震災直後からいち早く走り始めた三陸鉄道の復興支援列車。
仙石線の205系はいつも通りの活躍を続けています。
京葉臨海から助っ人として入線した仙台臨海 SD55 105。
ひたちなかは海浜公園まで延伸するという快挙に。
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本日で東日本大震災の発生から10年となりました。神奈川県民の私が受けたダメージは、千葉以北の人々に比べれば微々たるものでしかないかも知れませんが、都内で凄まじい揺れに遭遇し、その日の夜は帰宅難民として国道246号線をひたすら歩いた記憶は決して忘れません。そして、日々の仕事に尽力しながらごく僅かでも国富を増すことに貢献して関心を持ち続けることが大事だと考えますし、実は個人的にあまりよく知らない東北を知ろうという思いのもと、折に触れて日本橋から奥州街道を歩き繋ぎながら鉄活動するということもやっております(現在は小鳥谷駅まで……昨年は緊急事態とリモート激務のため全く進まず)。
しかし、様々なニュースに触れるにつけ、そして実際に残る爪痕を生で見届けるにつけ、まだまだ復興は道半ばといわざるを得ないでしょう。また、福島第一原発から相当距離があるはずの郡山市内や福島市内でも、線量がかなり高いことを示す計器が多数設置されているのを目にし、やはりこれは長期戦だと痛感したものです。
そんな中、鉄路の復興が非常に大きな象徴的意味を持ってきたのは注目されるところでしょう。残念ながら気仙沼線や大船渡線のように多くの区間が廃線となってしまったところもありますが、多くの鉄路が復活するごとに道路の開通とは比べものにならないほどのアピール力を見せ、さらには先日の余震のあとの常磐線のように、サブルートとしての機能を発揮することになったのは大いに鼓舞されるものがあります。
今後も、疫病問題という新たな惨禍が降りかかってきたにもかかわらず、鉄路の復興と発展に従事される方々に敬意を表しつつ、また折に触れて東北の鉄路と味覚を味わい、心を寄せ続けたいものです。
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