地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

さよなら西鉄宮地岳線 (下) 廃止区間を想う

2007-03-31 11:19:45 | 地方民鉄 (西日本)


 福岡都市圏の北部で、往年の西鉄電車の主力たちがのんびりと通勤通学輸送にいそしんできた宮地岳線。部分廃止とともに、宮地岳線という呼び慣れた路線名も今日限りとなってしまいました (T_T)。すでに311Fが胴回りに部分廃止さよならラッピングをまとい、お別れムードを盛り上げているようですが、今日はさぞかし多くの人々が別れを惜しんでいるのでしょうか。もともと本数が多く、輸送力は十分にあること、そして関東や関西からは遠く離れていることから、恐らく大きな混乱もなく無事最終列車(日付が変わったあと、津屋崎から去るための臨時回送として運転される列車を客扱いするとは!)も走ることでしょうが、とにかく有終の美を飾って欲しいものです……。
 というわけで、恐らく部分廃止と運命をともにするであろう300形と、満開の桜の組み合わせ (@古賀) をレタッチしてみました。今年の桜は開花が早いといわれながらも、ここしばらくの寒さで足踏み気味。果たして今ごろこの桜は見事に咲き誇りながら、釣掛式電車の花道を飾っているのでしょうか……?



 いっぽうこちらは313形@津屋崎です。日中のただでさえ空いている列車は、福間・宮地岳で少しずつ客を降ろし、津屋崎に着く頃には2両で5人程度しか乗っていないという有様……。そんな電車がすべり込んだ津屋崎も、海に近いことはそれほど感じられない平々凡々な終着駅で、客がそれぞれに散ったあとは、午後の日だまりの中で駅舎と電車が手持ちぶさたにまどろんでいた……そんな印象があります。
 一応、訪れた04年春の時点では廃止反対の看板もあり、たしかに昼間の鶴見線末端部のような客の入りでは大丈夫かなぁ……という気もしたのですが、貝塚口では客も多く、津屋崎まで頻繁運転で頑張っているのだから、まあ大丈夫だろう……地下鉄直通に動き出せばきっと生気を吹き返すに違いない、と思いつつ津屋崎を後にしたのでした。しかし、やはり客が少ない区間は生き残ることが出来ず、津屋崎のこざっぱりとし過ぎた終着駅の風情も永遠に見られなくなるとは……(-_-)。
 何はともあれ、結局個人的な宮地岳線との付き合いは福岡出張の際の楽しみというだけに過ぎませんでしたが、電車が2or3両でゴトゴトと走る光景は、小学生の頃から一貫してローカル線の電車を中心に趣味活動をしてきた私にとっては忘れられないものです。戦後60年近く走り続けた古豪たちをねぎらい、そして役目を終えて消え行く路線の無念を思いつつ……長年にわたりご苦労さまでした。

今はなき日立電鉄・旧塗装編

2007-03-30 00:58:01 | 地方民鉄 (関東北東部)


 廃止への動きが急を告げる直前の日立電鉄を訪れた際に一番楽しみにしていたのは、もちろん旧塗装復活車の活躍でした。シンプルな白と山吹色の組み合わせが、もと営団2000形には何とも似合っていただけでなく、両運転台車×2なので前パンとなっているのもグー! 2000形が旧型車や1500形と組んで銀座線を走っていた頃は、単にデコボコでボロいだけの編成にしか見えず (^^;)、しかも子供心に「中間のシルヘッダーつき旧型車を正面に出してくれないものかなぁ」と思っていたため (→運転台が撤去されていたので無理 ^^;;)、2000形が兼ね備えていた昭和30年代風レトロの美にはなかなか気付かなかったものでした。「銀座線2000形って実はカッコ良い!」と思ったのは、正直なところこのときが初めてです (^^;;
 というわけで、常磐線で大甕に降り立って旧塗装車が現れた瞬間、さっそく気分はヒートアップ! 常北太田での折り返し時間中、前パン&順光という絶好の条件も加わって、いろいろな角度からひたすら撮りまくったのを思い出します……。



