地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

三岐鉄道80周年 (3) ED5082御披露目!

2011-07-31 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 三岐鉄道80周年まつりにおける最大の見どころは、通常姿を現さない秘宝・ED301の堂々公開でしたが、もう一つ大いに楽しみにしていたのがこちら……元東武ED5080形を整備したED5080形・5082号機の御披露目です!!
 東武ED5080形は、かつての貨物王国・東武における晩年の主力となっていたED5060形の総括制御対応増備車であり、当初は成田空港建設用砕石輸送のために新造されたため、空港建設公団の所有であったとか。成田空港の完成で当然のように余剰になった後は東武に車籍を移し第一線で活躍していましたが、東武における貨物列車の廃止により3両中2両が三岐鉄道に譲渡されて今日に至っています。しかし……入線後は長らく保々の片隅で雨ざらしの痛々しい姿を晒し、さらには伊勢治田に移動してしまったことから、これはもしやデビューすることなく廃車か……と憂慮せざるを得ない状況が続いていたものです。
 東武から三岐に譲渡された機関車としては他に、ED5001改めED458、そしてED5070改めED459がありますが、前者はED5080形の東武車籍化に伴って廃車となり三岐へ移ったという経緯があり、東武を追われた側が三岐で生き長らえ、東武で追った側が三岐でデビューを果たせず朽ち果てつつあるとは何という皮肉なストーリー……。ED459にしても、如何にも東武罐らしい風貌ながらも三岐EL陣の第一線として活躍しており、全く同じデザインで車齢も若いED5080がたどりつつある運命との対照ぶりに不憫さを禁じ得ないものがありました。



 しかし何と!伊勢治田に放置されていたED5080は再び保々に移されて正式に整備開始!! ED5081は未だ整備中につき依然として保々の整備庫の中であったものの、5082は東武時代と全く同じ車番のナンバープレートや新たな黄帯も凛々しく、東武罐そのものな角張ったスタイルを夏の青空の下で堂々と披露するに至ったということで……約8年の眠りから覚めて見事復活を果たした幸運に歓呼し、整備に情熱を傾けた三岐技術陣の力量に拍手を送らずにはいられません (^O^)。
 こうして再び息を吹き返した三岐の最新鋭機・ED5081&5082ですが、実は新造から既に40年以上経っているという……(^^;)。したがって、昭和20年代に新造された三岐の従来機は老兵の中の老兵という感じとなってしまいましたが、どちらも手をかければ長持ちする質実剛健な《匠の逸品》であることには変わりないのでしょう。是非今後も手を取り合って貨物王国・三岐を支えて行って欲しいものです……が、ED5070→ED459と異なり改番されなかったED5081&5082は、恐らく他のELと混結せず半ば固定編成として運用されることになるのでしょうか? 
 一方、中部空港土砂輸送終了後長らく、東藤原の雪かき用・富田の入換予備用としてのみ用いられてきたという元秩父・デキ202・203ですが……伊勢治田にて放置されていることに変わりはなく、このまま廃車解体となるのでしょう (T_T)。同じ伊勢治田放置組でもここまで対照的な運命をたどるとは……。まぁデキ200の場合は台車からして特殊な雰囲気が強すぎますので仕方がないのでしょうか。

十和田の熱過ぎる夏 (4) 復活貨物列車

2011-07-30 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 凸型電機が八面六臂の (?) 大活躍をした十和田イベント、その究極の目玉は2両の凸型電機の中間にトラ2車を組み込んだ「復活・貨物列車」でしょうか!? もちろん、今や恐らくバラスト輸送時しか出番がなさそうなトラは完全に空荷状態であり、しかも状態そのものもかなり悪そうに見え……もし本当にバラストを満載したら重みで板が割れるのではないかと思われるほど (汗)。ほとんど、イベント・チャーター走行だけのために車籍が温存されているのではないか?という雰囲気のシロモノです……。しかし、そんなトラでもPP編成の中間に連結されているということは、ブレーキが一応前後のELと連動しているということでもあり、実際にこうしてPP編成が全車互いに手を取り合って眼前に迫って来るのをファインダー越しに眺めていますと、興奮で (そして、絶対に撮影に失敗してはいかんという緊張で) 心臓がバクバクものでした……(*^^*)。



