地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第三ジャカルタ炎鉄録 (12) メトロ7000系

2011-08-31 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 約1ヶ月間続いたイスラーム暦のラマダーン=断食月は昨日無事終了し、今頃インドネシアの至るところで食えや歌えやの大宴会(禁酒のため「飲めや」は無し)が展開されていますが、私自身も今回の訪問で否応なく体験せざるを得なかった断食シーンの中でも一番印象に残ったのは、何と言っても一日の断食が終了するタイミングにおける電車内の雰囲気でしょうか。だいたい夕方5時53分頃になりますと、車内の人々が急にソワソワとし始め、荷物の中をガサゴソと探ってペットボトルor紙パックの飲料や甘そうな軽食を取り出し、5時58分頃「断食終了です♪」という車内放送(ふだんKCJでは冷房車でも車内放送を滅多にしませんが、誰もが関心を持っているこのタイミングについては御丁寧にも放送をしておりビックリ ^^;) とともに一同一斉にガブガブ飲みまくるという……。その直後に駅に到着してドアが開きますと、近所のモスクから大音量のアザーンが響きまくっている駅の構内では、日中ヒマでヒマで仕方がなかった軽食系の屋台に人が群がりまくり……。私は所詮「アッラーとの契約を守るのも大変ですなぁ……」と思う程度のカーフィル(不信心な異教徒)でしかありませんが、「これで大っぴらに人前で飲み食いできる」という瞬間はやはり嬉しかったですね (^^;)。
 そんなラマダーンは当然のことながら、昼間我慢する分だけ贅沢に走ろうという消費性向が現れる期間でもあり、「断食を頑張った私に御褒美」的なココロをくすぐる商戦が展開されることで知られています。とくに、断食終了後の最初の一口をどうするか?は重要な問題ですが、そこにうまくアピールしているのが我が日本の○カリスエット! 大きな面積のステッカーを貼ることが出来るメトロ7000系の戸袋スペースに、敬虔なムスリムっぽいファッションでキメたイケメン君がポカリスエッ○を手にした写真と「ラマダーンの渇きに一杯。私とポ○リスエット」といった趣旨の (?) コピーをドドーンと掲げていたのは「上手いなぁ~」の一言に尽きました。(同様の広告はメトロ05系でも目にしましたが、恐らくジャカルタで初めての効果的な車内商品広告と思われ、今後他企業が真似るかも・・)



 というわけで、本日はメトロ7000系をアップしてみました。メトロ7000系のうちインドネシアに輸出された車両は、副都心線対応改造の選に漏れて黄帯のまま「Y」ステッカーを掲げていたグループにあたりますが、大窓で製造された3次車がその多くを占め (?)、逆に車齢が古い1・2次車でありながら副都心線対応改造を受けて現役を続け、ついには東横線乗り入れが目前に迫っているあたり、何とも奇妙な運命の悪戯を感じます。要は、副都心線対応改造が本格化する前に更新修繕やVVVF化を受けていたか否かによるわけですが、「大窓でナウ (爆)」な車両として80年代に登場したはずの3次車がようやく更新時期に達した頃にイメチェン10000系の製造にぶち当たってしまい、今や「未更新のボロ」として所払いとなってしまったという……。そこで当面、木目かつキノコ貫通路デザインに合わせた袖仕切りを最大の特徴とする内装や、「プィィィ~ン」という昭和末期には如何にも「未来の音」だった電機子チョッパ音がジャカルタの地で生き延びることになったのは、鉄道車両技術・デザイン史の遺産を現物として保存する観点からみて非常に喜ばしいことなのではないかと思います(メトロ6000系も含めて)。
 そんなメトロ7000系は現在4編成が揃い、タンゲラン線とタンジュンプリオク線を除くKCJ全路線で縦横無尽に活躍していますが、その未だに近未来的な印象を失わないデザインは鉄道当局にとってもすっかりお気に入りのようで、昨年あたりまでは様々なディスプレイで東急8500系が幅を効かせていたところをメトロ7000系がすっかり乗っ取ってしまいました (汗)。例えば、KCJ公式HPにおけるICカード登場予告画像しかり、断食明け祝賀画像しかり……。東急ファンとしては些か嫉妬、という感じでしょうか (^^;;)。とくに個人的には……メトロ7000系は昨年夏の訪問時点で散々運用開始が先延ばしにされて全く目にすることが出来ず、帰国直後に政府高官も出席した華々しいデビュー式典が行われたということで、デビュー後約1年を経てその活躍をようやく目にすることが出来たのでありますが、それだけに1年ぶりの訪問でメトロ7000系の怒濤の活躍ぶりを見せつけられ、すっかり浦島太郎気分に陥ったのでした……(笑)。


