地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

さよなら、185系東海道線定期運用!

2021-03-13 12:00:00 | 国鉄型車両


 個人的には「湘南ライナー」幕と「あまぎ」幕がカッコ良かった!



 Simple is the best?な「おはようライナー」幕。



 世界の中心・横浜駅の真っ直ぐなホームに185系は映えました。



 幕回しで「普通」が現れると脳内で「521M!」という叫びが!

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 1981年に急行伊豆と普通列車の兼用車両として登場して以来、約40年間にわたって天下の東海道線東京口にて終始主役の座を占め続けるという偉業を成し遂げた185系。その長寿の理由は、圧倒的安定のMT54の走りに加えて、一日当たりの走行距離があまり長くなく、潮風にさらされるにもかかわらず良好な状態を保ち続けたためであると考えられます。しかし新陳代謝の波は抑えがたく、指定券販売のオンライン化と座席上ランプ設置の流れもあって、185系は昨晩限りを以てE257系に主役の座を譲って波動用輸送に転じることになりました。
 小田急江ノ島線沿線民である個人的には、185系に乗る機会といえば、藤沢から521M・伊東行き普通列車に乗るのが圧倒的で、その回数とても多いわけではなく、結局目の前を走り去るのを黙って見ていることが多い車両でしたが、5両から15両まで様々な長さで変幻自在に走る姿はやはり印象的で、とりわけ近年はまとまった数の国鉄型車両として沿線にMT54のサウンドを振りまいていたのは感動的ですらありました。大きな事故も故障もなく、無事これ名馬。そんな称賛と共に、去りゆく185系を見送りたいと思います。長年の堂々の活躍お疲れ様でした。

JR日光線の茶帯205系を楽しむ

2020-12-26 09:52:00 | 国鉄型車両


 いろいろあった2020年も残り僅かとなり、鉄道車両面での変化を振り返ってみたとき、極めてありふれた表現ながらも改めて痛感するのは、昭和末期から平成初期にかけての車両の退場です。武蔵野線の205系の残り本数が僅かとなるにつれて大変なことになったのは記憶に新しいところでしょう。もっとも、武蔵野線の205系は大方ジャカルタ、そしてジョグジャカルタに移り、しかもKAI Commuter新色を纏うという新展開となっていますので、個人的には既にそちらに興味が移っています。今年3月のジャカルタ遠征を中止し、その後も全く再訪の見通しが立たないのは困ったものですが。



 その一方で、冷静に足許を見回して見れば、宇都宮周辺ローカルと鶴見線・南武支線・相模線・仙石線・奈良線で205系は依然バリバリ現役なわけで、しかもVVVFではなくMT61モーターの素晴らしいサウンドを楽しめます。
 というわけで去る10月、怪社の仕事の完全テレワーク化に伴う業務激化の合間を縫って、久しぶりに日光の紅葉ハイキングを楽しみまして、その往路にはJR日光線で205系の雄叫びを楽しんで参りました。(今まで日光に行く際には、浅草6:20発の快速が定番でしたが、これがリバティ化され、自分自身も収入が増えてみれば、高くても新幹線で宇都宮まで行く方が日光に全然早く着くことに気付きました) 日光線は駅間が長く、しかも日光までひたすら山登りですので、最初からMT61のシャウトはノリノリでしたが、文挟でロングレールが途切れて短尺レールに変わりますと、ジョイント音も盛大に加わって気分は最高! 205系の山登りといえば、デポック→ボゴールも素晴らしいですが、最高速度を加味すれば日光線の方がもっと素晴らしいとわけで、灯台もと暗しを感じつつ、iPhoneでお手軽録音したものを繰り返し聴いて仕事のBGMにしています (笑)。

【お詫び】ここのところテレワーク移行に伴う一時的な激務が続いた中、更新頻度が極端に下がり、これまでお楽しみ頂いた皆様には申し訳なく存じます。そのような中、ツイッター支店の方がメインになってしまっており、より解像度の高い画像をアップロード出来ることや、字数制限の反面短い文章で済むことに安住しておりました。そこで、16年続けて来たこのブログの存在意義も揺らいでしまいましたが、ブログ利用料は払っていますし、過去画像の検索・参照可能性という利用価値はブログの方が依然として絶大であることから、引き続きこのブログは維持し、なるべく未アップ画像のアップに努めて行きたいと考えております。ただその際には、ほとんど画像のみという記事も増えるかも知れません。悪しからずご了承下さい……。庵主謹白 m(_ _)m

211系の第一編成 (N601編成) を撮る

2020-09-23 22:07:00 | 国鉄型車両


 最近はあちこちの路線で1980年代製車両にも廃車の波が襲い、あの車両もこの車両も普通に走っているうちに少しずつ撮り貯めておきたいと思うものですが、長野色の211系はそんな車両の一つでしょう。房総ローカル用に登場したE131系が中央線の山岳区間でも試運転を行ったということで、いろいろな画像がネット上に流れていますが、そこで自ずと、中央線のローカル列車を置き換える一つの候補としてE131系が浮上せざるを得ないわけで (ドアの位置もE233と合わせることが可能ですし)、幕張への配備が一通り済んだら次は長野211の置き換えに……と何となく予想しています。だからこそなおさら、長野色211系に乗って撮るのは待ったなしなのです。



