地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第四ヤンゴン熱鉄記 (24) キハ11緑広告

2017-01-30 12:00:00 | ミャンマーの鉄道


 今月発売の鉄道雑誌におけるもう一つの大型・東南アジアネタ記事といえば、いつもお世話になっております斎藤幹雄様のRM誌ミャンマーネタ!(そしてRP誌も少々) 今回は、すっかり日本中古DCの本数が増えたヤンゴン環状線をフィーチャーされている次第ですが、紹介されている駅は個人的に、撮ったことがあったりなかったり。他にも撮りやすい駅や駅間はいっぱいありますが (笑)、総じて言えば最も無難で安全なところを押さえておられるかと存じます。ただ、とりわけヤンゴン中央駅は、今のところいとも簡単に線路に下りることが出来る中、左右思わぬ方向から列車がヌッと入線して来ますので、くれぐれも記事だけで安易な印象を抱かれないようお気をつけ下さい……。



 それはさておき、今回のRM誌斎藤さん記事を拝見していますと、昨年10月現在の環状線編成表が掲載されており、元JRC編成はキハ40系列東海色1本、キハ40系列国鉄ツートン&ラッピング1本、キハ11×2本となっていますが、昨年3月時点ではキハ40系列東海色×3本、キハ11×2本であったことからして、車両の転配は依然として活発であることが分かります。仙台色が増え、オール東海キハ48編成はバゴー行きの13・14レにコンパートされ、キハ47×2両は休車や予備車に回り……。
 そして今後いっそうJREのキハ40系列廃車が進むにつれ、いつの間にか下窓が開かない東海車がヤンゴン環状線から消え、ボックスシート車は地方の急行運用の主力となり、キハ11は支線等の主力となって行く可能性が高いのでは?と空想・妄想する今日この頃です。そう考えますと、日本時代には滅多に見られなかったキハ11の5連が当然のように環状線運用に入るというシーンは、意外と短期間の貴重なシーンで終わるのかも知れません。また、この編成は撮影時冷房を使用しているため、全ての窓が閉まった状態ですが、それも昨年5月を最後に歴史の彼方の光景となりました。まぁ今後もスコール中は全閉になるでしょうが、撮っている場合ではないでしょう (笑)。

第八ジャカルタ炎鉄録 (18) 東急8003F

2017-01-29 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 今月発売の鉄道雑誌は、いつもお世話になっております方々が執筆された東南アジアネタが複数誌に大きな扱いで掲載されており、既にご覧になった方も多いことでしょう。そして同時に、日本国内の鉄道の話題が国鉄消滅30年と車両の共通規格化、長距離列車の激減等によって寂しくなり、反比例して海外鉄の比重が増大するという現象を改めてひしひしと感じる今日この頃です。
 このうち、RP誌・東急8000系列特集の一環として掲載されたKucing様の記事は、まさに東急8000系列命!という御覚悟で数年来密着取材されて初めて作成しうる内容であり、とりわけ2010年にKAI標準青黄カラーが採用される前の素晴らしきカラバリ百花繚乱状態の記録は、訪れるファンが今ほど多くなかったこともあって、極めて貴重なものであろうかと存じます♪



