地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

危機迫る瀬戸線オリジナル車 (3) 6650系!

2008-08-31 09:28:05 | 都市民鉄 (中京圏)


 喜多山滞在可能時間が30分少々と非常に限られていた瀬戸線での出張撮り鉄も、そろそろ電車に乗らなければ用務先10時のアポに間に合わない……しかし大曽根で栄町行きとして見かけた一番のお目当てが未だ戻って来ない……ということで次第に焦り始めたのですが、いやーラッキー! 無事ギリギリのタイミングでやって来ました! 瀬戸線釣掛式電車の中の少数派・6650系 (6750系1次車) です!
 一見何の変哲もない6000系顔に、6500系と同じタイプの一つ目LED標識灯、6600系よりも角が目立つ田の字ユニット窓、そして金属の塊のようなFS-16台車……。何もかもが寄せ集めの半端者っぽく、そこがまた哀愁を誘っているのが6650系の奥深い魅力だと思います (*^^*)。
 それにしても……1980年代半ばの登場当初は、RP誌名鉄特集をはじめ各方面で、この電車は6650系と呼称されていたはずなのですが、何故いつの間にか6750系1次車と呼ぶのが通例になってしまったのか……その間には私自身の非鉄期間も挟まっているだけに、非常に不思議なものがあります (^^;)。6650系と同性能ながらも全くデザインが異なる6750系が瀬戸線釣掛のメインとなった結果、少数が多数に従うかたちで6750系1次車と呼ぶようになったのかも知れませんが、ならば6750系を「6650系2次車」と呼んでも良かったわけで、う~んナゾは深まります (笑)。



 ともあれ、80年代に名鉄AL車にハマった私の名鉄に関する基礎知識は、概ね80年代のそれでとどまっておりますので (イマドキの3000番台の車両のことなんてよくわかんな~い。爆)、ここでは6650系と呼称させて頂きます (^^; 6750系とのデザイン上の違いも分けることが出来ますし)。そんな6650系……鉄活動の道に復活して瀬戸線をたびたび訪れるようになっても、いつも喜多山の栄町寄り側線で寝ているばかりでしたので (T_T)、4000系登場に伴い先行きに黄信号が点っている中、こうして申し訳ながらも走行シーンを撮影できて一安心 (^^)。同じ3850・3900系の車体更新車である小牧線の3300系が呆気なく車齢10数年で廃車になったのと同じく、6650系も間もなく廃車解体の道をたどることになるのでしょうが、最後の最後まで安全運行で有終の美を飾って欲しいものです……。
 6650系が尾張旭へ向けて発車して行くのを見送った後は、すぐにやって来た6750系の栄町行 (^O^) に乗って用務先へ。昼にご馳走になった地下鉄浄心駅近くの「ひつまぶし」は、うなぎが舌の上でとろけるような感覚の絶品で、かなりヤバかった……(笑)。電車も食べ物も手頃な値段で美味しい名古屋の伝統は、名鉄で怒濤のように進む新旧交代劇のために揺らいでいる……というのが個人的な印象なのですが (^^;)、せめて瀬戸線の釣掛は一日も長く残って欲しいと思いつつ、5月末の名鉄シリーズを締めることにします。
 しかし、名古屋出張ついで鉄はまだまだネタが……。続きは改めて (^^;

消え行く京王6000系・地上専用車の活躍

2008-08-30 10:06:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 最近あまり撮り鉄する時間がなく、すっかり出張撮り鉄の際の記録がメインとなっている当ブログ。そんなわけで、首都圏に住んでいるのに首都圏をめぐる新ネタがメチャ少なくなってしまいました。たまの休みに近場でも……と思うと、ここのところの異常な天候不順で出かける気も削がれまくり……(-_-;)。
 というわけで、久しぶりの関東私鉄ネタとしまして (^^;)、6000つながりで京王6000系と参りましょう。今年の上半期、相模原線沿線に毎週通ったついでに撮り貯めたままアップしそびれていたカットがそれなりに (?) ありますので……。
 周知の通り、調布駅周辺の立体化工事を除けばめぼしい大規模輸送力増強プロジェクトが終了している京王は、車両の新造に経営資源を回す余力がそれなりにあることから、2010年までの全車VVVF化をブチ上げているわけですが、まぁこれも京王が最近しきりに強調している「選ばれる沿線づくり」のためにも必要なことなのでしょう。傍目には、化粧板が濃い色で昭和の残り香が漂う6000系に乗るよりも、明るい機能美と高性能が組み合わさった9000系がジャンジャンやって来る方が良いわけで……(その9000系、小田急に下さい。鬱)。そこで都営新宿線対応の9030系がここのところ大量に新造され、直通急行があっという間に9030系主体となってしまいました。相模原線沿線での用務が始まった頃は、「6000エクスプレス万歳!」と叫ぶ機会も結構多かったはずなのですが……ほんの僅かなあいだに「余程待たないと当たらない」存在になるとは (泣)。



