地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

新春京都鉄2015 (2) 水色103系

2015-03-31 00:00:00 | 国鉄型車両


 奈良線のウグイス103系は、宇治茶や京都・奈良の緑を連想させる存在として、沿線に実にマッチしていると思いますが、それ以上にやって来ると嬉しいのが、日根野から転入して以来水色を保ったままの4連です☆ 今回は、京都から奈良行きに乗っていたところ、六地蔵で水色編成と交換したことから、こりゃ京都からの折り返しを余り長時間待たずに撮れそうだな……ということでワクワク♪ すると城陽行でやって来てくれましたので、城陽からの折り返しもさほど待たずしてゲット♪



 もちろん水色の103系自体は、鳳以北の阪和線を訪れれば日中でも15~30分間隔で来ますので、今のところは珍しくも何ともないかも知れません。しかし個人的な印象として、最近は環状線から日根野に転属した体質改善編成が増え、かつてのボロクハ天国の印象は相当薄れてしまった感があります。ところが奈良線で今回当たったのはボロクハ♪(もう1編成ありますが、その奈良方はモロにN40ですので、いや~今回はラッキーでした) 今後は全検・重検に伴いウグイスに変わる可能性もあると思いますので (そもそも検査が巡って来る前に廃車となるかどうか懸念されるわけですが……)、今のうちにこんな感じで撮影出来て良かったなぁ~と思います。

鉄コレ東武ヨ101をN化する

2015-03-30 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 当ブログの検索キーワードは鉄コレ・N模型関連がかなりの割合を占めており、模型歴僅か数年で未だに初心者臭が抜けないにもかかわらずご覧頂いていることには何とも恐縮の至りです。そしてここしばらくも、仕事の過密や外遊・出張ついで鉄が重なったため、しばらく模型いじりが停止してしまい、N関連の記事を楽しみにして頂いている皆様には心よりお詫び申し上げます。あくまで管理人の製作感想記&備忘録ということで御容赦頂ければ幸いです m(_ _)m
 しかし、そうこうしているうちにも……予約品の入荷・受け取りは従前通り続くわけで、自宅には買ってきたまま手を入れていない鉄コレや、インレタを貼らなければサマにならないTOMIX模型などがどんどん積み上がってしまうと言うオソロシイ状態となってしまいました (滝汗)。そこで、先日の月末入荷ラッシュを期に一念発起しまして、まずは最も短時間で竣工しそうな鉄コレ東武ヨ101を手掛けてみることにしました。



 東武の車掌車は、アイスグリーンの車体と手すりが何ともチャーミングかつ独特の存在感で、国鉄や相鉄の真っ黒な車掌車や緩急車を見慣れた神奈川県民ヲタにとっては非常にオドロキであったのを思い出しますが、73・78系追っかけで東武を訪れていた貧乏中学生にとって、貴重なフィルムは基本的にこれら半鋼製釣掛電車のために消費されるべきものであり、貨物扱い駅にちょこんと置かれていたり、側線で待避中の貨物列車のケツにぶら下がっていた車掌車を結局撮影しなかったのは、返す返すも勿体ない話です (嗚呼……こんなんばっか。つくづく、イマドキの○キはデジカメで湯水のように撮り貯めることが出来てうらやましい限りだわい……。もっとも、肝心の各社現存車両が撮りたいネタかどうかという問題もありますが)。それだけに、今こうして小粒でピリリと辛いヤツを、机上や掌に乗せて楽しむことが出来るようになったというのは、何とも隔世の感にして嬉しい話です。
 しかし……余程ニッチなブツであるためか、かくも小粒な単品で1,000円を軽く超えてしまう御値段にはオドロキを禁じ得ませんし (円安とC国工賃高騰……)、「速攻でN化できるかな?」という予感も呆気なく叩き壊されてしまうあたりは何とも厄介なところです……。鉄コレELと同じく、プラ手すりを自分で植えなければなりませんので、とにかくプラ手すりを折らないよう細心の注意を払いながら組み立てるのはマジで面倒臭い……。箱の説明書の冒頭に示された通りに「まず手すりを植える→後から警戒色板と社紋板を貼る」という手順では、絶対に上手く行きません。先に手すりパーツに警戒色板や社紋板を装着したうえで手すりを台枠に植える、という方が確実です……(「上手く行かない場合にはこうせよ」とありますが、最初からこう書けよオイ……-_-;)。なお、手すりを設置しなければ、2枚目の画像の左側のように間抜けな雰囲気のままですので、上手い下手に関係なく手すり設置作業は推進することをオススメ致します……。プラ手すりでは折れる恐怖が付きまといますので、鉄コレELを含めて手すりの金属化をお願いしたいところですが、まぁ余計に金がかかって高騰しそうですのでムリか……。