 2009年に初めて訪れて、マンガライ駅の片隅で初めてKucing様とお会いした私にとりましても、2008~2009年頃こそ最も、ジャカルタの東急8000系列が輝いていた時代だった!と懐かしい気持ちにならずにはいられません。当時はほとんど予備車なし・連日連夜の超酷使で、車体は埃にまみれてしばしば窓も割れ、満身創痍という表現通りではありましたが、それでも当時最も故障しにくく使い勝手も良い冷房車として、全11編成が八面六臂の大活躍をしていたものです……。急行に乗れば、ジャカルタ・コタ~ボゴール間が本当に1時間で着いてしまいましたし……(遠い目)。
 しかしそんな時代も7~8年前となり、もともと日本を離れた時点でも車齢30年を遥かに超えていた東急8000系列は、ここに来て廃車が相次いでいるところです。とはいえパクアン急行様のブログを拝見するにつけ、依然として残存車の検査入場は続いており、いずれ中国中車製 (?) の新車が大量に入って来るまでは、残り7編成が活躍を続けてくれることでしょう。ウワサの12連化計画や、さらなる部品取りの影響で、本数が減ってしまう可能性は勿論ありますが……。
 そして最近思わずニヤリとしてしまったのが、サハ8924とデハ8249の車番差し替え! 8607Fのうち不調になったサハ8924を廃車とする代わりに、新8039Fに組み込まれていたデハ8249を抜き出して、サハ代用として改番してしまったという……(^^;;)。差し替え改番は既に何度も前例がありますので驚きませんが、SIV搭載デハでサハ8900の代わりにするというのが……(笑)。
 というわけで、RP誌におけるKucing様の記事掲載、ならびに珍顛末で8000系が1両生き延びたことを記念しまして、8003Fの画像をアップしておきたく存じます (8607Fは訪問した8月中旬当時長期の不調でしたので画像はありません)。この編成、今回の訪問時には最も頻繁に姿を現してくれた編成の一つでして、激増した205系と比べればさすがに古さは否めず、走りも心なしか「お疲れ気味か……?」と思えたものの、とにかくいつまでも頑張って欲しいものです。
 そういえば、8003Fと新8007Fのどちらか忘れましたが、4号車か5号車あたりに乗ったところ、メトロ6000の電機子チョッパ変調音と同じような音が聞こえて来たという……。幻聴でしょうか? (^_^;)

沖縄のバス探訪記 (1) 琉球バス日野新車

2017-01-24 12:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 先日、1泊2日のトホホな日程で沖縄まで出張してきたのですが、かれこれ12年4ヶ月ぶりの訪問となってしまいましたので (滝汗)、何とか半日ほど、撮りバスしながら名所をめぐる時間を確保しました。しかしまぁ、これだけ御無沙汰になってしまいますと、いろいろと変わるものは変わるようです。とりわけ吃驚したのは、中古ではなく新車が続々と入っていること……。まぁ730だって当時は一斉新車投入だったわけですから、ここに来て直接新車が続々と入っているのは御同慶の限りなのかも知れません。



 しかしまぁ……琉球バス交通の日野ブルーリボン新車が、あろうことか那覇と名護を結ぶ基幹長距離路線である20・120系統に入っているのは萎え……。前の訪問では、この路線は当然のように1ドアの観光バスタイプが入っていましたので、何だかなぁ~という気分です。まさか、この路線は大型スーツケースを転がす外国人旅行者の乗り降りが頻繁なため、ノンステップの2ドア車にしました、ということだったりすればトホホ……。
 そして、最も衝撃を受けたのは……那覇バスターミナル全面改築中!! あわわわ……ここで大量に待機しているバスをジャンジャン撮りまくる目論見が……(号泣)。確かに、旧バスターミナルは10年前の時点でも相当ボロかったのは否めず、新バスターミナルは新たなランドマークとして非常に立派なものになるようですが、これまでのように青空の下バスがズラリと並ぶ光景は過去のものとなってしまいました……。
 またこれに伴って、さらには国際通りにおける歩行者天国の実施もあって、久茂地 (県庁前)~バスターミナル界隈におけるバスの動きが読み切れないのが困りました (-_-;)。従来であれば、久茂地経由と開南経由とでバスの流れは明確に分かれ、撮影のために待ち構える場所も明快だったような……。

