地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秩父鉄道旧塗装リバイバル1002F運行開始!

2009-05-30 20:07:00 | 地方民鉄 (秩父)


 深い森、古びた工場、そして旧塗装……嗚呼!影森駅の佳き時代が蘇る!



 熊谷駅8時15分、パン上げ&降雨前の姿。ああ美しや、CTKの飾り文字!



 往路の臨時急行、影森に到着~。留置線に引き上げるシーンを撮影♪



 400mmLズームと重い三脚の威力で、踏切からノートリミング撮影 (^o^

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 既に当ブログでもご紹介しました通り、秩父鉄道では会社創立110周年を記念して、かつて1980年代まで採用されていた小豆ベージュ旧塗装を復活させ、広瀬川原イベントを期にその全貌が明らかにされましたが、その処女運行として国鉄色リバイバルのとき以来恒例となった熊谷=影森間の臨時急行が運行されました!!   貧乏な中学・高校生だった1980年代、半鋼製ニス塗り車内の100系や、小田急から移籍した800、地味~な小豆ベージュツートンをまとって豊かな自然の中を快走する光景に限りなく憧れ、とにもかくにもなけなしの小遣いをはたいて何度も秩父を訪れたものですが、そんな私にとって、これは国鉄色リバイバルをはるかに上回る慶事の中の慶事!! まぁ一応、最近の秩父鉄道におけるイベント列車の常として、正面に大型の円形HMが装着されることが事前に予想され、それではちょっと当時の姿から外れるので邪道ではないか……と思わなくもなかったのですが (^^;)、何はさておきやっぱり目出度いものは目出度く、個人的な聖地・影森駅に小豆ベージュが戻って来る瞬間をこの目で見届けることが重要なはず。また、7000系が2本入線している今日にあっては、小豆ベージュ1002Fが「急行」を表示して走るのは多分これが最初で最後かも知れない……。そう考えれば考えるほど、小豆ベージュ臨時急行の運転は本当に待ち遠しく、折からの雨模様の天気予報もフラットな光線上等! (爆) 通常の撮り鉄用として使っているEOS 40Dに加えて、圧倒的な高画質を誇るEOS 5D MⅡを武器として携え、勇躍熊谷駅に降り立ったのでした。

 とりあえず、小豆ベージュ1002Fがどのようなかたちで熊谷駅に送り込まれるか分からなかったもので、熊谷には朝早い時間に到着し、あわよくば広瀬川原からの送り込みを……と思ったのですが、朝8時過ぎの時点で既に熊谷に留置されており、ちょっとアテが外れて残念~(^^;)。その代わりに広角で撮りまくり、見事なレリーフで再現された「C T K」の飾り文字をしげしげと観察 (*^^*)。まぁ、より厳密に申しますと、「C.T.K.」のピリオドを省略し、その部分がすっぽりと開けた空間になっているのは、いささか画竜点睛を欠くかの感も無きにしも非ずですが (^^;;;)、何はさておき丁寧なネジ留めでこのレリーフが再現されたことを喜びたいと思います♪

 こんな感じで撮ったあとは8:51発の三峰口行きでいざ聖地・影森へ! イエロー1012Fでやって来たというのも幸先が良いな~と思いつつ、デハ1112の車端部に陣取って窓を開け、しっとりと初夏の表情に変わった沿線の緑とMT46サウンドを満喫♪ 途中和銅黒谷で下車してちょこっと撮影し、後続の影森行に乗って2時間前に目指すスポットに到着しました。
 待ち時間のあいだは、次々にやって来る列車 (1000の充当率がやけに高し! また、週末の訪問時としては久々に鉱石列車が走っていました ^o^) を撮影する傍ら、先客の方とのんびり濃いぃ会話。まさかビルマ (ミャンマー) での鉄道撮影事情について詳細なお話を伺えるとは……非常に参考になりました。こんなブログをご覧になっているかは分かりませんが、この場を借りて御礼申し上げます m(_ _)m
 そしていよいよ……臨時急行が影森に到着する12時28分。はるか目線の先に1002Fが姿を現した瞬間……本当に100系や500系がやって来たかのような錯覚が……(*^O^*)。いや~本当に素晴らしい!! その後はお待ちかねの本線上折り返しシーン♪♪ 臨時急行から下車した「鉄」で影森駅ホームがパニックになっているのを尻目に、超速攻連写で編成写真を撮影したのですが、待ちに待ったシーンが目の前に展開されると心臓バクバク (^^;;)。とにかく無我夢中でした (笑)。
 その後は、影森駅ヤードの中央部に留置された1002Fを超望遠撮影! これまでの経験に照らし、手ぶれ補正つきの300mmズーム×1.6倍 (APS-Cサイズセンサー) 手持ち撮影では役不足で、やはり400mm超望遠ズームと重量級の三脚が威力を発揮しました。重くてくたびれますが、苦労した甲斐はありました (^O^)。
 聖地・影森で小豆ベージュ1002Fを愛でる最後の仕上げは、再びヤードから動き始めたところを背景の稜線や工場と組み合わせての撮影♪ (1枚目の画像) 奇しくも屋根が小豆色に枯れ果てた工場の屋根と1002Fはまさにベストマッチでありまして、まさに「これぞ影森!」「これぞ秩父鉄道佳き時代!」と叫びたくなるようなカットとなりました v(^O^)v
 こんな感じで全ての撮影を終えたあとは、臨時急行のデハ1102熊谷方車端部に陣取って窓を開け、熊谷まで約1時間の旅を激賞~~。往路で配付されると予告されていた乗車証明書が余っていたようで、おこぼれに与ることが出来ラッキー♪ 熊谷到着後は、都内でちょいと用事があったのと、既に影森で「お腹一杯」だったことから、留置線引き上げシーンまつりには参加せず、すぐにやって来た草津32号 (土日運転) に乗車し、華麗なるMT46→MT54リレーを楽しみまくったのでした。

