JRCのDC大量譲渡やら、ヤンゴン環状線への日本製 (?) 新造冷房DCやらで、ミャンマーの鉄道事情が余りにも激変して行くことに帰国早々衝撃を隠しきれない今日この頃でありますが、そこでただちに思いつくことと言えば、先日眺めたばかりのボロ客車群は間違いなく過去のものとなって行くだろうということ。否、もともとミャンマーの客車は使い古しばかりで、それが早晩いずれかという違いだけに過ぎなかったのですが、余りにも変化が激しいと頭がクラクラするわけで……。
そんなミャンマーの鉄道シーン激変を予兆させる出来事は、考えてもみれば今回の訪問時既にありました。それはすなわち、一般客車へのラッピング急増! 既に約1年前の訪問時点で、路線バスやキハ181、そしてヤンゴン近郊区間用RBTの一部にラッピングは存在していましたが、まさか長距離急行列車にもラッピングの嵐が吹き荒れ始めているとは……。毎年訪問初日の撮影一発目として、そしてバゴー訪問時の足として親しんでいるネーピードー行き急行31UPが一部ラッピング車となり、他にもモウラミャイン方面行き急行やターズィー行きミキスト準急でもラッピング化が進んでいるのを眼にして、「今や長距離列車のラッピング無し編成(昨年までの常識)を撮ること自体が貴重な記録になろうとは想像すらしなかった。《開国》した国はこうして変わって行くのだなぁ」という感慨に耽ったのでした。
というわけで、今回のヤンゴン訪問は第一に、日本中古DCやミャンマー国鉄の隠れた名作 (迷作?)であるレールバスを撮りに行くことが目的であったはずですが、ここに来て激変期を迎えた客車シーンを一度総括する必要性を痛感しております。もちろん、車齢の新しい客車は今後も残るはずですが、少なくとも標準塗装がラッピングの下に隠れてしまう車両も増えてしまうはずですので、実は客車の形式写真を撮影するのは今が最後の華だったりするのです! そこで、まさか……今回敢えて意識して形式写真を撮るようにしていたのが早速活きて来ようとは! 「客車もいずれは変わってしまうだろうが、取りあえず撮れるときに、ボロが多数走っているときにガンガン撮っておこう」ということですが、撮影時点では「まぁ撮ってみたけど、しばらくHDの中で放置だろうなぁ~」という程度の認識しだったのでした。世の中何がどうなるか全く分からん……。
そこで、個別の形式写真画像のファイル名に形式略号を入力し、13・14年撮影分も含めて単一のフォルダに放り込んで並べ替えたところ、大まかに言って以下の通りの分類が出来るのではないか、という境地に達しました。【4.22……10000番台の記述を少々変更しました】
* 英緬DC第一世代……環状線最ボロLBPTZ10850。
* 英緬DC第二世代……環状線最多のLBTX900。
* 戦後1950年代日本製……雨樋・小型ベンチレータ現存。台車は古典的 (一部DT21風台車に履き替え)。戦後賠償関連で新造・輸出されたグループで、当時の写真を見ると極めて豪華絢爛だった車両 (ヤンゴン~マンダレー間の伝説の特急ダゴンマン用?) が含まれる。
* 10000番台初期……明らかに日本製と思われるグループのような雨樋やベンチレータがなく、後の世代の客車と近似の車体規格ながらも、リベット多数であるため、むしろ1950年代またはそれ以前製の可能性大。日本製かどうかは不明。
* 10000番台中期……1980年前後に近車で大量製造されたグループ? 現在のMRの主力となっている客車の基本を確立?
* 10000番台後期……トイレ付き車両 (トイレ設置準備を含む) のトイレ窓がHゴム。主にミンゲ工場製ながらウリナラ製もあり? 勢力はこれが最多。
なお、上記10000番台車両群のうち、郵便オーディナリー合造車は形態の如何に関係なく1900番台を振られる。車両の帰属が純粋に鉄道省であるわけではないのか、それとも郵便合造車は特別扱いなのか。
* Chinese Train……ヤンゴン近辺からは消滅 (汗)。
* インド製……付番ルールが今ひとつ不明。
今後は、これらの車両それぞれについて形式写真をレタッチのうえアップすることにより、簡略版ミャンマー客車図鑑のような記事をしばらく続ける所存ですが、誰も期待していらっしゃらないですよね……スミマセン。まぁ、所詮は個人的感想&備忘録ブログということで (^^;)。