 如何にもメトロ7000系3次車な車内であっても、イスラーム色が前面に出た広告で否応なく「ここはジャカルタ」ということを印象づけられます (^^;)。イスラームの教義では、豚を食べる異教徒が作ったものを飲んだり食べたりするのは宜しくありませんので、当然インドネシアで売られている○カ○スエットは日本製ではなく、インドネシア現地法人で作られたハラール食品(豚やアルコールを原料としておらず、コーランで清めたという認証をイスラーム聖職者から得た食品)となっています。(←これ豆知識 ^^;)

第三ジャカルタ炎鉄録 (11) メラク鈍行補遺

2011-08-30 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日アップしたメラク行き鈍行の記事では、何のかの言って本文が長くなってしまった結果、他に載せようと思っていた画像を載せきれませんでした (汗)。というわけで、本日は補遺としまして、恐怖の?麗しの?腰高ヘロヘロ通勤客車の御姿をアップしておきましょう~。上は電源機能つき3扉客車という相当ヘンなスペックの「KP3-81101」、下は単に長い板張りロングシートがあるだけの「K3-78104」。



 それにしても参ったのは、編成全車が短時間の利用を前提としてつくられたと思われる通勤客車であるため、トイレがどこにもないということ……(滝汗)。ジャカルタ・コタ~パルンパンジャン~ランカスビトゥン間の利用であれば我慢できそうですが、全区間乗り通すと4時間半かかる列車でそれはないだろう!と思った次第です。しかし、車内観察していたところ、全区間乗り通す客は私ぐらいしかいませんでしたので、それはそれで問題ないのかも (苦笑)。男性は停車時間中に速攻で線路に降り、客車の床下目がけて用を足していましたし……(女性はどうしようもなし)。こんな列車の旅をするにあたっては、日中の人前での飲み食いが憚られるラマダーンというのは実は都合が良かったのかも知れません (^_^;)。




 どちらも終点にほど近いトンジョン・バル駅での停車中に撮影していますので、かなりのんびり・まったりムードですが……タナ・アバン~ランカスビトゥン間は相当カオスです (カメラを出そうという気が起こらない……^^;)。



 【おまけ1】メラク駅手前の線路。台湾・平渓線の十分界隈もびっくり!な雰囲気の中、結構なスピードで朦々とホコリを立てながら列車が走るということで……興味のある方は撮影してみて下さい (その場合の往復は高速バスになります。汗)。



 【おまけ2】メラク港にて、1980年代から1994年まで大阪・神戸(たまに横浜)と上海の間を結んでいた「鑑真号」(初代)によく似た塗装のフェリーを見つけ、思わず懐かしい気分で撮影 (笑)。もちろん「鑑真号」現物とは形状や大きさが異なりますが……。でも、この船も日本あたりの中古?

第三ジャカルタ炎鉄録 (10) 地獄のメラク鈍行

2011-08-29 00:00:00 | インドネシアの鉄道


【@ジャカルタ・コタ】パルンパンジャンからの一番列車が折返しメラク行に…。



【@ドゥリ】賑わう線路市場をボロ客車が闊歩!(後日撮影。罐番同じ ^^;)



