地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

フィリピン国鉄203系 (斎藤幹雄様ご撮影)

2019-02-27 12:00:00 | 頂き物画像


 先日発売のRM誌に掲載されている斎藤幹雄様のミャンマー・レールバス取材記事をご紹介しようと思った矢先、その斎藤さんから何とも有り難いことに、今月の連休に訪問されたばかりのフィリピンの画像をお送り頂きまして、しかも当ブログでの掲載を快くお認め下さいましたので、緊急で (?) アップ致します~。
 JREでは今やVVVF化された205系5000番台すら減りつつありますので、201系も203系もいつの間にか過去の車両そのものになってしまったものだと痛感する今日この頃ですが、JRWのウグイス201系はあと半月少々もするとおおさか東線の主力車両として改めて注目を集めることを思うにつけ、結局タマ数が多くない203系の早々とした (?) 日本国内完全引退と地味な存在感は、何ともモヤモヤとするものがあります。
 そんな203系、周知の通りインドネシアとフィリピンに輸出されていますが、インドネシアの203系は何だかんだで良好な (?) 状態を保って現役であるのは、やはりインドネシアの技術力の相対的高さを物語ると言えましょう。これに対し、客車化されたフィリピンの203系の状況につきましては、年々状態が悪化しているのは否めないようです。



 渋滞を嫌って利用客が年々増えるにもかかわらず、車両面では逼迫しているフィリピン国鉄では、以前鳴り物入りで導入されたロテム製DCが、最早2扉3連では到底客を捌ききれず、しかも故障続発で大部分が離脱してしまったそうですが、それに代わって4扉5連ということで混雑緩和の切り札とされた203系も、車載発電機の故障をはじめいろいろと問題が生じ、斎藤さんのお話によりますと、約半数が離脱する中で何とか稼働4編成まで持ち直しているのが現状とのこと……。また、昨年12月には、トゥトゥバンで入換中のDLが203と接触してしまい、当該車はアルミボディがビリッと避けてしまうという不運で廃車となってしまったようです。
 というわけで、203系もINKA製の新型客車が大量に入るまでのつなぎ役で終わる可能性がありますが、現在離脱している編成の発電機やクーラーも何とか復活することで、少しでも長くマニラ都市圏輸送のために奮起して欲しいものです。
 斎藤さんによりますと最大の難点は、203系の離脱が相次いでいることそのものよりも、駅とその周辺での無許可撮影禁止が非常に徹底しており、許可証の発行もかなり条件が厳しくなっているという、撮影環境全般の悪化のようです……。ミンダナオ南部やスールー諸島などのムスリム自治区の話が進展し、テロの可能性って減っているのではなかったでしたっけ……? あるいは、現大統領が就任早々ブチ上げた麻薬マフィアとの全面対決がまだまだ続いており、鉄道インフラの厳戒を一層強める必要が生じているということでしょうか。
 いっぽう、キハ52や関鉄キハ350は総じて良好な状態を保っているようですが、キハ52はボックスシートの一部をロングシート化するなどしているようです。
 何はともあれ、貴重な画像をご提供下さった斎藤様には心よりお礼申し上げます! そのうちどこかの鉄道雑誌に掲載されるであろうレポートを楽しみに待ちたく存じます。


 この並び……「一人撮影会・大フィーバー」と呼ぶべきものですね……(*^^*)。



 
 キハ52の車内現状。何とも大胆にボックスシートを取り払っています (驚)。



 シブい斜光線の中に佇む203系客レ。


夕暮れ色の中を爆走する武蔵野線205系

2019-02-26 00:00:00 | 国鉄型車両


 これまで事業者限定鉄コレは民鉄モノばかりで、国鉄・JRは距離を置いているようなところがありましたが、それがついに打ち破られ、本日からJREの駅ナカコンビニNew Days において、JRE管内の電車先頭車コレクションがブラインド方式で発売されるとのことです。しかし正直……本当に「うっ、マジ?これ欲しい」と思えるのは、長野のスカ色クモユニと新潟の湘南色クモヤだけで、他は全て先頭クハ1両ということでは編成にならないのではないかと……。完全に、先頭車を飾って楽しむだけのコレクション・トイと割り切るしかないのでしょう。しかしそれにしても、山手線田の字205系クハや701系の盛岡色クハが、このように中途半端なかたちでリリースされてしまいますと、山手線にしても盛岡にしても、編成で鉄コレ化してくれ!と思っている多くのヲタは、少なくともさらに数年待たされることになることを考えるにつけ、やっぱり最初から編成で出して頂きたいものですが……。先頭車をお子様にバラまいて将来の鉄模ヲタを増やしたいという目論見なのでしょうが、果たして当たるのか? (そんなお子様にとってはそれこそ「クモユニ?クモヤ?何それ?」でしょうし)。