 というわけで、僅かトラ2車にELが2両も連結されるという超豪華な小運転が七百と三沢の間を一往復するあいだ、沿線の人出は最高潮に……。私自身はと申しますと、七百駅での撮影会 (そういえばこのシーンを全然アップしていませんでした。^^;) が終了した後、このPP小運転を実施するための連結作業・入換を脇から眺め、そのうえで徒歩でノコノコと撮影ポイントに向かったですが、七百駅東側の最初の踏切の付近には既に数十本もの三脚が林立しているカヲスぶりに頭がクラクラ……(@_@;)。何なんだこのJR有名撮影地状態は……。そこでさらに歩いて、後追いも余裕なスポットにて記録した次第ですが、いやはや、撮れそうなところはどこもかしこもJR撮影地状態となっており、主に私鉄系のまったり徒歩鉄な人間には何とも微妙な居心地でございました (滝汗)。この1往復の終了後は、恐らく南部縦貫とのかけもちもあってか、次第に人の数は減少に向かいましたが、ともあれ東京から遠く離れた小私鉄の小運転にこれだけ人が殺到したという点では歴史的なひとこまだったのかも知れません。JRE様、何故こういう大型連休に群馬でSL重連を実施するなど、国鉄・JR党の心をグッとつかむ列車を走らせて下さらないのでせう? (爆 ^^;)

東急恩田通信・秩父7504F旅立ち編

2011-07-28 00:00:00 | 事業用車両


 かねてから恩田のテクノシステムにて進められていた大井町線8093Fの地方私鉄向け改造工事は、恐らく震災による計画停電や部品供給網の寸断などによる混乱もあってか (?)、遅々としてなかなか進まないかのような観がありました。しかしここに来て、リンク頂いているいくつかのブログを拝見するにつけ、ついに秩父緑帯を巻いて工場本屋側の前処理場線に移動したことが発覚!……秩父7504Fとして恩田から永遠の旅立ちを迎える日が近づいていることが明らかとなりました。
 そこで昨日、用務先での仕事が午前中に終わり、あとは帰宅して夜なべ仕事ということで、久しぶりに恩田に寄り道して8093F→秩父7504Fの最新の様子を眺めてみようと思いまして、日中普通10分間隔の横浜線 (鬱) を長津田で降り、まずは東急関係者も御愛用のラーメン屋「○つ屋」にて腹ごしらえ (笑)。久々に食べた豚骨ラーメンの後味を楽しみつつノコノコと恩田へ歩いて行ったところ……何と!既に7504Fはデヤサンド状態となっており、しかも高台に上って見下ろした瞬間にデヤ7290のシングルアームパンタが「パンッ!」と上がったではありませんか!!



 というわけで「ぬをを~!これはもう本日長津田送りで間違いない!暢気にラーメンを食っている場合ではなかった!」と泡を食った私 (^^;)。出来れば恩田駅のホーム脇まで移動して、出発線へ移動する入換を撮りたかったのですが、既に手旗を持った入換関係者が複数ウロウロ。駅脇までの移動中に動かれたらかないませんので、そのまま広角レンズで入換シーンを撮影。それが終了して一段落したのち恩田駅脇に向かい、出発前の最後の晴れ姿 (1枚目) を撮影したのでした。
 その後は、天気予報とは真逆にますます日射しが強くなったことから、県道踏切からの後追い撮影は止め、高台から望遠気味で出発シーンを激写したのでした (2枚目)。速攻連写ズーミングでフレーミングがカツカツなうえに (^^;) 架線柱が結構ウルサイですが、まぁこれはこれでデヤ7200のダブル菱パンが上がった力強い状態を表現出来たので良いかな?と思っています (*^_^*)。
 こうして恩田から旅立って行った8093F→秩父7504F……これであとは甲種輸送の予定が急ぎ立てられ、広瀬川原へと向かうのも時間の問題となりました。ともあれ昨年末以来約7ヶ月ぶりの随分スローペースな (?) 落成ということで、秩父1000系も廃車とならずに検査を受け直す編成が出ているのも事実。果たしてこれから先、秩父7000系列の導入と1000系の置き換えがどのように進んで行くのか、大いに注目に値するでしょう。チラリと見えたテクノシステムの中には地方向け1000系と副都心対策改造中の5050系が見え、8090系の改造をしているのか窺い知ることは出来ず、とくに副都心対応が大詰めを迎えている中で秩父向け改造は後回しになるのではないかとも想像されますし……。
 一方、東急は東急でデヤの置き換えを発表しており、デヤ7200・7290が来年春までにあと何回秩父行き編成を長津田へ運ぶことになるのか興味深いところです。これまで当たり前だったシーンも見納め間近ということで、偶然昨日遭遇できたことは余りにも幸運だったとしか言い様がありません v(^O^)v。

三岐鉄道80周年 (2) 秘宝ED301御開帳!