 何はともあれ、こうして走り始めた小豆ベージュ1002F、本当に懐かしく素晴らしいの一言です。素晴らしい企画でファンを感動させて下さった秩父鉄道関係者の皆様に厚くお礼申し上げます m(_ _)m 
 これからは、HMを外して「秩父鉄道」表示となったところを撮り貯めるのが楽しみですね~。秋に予定されている黄色茶帯塗装の復活も待たれます。そういえば、今回のイベントは参加者の年齢層が高かったのが印象的でした。沿線で懐かしそうに眺めている方も30代以上が多かったような……。
 
 余談 (?) ですが、デハ1102のベンチレーターが……あれれ?? 一つおきに高さが違っている! (@o@)。もともとこのような仕様でしたっけ……。そこで『と○いん』08年10月号 (秩父鉄道特集) に載っているデハ1102の屋根写真を見ると、確かに違う……。いやはや、今まで気が付かなかったのですが、何のためにこんな改造が加えられているのでしょうか? (汗)
 というわけで、もし今後「鉄道コレクション」でリバイバル小豆ベージュ1002Fが発売されるとすれば、デハ1102のベンチレーターの高さ違いもきちんと再現する必要が生じますね……。金型使い回しが出来ないということで、小豆ベージュ1002Fの発売はハードルが上がりそうな悪寒……(汗)。自分でGMキットを使って作るのも面倒臭そう (笑)。

和歌山界隈電車漫遊 (3) 貴志川線再訪

2009-05-29 10:26:00 | 地方民鉄 (近畿)


 今回の和歌山訪問における最大の目的のひとつは、1987年に訪問して以来22年間ご無沙汰となってしまった貴志川線の再訪でありました。当時はもちろん、南海の名車・1201形を訪ねて戦前製電車の魅力を味わい尽くすためでありましたが、その後大学に入って以来非鉄 (バックパッカー&山屋→でも移動手段は公共交通機関なので、やっていることは余り変わらず。笑) に転じること久し。約10年ぶりに撮り鉄に戻ってみると、1201形の姿は既に無し (当たり前か)。後継として走り始めていた南海新標準塗装の2270形が敵役に思えてしまったのでした (汗)。しかし……釣掛式電車自体が日本から消えつつある中、趣味の重心が直流モーターのカルダン駆動車に移り、とくに高度成長期の関西私鉄車両の味わいに目覚めるにつれ、やっぱり貴志川線も押さえておかねば……という欲求が高まってきました (笑)。
 ちょうどそのようなタイミングで起こったのが貴志川線の存廃問題。多忙でなかなか和歌山まで足を延ばすヒマがない中、和歌山電鐵としての存続が決まり「やれやれ一安心」という気分になりましたが、今度は個人的に深く嫌悪しているミ○ーカ・デザイン (これでもか!と文字やコテコテ装飾を並べているだけで、鉄道車両のデザイン的魅力を損ねているだけとしか思えない……) を導入するということで、「やばい……南海塗装の2270形を撮るチャンスが減る」という不安が……(-_-;)。【※当該デザインを評価する方もおられると思いますが、完全に好みの問題ですので、この点に関する批判・非難を含むコメントはお断りします。悪しからず】



