地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第五ジャカルタ炎鉄録 (44) 203系マト66

2014-06-11 00:00:00 | 南アジアの鉄道


 ジャカルタの203系は、もちろん記念すべきトップナンバーにして、車番も緑で特異なマト51編成も良いですが、昨年8月の時点において最も「神編成」であったのは、女性専用車ラッピングを纏っていないマト66編成!! この編成が迫って来るのをファインダーの中で追い続けるだけでも、脳内幸福物質がドバドバッ!と放出され (爆)、いまこうして記事化するにつけても「非KKWのKCJ203系サイコー!!」と叫びたい気分です (笑)。



 しかしその後は……ええと、KKWになっていたのでしたっけ? (^^;) まぁKKWでも似合っていないわけではありませんから、既に過去2回の訪問で非KKW姿をこれだけ激写したことを以て足れりとするべきなのかも知れません。 
 それにしても、203系の他の編成もそうですが、折角残っている幕が全く使用されずに白幕のままとなっているのが惜しい……。東急8000系列のように現地幕を入れてくれれば「神の神たるゆえん」も一層パワーアップするように思うのですが、その措置がなされないということは、KCJ関係者における203系への思い入れの相対的な薄さを暗示しているようでもあり、少々気がかりではあります (汗)。

ネパール・ジャナクプル鉄道改軌へ

2011-04-30 19:51:00 | 南アジアの鉄道


 ネパール唯一の鉄道であるジャナクプル鉄道を空振り訪問してから早いもので40日以上が過ぎてしまいましたが (あっという間過ぎ……汗)、とにかく瀕死の状態の線路と留置 (放置?) 車両でありながらも何故か営業が続いているという光景から受けた強烈な印象は今でも鮮明です。
 そんなジャナクプル鉄道、何と訪れた早々に大きな変化が待ち構えているとは! 先日発売となったRJ誌の海外鉄道事情コーナーを立ち読みしていたところ (RP誌を除き、鉄道雑誌は滅多に買わないもので……^^;)、インド政府がネパールに対する援助の一環・国境を挟んだ交通の改善策として、ジャナクプル鉄道の改軌を進めるようです (762mmナローが一気に1676mm広軌に……汗)。



 というわけで、営業運転を一時休止のうえ改軌工事が始まれば、インド側のジャイナガルとジャナクプルの間はそう大した距離ではないことから、工事は恐らくあっという間に終了し、インド国鉄のそれなりに頑丈な車両が盛んに往来するようになることでしょう……。しかもジャナクプルはヒンドゥー教の聖地ですので、祭礼の際にはインド各地から直通列車が走ることになるのでしょうか。さらに、カトマンズからタライ平原に抜ける短絡ハイウェイが現在日本の援助で建設中であり、恐らく2~3年内に完成するようですので (『地球の歩き方』のJICA広告)、将来的にはジャナクプルがインドとカトマンズを結ぶ交通の要衝として一大発展を遂げる可能性もあります。その裏には、現在ネパール左派系政権への接近を図り、青海チベット鉄道のカトマンズ延伸を目指す中国の動きも恐らくあると思われ、何とかインドが中国を牽制しネパールの歓心を買おうとしているのでしょう。かなりキナ臭い雰囲気もありますが、何はともあれ改軌後にこの駅構内がどう変貌することになるのでしょうか。早く見てみたいような、残念なような……。