 というわけで、春頃に我が身を襲った超激務から解放されて、5月末頃にようやく用務先お出かけついで鉄をする余裕が出来た頃には、折角の相模原線だというのに6000系急行をなかなか撮影できないという事態となってしまいました (号泣)。そこで、主な撮影対象は自ずと地上専用車へと向かうことに……(^^;)。6000系はついこの間まで地上運用車よりも都営新宿線対応の30番台の方が多かったはずで、個人的には「地上専用車はレアだ」と思っていたのですが、オールマイティーなはずの30番台から先に引退を余儀なくされているのは、恐らく関連機器を9030系に譲る都合もあるのでしょうか (すみません、京王は余り詳しい知識がないもので ^^;)。あたかも東武30000系の大部分が50050系に機器を譲って地上専用に転じたように……。
 ただ、地上専用車を撮り貯めたとは申しましても、とにかく元のタマ数が少ないため、運と忍耐が必要であることには変わりません。そんな中、個人的な都合とかみ合ってくれて気に入っているのは、若葉台の出入庫がからむ運用です。ラッシュ&大学生の登校輸送を終えた8連が11時前に橋本発若葉台行として到着し、しばらく4番線で待機した後、再び多摩センターまで回送されて快速新宿行になるという……。若葉台では午前中、常に複雑な入換・運用調整が行われていますが、そこに6000系地上車がからんでくれることで、後追いも含めて割と効率良く撮影出来たというわけです (^^)。とくに、渡り線を行くクネクネシーン (1枚目) と、後追いながら一面の緑バックを行くシーン (2枚目) は「如何にも若葉台だなぁ」という感じで気に入っています (*^^*)。
 しかし、6000系地上車8連の運用は9000系8連で来ることもしばしばですので、決して当てにされませんように (苦笑)。その後、6000系だと当たりをつけていた京王八王子行の普通列車を長沼で撮影しようと待ち構えていたところ、やって来たのは9000系……しかもその後1時間半待ち続けてもついに1本も6000系が来なかったという信じ難い事態にも遭遇していますので……(号泣)。三十路の私にとって、京王といえば6000系 (そして今はなき5000系) というイメージが極めて強いのですが、そんな固定観念がボロボロに崩壊して行ったひとときでした……。

西鉄ラッシュ輸送を撮る (3) 6000形

2008-08-28 13:47:56 | 都市民鉄 (近畿以西)


 先日登場した元西鉄の広電3000形つながりで、西鉄シリーズの続きと参りましょう (^^;)。5000形と並ぶ西鉄通勤車の主力といえば6000形。2年前の福岡出張の際にも、19m4扉という、20m車と比べて心なしかドアの間隔が狭い車体をフルに活かして、朝のラッシュピーク時に天神に到着する運用に集中的に入っておりました。7両編成の場合、京阪5000系ほどではありませんが、ドアがズラ~ッと並んでいる光景は結構壮観で、九州に余り縁のない関東人間である私でも、さすが福岡は大都会だ……と認識を新たにさせられます。
 この電車、正面は5000形のスタイルを踏襲していますが、側面は2段窓ではないので、イマイチ面白みがないなぁ……と思ったものです (^^;)。しかし、他の私鉄では一段下降窓車すら次々に廃車となっている現状を考えれば、こんな電車が1990年代に入ってから、しかも抵抗制御で (!!) 製造されたこと自体を大いにありがたいことだと思わなければならないでしょう……。
 ちなみに、600・700形が天神大牟田線系統から消えてしまった今では、前パンは6000形の3連とワンマン用の新型車7000・7050形にのみ見られるものですが、甘木~大牟田間がメインの7000系列は余り天神まで顔を出さず、天神口の大部分の列車は前パンではないものと相場が決まっています。そこで、時折6000形の前パン車が現れると、フレーミングを変えるのに結構焦ります (^^;