 そんな中、先日は久しぶりに神奈川県と東京都の外に出て甲州街道を歩き、翌日は入笠山 (富士見駅からほど近い、南アルプス最北端のハイキング聖地) に登ったのですが、入笠山から歩いて下山してすずらんの里駅から帰ろうとしたところ、211系の記念すべき第一号編成であるN601編成キターッ! 塩山行きの440Mは、すずらんの里から走ってすぐの富士見にて、あずさ38号を待避するために13分も停車しますので、脳内がハイキングモードから一気に鉄ヲタモードに切り替わり、クハ211-1 (高尾方)、クハ210-1 (長野方) の御尊顔を激写したほか、空いている車内のボックスシートに改めて落ち着いたあとは、窓を大きく開けて高原に響くMT61モーターの響きを満喫したのでありました。
 ちなみに今回の旅の往路は、八王子から韮崎まで211系2000番台に乗り、神奈川県の外に久しぶりに越境するひとときを味わったのですが、これからも211系が一気に減るその時まで、少しでも211系の中央線鈍行旅を積み重ねたいと思っています。

三島界隈の電車 (5) JRE185系

2020-05-06 00:31:00 | 国鉄型車両


 1980年代から約40年にわたり東海道線東京口を代表する車両のひとつとして活躍を続けて来た185系は、窓が開く特急という「遜色」な要素が最後に緊急事態の中で光を放つに至っていますが、いっぽうで同じ緊急事態のために乗客の激減に直面しています。E257系に完全に置き換えられる前の、乗るにも撮るにも貴重な時間を、自粛によって事実上失ってしまったのは、何とももどかしい限りでありますが、だからこそなおさら、気になる車両には思い立ったが吉日でレンズを向けて記録することに励むべきだ、ということをしみじみと感じます。



 というわけで個人的にも、斜めストライプが復活した185系の勇姿を、本当に申し訳程度に記録しておりましたが、東海道線内は編成が長いだけでなくとにかく速いため、ローカルを中心とした私鉄撮りになかば特化した (?) 私の動体視力では到底追いつかない、というかヘトヘトになってしまうのも事実です (^^;;)。そこで、駿豆線内をのんびりと走る5連は、乗るのも撮るのもちょうど良いように思えて来ます。
 現在、定期踊り子の一部分の列車が185系のままであるのは、E257系の伊豆向けリニューアルが未だに終わっていないためですが、最近の各鉄道会社のさよなら運転をめぐる態度を見るにつけ、185系の場合もとくに告知はしないまま、ある日突然E257系に置き換え終了、ということにもなりかねません。さて今後どうなるでしょうか? 113系のときと同じように何らかのHMを掲げないのは寂しいと思う反面、晩年になって他の国鉄型車両の衰退の代わりに人気が急上昇した185系だけに、さよならHM・さよなら運転企画など立ち上げられようものなら、間違いなくカヲスの極みに陥ることでしょう。だからこそ、短時間でも良いので日常を記録して行くことの重要性は高まるわけで、三島を用事で訪れたついでに短時間撮り鉄した際に撮影したこれらのカットも、駅撮りながらも撮って良かった!と思うのみです。

南武支線101系さよなら撮影会 (03年)

2020-04-22 14:10:00 | 国鉄型車両


 そういえばこんなシーンを撮っていたけどブログ記事にはしていない……というカットを掘り起こす企画、お次は2003年12月14日に鶴見駅で開催された、南武支線101系のさよなら撮影会です。当日は確か、乗降自由な臨時電車として鶴見に着いたのち、そのままずっと停車中の姿を撮りたい放題という企画だったと記憶しています。前と後には撮り鉄が集まったことは言うまでもありませんが、当時は101系が南武支線から撤退することは今ほど重大事ではなかったためか、割とまったりと撮影した……はず。



 当日のまったり具合は、こんな感じでいろいろ幕回しが行われたことからも推して知るべし。2010年代の引退で、フツーに電車が出入りする中での幕回しなんてやろうものなら、押すな押すなのパニックで極めて危険につき即中止となるはずですから……。他にも稲城長沼行とか府中本町行とか、南武線の101系が装備していた幕を出していたものです。
 それにしても、南武支線101系が205系に変わってから、あっという間に16年半近くですか……。恐らく数年後には水素電池電車になる可能性が高く、既に南武支線と鶴見線の205系のさよなら撮影シーズンは始まっているとみるべきですが、このご時世ですので、思い立ったらブラリというわけには行かないのは辛いですね (私の場合、最後に電車・バスに乗ってから20日過ぎました)。