地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

EF65 535・惜別HMとともに去りぬ

2008-03-31 16:07:07 | 貨物列車


 去る3月15日のダイヤ改正で複数の寝台列車が消えていったことは記憶に新しいところですが、とくに「銀河」とともにEF65の定期旅客列車牽引運用が消滅したことは、ひそかに感慨深いものがありました。何故なら、幼い頃の図鑑などに載っていた花形寝台列車は、どれもEF65が牽引しているものだったからです……(三十路の皆様でしたら同じような記憶をお持ちのことでしょう)。もっとも、ひとくちにEF65の牽引といっても、もとは500Pの担当であったものが、70年代末からは1000番台=PFに切り替わり、やがて「出雲」「銀河」を除きEF66主体に変わりましたが、幼心に眺めたEF65 500Pの姿は、特急色とHMの組み合わせが余りにもまぶしく、乗りたいと思っても乗れない分だけ神々しさを放っていたものです。
 そんなEF65 500Pも、その後は多くが貨物塗装へと装いを変えて活躍を続け、近年はついにEF210の増備によって相次いで廃車となっているようですが、535号機は特急色を維持した数少ない車両として広く注目を集めてきました。私もヒマがあればじっくり撮影してみたかったところですが、如何せん貨物列車は運用範囲が広く、個人的には目の前に来た列車を撮りためるというスタンスでしたので、なかなか当たりが出ませんでした (^^;)。しかし、最後の最後になって昨日、思いがけず惜別HMを掲げた勇姿を撮影する機会がめぐって来ようとは……!



 それにしても昨日の撮影は、本当に自分でも驚くほどの偶然の巡り逢わせでした……。特に出かける前に貨物関連のネット情報をチェックしたわけでは全くなく、横浜市営地下鉄緑線開業の模様を味わったのち、「ちょこっと京急川崎に行って、マルーン1321Fが走っていれば撮影してみよう……」という程度のつもりで日吉から武蔵小杉へ向かい、南武線に揺られていたところ、何と尻手のホーム先端部には黒山の人だかりが!! もちろん尻手といえば、武蔵野貨物線から鶴見線・川崎貨物・東京貨物ターミナルへ向かう列車を撮影する名所ですが、普段ならば撮影者はせいぜい一人か二人しかいないはず……。というわけで、「これは絶対、近々引退とされるEF65 535が通るに違いない」と即座に直感しまして、ドアが閉まる直前に下車 (爆)、その後もどんどん増えて行くカメラの大放列の中で待つこと約50分少々……11時10分頃、居合わせた人々が一斉に静まりかえる中、汽笛一声、短絡線のカーブの奥から本当に、EF65 535の牽引による2092レが姿を現しました……。
 そして何と、EF65 535の前面には、「富士」「はやぶさ」「さくら」をミックスした (隼が桜の花びらをくわえております) 高崎機関区特製惜別HMが掲げられていました!! その輝きと力強い走りは、とても廃車を目前に控えた機関車とは思えず……牽引する車両こそ、今ではすっかりコキ・タキ・ホキの類ばかりとなっていたものの、最後の最後に特急牽引機にふさわしい晴れ姿を用意しようという機関区の厚意のたまものなのでしょう。
 その後ネットであれこれ目にしたところによれば、この惜別HMは29日から装着された期間超限定版で、仕業そのものもまさに昨日が最後だったようで……そこに偶然立ち会うことが出来たことに改めて感動するとともに、またひとつ「国鉄」の象徴が消えて行くことに粛然とせずにはいられないのでした。

横浜市営地下鉄グリーンライン開業!

2008-03-30 14:12:13 | 都市民鉄 (首都圏)