中国むかしは良かった (2) 撫順の電車

2017-01-22 00:00:00 | 中国の鉄道


 つい最近、某ホテルの部屋に備え付けの雑誌や書籍をめぐる問題が沸騰しているようですが、そもそもこのホテルがこういうことをやっているのは今に始まったことではなく、某国の人が泊まってもパラパラとめくれば漢字を見れば一発で趣旨が分かるはずで、それがとっくの昔にネットで拡散していても良かったはず。それでも何故か某国の海外旅行記サイトで某ホテルの名前をしばしば見かけ、しかも高く評価しているということは、結局のところ某国からの観光客が主義主張をさておいて某ホテルのサービスを好ましいものと認めて来たか、目の前の冊子の中身には全然興味ないということなのでしょう (それこそが、某国文化の底流に流れるサバサバした実用主義でもあります)。
 したがって、一番圧倒的にお間抜けであるのは、ネットで話題になって慌てて大音量で報道を始めた某国国営新×社通信だということになります。貴方方は党の喉舌という立場にふんぞり返って、数年前にこのホテルの会長が主宰する懸賞論文問題が起こったときにも何も調べなかった結果、自国民がみすみすこのホテルに泊まるのを見過ごしてきたわけですから、一刻も早く×華社通信は解散し、某国で最もメディアとしての責任感に燃える南○報業集団や炎○春秋社にその役目を譲れば宜しい。
 あるいは、とにかく某国では現在猛烈な勢いで外貨が減っていますので、外貨流出防止のため海外旅行にもブレーキをかけようとする中で、キャンペーンのネタとして「反省しない小日本鬼子」と宣っているのかも知れません。まぁ某国外交部のツンデレスポークスマンも含めて、言論は自由です。
 それはさておき個人的にはこの某ホテル、ここ数年は全然利用していないのですが、大浴場があってサービスの質も悪くないと思いますので、決してキライではありません (但し、急拡大路線以後の店舗は、部屋&朝食会場激狭ドケチ路線につきノーサンキューです。あと、部屋に入ったら社長の顔の表紙をひっくり返すのがお約束ですが)。そしてこのホテル、どう考えても国鉄遊休地に早くから目を付けていた節があり、急拡大路線の前にそういう土地に建てられた店舗は、そこそこ値段相応で納得の広さ+超特選トレインビューであったりしますので、「またこの街を訪れた際には再利用したいなぁ~」と思ったりします。では、一番オススメのところは何処かって?……大都市ではないのですが、競争率が上がってしまうかも知れませんので、安易にはお教えするわけには行きません (笑)。



 をっと、何の話をしているのやら (以上に関するコメントは御遠慮下さい)……先日関西を訪れたついでに片町線完乗を目指して207系に揺られつつ、スマフォでネットニュース記事を見ていたところ、そんなことをつらつらと思ったということです (^^;)。
 そして徳庵の近畿車輛前を通過する際、非常に分かりやすい位置に、どう考えても香港の東鐵線または西鐵線向けとしか言い様のない新車が留置されているのを目撃したのですが、果たしてその目的は増発なのか、それとも東鐵線釣掛の置き換え用だったりするのでしょうか。
 そこで近車の公式HPを見てみますと、2015年夏から既に6編成が落成しているということで (とりわけ昨年末はまとめて2編成が落成)、これはどうやら釣掛置き換えか……? 気がついてみれば香港も約6年御無沙汰ですので、「また香港にどうぞ♪」というメッセージだったのかも知れません。
 そんな香港の電車、地下鉄用車両は最近中国中車製の車両が続々増えているようですが、もともと英国製や日本(近車)製を長らく使ってきた東鐵・西鐵線用の車両は、改めて近車で作らせているということで、「これほど中国中車の製造実績が増えているのに、香港の九広鉄道系スタッフは《自国》のはずの中車を信用していないのだなぁ~」ということが仄見えてきます。あるいは、一応公開入札にしたところ、最近の中国におけるコスト急増を受けて、意外と日本製車両でも価格競争力が増してきたということなのでしょうか (ドシロートですみません)。あるいは、九広線サイズの5扉大型電車 (23~24m級) は、1980年代初頭に東急車輌から試作車4両だけ輸入した20m4扉車を源流タイプとする (?) 中国中車のスタンダードとは毛色が異なっており、結局近車に作らせるのが技術的にベターということなのでしょうか……?
 否、中国にも20mを超える大型電車の実績はある!ということで、撫順の電車を思い出しました。……とゆーか、これは超ポンコツ通勤客車YZ31に、やっつけマスクと手持ちの電装品をくっつけただけのシロモノで、香港九広線の5扉車とは到底同列に論じ得るものではないですね (^^;
 ただ、本当に遺憾なのは、同じ社会主義計画経済でも、毛沢東中国はソ連や東欧と比べてホントに都市圏の拡大ということに冷淡で、結局この手のオリジナル電車が全国各地の近郊エレクトリーチカとして走りまくる機会が訪れないまま、現実の都市近郊鉄道は地下鉄と一体の存在として今風のデザインで造られているということです。そして撫順の電車は運休が続き……昨年夏の西露天鉱大崩落による車庫流失の危機は何とかなったようですが、まぁ復活することはないのでしょう。
 ちなみに、ネット記事をつらつら見るにつけ、ジテが依然現存しているとのことですが、日本人鉄ヲタ向けに撮影会商売をするよりも、そのうち再整備されて中国鉄道博物館または対外非公開 (愛国主義教育基地としての性格がひときわ強い) の瀋陽鉄道博物館あたりに収蔵されるのかも知れません。でも個人的には、図体ばかりデカいボロ通勤客車・YZ31を電車化したこの車両も、何らかの形で保存されることを願っています。そういえば、ジテと同じく100番台を名乗っている車両は、もしかすると古い編成の下回りを流用してYZ31ボディを載せ、番号は流用したということなのでしょうか? だとしたら、下回りだけは満鉄電車が生きていることになるのかも知れません……。