 それはさておき、こうしてJREが事業者限定鉄コレ化してしまうほど、205系はJRE管内において過去の車両となりつつあり、最後の牙城のひとつである武蔵野線においても結構209系が増えたな……という印象を抱いております。とはいえ、まだそれなりに205系が来るのも事実です。そんな折も折、先日ちょっとした野暮用で浦和近辺を訪れましたので、折角の機会だということで帰りは武蔵野線~府中本町~南武線経由で帰ることにしまして、サクッと一発連写したのち、VVVF+交流モーターといえどもブッ壊れそうな走行音で首都圏の外郭を飛ばしまくる205系を大いに満喫しました。今回鉄コレ化されたのは元山手車ではなくメルヘン顔ではありますが、こんな感じで撮って間もなく鉄コレのニュースも知ったものですので、これも何かの運命か、と思っております。もっとも、編成として揃えるのであれば、KATOからいずれメルヘン顔も出ることでしょうし、果たしてどちらが先にリリースするのでしょうか?
 一方の実車ですが、ジャカルタでは急行電車の廃止以来、最高速度は概ね80~90km/h台と思われ (70~80km/h台でダラダラ流すことが多い)、100km/hを超えることはまずない (もし超えるとしても滅多にお目にかかれない)……という印象です。今なら当たり前のように楽しめる凄絶な走りも、今後もっと209系に置き換えられれば遭遇の確率は下がりますし、完全にジャカルタに輸出された後は過去のものになるでしょう。ヲタが大して集まっていない今こそ、武蔵野線205系を楽しむ最後の旬なのです。
 

べトナム国鉄の客車 (5) 裾絞り冷房軟席

2019-02-24 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 以前、米国と北朝鮮の首脳会談会場がベトナムのダナンではなくハノイであると判明したことで、もしやすると金三胖が将軍様専用列車でハノイまで来る可能性がグッと高まったな……と記したものですが、中朝国境の線路に面したホテル客室が予約を受けなくなった、中国からベトナムに入って最初の駅・ドンダンにて花壇を撤去した、中朝国境からハノイに至る鉄道並行国道に通行止めの時間帯が設定された……そして本当に出発したという慌ただしい動きを伝えるニュースを見るにつけ、自分自身の予知能力の高さに驚いています (笑)。 
 というわけで、ベトナム国鉄のメーターゲージ客車形式写真をちまちまとアップするシリーズの続きとして、今回は裾絞り冷房車の軟席車両です。1枚目の画像は軟臥車のAn11753、2枚目の画像は軟座車のA31412となります。



 窓の間隔が開いた軟臥車の雰囲気は、さすが優雅な感じがしますね……。いっぽう軟座車は、ハノイ~ハイフォン間の機織り急行に組み込まれているものですが、個人的な感想としましては、これがとんだ食わせ物! そもそもボックスシートの硬座車と全く同じ窓割りでリクライニングシートを設けていますので、顔の位置に柱が来るのはよくあることですし、全く集団見合いの固定リクライニングシートということもあり、直前の切符購入で既に進行方向向きの席が埋まっている場合には本当に閉口します。のみならず、備え付けのテレビからやかましく歌謡曲やウリナラドラマの類が流されているのには超トホホ。挙げ句の果てには、各車両の列車員が駅間では涼みに来て大騒ぎしまくりですので、客レの乾いた走行音を楽しみたいなどという幻想は木っ端微塵に打ち砕かれること間違いなしです。最近は路線バスもどんどん冷房付きになりつつあるベトナムですので、ハノイ~ハイフォン間をサクッと移動したい客も率先して1~2両しかない軟座車に集中する傾向があり、軟座が滅茶苦茶混んでいる一方で、数両連結された非冷房硬座はスッカスカという情景も眼にします。
 要は、音鉄な方にはベトナムの冷房車は全く向いていないということなのですが、それでもあの、狂気に満ちた蒸し暑さを考えますと、やっぱり冷房軟座車を選びたくなってしまうもので、難しい問題です (苦笑)。

富士急5000系、本日で引退・保存へ

2019-02-23 00:00:00 | 地方民鉄 (甲信)


 富士急の車両は長年、自社発注車と国鉄JR・小田急・京王からの譲受車が並存していましたが、自社発注車は1980年代に3600形、1990年代に3100形が廃車となって以来、115系の民鉄2扉バージョンとも呼ぶべき5000系が孤軍奮闘する状況が続いてきました。とりわけ中央東線から115系が撤退してからは、いくらトーマス化されてしまったとは言え、古き良き中央線ボックスシートの旅風情を感じさせる車両として貴重な存在でしたが、そんな5000系も早いもので新造から44年、ついに老朽化と、2両では全然足りないほどの外国人観光客激増の波が重なったことで、本日を以て引退することとなりました。険しいカーブと急勾配が続く富士急での車生を全うするということで、本当にお疲れ様でした……。