2011-07-27 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 去る土曜日の三岐鉄道80周年記念イベントは、勿論記念HMを装着した101系の姿も楽しめたことは言うまでもありませんが、個人的にはもしこの程度のアトラクションであれば猛暑をこらえて首都圏から日帰り往復することはまずなかったでしょう (^^;)。では、一体何が三重県までの日帰り往復を断固として決断させたかと申しますと……数ある三岐鉄道の車両陣の中でも究極の秘宝と呼ぶべきED301が青天白日のもと堂々御開帳される旨がアナウンスされたためです!!
 ED301……それは単に私鉄の電気機関車として貴重な存在のひとつとなっているのみならず、人知れず隠された場所で黙々と産業用機関車の代表格と呼ぶべきものでしょう。と申しますのも……ED301はふだん東藤原のフライアッシュ荷役線内のみで働くのみで、東藤原駅構内及びその周辺から見渡せる範囲に出て来ることはほぼ期待出来ず、もし眼に出来るとすれば保々で検査を受けるときのみとされているからです。塗装がグレーにオレンジ帯となっており、三岐の他のELとは大いに様相を異にするのも、白い粉末による汚れを目立たなくさせるためであるとか。それでも、雨樋があるキャブまわりを除いて真っ白になっているあたり、工場内の過酷な環境の中で生きていることがうかがえます……。



 そしてもう一つ、ED301の超貴重さの所以として、かつて貨物輸送で隆盛を極めた南海ELの最後の1両となっていることを指摘しなければなりますまい。細長い正面窓が如何にも「ブサ可愛い」風貌の凸型電機・ED5201形が集う南海の貨物扱い駅の光景は、かつての写真を雑誌などで見る度に憧憬を抱かずにはいられませんが、使い勝手が良さそうなED5201は意外にも貨物廃止後この1両 (5202) を除いて他社に譲渡されていないという……。他に南海の電機といえば、阪和電鉄から引き継いだED38やロコ1101がそれぞれ三峰口・彦根に現存していますが、これらはまぁ阪和電鉄流儀のデザインということで……純然たる南海趣味 (?) によるELの最後の一両として、この秘宝が放つ価値は秘かに多大なものがありましょう。
 というわけで、イベント会場に入り、グッズ購入後さらに撮影会場へと進んで行きますと……ををっ!本当に目の前にED301がいる!という感激は計り知れません……(*^O^*)。そこで早速激写!と行きたいところでしたが、10時台は太陽の位置が余りよろしくなく。架線の影も見苦いことから当面模様眺め。じわじわと太陽の位置と影が動いて行くのをドピーカンのもと待ち続けるのは辛い……。しかしその甲斐あって、この日のために整備されたワム229との連結姿、そして昼頃からの単独姿のいずれも完璧に記録出来たのは最高にラッキーでした☆ 果たして再びこのような貴重な機会に巡り合わせるのは何時になることやら……?

香港鉄道博物館・魅惑のダークグリーン

2011-07-26 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 大体そもそも成金な国が、より良い社会と技術をつくるために長い時間をかけて多くの人々が努力し協力してきた過程を一切すっ飛ばし、金にものを言わせてキラキラしたものを買い漁って寄せ集め、使いこなせず問題が起こり面子がつぶれたとなると原因を究めようともせず穴に埋めて隠蔽するようでは、どれだけGDPを膨らませようとも永遠に世界の尊敬を受けることはないのは自明の理でしょう (詳細な現場検証や事故車両の保存調査を通じて失敗を今後に反映させるとすれば、この国のシステムにはやや光明もあるでしょうが……事故そのもの以上にその逆をやってのけたことにとにかく唖然……)。
 というわけで、そんな国の現在の発展段階を鑑みるに、緑亀 (東風4形) が牽引する緑皮車 (ダークグリーンにアイボリーの細帯が入った22系・25系客車) の旅こそ依然として最もお似合いであるように思います。しかもCNRが高速列車を増やして一般の客レを減らした結果、北京~上海間では高速鉄道に乗る経済的余裕などない膨大な数の人民が本数の少ない客レに殺到し大変な事態となっているとか……。そう、今の中国に必要なのは身の丈に合わない高速鉄道ではなく、伝統の北京~上海間緑皮車急行であり、全国緑皮車ネットワークの再構築なのでしょう (爆)。え?せめて空調付きの紅皮車や160km/h対応の藍皮車にしろって……? とりあえず私は緑皮車ヲタなものですみません (笑)。
 しかし、去る3月の震災直後に少々香港から深センを訪れ、そのついでに広深線に乗った際には、深セン駅に停車していた緑皮25系を撮影することが出来ず悲しい思いをしましたので (列車別改札&不使用ホーム閉鎖のため)、その代わりに香港鉄道博物館のダークグリーンな面々をアップしてみましょう (どういう前振りだ ^^;)。