 そこで、如何にして効率良く南海塗装車を記録しておくか……ということで、和歌山電鐵公式HPで公開されているミ○ーカ・デザイン車両の運用とにらめっこしながら、自分の関西訪問の予定と「辛うじて許せる〈いちご電車〉のみ運用に入り、残りの日中2運用は南海塗装車の日」が美味く重なる機会をうかがっていたのですが、何と、3月の関西出張日と阪神なんば線開業日の中日 (19日) がうまく当たった! 午前中は「赤いヤツ」が運用されるものの、昼過ぎに伊太祁曽に引っ込み、午後は南海塗装車2本! \(^O^)/
 というわけで、和歌山・紀勢線での撮影ののち、22年ぶりに貴志川線のホームを踏み、貴志まで約30分間の旅を楽しんだのですが、むかしとそれほど変わらない駅や沿線の雰囲気はやはり懐かしい……のひとこと。
 いっぽう、平日の真っ昼間だというのに、ネコ目当ての客が多いのはいささか仰天します。殺到する客がなで回すためにガラスケースの中に入れられて、ふてくされてそっぽを向いて昼寝……観光客涙目 (笑)。まぁ私はネコには一切興味がないので関係ないのですけど (爆)。ネコや派手な電車で客を引く営業戦略は、当面の客引きとしては功を奏しているのかも知れませんが、やはり長期的にはどんな鉄道会社も普通に電車を走らせて集客出来ることが理想のはず。
 そこで個人的に注目しているのは、JR紀勢線 (和歌山=和歌山市間) と貴志川線の直通計画の始動!です。その当面の目的は、貴志川線沿線から和歌山市中心部へのアクセス向上による両線の路線価値の向上、および衰退している和歌山市街のグランドデザイン再構築にあるようですが、将来計画として南海加太線との直通も考慮されているとか。そこで自ずと、貴志川線の1500V昇圧と20m車化が迫っているわけで、貴志川線は恐らく南海7100系か6300系あたりを導入することになるのでしょうか?? そしてJRは105系を貴志川線に直通させるわけで……105系がのんびりと貴志川線を走るのを楽しみに待ちたいと思います (千代田線から貴志川線へ……いや~103系1000番台というのはスゴい電車です ^^;)。

長野電鉄薫風紀行 (2) 8500系の活躍

2009-05-27 17:14:00 | 地方民鉄 (甲信)


 久しぶりの長電訪問から早いもので2週間以上経ってしまいましたが (汗)、お気に入りカットは多数ありますので、引き続きアップに努めたいと思います~。
 さて、今回の長電訪問では2000系の旧塗装にフィーバーするつもりが、思わずのっけから、走り始めたばかりの8500系非貫通顔T6編成 (8506F) のピカピカな姿にはまってしまったわけですが、3月に同時入線と相成りましたT5編成 (8504F) も元気に活躍を始めていました! T5編成は8624Fの両先頭車にサハを組み込むことによって生まれた編成であり、しかも東急時代のスカートを温存していますので、まさに晩年の8624Fをそのまま短くしただけ……。ということで、東急で現役だった当時何度となく乗った私としては、まさに田都時代の姿で動態保存しているのではないか?!と錯覚しそうになりました (^^;
 それにしても、T6編成もそうでしたが、長電入線後も結局クーラーカバーをピカピカに再塗装せず、単に汚れをなるべく落としただけ……としたのは一体何故??


 
 いっぽう、先に移籍して久しいT1~T4編成ものんびり元気に活躍中♪ 最近は田園都市線8500系のほとんどがスカートつきとなり、8606Fだけが原形を守って孤軍奮闘しているわけですが、長野を訪れさえすれば、幕がLEDに変わっているとはいえ、スカートなしの姿を存分に楽しむことが出来るのはありがたいことです (^O^)。
 そんな8500系の運用ですが、基本的に朝7時台末から8時台に長野に到着する列車において集中的に用いられているようです。既に3500系N編成を2本連結した4連運用が消滅している今日、8500系3連の収容力は最早長野電鉄にとって欠かすことの出来ないものとなっており、権堂~信濃吉田あたりですれ違う8500系の通勤通学列車が見事に満員状態であるのを目にしますと、まさに8500系の本領を発揮しまくりなのだなぁ……と嬉しい気分になりますね (^^)。
 いっぽう昼間は昼間で、超まったりとした車内と、車窓に流れゆく信濃路の春の風景を眺めながら、頻繁なジョイント音も加わった力強いサウンドに酔いしれるという楽しみもあります。今後果たして何本増えるのか未知数ですが(しかも、東急自身が8500系の廃車を当面ストップして続々と検査に通しているため、いつ譲渡候補車が現れるのかも分からず、その譲渡車もかなりの割合で秩父に行くと思われ、長電の取り分はあるのか……と ^^;)、長野の地で安定多数派の地位を固めた8500系の今後を引き続き熱く見守って行きたいものです。