 富士急公式HPによりますと、今後は再整備のうえ下吉田駅に保存されるとのことですが、果たして1両か、それとも2両か……。標準塗装とトーマス各1両の保存ならベストでしょうが、元165系の2000系も、パノラマ顔のフジサン特急イラスト車が1両保存されているのみですので、まぁトーマスを1両だけでしょうか。それでも、なかなかロケーションが良い下吉田駅にて保存されるだけ幸運であると言えましょう。そして当面の焦点は、2000系との位置関係でしょうか。並びになるのか、縦列か、それとも14系の北側になるのか……。並びであれば結構感動的なのですが、その場合には2000系の位置も少々いじることになるでしょうか。
 そういえば、以前5000系の鉄コレが量販店で塚になっていた頃、余分に買って塗装を剥がし、スカ色を塗ろうと画策していたのですが、全く未完成のまま放置しているのを思い出しました。今般の引退を機に、また手がけてみようかと思うのですが、思うばかりで時間がないのもまた実情です (トホホ)。

第五ヤンゴン熱鉄記 (21) 70年代近車川重客車

2019-02-21 17:02:00 | ミャンマーの鉄道


 本日正式発売となる鉄道雑誌の4月号では、RP誌とRM誌がミャンマーに関する研究記事を載せておりますが (昨日神保町で早売りを買ってしまいました)、このうちRM誌につきましては、いつもお世話になっております斎藤幹雄様によります現存レールバスをめぐる事情が掲載されています。
 いっぽうRP誌につきましては、リンク頂いております『民柄場』の管理人でおられるフ・エータ様によります、日本から戦後ミャンマーに新造車として輸出された車両に関する研究の続編で、とりわけネーウィン政権による「ビルマ式社会主義」が全盛であった1960~1970年代の車両が扱われています。かつてミャンマー軍事政権時代には、鉄道車両の全貌を知ることは到底難しかったところ、近年の民主化・開放の流れの中でミャンマーの鉄道事情へのアクセス可能性が格段に増し、これに加えて戦後長年にわたる日緬両国間の経済援助とそれに伴う輸出車両の概要に関する史料・データが日本国内に残っていますので、こうしたフィールドワークと史料を総合させたうえで、鉄道車両という見地からみた戦後ビルマ・ミャンマー史と日緬関係史が誌面で見事に立ち上がっているのは、さすがミャンマー史研究を志しておられるフ・エータ様らしい業績であると言えましょう。

 

 日本からの中古車両には絶大な注目が集まる一方、日本から新車として輸出された車両につきましては、日本国内で活躍しているわけではないことと、ネット・現地訪問による情報激増を迎える前はヴェールに隠されていたことから、今でもなかなか注目が集まらないものです。現地を訪れると何だかんだで現地オリジナル車にも関心が湧いてしまう者としましては、まさに現地鉄道事情や日本をはじめ外国との関係を物語る存在として、少しは関心が盛り上がると良いかな?と思っております。というわけで、さらに続編・1980年代編にも強く期待したいところです。
 というわけで、今回の記事で触れられていた車両として、1970年代に近車・川重で製造された客車・BDTEZ10400をアップしてみましょう。この客車はその後、ウリナラ大宇 (確か) やミンゲ工場により大量増備されて今日の急行列車の主力をなしていますが、とにかくもミャンマー国鉄主力客車の基礎を作ったという点で記念すべきグループであると言えます。しかし、製造から既に約40年が過ぎ、クリームと茶色の急行塗装ではなく、青と茶色の鈍行塗装となっているのが哀れを誘います。実際、ヤンゴン近郊では、ダゴン大学や東大学へ向かう東郊ルート(トーチャンカレーまでマンダレー本線を走る)の輸送力列車や、チミダイン~ピィ間の鈍行列車で眼にします。
 今回の記事で「なるほど」と思ったのは、これら青茶のBDTEZ10400の車番位置にある (J) という補記が古参車を意味する、という記述です。しかし、個人的に最後に遠征した2017年3月の時点で、1950年代に日本から輸出されたヴィンテージ級客車の車番に (J) が加えられていないのは、逆に「あれ?」と思いました (今は1950年代車にも補記されているのでしょうか)。また、そもそも「J」って一体何の略……? 単に古参であるのなら、OldまたはAgedから取って「O」「A」と補記すれば良いでしょうし、「腐食」「錆びた」ということでしたら、Rustから取って「R」とすれば良いはず……。私の英語力の無さを吐露するかのようで恐縮ですが、あるいはミャンマー語で古参・老朽を意味する単語から取っているのかも知れません。