【@セラン】毎日2往復ゾーンにある最大の街の駅で数分停車。すっかり昼前。



【@メラク】約4時間半の忍耐の末に終点着! 機関車は速攻で機回し開始 (汗)。

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 一昨年、昨年とジャカルタを訪れるごとに、日本から来た中古冷房車だけではなく現地オリジナルの客車列車にも乗ってみたくなる私。そこで一昨年は特急「パラヒャンガン」に乗ってバンドゥンへ行き、昨年は特急「チルボン・エクスプレス」に乗って西ジャワ州のジャティバラン駅に常駐する神奈臨DD5512を訪ねた次第ですが、今年は豪華快適なエクセクティフ(1等車)ではなく、庶民の足である非冷房エコノミー客車に乗って旅してみたいという思いが沸々と……。とはいえ、現地滞在は約1週間と限られる以上、延々片道数時間から1泊2日と走り続ける長距離列車に乗るわけにも行きません。何と言ってもトシをとって (滝汗) 体力的にアレですし、断食している日中に数時間も蒸し暑い車内で水も飲めないというのは、ムスリムではない私にとって耐えられない話 (ムスリムの皆様、不信心で失礼……^^;)。
 そこで如何にもお誂え向きだと目を付けたのが、ジャカルタから西へスルポン線~バンテン州の田舎をひた走り、スマトラ島への連絡船乗り場であるメラク(ムラッの方がより現地的発音に近いかも?)へ至る鈍行の旅。何よりも、その先にあるスマトラ島をいつか訪ねてみたい……という思いを盛り上げることにもなりますし、恥ずかしながらこれまでのジャカルタ訪問でスルポン線に乗ったことがないという不名誉(だってぇ……東急車が全く来ないんだもん……爆)を一気に、かつ大胆に挽回することにもなります。
 しかし、蘭印政府がスマトラ島連絡鉄道として(たぶん)建設した当初のメラクまでの鉄道の賑わいは遠い昔の話。ジャカルタからメラクまでは200kmも離れておらず、しかも高速道路が開通しているため、フェリーに向かうヒトとモノの殆どは高速道路利用というのが実情で、ジャカルタからメラクに向かう列車は毎日2本。このうち午後便を利用しますと必然的に現地で1泊となりますので、自ずとジャカルタ・コタを7時15分頃発車する列車を利用することになります。
 そこで、早朝の撮り鉄を兼ねて朝6時半頃ジャカルタ・コタ駅に行ってみますと、まずメラクまで5,000ルピア(約50円)という超激安運賃に唖然……。そして、パルンパンジャンを早朝出発した、折返しメラク行となる列車が何と!ボックスシート+デッキ付の通常の客車ではなく、全車ロングシートの超腰高ヘロヘロ通勤客車であることに愕然……(@o@)。しかし……中国の超ボロ通勤客車であるYZ31や、台湾で現在も代用行李車として生きている日本製ロングシート客車のショボ過ぎる存在感にワクワクする者としましては、徹底的にこのボロ客車と付き合ってやろうじゃないの!……というマゾな気分が盛り上がって参りまして (笑)、開け放ったドアから風が吹き込み外の眺めも良いドア脇の席を無事ゲット! 夕方6時前にタナ・アバンまで戻って来るまでの間、果たしてどれほど地獄で、しかしどれほど楽しい旅となるのか……という期待を膨らませたのでした (笑)。
 しかし結論は……この列車の本質は、沿線の主な市場町であるパルンパンジャン、ランカスビトゥン、及びセランで売買をする行商人のための列車であり、そこに一般の利用客も混在するという、何ともカオスな列車でございました (滝汗)。駅に停まる都度、大荷物が次から次へと車内にドカーンと積み込まれ、下手をすると堆く積まれた野菜や果物の山を眺めながら揺られるという有様。しかも行商人は車内でもちゃっかり商売 (笑)。要は彼らの利用を前提として、ロングシートの通勤客車を運用しているのでしょうなぁ……。勿論車内には物乞いや芸人も多数で……ありとあらゆる《生の実存》が渦巻く世界です。唯一の救いは、煙草大好きなインドネシア人が断食期間中につき煙草を我慢しており、車内の空気がそれほど悪くならなかったことでしょうか。もっとも、列車がガクッと減るランカスビトゥンから先、終点メラクに近づくほど軌道状態が悪く、機関車が巻き上げた朦々としたホコリが容赦なく車内に入り込み、車内全体が真っ白になったのには参りました (T_T)。
 終点のメラクは、街自体は本当に田舎の小さな街ですが、目の前の真っ青な海には船がいっぱい! スマトラ島へのフェリーターミナルの巨大な桟橋や、乗船を待つ膨大な数のトラックに積まれた日本メーカー製バイクに圧倒されるなど、躍進する東南アジア経済の息吹を感じることが出来るでしょう。しかし、鉄道駅の過疎ぶりは半端ではないです (汗)。最近の一時期、優等列車復活の試みもあったようですが、利用客はさっぱりだったようで、優等列車用窓口・待合室は閉鎖……。
 とまぁこんな感じで、1日中ヘロい客車に揺られてヘロヘロになった私 (^^;;)。タナ・アバン駅で目の前にボゴール行の東急8500系が停車しているのを目にして、まさに天国と地獄を痛感したのでした……。メラクからタナ・アバンまでの運賃5000ルピアでも、目の前の東急8500系には乗れないという……(笑)。この旅は、中国のYZ31、台湾や韓国のロングシート旧型客車、そして日本のオハ41や国鉄時代のキハ30・35 (整備状態が悪く車内汚れ過ぎ) などが大好き♪という奇特な方には心からオススメ出来ますが、そうではない方は止めておくのが無難です。
 あ、景色は……まさにジャワ島の田舎そのもので和みますが、乾期は焼き畑やら何やらで空気そのものが透明ではなく、遠望は効かない可能性が大です。電化区間の当面の終点であるパルンパンジャンの次、チレジット駅手前にあるきつい逆S字カーブの築堤からの眺めは絶品で、早くここにも日本中古冷房車が来ないかな~と思った次第。バンテン州都・ランカスビトゥンはちょっとした高原の街で、そのジャカルタ寄り手前ではそれなりの急勾配や少々乾いた雰囲気の山野が広がっています。ランカスビトゥンから先、ジャンブ・バル駅の周辺は一面に本当に美しい水田が広がっているほか、確かチャタン~チクサル間では椰子の森と水田を見下ろす築堤大展望の絶景を楽しめました♪
 スルポンから先の電化・複線化工事の状況につきましては、以下のような感じ。
(1) スルポンの西、チサダネ川の新コンクリート複線橋がほぼ形になっています。
(2) 現・冷房電車区間で最も鄙びたチチャユル駅では複線+高床ホーム建設中。
(3) 現・冷房電車終点であるパルンパンジャン駅は2面4線化完成。
(4) パルンパンジャン~マジャ間の架線柱は大方立ち終わるも、架線は架設中。
(5) スルポン~マジャ間の線増分はチンタラと整地中。
(6) 当面計画された電化区間の終点・マジャ駅は、何故ここが?と思うほど田舎。