ネパール・ジャナクプル鉄道空振り訪問記

2011-03-24 13:12:00 | 南アジアの鉄道


 列車が来る気配がないので、とりあえず車庫の方へ・・・



 手前の紺+グレー塗装車は一等車。二等車とのアコモ上の違いは「?」。



 部品取りに供された機関車が放置されていました・・・。



 これらの車両が最後に動いたのは何時なのでしょう……。

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 今回の海外旅で訪れた主な目的地は、ヒマラヤの南麓に細長く広がるネパール。標高8848mのエベレストから、ガンジス川中流~下流域のヒンドゥスタン平原に連なるタライ平原に至るまで国土の標高差は極めて激しく、首都カトマンズと国内各地を結ぶ道路もまだまだ発展途上であることから、傍目には鉄道が存在する余地はないようにも思えます。しかし、首都カトマンズから直線距離で南東約150kmほどの位置にあるインド国境すぐそばの地方都市ジャナクプルには、古くからインド側のジャイナガルとの間 (29km) を結ぶジャナクプル鉄道が存在します。その由縁は恐らく、ジャナクプルという街がインド文学の古典『ラーマーヤナ』にちなんだ聖地であり (主役ラーマ王子がこの地でヒロイン役・シータと結婚したとか)、巡礼輸送を見込んでのものだったのでしょう。そのためもあってか、ジャナクプル鉄道は長年地元出資の (?) 私鉄として存在しており、最近国有化によってネパール国鉄を名乗ってはいるものの、車体をはじめ至るところにもとの社名が残っています。
 とりあえず今回のネパール訪問はカトマンズにのみ滞在し近場の旧跡をめぐるというものだったのですが、順調に名所巡り (仏跡が多く、自ずと息災の祈りに力が入らずにはいられず……) が進んだことから、折角の機会ですので1日を使ってジャナクプル鉄道を訪問しようと思い立ち、国内線の航空券をゲット。カトマンズとの直線距離は近いため、飛行機での移動は奇異に思われるかも知れませんが、二つの街の間にはマハーバーラタ山脈が横たわり、バスでの移動は相当遠回りして1泊2日かかる由……。しかも沿線はマオイストなどのゲリラ活動が盛んで、日本外務省の危険情報でも長時間の (とくに夜行便での) バス移動は避けるよう強く勧告しています。さすがに最近はマオイストも民主化・王制廃止を経て政権の一部に加わっていることから、ゲリラ活動もそれほどでもないのでしょうが、やはり短期の訪問だけに安全第一とならざるを得ません。現在、日本の円借款によってマハーバーラタ山脈越え道路の建設が急ピッチで進められており、『地球の○き方・ネパール編』に載っているJIC○の広告によりますと、完成はあと3年後とか。そのあかつきにはカトマンズ~ジャナクプル間も日帰り圏となるでしょう。
 というわけで、カトマンズを10時半に出る片道25分のプロペラ機に乗る……はずだったのですが、悲しい哉、カトマンズ空港は朝から濃霧のため離発着できず……。狭い盆地の宿命……(そのためもあってか、国際線の離発着は午後から深夜に多数設定)。10時半に出発できていれば、事前に調べた昼11:55発の列車を激写でき、名所を見物したあとで14時過ぎにジャナクプルに着く列車も余裕で撮影可♪と目論んでいたのですが、古くて狭い国内線出発ロビーに諦め顔の乗客がごった返す中、時間が無為に過ぎて行きます……。しかも、10時過ぎに運航が再開されたもののネパールの国内線は少ない機体でやり繰りされており、フライト計画通りに飛ぶ結果として私が乗る便は後回しに……。「13時までに出発しなければ、14時過ぎにジャナクプルに着く列車を撮影できなくなり、現地滞在時間自体が恐ろしく減ることからほとんど行く意味がなくなる……既にチェックインしたもののキャンセルしようか」と思った12時45分過ぎ、ついにジャナクプル行きの出発アナウンスが入り、「何とか14時の列車に間に合ってくれよ!」と念じつつ生まれて初めてプロペラ機の客となったのでした。
