地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東武7820形を作る (やったぜゲット!編)

2008-10-30 18:32:04 | 超へっぽこ模型製作


【広電の話題も含めて複数のコメントを頂いておりますが、レスするヒマがなくて恐れ入ります。明日はようやく約半年ぶりに純粋な撮り鉄プチ旅に行くため早起きしますので、週末にじっくりとレスさせて頂きます m(_ _)m】
 最近にわかに模型の道に手を染めて以来、必ず手許に置くぞ!と決意していたのが東武7800系! 武骨な車体に板張りの車内、鋼の塊のような台車に過激な釣掛シャウト……そう、それはまさに電車の中の電車! 東武30000系が半直を始め神奈川県内に乗り入れるよりもはるか昔、78系が最後の活躍を続けていた当時は中学生だった私にとって、東武は電車を乗り継がなければたどり着けない縁遠い路線でしたが、とにかく78系に乗りたくて東武に通ったものです。しかし、もしも78系がなければ、東武の奥深い世界を味わうことを知ることもなく、その後も強く思い入れることもなかったのではないか……とすら思えます。
 そんな78系のキットをGMクロスポイントが出して下さっているわけですが、ここしばらくは品切れ。しかしついに、先日の改良版7820形未塗装キット発売に続き、セイジクリーム塗装済みキットも本日発売になりました! 早朝からの勤務が終わった帰り、東急デワ+αの床下機器パーツを求めてアキバGMストアに行ってみたところ……発売延期が変更になり、何と今日から発売となっていました! 



 そこで当然即ゲット! 既に未塗装キットも4連×2を確保していますので (爆)、これから12両を組み立てて行くプロセスそれ自体が大いに楽しみです……(笑)。いや~このマスク、この側面、この中間連結面。見れば見るほど懐かしく、惚れ惚れとするではありませんか……(*^^*)。
 とりあえず、セイジクリームは4連1本があるとして、増結2or4連はそのうち出る鉄コレ東武7300系を予定! 未塗装キット4連1本はベージュ+オレンジ旧塗装にするつもりですが、残り1本はさてどうしようかと……。今何となく考えているのは、これまた妄想ウソ電で恐縮ですが (笑)、8000系並みの車体への更新ではなく、78系の車体をそのまま活かして全面修繕・冷房化が行われたという想定の東武現塗装バージョンです (^^;)。でも、気が変わって全く別の塗装にするかも。果たしてどうなることやら……。そもそも、製作中の東武6050・8000系も未完成 (爆)。
 ちなみに、まだ箱を開けたばかりですので、この画像は現在製作中の東武8000系下回りの上に車体を載せただけです。しまった……気持ちばかりがはやって、下の画像では手前の台車が脱線していることを後で気付きました (^^;;;

東急8613F、長津田を離れ恩田へ

2008-10-29 16:14:47 | 大手民鉄 (東急)


 だいぶ前に田園都市線の運用を離脱した東急8613Fは、長らく長津田検車区の最も横浜線寄りの奥で謎の沈黙を保っていましたが、最近は検車区内を動いていたようで、検修庫内にいた8613Fを田園都市線の車内からチラリと目撃しながら、いずれ何らかの動きがあるのだろう……と何となく予感しておりました。
 それが何と、恩田への回送だったとは! きょう仕事帰りに何となく恩田に寄り道してみたところ、いつもはせいぜい他に一人程度しか見かけない撮り鉄な人々が数人……。そして、工場内から手旗を持った入換要員の皆様が出てきたものの、入換車のパンタが上がる気配はいっこうになし……。そこで「これは恐らく入場車の到着だろう」と予想して長津田方の踏切に向かったところ、やって来たのは8613F!! 最近なかなか撮り鉄出来なかった中、こうして偶然恵まれた入場車撮影の機会が、よりにもよって8613Fだという超偶然……(@o@)。果たしてこれが廃車回送なのか、それとも検査入場による奇跡の復活の序曲なのか、全く知る由もありませんが、恐らくこれが最後の走りである可能性が非常に高いわけで……8618Fの廃車回送を偶然撮影した際と同様、思わずシャッターを切る指が緊張してしまいました (汗)。一応、インドネシアへ行った8618Fの廃車回送時と異なり、スカートは装備されたままでしたので、インドネシア以外への譲渡なのか、それとも入場→奇跡の復活なのか……。



