地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東武周遊2020春 (2) 日光線350系特急

2020-04-27 15:54:00 | 大手民鉄 (東武)


 東武では周知の通り、来たる6月のダイヤ改正を機に、特急しもつけを廃止することになっています。さらに今後、500系の増備やスペーシアのやりくり次第、あるいは客の動向如何で、特急きりふりについても何らかのテコ入れが可能となることでしょう。そこで、果たして350系が6月以降も生き残るのかをめぐって、一部の東武ヲタの間で懸念が広まったのは否めないところでしょう。
 しかしここにきて、武×漢肺炎の蔓延に伴う減便の嵐が東武にも吹き荒れ、去る25日以後、しもつけときりふりは無期限で運休となっています。かくして、350系はこのまま、さよなら行事を一切行わずに廃車となる可能性も……。



 先月の連休には、一応念には念を入れて人混みを避けつつ、東武本線系統を久しぶりに探訪し、その際にはきりふりとしもつけも撮影していたのですが、まさか1ヶ月少々後にはこのような形で350系が幕切れを迎える可能性が高まるとは、予想だにしなかったのも確かです。
 目の前にやって来る車両は全て一期一会の偶然の産物で、1週間後・1ヶ月後・1年後に同じように来るとは限らないのだから、必ず逃さずシャッターを切っておかなければならない、というのは海外鉄の基本中の基本です。まさか国内鉄でも、同じような覚悟をしなければならない時代が来ようとは……。
 350系そのものにつきましては、リクライニングしないのは正直ビミョーなところもありますが、一応適切な角度のシートで座り心地は悪くなく、8000系と同様の静穏でどっしりとした走りは、さすが昭和の名車という趣があります。りょうもう、そして日光線特急と、長年の活躍お疲れ様でした……。

在りし日の小田急RSE20000形 (05年)

2020-04-25 21:10:00 | 大手民鉄 (小田急)


 一応今日から、長い人では12連休となる黄金週間のスタートだそうですが、今年は周知の通りの異常事態のため、何処かに出かけるどころか、そもそも乗り鉄や撮り鉄をすること自体を自粛せざるを得ない有様です。こういう時には、楽しかった日々へ思いを馳せつつ、撮ったきり放置していた過去画像を掘り起こしてレタッチするのがオツというものでしょう。



 というわけで、2005年に撮ったきりであった小田急20000形・RSEです。今年の黄金週間ピークにはロマンスカーが全面運休となってしまいますが、それを思うにつけ、バブル設計でありながらほとんどの活躍はバブル崩壊後となってしまった20000形の小田急現役当時すら、まだ幸せな時代だったのかも知れないなぁ、と思います。江ノ島線には通常入線しなかったため、個人的には縁の薄い形式ではありましたが、たまにホームウェイで江ノ島線に来ることが判明すると、敢えてスーパーシートに乗ったのは懐かしい思い出です。
 富士急8000系は現在、フジサンイラスト状態になってしまっていますが、165系改め2000系が引退前にパノラマエクスプレスアルプス塗装となったのと同じく、8000系も将来の引退前には小田急時代の塗装を復活して下さるものと期待します。それは果たして何年後の話になるでしょうか??


南武支線101系さよなら撮影会 (03年)

2020-04-22 14:10:00 | 国鉄型車両


 そういえばこんなシーンを撮っていたけどブログ記事にはしていない……というカットを掘り起こす企画、お次は2003年12月14日に鶴見駅で開催された、南武支線101系のさよなら撮影会です。当日は確か、乗降自由な臨時電車として鶴見に着いたのち、そのままずっと停車中の姿を撮りたい放題という企画だったと記憶しています。前と後には撮り鉄が集まったことは言うまでもありませんが、当時は101系が南武支線から撤退することは今ほど重大事ではなかったためか、割とまったりと撮影した……はず。



 当日のまったり具合は、こんな感じでいろいろ幕回しが行われたことからも推して知るべし。2010年代の引退で、フツーに電車が出入りする中での幕回しなんてやろうものなら、押すな押すなのパニックで極めて危険につき即中止となるはずですから……。他にも稲城長沼行とか府中本町行とか、南武線の101系が装備していた幕を出していたものです。
 それにしても、南武支線101系が205系に変わってから、あっという間に16年半近くですか……。恐らく数年後には水素電池電車になる可能性が高く、既に南武支線と鶴見線の205系のさよなら撮影シーズンは始まっているとみるべきですが、このご時世ですので、思い立ったらブラリというわけには行かないのは辛いですね (私の場合、最後に電車・バスに乗ってから20日過ぎました)。