 横浜市の北部にあたる港北エリア(港北区に加え、分区して生まれた青葉区と都筑区)は、もともとは一面の雑木林に竹林、それに谷戸の農村が点在する田舎でしたが、田園都市線が開通して以来急激に人口が増加し、さらに横浜市営地下鉄があざみ野まで延びたことによって港北ニュータウンの開発にも拍車がかかりました。その結果、周知の通り毎朝の田園都市線は泣く子も黙る猛烈ラッシュ。とくに、あざみ野駅のホームを埋め尽くした乗客の大洪水には戦慄すら覚えます (爆)。
 そこで、そんな港北ニュータウン一帯からの通勤通学輸送需要を分散させ、かつ今まで残っていた鉄道不毛地帯に福音をもたらすべく、都営大江戸線と同じようなミニ地下鉄・リニアモーター仕様による横浜市営地下鉄4号線の建設が進められておりましたが、このたびグリーンラインと正式に命名されたうえで、きょう30日に開業しました! ふだん新線開業には余り興味がない私ですが (^^;)、みなとみらい線と同じく個人的に身近な横浜市内での出来事であることに加え、先日台湾の高雄で地下鉄の開業当日を楽しんだ手前、同じ緑色をシンボルカラーとする地下鉄の開業を祝ってみようと思いまして (そんな理由で出かけたのは間違いなく私だけですね ^^;)、初乗り客で賑わう前の朝8~9時台に訪れてみました。



 まずは田都であざみ野へ向かい、新たに「ブルーライン」を名乗ることになった既存線に乗ってセンター北に向かいますと (お恥ずかしい限りですが、今日この2駅分を乗ってようやく既存線完乗 ^^;;;)、をを、二つの路線のホームが隣り合っているため、余りにもすんなりと乗換が出来てしまいました。しかもグリーンライン側に取り立てて派手派手な装飾がなされているわけでもなく、あくまでいつも通りであるかのような風情で表示が変わり、電車がすべり込んで来ます。あとで中山駅で改札の外に出てみましたが、開業祝賀ムードは主に駅前が中心のようで、内心は好奇心満々なはずの乗客の皆様もさすがはハマっ子、あくまで平静を装いつつ、新しい地下鉄の車両や設備をじっと観察している人が多かったのが印象的でした (常に横浜を熱愛しながらも、ふだんはクールな振りをする……という態度を身につければ、誰でも今日からハマっ子です。笑)。
 いっぽう車両に目を向けてみますと、まあ大江戸線に乗り慣れていれば特に物珍しいものではありませんが、線形が良く駅間が長い分だけかなり飛ばします。「大江戸線と違って、意外とスピード出せるんだなぁ」とビックリ (^^;)。2枚の画像はセンター南駅での撮影ですが、まともに編成撮影が可能な駅は他にありません (爆)。チェックしてはいないのですが、車庫がある川和町では、出入庫する電車ならば下回りを含めて撮れるかも知れません (ダメでしたら悪しからず)。
 こんな感じで走り始めたグリーンライン (こういうネーミングで違和感がそれほどないのも、横浜ならではでしょう……)、まずは近々日吉まで延伸する東急目黒線と合わせて、田都の混雑緩和のため真価を発揮して欲しいものだと思っております。

東急新6000系・大井町線急行運転開始

2008-03-29 17:55:08 | 大手民鉄 (東急)


 東急田園都市線の混雑緩和策としてかねてから進められていた大井町線の輸送力増強作戦の重要な一環として、このたび旗の台駅の待避線新設と急行専用車・新6000系の新造がなされたことにつきましては、すでにこのブログをごらんの皆様も周知のことと思います。そしてこのたび正式にダイヤ改正が行われ、大井町線急行として新6000系が走り始めました。
 きょう28日 (アップの都合上、この記事は29日付としております) は、個人的には平日休みで (^^;)、とりあえず田園都市線の新ダイヤにおける東武非乗り入れ車の運用の模様が気になりまして、朝の「ちり○てちん」(ああ、もう最終回……T_T) を見たのち、ぶらりと田都を訪れてみたのですが、8500系をチェックしているうちにいつの間にか二子玉川まで来てしまいました (笑)。そこで、この際ついでということで、新6000系急行に初乗車してみることに相成ったのでした (笑)。
 大井町から到着した6000系は、時間的にみてかなりタイトな運用が組まれているようで、引上線に向かったのちすぐに折り返して入線してきました。そして、田園都市線からの急行を連絡して出発進行! まあ有り体に申しまして、E233や小田急新4000とそれほど大きな違いはない乗り心地ですが、とりあえずその暖色系の車内、田都5000系に分けて頂けませんでせうか……(爆)。



