去る3月15日のダイヤ改正で複数の寝台列車が消えていったことは記憶に新しいところですが、とくに「銀河」とともにEF65の定期旅客列車牽引運用が消滅したことは、ひそかに感慨深いものがありました。何故なら、幼い頃の図鑑などに載っていた花形寝台列車は、どれもEF65が牽引しているものだったからです……(三十路の皆様でしたら同じような記憶をお持ちのことでしょう)。もっとも、ひとくちにEF65の牽引といっても、もとは500Pの担当であったものが、70年代末からは1000番台=PFに切り替わり、やがて「出雲」「銀河」を除きEF66主体に変わりましたが、幼心に眺めたEF65 500Pの姿は、特急色とHMの組み合わせが余りにもまぶしく、乗りたいと思っても乗れない分だけ神々しさを放っていたものです。
そんなEF65 500Pも、その後は多くが貨物塗装へと装いを変えて活躍を続け、近年はついにEF210の増備によって相次いで廃車となっているようですが、535号機は特急色を維持した数少ない車両として広く注目を集めてきました。私もヒマがあればじっくり撮影してみたかったところですが、如何せん貨物列車は運用範囲が広く、個人的には目の前に来た列車を撮りためるというスタンスでしたので、なかなか当たりが出ませんでした (^^;)。しかし、最後の最後になって昨日、思いがけず惜別HMを掲げた勇姿を撮影する機会がめぐって来ようとは……!
それにしても昨日の撮影は、本当に自分でも驚くほどの偶然の巡り逢わせでした……。特に出かける前に貨物関連のネット情報をチェックしたわけでは全くなく、横浜市営地下鉄緑線開業の模様を味わったのち、「ちょこっと京急川崎に行って、マルーン1321Fが走っていれば撮影してみよう……」という程度のつもりで日吉から武蔵小杉へ向かい、南武線に揺られていたところ、何と尻手のホーム先端部には黒山の人だかりが!! もちろん尻手といえば、武蔵野貨物線から鶴見線・川崎貨物・東京貨物ターミナルへ向かう列車を撮影する名所ですが、普段ならば撮影者はせいぜい一人か二人しかいないはず……。というわけで、「これは絶対、近々引退とされるEF65 535が通るに違いない」と即座に直感しまして、ドアが閉まる直前に下車 (爆)、その後もどんどん増えて行くカメラの大放列の中で待つこと約50分少々……11時10分頃、居合わせた人々が一斉に静まりかえる中、汽笛一声、短絡線のカーブの奥から本当に、EF65 535の牽引による2092レが姿を現しました……。
そして何と、EF65 535の前面には、「富士」「はやぶさ」「さくら」をミックスした (隼が桜の花びらをくわえております) 高崎機関区特製惜別HMが掲げられていました!! その輝きと力強い走りは、とても廃車を目前に控えた機関車とは思えず……牽引する車両こそ、今ではすっかりコキ・タキ・ホキの類ばかりとなっていたものの、最後の最後に特急牽引機にふさわしい晴れ姿を用意しようという機関区の厚意のたまものなのでしょう。
その後ネットであれこれ目にしたところによれば、この惜別HMは29日から装着された期間超限定版で、仕業そのものもまさに昨日が最後だったようで……そこに偶然立ち会うことが出来たことに改めて感動するとともに、またひとつ「国鉄」の象徴が消えて行くことに粛然とせずにはいられないのでした。