内の「箱根そば」で腹ごしらえのうえ (期間限定海鮮かき揚げ蕎麦がGood! ^_^)、8時25分過ぎに入場の列に並び始めたのでした。この時点では、限定鉄コレに群がる列よりも短いかな?と勝手に安堵していたのですが、9時過ぎ以降の列の延び方が半端ではなく……人が多すぎる場合に備えて張り巡らされた迷路のような案内バーの存在にも納得 (汗)。
 そして開場直前……それまで強烈に照りつけていた春分明けの太陽光が雲に隠れ、いろいろな向きから車庫内の車両を撮影するのにお誂え向きのベスト・コンディション到来!! 開場とともに凄まじい人の奔流が動き始め (日本でなければ絶対に列が崩壊して大乱闘になるだろうなぁ……と思われるほど壮観でした)、じっとその流れに乗って前進し、いよいよ車両展示コーナーへ!! 個人的にはロマンスカーよりも圧倒的に5000形の方に思い入れがありますので、ロマンスカーにはとりあえず目もくれず (^^;)、江ノ島賎民にとってはとりわけ懐かしい湘南急行幕を表示した5063Fの最後の雄姿を激写しまくったのでした!! しかし間もなく、膨大な数の人が車両の周囲に溜まり始め……まともにそれなりの編成写真を撮影出来る僅かな時間は終了……。まぁ、あの壮絶な人出の中、とりあえずこんな感じで撮影出来ただけでも御の字と言うべきでしょうか。ロマンスカーも含めて一連の撮影を終えた後は、5053Fの車内に入り、小田急ではこれを最後に消える非バケットシートの座り心地と、そこから眺める「田の字窓のある車内景観」を最後に確認し、伝統の小田急顔・田の字窓車とのお別れとしたのでした……。
 ※車両手前に本来写っているタイガーロープはレタッチで消しております。