 とりあえず6000系の急行は次の自由が丘で下車 (^^;)。まあ、今後はいくらでも乗り通す機会もあることでしょう。体感的にどの程度速いか……という点につきましては、う~ん、正直なところ微妙であります。日中ともなれば、東横線や田園都市線の優等列車がガンガン飛ばしまくるのに対して、大井町線の急行の場合は、何としてでも先行する各停にぶつかるまい……と遠慮しながら走っているとしか思えません (^^;)。やはり緩急追い抜きが旗の台だけでは不十分で、等々力駅の通過設備が完成しなければ本領発揮とはならないのでしょうが、等々力付近の工事は複雑な地形や景観保全との関係上、相当な難工事となることが予想されますので、果たしていつになることやら……。
 それはさておき、6000系は複数の編成が所要時間の削減をデカデカとアピールする青いラッピングを施しており、「相当ゴチャゴチャした雰囲気よのぅ……」と目が白黒してしまったのですが (-_-)、6101Fは青ラッピングがない本来の姿で、しかも急行運転開始HMつき! このHMには何と、元祖湯たんぽ6000系がともに描かれており、東急が決して元祖6000系のことを忘れているわけではなかった……ということに嬉しくなってしまいまして (^O^)、ふだんは「走るんです」シリーズの車両にはさほど興味がない私も、6101Fに限っては気合いを入れて撮影してしまいました (^^;)。時季柄、コンデジやケータイを手にしたク○○キ、もとい鉄道少年が多く、撮りにくくてヘトヘトになってしまったのは、まあ仕方がないのかも知れませんが……でもウンザリ (-_-;)。(※画像は2枚ともかなりトリミングしております。なお、6101Fの二子玉川方には、新6000系のみ描かれた水色のHMあり)

祝!秩父1000系ウグイス登場 (予想図)

2008-03-28 13:34:01 | 地方民鉄 (秩父)


 秩父鉄道で鉄道博物館開館記念企画として1000系に国鉄色を施してはや半年少々。オレンジに続いてブルー・イエローが続々と現れ、その都度行われたお披露目臨時急行運転では、その懐かしく美しい姿に思わず惚れ惚れとしたものです。
 その後は別のところに遠征したり、業務が多忙であったり、そして恐怖の花粉症シーズンとなったり……というわけで、なかなか秩父鉄道詣でも出来なかったのですが、これから先は新緑の季節を迎え、ヒノキの花粉も下火になるあたりを狙って再び通ってみたいなぁ……と画策しておりました。
 そんな矢先、先刻 (27日の昼休みどき。この記事は一番上に表示するため28日付とさせて頂いております) 何気なく秩父鉄道HPをのぞいてみたところ……何と、新たに1000系1編成を関西線ウグイス塗装に塗り替え、来る4月5日から運行を開始するとのこと! そしてお披露目列車は、これまでと同じ影森行き臨時急行スジ! 



 というわけで、去る1月に18きっぷ消化のため少々秩父を訪れて以来なかなかアップするタイミングがなかったカナリアイエロー1012Fの画像をもとに、デヴュー後の予想図をつくってみました (^^;)。このときは、空っ風が吹きすさぶ冬枯れた風景の中での撮影でしたが、これからの秩父沿線が最もきらめく季節の中、4色揃った1000系は一体どのような表情を見せてくれるのでしょうか? (*^^*)
 それにしても……単に国鉄通勤型電車の色として代表的なウグイス色を塗っただけではなく、秩父からは遥か遠くの関西線で巻かれていた黄色い帯を再現するとは……。もちろん、ウグイス一色だけの101系は歴史的になかったという考証を反映したものでしょうが、どう考えても関西圏の「鉄」を秩父に呼び寄せ、さらには広く関西圏ローカルニュースのネタにしてもらうことで、広く関西で「観光地秩父、ここにあり」とアピールしようという計算なのかも知れません (^^;)。
 まあ、昔からの秩父ファンとしては……これ以上秩父沿線がカメラの放列で混み合うと困るなぁ……というのが正直なところではあります (苦笑)。そして、国鉄色よりも1000系入線当時の黄色+茶帯塗装、さらに (1000系に塗られたことはありませんが) 小豆+ベージュの秩父旧塗装を再現して欲しいという思いもあります。あるいは南武支線色も (爆)……何とか期待しておりますです、秩父鉄道様!