 到着したジャナクプル空港は、小規模な軍用空港に毛が生えたようなド田舎の空港で、小さな管制用の建物?と思った建物が実は旅客ターミナルを兼ねているという……。タラップを下りてすぐに空港を出ると、さっそくリクシャーに乗ってひたすら駅へ! リクシャーの運ちゃんにはたっぷり弾んでやっていますので、他のリクシャーを追い抜いて必死に走っているのは分かりますが、如何せん凸凹道の連続でスピードが上がらない……。貧しい地域だけにタクシーが全く走っていないのは仕方がないとして、インドネシアのオジェック (バイクタクシー) が如何に偉大な乗り物かを痛感したのでした。急ぎでなければ、初めて見るインド亜大陸平原部の風景や人々の服装は全てが面白く、途中通った聖地・ジャナキ寺院界隈の雰囲気も濃いぃものがあり、ジャナクプルの街を風雅に楽しむはずだったのですが……。
 そんなこんなで13:55頃にようやくジャナクプルダム駅に到着! 速攻で駅のホームに入り (生活道路同然でフリーパスです)、ホームの先端にてジャイナガル方面から来る列車を「さぁ来い!」と待ち構えたものの……来ない! しかし、冷静になって考えてもみれば「ここは日本ではないし、列車は屋根まで客で鈴なりだけに、途中駅での乗降に時間がかかるのだろう。まぁ時間通りに来るはずもないか。20分くらいは遅れるかな?」……ということで、手短にジャイナガル方の車庫周辺に放置されている車両を撮影してみました。
 しかし……一瞥して痛感させられるのは、車体の激しい荒廃ぶり……。客車の中に入ってみますと、フィリピン国鉄の12系客車並みに床が抜けたり椅子が壊れたりしています。ま、だからこそ運用から外れているのかも知れませんが……。そしてDLは、部品取りに供するべくエンジンや台車を抜かれて放置されている車体が複数見られたものの、状態の良さそうな現役予備機の姿が全くない! 今度は駅を挟んで反対側・ビジャルプラ支線の様子を見に行ってみたところ、そもそも線路自体が土に埋もれており、ここ数年来運行された形跡がない……。その後15時20分頃まで、ジャイナガル方面から帰って来る列車 (14時到着) を待ち続けたものの、結局来ない……。ジャナクプルダム駅のホーム上には山のような荷物とともに列車の到着を待っている客が多数いるのですが、駅の出札口が開く気配もなく……。
 そうこうしているうちに、そろそろ空港に戻らなければ帰りの便のチェックインに間に合わないという時間となり、上客のお帰りを待ち構えていた往路リクシャーの運ちゃん (撮影中も少し離れたところから私の挙動をじっと見つめ、しばしば「もう空港に戻る?」と声をかけてきたので、実に商魂たくましい……) を激励して空港まで帰ったのですが、この僅か1時間20分の駅滞在から見えてきたのは……他の様々なインフラを目にするにつけ痛感されるネパールの困難が、この「国際地方鉄道」においても明らかに現れている、ということでした。ネパールは過去10数年来、マオイストのゲリラ活動による内戦・王制をめぐる大混乱 (前代未聞の宮中乱射事件→生き残りギャネンドラの独裁)・民主化をめぐる緊張と王制廃止……といった激動を経ており、政情が辛うじて安定してきたのはここ2~3年の話。インフラ整備どころではなかったという状況がこの鉄道を青息吐息の状況に追い込んだのでしょう。線路は道床が雨水でえぐれ、よくまぁこれで脱線転覆しないな……という状況であるだけでなく (改善命令を受ける前の銚子電鉄の方がはるかにデラックス)、稼働可能な機関車や客車が激減した結果、一日一往復のビジャルプラ線は休止・廃止となり、メインであるジャナクプル~ジャイナガル間の国際列車も恐らく2往復に減便されているものと想像されます (しまった……駅オフィスで聞いてくるのを忘れた。汗)。そして、細々と走っている列車も、予備機が庫内に見当たらない状況からして……現役機が故障すればその瞬間に運休となる可能性が大きいわけで……。
 ジャナクプルの街と駅のまったりとした雰囲気は大いに気に入りましたので、いずれ是非陸路で (とくに、東進してインドに入国しダージリンの登山鉄道と組み合わせるなどして) 再訪を果たしたいものですが、再訪して激写するのが先か、それとも消滅が先か……。
 そんな四苦八苦のネパールですが、今回の大震災にあたっては、少なくないネパール人がインド・ネパール料理店を東北地方で経営していること、そしてかねてから日本が各種援助を行っていることもあって非常に関心が高く、政府が15名の救援隊を被災地に派遣したほか、私も行く先々で温かい励ましの言葉を頂きました。本当に有り難いことです……。