よこすか開国祭のスカ色113系 (03年)

2020-04-21 20:02:00 | 国鉄型車両


 武×漢肺炎蔓延に伴い、電車に乗ってどこかに行くのも自粛せざるを得ず自宅に引きこもっていると、お気楽に写真を撮っていた日々のことが無性に恋しくなり、むかし撮った画像を死蔵していた外付けHDを漁ってしまいがちになります。すると……「こんなシーンも撮っていたのか!」という画像が出るわ出るわ (笑)。そこでいくつか、デジ一眼導入から当ブログオープンまでの間に撮ったきり未アップだったシーンをレタッチしてみました。
 まずはこちら、2003年8月に開催された「よこすか開国祭」に協賛して、久々に横須賀まで入線した幕張のスカ色113系です☆



 最近はどのようなのか、余り着目していないのでよく分かりませんが (^^;)、毎年夏に横須賀市で行われるこの祭りに際し、一時期JREが積極的に協賛し、横須賀駅のかつての留置線に目玉車両を並べたり、臨時列車を運転したりといったことがありました。とりわけ2003年には、EF58 61と高崎の旧型客車を観覧に供したほか、記念列車として幕張の113系6連が久々に横須賀まで入線するということでしたので、デジ一眼 (EOS 10D) を導入して間もない私も、「それは良いのぅ」と釣られて出かけてみました。ふだんは余りJR系イベントには寄りつかない私ですが、横須賀は母親の出身地でもあり、横須賀駅+スカ色113系の組み合わせは非常に馴染み深いものでしたので、行かないわけには行かないという……。
 というわけで、炎天下の横須賀駅は、ヲタの人いきれでトホホなことになってしまいましたが、それでも当時はまだまだ国鉄型車両が大量に残っていた時代でしたので、2000年代後半以降の各地で見られるような激しいパニックというわけでもなく、折返しのため長時間停車していたこともあり、まあ幸せなひとときでもありました。

鎌倉街道徒歩鉄録 (9) 小田急町田の踏切

2020-04-18 23:33:00 | 大手民鉄 (小田急)


 南町田駅の西で田園都市線をオーバークロスした鎌倉街道上道は、町田市南部の住宅街を北上したのち、町田天満宮前で横浜線と出会いますが、ここでは撮りづらいので横浜線E233系の画像は省略します (瀬谷で撮った埼京E233をアップ済みですし)。その後は、飲み屋やら雑貨屋やら様々な店が密集する、如何にも町田な繁華街へと突っ込んで行き、JR駅の近くで重要なポイントに到着します。交番を挟んで、左に行くと秩父へ、右に行くと高崎へ……。



 というわけで、折角の機会ですので、鎌倉街道上道の路面をこで右に進みますと、小田急線の折返し線前の踏切に到着します。昔はここで、旧塗装復活2600系の折返しシーンを激写したものですが、まさか、かくも名門な旧街道の踏切だったとは……。画面に入れるなどして、しばし撮り鉄に興じたものの……こういうときに限って新宿行きはやたらと3000で来るという……(苦笑)。その代わり、下りは2000形や1000形を後追いすることが出来ました。
 2000形は、個人的には好きな車両のはずなのですが、いつも江ノ島線内の自宅近所で撮る自分にとっては、乗る・撮るの両面において縁の薄い車両ですので (乗った機会は登場以来20回を超えていない……と思われ。汗)、非常に久しぶりに撮ることで、そのうちちゃんと記録しなければなと思った次第です。恐らくは1000形と同様に機器更新で長寿になると予想していますが……。とはいえ、1000形標準ドア車であっても、なかなか更新に着手されない6連が江ノ島線の常連になったりしていますし、ひょっとすると小田急はワイドドア車でなくても更新しないまま廃車にするのではないか?とすら予想できなくもありません。とにかく、世の中一寸先は闇であり、日常を気がつき次第記録しておくに越したことはないのです。