 そして、個人的にこの復活旧塗装車に寄せた思いは、じつは旧型車時代の日立電鉄を一度も訪れなかったことへの悔恨とも隣り合わせでした。せっかく、もと小田急モハ1形や相鉄・東急のガソリンカーなどなど、いろいろな来歴を持つ車両たちがひしめき合い、朝は4両編成、昼間は単行で夢のような光景を繰り広げていたというのに……。
 ですが、もともと10代の頃の私は常磐線沿線に土地勘が全くなく (行ったことがあるのはせいぜい科学万博ぐらい……)、僅かな小遣いで18きっぷ旅行をするとなれば、勝手知ったる東海道・中央線の夜行鈍行に乗って中部・北陸・近畿のローカル私鉄を渡り歩くばかりでした……(そして90年代は非鉄)。そこで気がついてみれば、日立電鉄という宝の山をみすみす見逃しており、10代の自分の浅はかさに返す返すも……(以下略 -_-メ)。
 そんなわけで、田園地帯を快走する旧塗装車の姿に大喜びしながら、「汚れが目立つ赤塗装よりも旧塗装の方が絶対に見栄えがするよなぁ〜。出来れば今度は山吹色一色の銀座線塗装復活バージョンが現れないかしらん。そうなれば何度でも通いたい……」と思ったものでした。
 しかし、間もなく廃止が決まり、個人的な多忙に加えて、汚れで痛々しい姿の標準塗装車を見るに忍びなかったことから、復活旧塗装車を撮ったのもこれきりになってしまいました。残念……。

根岸界隈機関車散歩 (2) 本牧のDD5514

2007-03-29 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 しばらくさよならネタが続いていた当ブログですが、潜在的にさよならの時が迫る車両の話題と、根岸界隈のちょっとした機関車シーンの話題を兼ねて、神奈臨・横浜本牧駅のDD55・14号機をアップしてみましょう。
 横浜本牧駅はふだん、横浜港近辺の鉄道コンテナを扱っているだけでなく、陸前山王との間で鉄道を利用した海上コンテナ輸送を行っていたり、さらには季節限定で宇都宮との間でカーパック輸送を行っているなど、ほどほどに活発な貨物駅です。しかし最近は、ここからさらに構内側線扱いで国際埠頭へと延びる路線 (国際埠頭線) が、渋川との間を結ぶ塩コキの廃止によって休止状態に陥ったり、いっぽう本牧駅の構内配線の変更によって歩道橋からの撮り鉄がやりにくくなったり……というわけで、個人的に足が遠のいてしまいました (汗)。
 とはいえ、「そういえば、川崎地区から本牧地区に出向いて久しいDD5517 (前照灯が出目金風) が本牧で動いているシーンをまだまともに撮っていないなぁ……」ということを思い出しまして、天気が悪いのを逆手に取って、本牧駅の本部前で休憩中のシーンを首都高側から狙ってみるつもりで訪れてみました。ところが……今日も動いているのはDD5514 (爆)。



 そこで思わず「出目金のDD5517、訪れるたびにクラの中……これで何度目だよぉぅ。DD5514は数年前から散々本牧で撮っており、もう撮り飽きたほどなのに……」という繰り言が口を衝いてしまったのですが、いやいや待て待て、ここは冷静にならなければ (^^;)。
 考えてもみれば、神奈臨のDLは世代交代が始まっており、最新型のDD60は毎年1両のペースで新造され、2両が川崎地区で活躍しています。そして、このDD5514がいつの間にか最古参DLになってしまっただけでなく、DD5514が本牧に来てからも既に3〜4年が経っています。そこで、そろそろDD603の登場、そして川崎地区からの差し替え車の到着と入れ替わりで、DD5514が川崎に戻されてそのまま廃車になる可能性が高いと思われます。
 いっぽう、DD5518が最近全般検査を受け、DD60と同様の青+白帯で出場したことから (早く撮りたい!)、この特徴ある塗装も先が見えてきました。
 というわけで、DD5514をじっくりと撮影できる機会は、もうそれほど残されていないのかも知れません。そこで、改めて一眼デジカメをしっかりと握り直して、いろいろなアングルから均整あるDD13タイプの車体を激写したのでした。
 そろそろ本牧の桜も咲き誇る頃。14号機と17号機のどちらでも良いので、またフラリと訪ねてみようかな……と思っています。

さよなら西鉄宮地岳線 (上) 香椎花園前

2007-03-28 00:03:50 | 地方民鉄 (西日本)


 さよならに関する話題が何かと多いのが鉄道趣味界の3月ですが、西鉄宮地岳線の西鉄新宮〜津屋崎間も残すところ今日を含めてあと4日になってしまいました (T_T)。そこで、ささやかながら以前撮った画像をレタッチすることで惜別の意を表してみたいと思います。あくまで部分廃止ですので、全線廃止を思わせるようなタイトルはいささか難ありかも知れませんが、部分廃止とともに「宮地岳線」という名称や一部の車両・設備も消える……ということでご了承ください。
 明らかにJR鹿児島線と並行してしまい、福岡の中心部へのアクセス面で勝ち目がない廃止区間と比べ、西鉄新宮以南の存続区間は住宅の密集度が高く、しかもJR鹿児島線からやや離れた住宅街を走りますので、貝塚線と名前を改めたのちは当面安泰なのだろうと思います。でもその陰で、釣掛300形とともに消え行く存在が……。それが、交換駅としての香椎花園前駅です。