 いっぽうこちらはVVVFの6050形。抵抗制御の6000形を製造し始めて僅か2年後にはVVVFに移行し、他の大手私鉄で見られるような界磁チョッパの通勤車が存在しないというところが何とも興味深い (不思議な?) ところです。6000形そのものが90年代の作品ですので、最初からVVVFで製造すれば良かったのに……と思うのですが (^^;;)。
 それよりも、この6000系列で注目したいのは、平日朝ラッシュの終わり頃に下り3本だけ設定されている「直行」列車です! 天神から筑紫へ入庫する列車が、回送ではなくとりあえず客扱いもするということで、途中駅の利用はほとんど考慮されておらず、薬院を発車したら次は終点の二日市! これが京急でしたら、最初から短距離鈍行快特or特急という設定になりそうですが (運用番号の都合とはいえ、堀ノ内発浦賀行、久里浜発堀ノ内行、所要時間はどちらも6分、しかも各駅停車の「特急」なんて、インチキそのもの……^^;;;)、西鉄の場合は途中ちゃんと停まらないうえ、1日3本だけの列車にわざわざ「直行」という凛々しい種別名がつけられているあたり、う~ん何ともシブい話です (*^^*)。
 そんな西鉄、この秋には何やらかつての特急車・1000形の鉄コレが出るらしいですが (マジ欲しい!)、いずれは5000・6000形といった地味~な通勤車の模型も出て欲しいものです。
 というわけで、約2年にわたってお届けしてきた (汗) 福岡出張鉄シリーズをお楽しみ頂き、誠にありがとうございました……m(_ _)m

東急8000系を作る (キット初挑戦)

2008-08-27 00:50:41 | 超へっぽこ模型製作


 思い起こしてみれば去年の今頃……。これまで撮り鉄一辺倒で、模型には全く手を出すヒマも金もなかった私ですが、旧型電車ファンとして「鉄道コレクション」の存在がどうしても気になってしまい、ついに御買い上げ……。そこで、どんどん深みにハマることになったのでした (爆)。

*鉄コレだけじゃなくてもっとリアルな模型も欲しい♪
 →たまるたまるよ模型セットの箱の山……(爆)。
*忙しすぎる→金の入りは増えたけど撮り鉄遠征するヒマがない (泣)。
 →ストレス解消でさらに購入 (^^;
*最寄り駅のすぐそばに、こんなに良い模型屋があったんだ……。
 →帰り道にフラフラと (汗)。
*増えたのを積んだままにするのも何なので、もうすぐ6歳の甥っ子と遊ぼうか。
 →「うほっ、リアルすぎ♪」
  「おじちゃん、カッコ良い!」→さらに調子に乗る。
*「んじゃ~鉄コレも動力化してみようか」
 →ちょっとパーツを変えるだけで全くの別物! 
*では東急7000系の鉄コレも……うおぉぉっ! 気分は東横線! (超爆)
*こうなったら東急8000系も是非……。完全引退も記念して……。
 →でも完成品はなくGMの塗装済み板キットだけ。

……というわけで、ついに泥沼入りの覚悟を決めて (?) 板キット製作デヴューと相成ったのですが、いきなり板キットを組むところから始めるのは無謀なのかも (^^;)。とりあえず、車体を組む作業だけでヘロヘロに疲れました……。なにせ、生まれてこのかた、鉄道模型以外も含めて模型を作ったことがなかったもので……(滝汗)。果たして一体いつ完成するやら。2008年の引退を記念して、今年中に落成するのが目標ですが、現在のところ車番シール貼りとクリヤコート吹きつけを終え、窓貼りで呻吟中……。何で一体型窓パーツじゃないんだぁっ! (爆)



 いっぽう、東武ファンとしてこんなキットも購入 (^^)。こちらは塗装済みの一体成形ボディキットで、東急8000系に比べればはるかにラクそうですので、先にこちらから手をつければ良さそうなものですが、それでも東急8000系から手をつけてしまったのは、個人的な鉄道趣味の原点が東横線8000系だったのと同じく、記念すべき模型第一作 (ま、下手っぴにつきあくまで習作ですが ^^;) もやはり東急8000系にしたい……という思いによるものです。はい (^^;
 ……え? 当ブログには下手な模型の記事は全く期待されていない方がほとんど?……いやはや、本当につまらない記事で恐れ入ります (^^;)。
 ただ、いずれは是非妄想の中の電車として、

*半鋼製車の車体にクーラーとカルダン駆動台車を組み合わせた車両
 (江ノ電300形的な世界を中型・大型車でも! ^^;)
*現実には存在しない、高度成長時代ボディ+釣掛台車車両
 (たとえば釣掛前パンの東急8500系・京王6000系ボディとか ^^;;)