第三ヤンゴン熱鉄記 (6) ネピドー急行31UP

2015-03-29 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 JRCのDC大量譲渡やら、ヤンゴン環状線への日本製 (?) 新造冷房DCやらで、ミャンマーの鉄道事情が余りにも激変して行くことに帰国早々衝撃を隠しきれない今日この頃でありますが、そこでただちに思いつくことと言えば、先日眺めたばかりのボロ客車群は間違いなく過去のものとなって行くだろうということ。否、もともとミャンマーの客車は使い古しばかりで、それが早晩いずれかという違いだけに過ぎなかったのですが、余りにも変化が激しいと頭がクラクラするわけで……。
 そんなミャンマーの鉄道シーン激変を予兆させる出来事は、考えてもみれば今回の訪問時既にありました。それはすなわち、一般客車へのラッピング急増! 既に約1年前の訪問時点で、路線バスやキハ181、そしてヤンゴン近郊区間用RBTの一部にラッピングは存在していましたが、まさか長距離急行列車にもラッピングの嵐が吹き荒れ始めているとは……。毎年訪問初日の撮影一発目として、そしてバゴー訪問時の足として親しんでいるネーピードー行き急行31UPが一部ラッピング車となり、他にもモウラミャイン方面行き急行やターズィー行きミキスト準急でもラッピング化が進んでいるのを眼にして、「今や長距離列車のラッピング無し編成(昨年までの常識)を撮ること自体が貴重な記録になろうとは想像すらしなかった。《開国》した国はこうして変わって行くのだなぁ」という感慨に耽ったのでした。



 というわけで、今回のヤンゴン訪問は第一に、日本中古DCやミャンマー国鉄の隠れた名作 (迷作?)であるレールバスを撮りに行くことが目的であったはずですが、ここに来て激変期を迎えた客車シーンを一度総括する必要性を痛感しております。もちろん、車齢の新しい客車は今後も残るはずですが、少なくとも標準塗装がラッピングの下に隠れてしまう車両も増えてしまうはずですので、実は客車の形式写真を撮影するのは今が最後の華だったりするのです! そこで、まさか……今回敢えて意識して形式写真を撮るようにしていたのが早速活きて来ようとは! 「客車もいずれは変わってしまうだろうが、取りあえず撮れるときに、ボロが多数走っているときにガンガン撮っておこう」ということですが、撮影時点では「まぁ撮ってみたけど、しばらくHDの中で放置だろうなぁ~」という程度の認識しだったのでした。世の中何がどうなるか全く分からん……。
 そこで、個別の形式写真画像のファイル名に形式略号を入力し、13・14年撮影分も含めて単一のフォルダに放り込んで並べ替えたところ、大まかに言って以下の通りの分類が出来るのではないか、という境地に達しました。【4.22……10000番台の記述を少々変更しました】

* 英緬DC第一世代……環状線最ボロLBPTZ10850。
* 英緬DC第二世代……環状線最多のLBTX900。
* 戦後1950年代日本製……雨樋・小型ベンチレータ現存。台車は古典的 (一部DT21風台車に履き替え)。戦後賠償関連で新造・輸出されたグループで、当時の写真を見ると極めて豪華絢爛だった車両 (ヤンゴン~マンダレー間の伝説の特急ダゴンマン用?) が含まれる。
* 10000番台初期……明らかに日本製と思われるグループのような雨樋やベンチレータがなく、後の世代の客車と近似の車体規格ながらも、リベット多数であるため、むしろ1950年代またはそれ以前製の可能性大。日本製かどうかは不明。
* 10000番台中期……1980年前後に近車で大量製造されたグループ? 現在のMRの主力となっている客車の基本を確立?
* 10000番台後期……トイレ付き車両 (トイレ設置準備を含む) のトイレ窓がHゴム。主にミンゲ工場製ながらウリナラ製もあり? 勢力はこれが最多。
 なお、上記10000番台車両群のうち、郵便オーディナリー合造車は形態の如何に関係なく1900番台を振られる。車両の帰属が純粋に鉄道省であるわけではないのか、それとも郵便合造車は特別扱いなのか。
* Chinese Train……ヤンゴン近辺からは消滅 (汗)。
* インド製……付番ルールが今ひとつ不明。