ベトナム・ハノイのバスを撮る (16年6月)

2017-01-20 12:00:00 | アジア諸国の路線バス


 ロンビエン~トゥーソン間の10番。ザーラム・イェンビエン経由。



 ロンビエン~ノイバイ (空港まで行く?) 間の17番。



 200台の支線にはマウルポス (一種のコミバス) の中古が。



 都心部に入る基幹路線を走る大宇製の3扉車。
 最近、基幹路線では上3枚のようなボロめの車両は来ません。

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 ヤンゴンの路線バスがミャンマー国旗色のウリナラ中古大量導入、そして路線の大幅な整理によって激変を始めた昨今ですが、多すぎる路線の整理統合については、JICAあたりによる旅客流動調査をうけてのものであるとか。この路線整理の結果、郊外からのバスはダウンタウンに入らなくなり、手前のヤンゴン中央駅あたりで乗り換え必須となっているようですが、それは恐らく、昨今のダウンタウンにおける交通渋滞の深刻化を踏まえ、1便あたりの運行時間の乱れが累積するのをなるべく最小限に抑えるためなのでしょう。
 とはいえ、目と鼻の先にランドマークのスーレーパヤーが見えているのにヤンゴン中央駅で下ろされるというのは、利用者サイドからみて「何だかなぁ~」といったところでしょうか。そこで、ヤンゴン中央駅で乗り換えて改めて大渋滞のバスに乗るよりも、いっそのこと駅を横切る陸橋を歩いてダウンタウンに歩いて行く方が速い (暑いけど……) という計算も成り立つわけです。もっとも、ダウンタウンの歩道は狭く、今よりも歩行者が増えたらどうするのか、想像するだけでも恐ろしいですが……。

 ともあれ、今回のヤンゴンにおけるバス大幅改変を見るにつけ、個人的には「これはヤンゴンのハノイ化である」と思いました。そのココロは……
 
(1) 複数の会社が単一のバス・ネットワークを構成し、全路線共通塗装化 (今後ヤンゴンで、広告ラッピングがどのような扱いになるのか分かりませんが)。
(2) 右ハンドル化による規格統合 (新車も中古も現代か大宇?……ヤンゴンの場合は中国製も入るのでしょうが)
(3) 路線の整理による分かりやすさ向上。
(4) 郊外からのバスは都心部の入口にバスターミナルを造って乗り換えさせる。都心部を通過するバスは結節点のバスターミナルが終点で、一部はもう少々外側まで行く。

……といったところではないでしょうか。ハノイもヤンゴンも人口数百万人で、東南アジアでもそこそこな大都会ですので、交通プランも似通いやすいものと思われます。そして究極の目標は、ハノイと全く同様の全車冷房化でしょうが、果たしてそれは何時になることやら……。
 というわけで個人的には、ヤンゴンのバスの日本車カヲス時代 (しかもラッピング無し時代) を見届けて良かった♪と思いつつ、今後も訪れた街のバスシーンについて、鉄ヲタ活動の片手間ながら引き続き記録しておこうと思ったのでした。そこで、昨年6月にマイレージ使用ハロン線客車乗車のためハノイとんぼ返りを敢行したついでに、ザーラムのバスターミナル前で撮影した路線バスをアップしておきます。