第三ジャカルタ炎鉄録 (9) デラックス客レ

2011-08-28 00:00:00 | インドネシアの鉄道


【アルゴ・ドゥイパンガ】ソロ・バラパン行……小窓最新型客車+新型郵便車。



【タクサカ】ジョグジャカルタ行……小窓車登場で余った古いアルゴ客車で運転。



【アルゴ・ジャティ】チルボン行……小窓最新型客車+食堂車はバティック柄。



【アルゴ・パラヒャンガン】バンドゥン行……2等車が半数。食堂車消滅 (T_T)。

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 断食明けまでいよいよ秒読み。普段は急発達した航空路や高速バス・自家用車に押されて青息吐息、必死のプロモーション運賃で何とか利用客をつなぎ止めているインドネシア鉄道にとっては、レバラン輸送期間大幅割増運賃を払ってでも快適な冷房デラックス客車(エクセクティフ)で帰省したいという中産層がワンサカと駅に押し寄せて来る書き入れ時でもあります。
 ではどの程度運賃が上がるのかと申しますと……3時間少々乗るジャカルタ~バンドゥン間のエクセクティフ運賃が35,000ルピアから75,000ルピアに! (爆) それでも、日本円に直せば750円程度ということで、ふだん運賃6000~7000ルピアの冷房電車を利用している層にとってはそう大した出費ではないでしょう。ということは……逆にふだんのインドネシア鉄道の出血大サービスぶりが涙ぐましく感じられるわけでして、撮影ついでに通過する列車の側面を眺めてみますと、食堂車の側面に「ジャカルタ~バンドゥン10,000ルピア」「ジャカルタ~スラバヤ100,000ルピア」(恐らくどちらも2等車でしょう) といったプロモーション運賃がデカデカと掲げられているのを眺める度に「大変だなぁ……」と同情を禁じ得ません (-_-;)。
 というわけで、実はレバラン期間運賃こそが正規運賃なのかも知れませんが、とにかくこの期間は1・2等優等列車の増発や増結を重ねることで、インドネシア鉄道としては年間の大半の収入を得ているのではないか?とすら思えるほど (ちょっとオーバーな表現でしょうか ^^;)。
 そんなインドネシア鉄道の優等デラックス客車、さすがに最近の高度成長をうけて、サービス改善のための設備投資=客車の新造が相次いでいるようでして、一年ぶりに訪れてみると (1) 小窓の最新客車の急増。[小窓化は一見するとサービス低下に見えますが、年々ひどくなる投石対策なのではないかと予想……-_-;] (2) それを受けて、大窓でやや古いアルゴ客車による非アルゴ・エクセクティフ客車[車体下部がブルー]の置き換え進行。 (3)余った非アルゴ・エクセクティフ客車は多分地方路線の優等列車に転出 (4) 優等列車連結用郵便荷物車の最新型化……といった変化が明らかに見て取れます。マンガライで何気なく電車を撮っていますと、ガンビール始発の優等列車もいつの間にか撮り貯まって行きますが、一見すると同じように見える優等列車も実は列車ごとに構成が異なり、かつ昨年と比べて微細な違いがあることに気づきますので、なかなかどうして油断できない存在です (笑)。
 ちなみに、これらの列車はマンガライを高速で通過して行きますが、通過時に使用される3・4番線を跨ぐ構内踏切には遮断機も警報機もなし (爆)。もっぱら駅構内のアナウンスが頼りです。「ジャルール・ティガorウンパッ、クレタ・ランスン! (3or4番線、通過列車!)」という放送程度は聞き取れるようにするのは、撮り鉄中の安全のために欠かせないと言えましょう……(汗)。