……な~んてものも作ってみたいですね (爆)。

能勢電100周年初訪問記 (1) 標準マルーン

2008-08-26 11:45:24 | 都市民鉄 (近畿以西)


 先日阪急2300系の話題を取り上げたついでに、2300系の神宝線系統の兄弟である2000&2100系が今も息づく能勢電の話題と参りましょう。既にネット上のいろいろなところで紹介されている通り、能勢電では100周年を記念して旧塗装2種類の期間限定復活と全編成へのHM取り付けを行っており、これまで能勢電には何のかの言って縁がなかった私も、これを機に初訪問を果たしました (^^)。
 訪れたのは6月半ばの広島出張の帰りのこと (もう記事をアップする順番がメチャクチャ ^^;)。京阪で3000系ファイナルとの偶然の出逢いに興奮したあと、大阪モノレールと阪急宝塚線を乗り継いで川西能勢口に着いてみますと……うぉっ何と! 阪急の駅と能勢電の駅が完全に一体化している! (^^;) 
 もちろん、日生エクスプレスが梅田から直通する以上、阪急と能勢電の駅は隣接している必要がありますし、他の多くの乗り入れ駅では複数会社の駅が一体化していることも珍しくない以上、このことは驚くに当たらないのかも知れません。でも……私の脳裏にあった能勢電のイメージといえば、600形などの小型車がゴロゴロしており、さらに国鉄福知山線に連絡するスカ色の小さな電車が走っていた……という時代のもの (滝汗)。そんな世界が広がっていたままであれば、10代の頃絶対に乗りに行っていたはずですが、気が付いてみたら「ちょこっと支線」は消え、阪急1000系の天下となってしまいましたので、結局タッチの差で旬を逃して行かず仕舞い……。もちろん、阪急1000系もいま見れば超魅惑の車両ですので、80・90年代の能勢電を訪れなかったことを後悔しまくりですが、カルダン駆動車というだけで後回しだったからなぁ……(ボソッ)。というわけで、古い雑誌で見た記憶の中の能勢電と、阪急のほぼ完全子会社・実質支線となっている現実の能勢電とのあいだのギャップを、川西能勢口駅で一気に感じてしまったのでした (^^;;



 それはさておき、川西能勢口から1700系の妙見口行に乗っていよいよ発車! 車内はさすが阪急の子会社だけあって極めてよく整備されていますが、コンプレッサーの「ポンポンポン……」という、東武6050系 (非新造車) のそれとよく似た懐かしい音に、間もなく車齢50年を迎える古参車なんだなぁ……という現実を感じます。ちなみに、いろいろと調べて見ると、1500系は当初宝塚線用の低出力車として造られた2100系で、1700系は神戸線メインの2000系だったとか。入線順序の違いで、形式名の数字の大小が逆転したとは……うーん、ややこしい (^^;)。
 それにしても驚くべきは、能勢電がのっけから山岳鉄道ぶり炸裂だったことです……。急勾配・急カーブの連続……。そして一大分譲地やマンション群が続いたかと思うと、トンネルの連続、猪名川の峡谷、のどかな山村の風景……。梅田からさほど時間がかからないからこそ、山がちな沿線が風光明媚な住宅地として開発され、その住民の輸送のために10分間隔を実現しているのでしょうが、もし住宅街がなければ……こりゃ青梅線の山岳区間と良い勝負な険しさでは??と思った次第。そんな能勢電らしさが極まるのは、山下から先の区間! 団地に囲まれた山下駅から僅かに走った笹部駅は「へ?」と思うほどのどかな風景……。一応階段を上ると分譲地があるようですが、山下・畦野駅に出る方が便利ということで利用客ゼロ (汗)。その後は33~40‰を必死に登り、トンネルをくぐると光風台。ここも一大ニュータウンの最寄り駅ながら、谷底につき様子は見えず (^^;)。ときわ台は住宅街の中の停留所で、何となく江ノ電の駅っぽいなぁ……と思ったら、トンネルをまた抜けると完璧な山奥の棚田の風景となって、如何にも参拝&登山のための終着駅という風情の妙見口に到着! 僅か10数㎞でこれほどドラマチックに景色が変わる路線はなかなか乗ったことがありません……。
 ともあれ、前に乗った神戸電鉄といい、今回の能勢電といい……北神・北摂という大都会に隣接した山地だからこそ発達した「都市近郊型私鉄登山電車」という趣きは、関東では味わえないもの。とにかくすごい、のひとことです (^^;)。