 香港鉄道博物館は、今や12両編成の電車が頻繁に行き交う九広鉄路あらため香港鉄路東鉄線が複線電化された1983年まで走っていたDLや客車の現物を保存するべく、旧・大埔墟 (Tai Po Market) 駅の土地を活用して1985年にオープンした施設であり、今や香港郊外の一大ベッドタウン玄関口として発展し賑わう大埔墟駅から徒歩約15分ほど。活気あふれる古き良き商店街を横目にのんびり歩いて行きますと、こんもりと生い茂る瑞々しい緑に囲まれた鉄道車両の別天地が広がっています♪ しかも、夕方5時までの開館時間内であれば誰でも無料で参観できるという太っ腹ぶり! 華南の家屋に通じるデザインの旧駅舎=展示室の立派さもさることながら、九広鉄道の車両陣が上々な状態で保存展示されているのは圧巻 (?) で、DLと一部の客車は屋根をかけられずあくまで現役時代を彷彿とさせる雰囲気で眺めることが出来ますので、思わずカメラを持つ手に力が入ります (^O^)。
 う~ん♪ 如何にも社会主義然とした大陸のダークグリーンとは異なり、さすが英国流儀の上品さが漂うダークグリーンに塗られたアメロコですなぁ……(*^_^*)。とりあえず香港と大陸のあいだの往来は、1970年代末から大陸持ちで広州~九龍を結ぶ「直通車」の運行が始まり、さらに1983年に香港側で電車の運行が始まり、大陸における改革開放の開始もあって劇的に変わっていったものですが、伝統的には (とくに70年代末までは) ごく限られた「友好人士」が九広鉄道・毎時1本程度の鈍行客レに乗って羅湖に向かい、草むしたボロい橋を渡って田んぼのど真ん中の深セン駅から中国側の列車に乗るというものだったとか。そんな時代に国境越えをやってみたかったですなぁ……。
 なお、今回は香港での滞在日程の都合上日曜日に訪問したため、余り広くない敷地内には地元・香港住民の皆様がいっぱい!! なるべく人を入れないように車両を撮影するのは実に面倒臭いという……(@o@)。まぁ、そもそも決して広くはない香港という土地において、この手の近代化遺産を手軽に楽しめるスポットはある意味で非常に貴重でもあり、しかも英国植民地時代も香港史の重要な構成要素として適切に評価する気風がありますので、家族連れが教育を兼ねて一日をのんびり過ごしたり、カップルが古い車両をバックに記念写真を撮るなど、とにかく大賑わい。もちろん、ここは川一本を挟んで大陸とは全く違う文明礼貌の地ですので、それはそれで実にほのぼのと香港らしい光景ではあるのですが、とにかく車両をマイペースで撮りたいという方は平日の訪問をオススメします。


 如何にもブリティッシュ・コロニアルな雰囲気が何とも魅惑的な妻・窓の客車ですが……逆光過ぎ (汗)。他に期待していた日本製客車(たしか近車製?)は、極めて狭いスペースの関係で形式写真っぽく撮影出来ないのが残念~~。



 上の客車と同タイプの車両の車内。頑丈そうな車体とは対照的な、華奢な木製転クロ (スターフェリー様式ですな) や裸電球、そして大型カバー付き扇風機が良い感じ♪



 そしてこちらは日本製客車の車内☆ この何とも言えない巨大空間感がサイコーです♪ 一部は電車への置き換え後、確か大陸側に譲渡され、広西のド田舎のローカル線混合列車用として活躍 (?) したのち数年前に廃車になったとか……。



 頭等車(1等車) の車内。椅子が桁違いにデラックスなため、訪問客が多数休憩に利用しており、完璧な車内写真なんて撮りようもありません (苦笑)。