 この8613F恩田入場シーンには、濃いぃ一幕が。何と、パンタを下ろす直前、行先表示器は「準急・水天宮前」を表示しておりました (そのことに気が付いて慌ててシャッターを切った直後にパンタが下りたもので、速いシャッタースピードによる切れ切れな画像しかなくてすみません。爆)、これは果たして、東急での最後のはなむけとして乗務員氏が敢えて表示したのか、それとも単なる気まぐれとして表示したのか……今後をある程度暗示しているものと深読みすることも出来なくはないのかも知れませんが、取りあえず全ては謎、という感じです (汗)。
 なお、これで8609・8613・8624・8631Fが恩田入りしていることになり、狭い長津田工場&テクノシステムの敷地内 (外から見える範囲) は、数両の1000系と入換車を除けば8500系でひしめいている状態です。一体どうするんだ……と (^^;
 ただ、恐らく8613Fをバラす前に少しでも構内を整理しておきたい……ということでしょうか、8613F到着後の長津田工場では複雑な動きがありました。牽引機は、無架線地帯での車両の出し入れを伴うため全てアントです。
 (1) デハ8524が工場屋内から (?) 引き出され、クハ8001脇の2両と連結。
 (2) 同じく引き出された中間車 (車番不明) 1両がデハ8624+サハ8944と連結。
 →この時点で、3連が2本出来上がる。テクノシステム内で改造中の車両が完成したのち速やかに入れ替え、改造に入るための準備?!
 (3) 同じく引き出されたデハ0707+デハ8859が、デハ8524ほか3連の2本隣に。
 →軽量鋼体車2両×2が奥に並ぶ。これで入換終了。
 →8624Fフル組成時には、0707と8859のあいだに8841+8757が挟まっていたはずですが (RP誌東急特集号による)、この2両は一体何処へ……? また、0707+8859の用途は廃車か、それとも……? 入換中に見えた床にはゴミが散らかり、埃が堆積していましたが……(-_-;)。
 あと、テクノシステムではサハ8950の壁に穴が開けられ、ドアスイッチ設置工事を実施中でした。あくまで少しずつ変わっているなぁ……という印象です。

路面電車の楽園・広電 (4) 大阪出身900形

2008-10-28 00:52:19 | 路面電車


 広電の旧型車分高めな系統で、元京都の1900形と並んで主力の座に君臨しているのが、元大阪市電の900形です。現存するのは冷房改造された9両で、1900形と比べるとやや少ないのですが、たまたま私が訪れたときには7・8系統の主力として頻繁に現れ、特に両系統が合流する横川駅付近では、さながら900形の天下という観がありました。それは単純にこの日、路線が短い8系統に900形が複数入っていたからでもありますが、横川駅のメチャクチャ豪華な折り返し線に7&8系統の900形が並んでいる光景は、もし今も大阪に路面電車があればこんな感じなのだろうか...と想像せずにはいられません。いっぽう、茶色とベージュのツートンカラーは如何にも地味な落ち着きを周りの街並みにも与えており、古き良き路面電車黄金時代が今でも広島で完璧に再現されているのだなぁ...という思いを新たにすることができます (*^^*)。



