奥武蔵の深い谷と峰を貫いて秩父谷に至る西武秩父線が、来たる14日・鉄道の日に開業50周年を迎えます。恐らく一般ピープルの皆様は、西武秩父線の起点が吾野であることなど夢にも思わず、飯能で池袋線と西武秩父線に分かれるものだと信じ切っていることでしょうが、西武は敢えて「吾野が起点です!」などと野暮な宣伝を繰り返すことはせず、レッドアローやLa Viewを前面に押し出して、「池袋や所沢からこれに乗れば秩父に行ける」事実を淡々と示しているのは大人の対応と言えましょう (笑)。
なお、西武秩父線の開通により、それまで首都圏と秩父を結ぶメインルートであった東武東上線または高崎線と秩父鉄道を乗り継ぐルートは没落を始め、東武東上線からの「みつみね」「ながとろ」、そして高崎線からの115系臨電はいつしか消えてしまいましたので、秩父鉄道としては相当割を食らったはずですが、今や和解して (?) 西武からの直通列車や企画切符を受け入れて久しいのは周知の通りです。思えば半世紀、いろいろ変わるものです。
そんな西武秩父線を長年最も支えてきたのは何か。一見すると初代と現在のレッドアローに注目が集まるのかも知れませんが、否、何と言っても、山岳路線に対応するために開発された101系の下回りと言えましょう。特急車は現在のNRAに至るまで、そして一般車は新101系や4000系に至るまで、例外なくこれに依拠して走っているわけで、半世紀にわたって一つの技術が一つの路線の根幹をなしてきたことは特筆するべきでしょう。
しかし今や、新101系は基本的に平地をのんびりと走るのみで、NRAも数を減らしつつあります。というわけで、101系の技術が余りにも偉大であることを痛感しながら、その重厚な走り心地に酔うのであれば、今や4000系がベストであると言えましょう。しかも、当面は置き換えの予定が発表されておらず、西武としては急速に廃車となるNRAから部品を拝借しつつ、今後もしばらく鈍足な普通列車で4000系を走らせれば良いと考えているのかも知れません。
これから秋の行楽シーズンで、日中の4000系使用列車はかなり混み合うこともしばしばでしょうが、早朝と午後6時以降はどんなシーズンでも必ず空いているという印象があります(芝桜が咲く季節の土日であっても、大方の観光客は夕方4・5時台の列車で帰ってしまい、午後6時過ぎの飯能行きに乗ったらメッチャ空いていて感激したことあり)。昭和なスタイルのボックスシートを確実に楽しめる列車も随分と減った中、飯能と西武秩父を結ぶ小一時間は、確実に小さな旅心を満たしてくれるはずです。
(2枚目の画像は、先日ハイキングのついでに東吾野駅で撮影したものでスミマセン。……とはいえ、池袋線末端時代からのホーム上屋は、ローカルムードあふれる感じがして良い感じ♪)