 今後は、これらの車両それぞれについて形式写真をレタッチのうえアップすることにより、簡略版ミャンマー客車図鑑のような記事をしばらく続ける所存ですが、誰も期待していらっしゃらないですよね……スミマセン。まぁ、所詮は個人的感想&備忘録ブログということで (^^;)。

JR東海の古参気動車、悉くミャンマーへ!

2015-03-28 00:00:00 | 国鉄型車両


 既にここ数日来ネット上では、笠寺から名古屋臨海鉄道・東港駅に運び込まれたJRCキハ40系列及びキハ11の画像が多々見られるようになり、浜松で解体されるのでなければ間違いなくさらに名電築港に送られて海外輸出だろうと予想せずにはいられなかったものですが、昨日ついに大本営発表が!1 JR東海公式HPによりますと、武豊線電化やキハ25の増備によって玉突き廃車となったキハ40系列及びキハ11が、ミャンマー鉄道省からの要請によって今年度中に28両、来年度50両譲渡されるとのこと!! 一昨日はインドネシアの宴に出席し、頭の中がジャカルタ的雰囲気に染まった私でありますが、一気に脳内はヤンゴンに引き戻され「うぉーっ!大量譲渡まつり勃発!」という感じでグルグルしているところです (爆)。



 この大量譲渡の結果、果たして何処にどれだけの車両が配属されるかが次の焦点となりますが、撮りやすさから申しますと、キハ40系列についてはヤンゴン環状線に配属となって欲しいものだと思います。その結果、環状線の非冷房ボロ客車が大量に置き換えられるというとてつもない革命的変化も予想されるわけで……(滝汗)。しかし、環状線に配属されるとラッピングとなる可能性が高いことから、JRC色が南国の地で少しでも長く見られることを期待するならば、地方主要都市に配属され中距離列車に用いられるのが望ましいのかも知れません。キハ52の酷使がたたって離脱車が増え、所定2両が単行となって地獄の激込みとなる場合もあるようですので……。一方キハ11につきましては、車体のサイズからして他の三セク軽快DCと同じような小運転系の使われ方となるのでしょうか。
 とまぁこんな感じでJRCキハ40系列の今後を予想していたところ、いつも参考にさせて頂いておりますRBE迷様の『ミャンマーの鉄道ニュース受け売り』によりますと、現地紙報道では「日本からのプレゼント (=譲受車)」とは別に、完全新造冷房車DCを円借款で (?) ヤンゴン環状線に大量配置し、既存の非冷房ボロ客車を全て今年中に淘汰するという衝撃的な情報が……(@o@)。となると、キハ40系列は地方幹線級への配置となるでしょうし (ヤンゴンにも少々配置して、ヤンゴン~バゴー間のシャトル輸送とかやって頂きたいのですが……)、現在環状線で活躍するキハ181が他路線へ転出となる可能性も十分有り得ます (運賃に比して余りにも豪華過ぎますので……^^;)。
 うう~、もうわけが分からん♪
 何はともあれ、JRC所属キハ40系列の今後の動向 (国内・ミャンマーともども) についてはますます眼が離せなくなるでしょうし、先日訪れて激変を感じたヤンゴンの鉄道シーンも、来年の今頃には又してもガラッと変わっている可能性が高い……と思うにつけ、早くも「浦島状態予約済み」という気分です (笑)。