第三ジャカルタ炎鉄録 (8) エコノミー客レ

2011-08-27 09:29:00 | インドネシアの鉄道


 イスラーム暦の一年で最も目出度い一日であるレバラン(断食明け。アラビア語でイード・アル・フィトル)まであと2日(たぶん。正式には月の満ち欠け具合を高位ウラマーが判定して決定されるそうです)。そこで、ジャカルタ市内のバザールやショッピングモールでは、日本の年末商戦と同様の凄まじい売った買ったの阿鼻叫喚で盛り上がっているようですが、それ以上に混沌の度合いを極めているのが鉄道駅……。今朝のネット版『じゃかるた新聞』を見ておりますと、山のような荷物を担いだ帰省客がパサール・スネン駅のホームにあふれ、到着した非冷房エコノミー客車列車に我先に乗り込もうと壮絶な押しくら饅頭が展開されているという……。パサール・スネン駅の日常はといえば、古風な上屋に覆われた、ピカピカな石張りの広々としたホームに、長旅を控えた客が三々五々腰を下ろしてまったりしているというものですので、いや~余りの雰囲気の違いにはネット越しでも仰天 (^^;)。
 まぁ、むかし中国でバックパッカーをやり、緑皮車・硬座・長時間という三重苦揃った旅を何度もしたことがある立場からみますと、ドアに殺到する客の気持ちが分からなくもありません。たとえ自分の席が指定されているとしても、網棚の面積は極めて限られていますので、もし網棚をゲット出来なければ列車が進むごとに汚れて行く床に自分の荷物を置かなければならないという……。



 それでも、客レは腐っても客レ。たとえ乗降時にはカヲスな光景が展開されても、いざ列車が走り出してしまえば心地良いジョイント音とブレーキの作動音が子守歌になり、まぁ何とかなってしまうものです (笑)。そしてインドネシアの非冷房客車について申しますと、たとえ車体デザインがビミョーに異なり、「何でこんなにマスキングが面倒な塗装にするのだろうか?」と思える派手目な塗装であろうとも、1067mm軌間のレールの上を20m車体が走るということで、日本や台湾の旧型客車に通じる親しみをどうしても禁じ得ないものであります……(*^^*)。
 というわけで、今日はそんなインドネシアの非冷房・ボックスシート客車をアップしてみましょう。いずれも滞在最終日に東線にて撮影したものですが、1枚目は中部ジャワのテガルから来た急行「テガル・アルム」がジャカルタ・コタへラストスパートするシーン。食堂車兼電源車を組み込んだ堂々たる長大編成です……。2枚目はバンテン州都・ランカスビトゥンから来た客車鈍行が終点のパサール・スネンへ向かうシーン。3両目の塗装が異なりますが、これはここ数年以内に製造された改良版エコノミー客車でして、通常はタナ・アバンとランカスビトゥンの間を速達する急行「バンテン・エクスプレス」に使用されています。しかしこの日は何故か1両が鈍行に組み込まれ……乗り合わせた人はラッキーなこと間違いなし (?!)。もっとも、日本でいう「グリーン車格下げor開放車」ほどデラックスであるわけではなく、単に車内が明るくキレイであるかどうかの違いでしかありません (笑)。
 今回の滞在では、是非エコノミー電車だけではなく、こんなエコノミー客車の旅を体験してみたい……と思いまして、あるスペシャルな旅に出かけたのですが……ある意味で極めて凄惨な (笑) その模様につきましてはまた改めて……(^^;