 それにしてもこの900形、流線型 (?) の海坊主顔に加えてノーシルヘッダー、そしてバス窓という出で立ちですので、どう見ても他の旧型車と比べて「新型」に見えてしまいます (^^;)。しかし、いろいろ調べてみますと、何と生まれは1957年、古い車両の車体載せ替えによって誕生したとか...。実は先日定期運用を離脱した京阪1900系の中間車 (元1810系) と同じくらい車齢を重ねた半世紀ものの選手だったという...。かつて1980年代に半鋼製釣掛式電車にはまった私から見れば、バス窓の車両はかなり新型電車の部類っぽく見えたものですが (というわけで、日車標準型とか一度も撮っていないです...苦笑)、そんな車両すらいつの間にか超古参電車となり (江ノ電305Fもしかり)、こうして珍重しなければならなくなったとは...。年月が経つのは早すぎますね (汗)。
 そして、製造後わずか12年で路面電車廃止により大阪を追われた900形が広島に来てから来年で40年になるとのこと。確かRM誌の今年の7月号に、廃止後の大阪市電がかき集められた森ノ宮車庫の光景が載っており、900形と同じようなスタイルの電車が大量に放置され、解体されているというシーンには胸が痛むばかりでしたが、今や広島暮らしの方がはるかに長くなったというわけで、900形は非常にラッキーな電車なのだなぁ...と思う次第です。
 なお、他にも350形や760形も撮っているのですが、1900・900形の大活躍の陰でこの他の旧型車は会心のカットを量産できませんでしたので (^^;)、いずれ改めて広島を訪問して撮りためた際にご紹介できればと思っています。
 こんな感じで広電を楽しんだ後は、横川駅にてJRWに乗り換え、国鉄型電車の楽園にドップリ漬かることにしたのでした...(広島出張編つづく)。

東急デワ3043+αを作る (妄想増殖編)

2008-10-26 17:01:06 | 超へっぽこ模型製作


 東急8000系と連結させて恩田ごっこを……と思い立ってぼちぼち製作を始めた東急デワ+αですが、ここしばらくは超多忙のため製作がストップしておりました。しかし、それもようやく一段落し、昨日は何だかヘンな天気だったことから、一気に作業を進めてみました。
 その最も重要なステップは、切り接ぎ部分のパテ埋めとその後の整形。まずタミヤのエポキシパテを練り練りしてから擦り込み、乾いてからヤスリで削り、依然として解消されない継ぎ目には溶きパテ (Mr.カラーのサーフェイサー) を吹きかけてまたヤスリ……という、模型製作では最もキモな作業のひとつですが、何分はじめてですのでおっかなびっくり (^^;)。「練りパテって何だか幼い頃の粘土細工を思い出すなぁ……」と呑気なことを考えていたら、継ぎ目を接着剤でピッチリつないだ上にパテを当てても元の木阿弥で継ぎ目が目立ったまま……ということを発見してドツボにはまり、さらに溶きパテでは吹きかけすぎて何やらお化けっぽいヤバさとなったり……何事も修行あるのみですね (爆)。
 +αで製作中の8500顔ヘンテコ車については、結局車体切り接ぎ部の凹凸が解消せず「しまった……」という気分ですが、これは所詮怪しいヘンテコ車。それもまた風流というものだろう……というわけで、とりあえず塗装前の準備がほぼ終わりました! 台枠と台車をパチッとはめて途中経過を撮ってみますと、いよいよこの先どれだけ怪しくなるか、ワクワクしますね~♪