 香椎花園前駅は地元に密着した駅ですので、駅そのものが廃止になるわけではありません (^^;)。ですが、貝塚線発足・新ダイヤに関連したプレスリリースでは、運転間隔の変更によりこの駅の交換設備を廃止するという記述が目を引きました。住宅街の中に静かにたたずむ相対式ホームは、狭い用地で場所を確保したためか、上下ホームの位置が構内踏切を挟んでズレた位置にあり、そんな特徴ある光景がお気に入りだっただけでなく、駅撮りをするにも好都合だったのですが……。
 ただ、交換設備廃止も恐らく、存続区間の他の駅で着々と進められている6両化対応予備工事の一環なのでしょう。この駅は交換設備を維持したまま工事をするスペースがないことと、香椎の高架・島式交換駅化が完成して代替できるようになったことが、その大きな要因なのかも知れません (隣の唐の原あたりは用地に余裕がありそうですので、6両化対応工事もそれほど難なくできるのでしょう。では和白は?? ^^;)。
 何はともあれ、新しい都市型鉄道へと脱皮する過程で、古き良き光景も失われてゆくのは致し方ないことなのでしょう。でもやはりどこか寂しさがありますね……。取りあえずは、何も知らずに訪れたときにこうして記録にとどめておいたことを喜ぶべきなのでしょうか。

今はなき日立電鉄・標準塗装編

2007-03-27 20:19:07 | 地方民鉄 (関東北東部)


 まもなく鹿島鉄道が83年の歴史に幕を閉じて廃線となりますが (T_T;;)、そういえば今から2年前には日立電鉄が廃線となってしまいました……。先日、銚子電鉄で健闘する元営団2000形をアップしましたので、今日はついでに、日立電鉄で撮影したきりレタッチしていなかった画像を引っ張り出してみることにします。
 個人的に日立電鉄を訪れたのは、廃止決定への動きが急を告げた04年初春のほんの少々前、04年1月のことでした。冬の18きっぷの余りを消化するついでに、「そういえばまだ日立電鉄には乗ったことがなかったよなぁ……旧塗装も走っていることだし、銀座線の残党に会いに行ってみようか」という軽い気持ちで訪れたのですが……そこで目にしたのは悲しい光景でした。せっかく2両編成で走っているのに余りにも乗客が少なかったこと、そしてどの車両も無残なほどに車体が汚れていたことに衝撃を受けたものです。一応、田園地帯を走る電車の宿命として、次第に土埃が車体に付着してしまうのでしょうが……それを全然洗っていないところに、何となく日立電鉄の行く末を見てしまったような気がしました。そのため、廃止決定の報せを聞いても、青天の霹靂という気分ではなかったです……。



 とくに「ビア電」用編成の汚れは……これが一応現役の編成ということで絶句。何とか地元に愛されようと努力しながらも、願いかなわず路線ごと撤退してゆく……日立電鉄がたどったそんな運命をまさに凝縮しているかのようでした。
 ふだんは、ヘンテコな事業用車や車籍のない入換車などのゲテモノ趣味に走っている私も (^^;)、それらの車両がそれなりに活躍して自己主張をしているからこそグッと来るものでして、さすがにこの雰囲気は……。それでも「これもやはりひとつの記録になるのだろう」と思って撮った次第です。
 日立電鉄の廃線後、まだ使えそうな電車を出来れば別の小私鉄に……と思ったのですが、結局は1両も移籍せずに常北太田で解体されたことから、末期の日立電鉄が車両のメンテナンスに費用をかけられず、状態が良くなかったことが何となく想像されます (あくまで想像です)。コンクリートの架線柱や重軌条の線路、それにPC枕木を使った路盤などなど、廃線決定ぎりぎりまでそれなりに設備投資の努力を続けていたという印象もあるのですが……。
 潮風の直撃を常に受けて満身創痍の銚子電鉄デハ1000も、何とかこういう末路ではなく、より美しく蘇って走り続けて欲しいものです (^_^)。そして、2月に銚子電鉄を訪れたときには、日立電鉄から茨城交通を経由して運び込まれた保安機器を目にしたのですが、それらが第二の働き場を得て、銚子電鉄の安全を守ることに期待したいと思います。