台湾鉄路温故知新 (4) 屏東線の普快車

2008-03-27 12:04:31 | 台湾の鉄道


 台湾をぐるりと一周する台鉄の路線網のうち、南部の大都会・高雄から東南に向かい、屏東 (Pingtung・へいとう) 県を貫いて枋寮 (Fangliao・ぼうりょう) に至る区間は屏東線と呼ばれております。もちろんこの区間は、台湾南部と台湾東部を結ぶ重要な路線として優等列車が1~2時間間隔で運行され、とくに特急列車・自強号(この路線の場合日本製DC) は常に客を満載しながらガンガン飛ばしているのですが、それは屏東線の限られた一面に過ぎません。既に日本時代に開通していた屏東線は、80年代になって枋寮=台東新站 (現・台東) 間の南廻線が開通し、鉄道による台湾一周が可能になるまで、台湾最南端の田舎の日常に密着したローカル線として長い歴史を重ねてきました。というわけで、ここは完全に東南アジアとしか思えないほどの椰子やビンロウの森のねっとりとした雰囲気、華南の田舎のようなユルくまったりとした雰囲気、そして日本の非電化ローカル亜幹線さながらに懐かしい雰囲気が混然一体となっている中、チンタラポンと走る客車鈍行に揺られる……というのが、他では味わえない屏東線の魅力なのです……(*^^*)。
 そんな屏東線の鈍行、私が初めて屏東線に乗った1996年は藍色の日本製非冷房ロングシート客車の天下でしたが (時間の関係上、自強号で通過 ^^;)、3年前に訪れたときは藍色のインド製非冷房セミクロス客車がガチャガチャと連結されて走っておりました (当ブログ05年3月7日付記事をご覧ください)。しかしその後まもなく、西部幹線で余剰となったSP2300形客車 (前回も登場。スハ44風日本製客車SP32700形の冷改バージョン) に置き換えられ、さらに台鉄の列車種別名大幅変更により「普快車」と名乗るようになりました。



 ズラリと並んだ窓が壮観で、デッキの雰囲気が日本の旧客そのものなSP2300形は、既に車齢35年を超えてそこかしこに老朽化が目立っていたものの、他に非冷房車も辛うじて健在で物持ちが良い台鉄のこと、そこそこ快適なSP2300形は当分屏東線で安泰だろう……と予想しておりました。しかし、ここに来てEMU700 (正面の雰囲気から、阿福号=スネ夫号と呼ばれる) が大量に製造され、その玉突きで西部幹線の復興号客車が流入することから、SP2300形は3月15日を以て屏東線の運用から離脱する……云々という情報をネットで知って顔面蒼白。この車両が屏東線に入ってからまだ乗ったり撮ったりしていない……。
 というわけで、今回の台湾訪問最大の目的は、まさに屏東線から去りゆくSP2300形を満喫することでした! 旧型車両の引退直前ともなれば、最近の日本ではそれこそ大変な事態になりがちですが、台湾南部だけに全くそういうことはなく、あくまで日常の姿に触れることが出来たのでした……。
 が、唯一最大の問題として、何と既に部分的に復興号客車 (SP20000形) への置換が進んでおり、しかも順光となる枋寮方の3両は復興号客車……。折角の小窓ズラリ状態が、これではあまりうまく記録出来ません (T_T)。高雄方も、電源行李車 (日本のカニに相当) と行李車が各1両連結されていますし……。
 それでも考えようによっては、これも過渡期の極めて貴重な記録! この2つの車種が混結されて用いられたことは、たしか従来ほとんどないはずです。それにSP2300形自体も、90年代半ばに冷房改造されて登場した当初は復興号を名乗ったものの (冷房車だというのが唯一最大の理由)、利用客からは「デラックスなフツーの復興号とは違って、リクライニングせずボロい雰囲気なのに、何で同じ料金を払わなければならんのだ!」という猛ブーイングを受け、その結果1年後には「冷気平快」と改称され、非冷房鈍行と同じ運賃に値下げされたという経緯もあります (そこでSP2300形に対する評価は一転、「乗りドク列車」として愛用されているとか。笑)。したがってこれは、「復興号と、復興号になりきれなかった車両」の因縁の混結を意味します……。
 そして今やこの光景も歴史の一幕として去り、来る5月からのダイヤ改正では、復興号客車を暫定的に用いている屏東線の「普快車」という種別も正式に「区間車」(運賃は復興号=区間車)に格上げされて消滅することでしょう……。ここ10数年間における台鉄の変化の早さを、そんなことからも感じています。