 さて、既に1枚目の画像でお気づきの通り、計画当初から製作中の2両に加えて、もう2両の架空妄想車両が仲間入り……(笑)。模型超初心者のくせに、製作中の4両中3両がフリーランスのウソ電とはどういうことか?という声が聞こえてきそうですが (^^;)、妄想を机上で、そして指先で楽しむ快感はもう止められないわけです、はい……(爆)。他にも東武6050・8000系や伊豆急8000系 (東横線8007Fとして製作予定)、それに先日発売になった東武7820形 (まずは未塗装キット4連2編成ゲット!) と、いろいろ製作待ちのキットがあるというのに、こんな妄想車両で油を売っていてはキットの塚になりそうでコワイです (^^;)。
 それはさておき、とりあえず簡単に妄想のあらましを……。手前は、戦災に遭ったクハニ67を短縮・再生させて両運の荷物電車としたという設定ですが (側面の種車はGMクハユニ56の板キット)、種車が戦前の最高峰たるノーシルヘッダー車であるため、相鉄3000形に編入されたクモハ60と同様、他の戦災復旧車3600形とは別次元の再生となり、3500形並みのマスクを持つに至ったというもの。その割には片側の運転室扉は客用扉そのまんま (^^;)。その後、8000系非冷房車ベンチレーターの余剰発生品を流用し、デワ3043ともども入換車となって今日に至る……という次第。
 クーラー付きの車両は、3450形の冷房・カルダン駆動化改造車という設定。RP誌06年9月号の「譲渡車両めぐり」特集によりますと、東急では高度成長時代、破竹の勢いで利用客数が増大し、特に東横・田都の輸送力増強に追われただけでなく、さらに5000系を長電の求めに応じて供出したため、結果的に3000系列を80年代まで使わざるを得なかった……とのこと。そこでここからは妄想ですが……そのような窮状の中でも目蒲・池上線のサービスを向上させるため、依然として頑丈な車体を活用のうえ、8000系並みの性能と冷房化を実現するべく、まず1両を実験的に改造してみたのがこの車両。結局この計画は実現しなかったものの (いずれ実現バージョンもつくります ^^;;)、教習車として現存する……という感じです。パンタと干渉しないようにクーラーの位置を考えていたら、逆に配置バランスが悪くなってしまったのは、試作車ならではのご愛敬 (爆)。
 いやはや、妄想を如何にもありそうな話としてでっち上げるのも、なかなか楽しいですね (笑)。え?……全然ありそうではないって……?スミマセン (^^;;)。

雨の三岐訪問記 (3) 魅惑のWパン101系

2008-10-25 22:35:28 | 地方民鉄 (中京北陸)


 昨日は10月の下旬だというのに、季節外れの土砂降りとなりました……。こういう日に限って、長らくの超多忙に一段落ということで平日休み。まさか、どこかで濡れ鼠になって撮り鉄をするわけにも行かず (鬱)、終日自室の大掃除などをして過ごしたのでした……。
 しかし、そこでふと思い出したのが、約5ヶ月前の三岐訪問の際に遭遇してしまった東藤原駅での土砂降り……。この日の天気がよろしくないことは、予め天気予報で分かっていたつもりでして、地形の関係からみても平地よりは雨量が増えても不思議ではない場所ですが、まさか一番のお楽しみスポットで滝のような雨にならなくても良かろうに……(-_-;)。
 というわけで、折角Wパン&切妻の101系 (元西武401系) が、東藤原の工場群をバックに発車するという、天気が良ければ最高に良い感じのシーンを撮っても……雨で見通しが悪く、「アチャー」という気分です。しかも、傘も何の役に立たず、列車を待っている間にスーツもアタッシュケースも水浸し……(T_T)。でも、いま改めてこのカットを眺めてみますと、土砂降りの中でよくもまあここまでちゃんと撮ったもんだ、という気分になって来ますから不思議なものです (苦笑)。



 ところで三岐101系、前身の西武411系あらため401系時代のことはほとんど何も知らず、たまに山手線を利用した際に並走する西武新宿線を行く姿を眼にした程度です (汗)。西武は中学・高校生の頃関心がなく、実際に乗ったのも秩父の帰りに2~3回程度でしたので……。
 そんな西武に疎い私ですので、西武の車両については地方私鉄に転じたあとの姿にハマり、そこから逆に西武時代の詳しい生い立ちをRP誌などで知る……という倒錯ぶりでありますが (爆)、401系改め三岐101系への興味も、まさにこのパターンだったりします (^^;;)。いや~何と申しますか、関東からJR103系が消えた今や、切妻+集中クーラー+グロベン+コイルバネ台車という姿を守って北勢の山野を駆け抜ける三岐101系は、乗って良し・撮って良しなシブい車両の典型と申せましょう (*^^*)。三岐の切妻といえば他にクモハ607+クハ1608という貴重な釣掛車がいますが、今や西武新101系あらため751系の入線により風前の灯火ですので (そのうち扱います)、今後も三岐の切妻として101系には末永く活躍して欲しいものです。