第六ジャカルタ炎鉄録 (15) 都営6271F

2015-03-27 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日は、いつもお世話になっておりますKuching様のお声がけのもと、『JABODETABEK COMMUTERS NEWS』の管理人でおられるパクアン急行様の一時ご帰国、ならびにインドネシアにおける鉄道趣味界の将来を担うであろう逸材にして日本の鉄道事情にも深い関心を寄せるAdam君の初訪日を歓迎する宴が都内某所のインドネシア料理店にて開催されまして、いつものことながらインドネシア・東南アジア鉄事情に通暁されておられる多士済々の面々が参集し、あんな路線や車両のこんな動向をめぐって大いに放談しまくるというという大盛会となりました! 私自身はと申しますと、先々週に訪ねたミャンマーとタイにおける今年の最新事情の印象が余りにも強烈で、昨年8月に訪れたばかりのジャカルタの風景が何処かにすっ飛んでしまっていたものですが (笑)、先月末の落花生。様一時ご帰国歓迎の宴で大いに論じまくったジャカルタ鉄事情の今後が改めて脳内でグルグル動き始め、とはいえ一方では横浜港・川崎港・名古屋港へと相次いで搬入されたディーゼルカーのことも気になり、心は千々に乱れまくった状態……(^^;;)。嗚呼!このわけの分からんカヲスぶりこそが、日本と東南アジアを股にかけた鉄ヲタ活動の魅力というものなのですね……! そして宴席上では、パクアン急行様から最高にマニアックなブツをお引き取りしたほか (新たに私自身を苦悶の喜悦に突き落とすであろうその詳細はまた改めて)、訪日を楽しむAdam君の表情に初々しさ (?) を感じるなど、まぁとにかくてんこ盛りなひとときでした。ご参加の皆様にはどうもお世話になりました!!



 というわけで、昨年8月に撮影したネタの続き。ここしばらくは、205系激増の陰で相次いで離脱した都営6000系につきまして、約15年来の活躍、ならびにジャカルタにおける日本中古冷房車大繁栄の礎を築いた偉大なる功績を労う意味を込めまして、形態別にアップを続けて参りましたが、今回でひとまず都営6000系は打ち止め。その最後を飾るのは、既にアップした6281Fと並ぶもう1本の戸袋窓無し後期編成である6271Fです~。6271Fと6281F、基本的にはほとんど違いらしい違いはないのですが、インドネシアならではのいじり具合の違いを挙げるとすれば……6271FにはKAIシンボルマークのステッカーが何故か貼られていません。そして行き先幕部分につきましても、6281FはKAIマークが貼られているのに対し、6271Fは現地幕が残存した状態となっています。幕の窓が黒ずんで、極めて不明瞭かも知れませんが、1枚目の画像では「TNH. ABANG」、2枚目の画像では「JATINEGARA」と表示されているという……♪ しかし、正直分かりづらいですね、スミマセン。私自身もレタッチしている際に初めて「幕がまだ生きている!」と気づきましたので……(笑)。
 それはさておき、来月にも旅客営業を再開するナンボ線が、何と環状線からの8連直通列車で一日数本のみ運転という過疎ダイヤでスタートすると伝えられる中、結局都営6000の6連が起用される見込みは薄いとか……。というわけで、離脱して久しく、8連がたまに走っても依然予備車扱いという都営6000が、果たして本格的に復活するのか否か……極めて微妙な状況が続いているようです。個人的にみたところ、6271・6281Fといった後期型6連は状態が良く、とりわけ (以前記すのを忘れてしまいましたが) 6281Fはクーラー換装・車内アコモ全面再整備を受け、夢のようにクーラーキンキンで快適な車内となっていましたので、このまま離脱というのは余りにも勿体なさ過ぎます……。日本では熊本6000系の鉄コレ化が決まり、何となく史上初の都営6000系ブームが訪れそうな気配が感じられる中 (有り得ない? ^^;)、何とかジャカルタの都営6000も205系に負けず引き続きの奮起を期待したいものです……。


 ホント、「これがジャカルタの都営6000かよ!」と腰を抜かすほどの強烈なクーラーに歓喜を覚え、美しい内装にも「2009年の初訪問時の酷使・荒廃ぶりとは隔世の感……」と惚れ惚れ。僅かな期間、営業運転に供したのみで、早々に離脱させてしまうとは……何という勿体なさ! まぁ、投入から僅か2~3ヶ月で完全離脱してしまったHolec ACよりはマシなのかも知れませんが。