京急久里浜工場で1000形の落日を思う

2009-05-26 01:11:00 | 大手民鉄 (京急)


撮影会場の片隅で「上大岡」を表示して佇む1317F。



「ありがとうギャラリー」1309F、側面には柱が……。



「歴史ギャラリー」1321Fもキレイに編成写真を撮ることは出来ず……。



この日一番うまく決まった1000形の編成写真は、解体中の1325F……。

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 昨日は恒例となった京急久里浜工場の公開イベントがありまして、私も神奈臨での北斗星&キハ183輸出甲種輸送を撮影した後、京急川崎から2100系快特に乗って馳せ参じました。いや~、甲種列車が来るまで延々と待たされたことから、「このまま午後になるまで来ず、久里浜の公開時間が終わってしまったらどうしよう……」とヒヤヒヤさせられたのですが、結果的には無事13時半前に到着~。
 しかし……一番期待していた旧1000形は会場の中で脇役的存在に徹し(やっぱりお子様にとっては新1000や2100がズラリと並んでいる方がうれしいよなぁ……)、京急における旧1000形の時代は静かに、かつ確実に終わりつつあるのか……ということを改めて強く印象づけられずにはいられないのでした……(T_T)。
 「ありがとうギャラリー」「歴史ギャラリー」を屋外で撮りたければ去年来ておけ、と言われそうですが、昨年の今頃は土日もない超多忙が続き、久里浜まで来る余裕は全くなかったのが心から悔やまれます……。
 まぁそれでも、工場内でこれだけ撮れただけでも御の字でしょうか。工場公開にご尽力頂いた京急関係者の皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。m(_ _)m

北海道の星・南国への還らざる旅@川崎港

2009-05-24 17:41:00 | 貨物列車 (神奈臨)


DD5518+キハ183+北斗星24系という神秘的編成が化学工場の谷間を行く。



機回し後、にわかに出現した「港のブルートレイン」。



日本の鉄路を走るのもあと100数十m (公園から超望遠撮影→超トリミング)。



6両中5両がロネ・ロハネという超豪華編成が最後に押し込まれて輸送終了。

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 昨年11月下旬から12月上旬にかけて、JR北海道所属の北斗星用24系客車とキハ183が大挙して川崎貨物駅まで南下し、ビルマ (ミャンマー) に輸出されるはこびとなったことにつきましては、既に雑誌などで報じられているところです。そのうち第1陣の一部は到着後早くも埠頭に輸送されていましたが、その後長らく岸壁での雨ざらし状態が続き、川崎貨物駅のヤードの奥に押し込められた他の車両もいつ埠頭に向かうのか全く目途が立たない状態……。そこで、神奈臨ファンとしては埠頭へのさらなる輸送が一体いつになるのか、そして自分はそれにうまく立ち会うことが出来るのか非常に気になるところでしたが、ついに本日その機会が到来! 
 川崎に来たついでに (^^;)、現在工事が行われている千鳥東線の様子をチェックしてみようと思い (笑) 千鳥町を訪れてみますと、何とあちこちに置き脚立が……。これはとんでもない甲種輸送が設定されているのかも……と思い、時刻も分からず土砂降りの中を延々と待ち続けていたところ (T_T)、いつもの甲種輸送スジ (9201レ) とは全く違う時間に神秘の北海道編成が本当にやって来たではありませんか!! 北の美しい大地を駆け抜けた車両たちが最後に踏みしめることになった日本の鉄路が、異臭漂う重化学工業地帯の谷間であるとは……何とも数奇の限り。しかし、これまでここを通って東南アジア各国へと旅だった車両たちの場合もそうでしたが、日本とは全く異なる世界へと還らぬ旅に出るにあたり、デンジャラスな工場・港湾地帯の雰囲気がある意味で三途の川的雰囲気を醸し出しており、それがまたいっそう別れを印象づけているのかも知れません……。
 というわけで、西群線ヤードでお会いした「あまのじゃく」さんには大変お世話になりました。心より御礼申し上げます m(^^)m
 なお今日の時点では、前回埠頭に送り込まれた24系客車とキハ183はまだ岸壁の脇に並べられた状態でした。それでも今日追加の送り込みが行われたのは、第一陣の船積み予定が恐らく近日中に迫ったためかも知れません。
 それにしても驚くのは……埠頭に長らく放置されていた前回分も含めて、24系客車に占めるロネ・ロハネの比重が異様に高いことです (滝汗)。ビルマ (ミャンマー) は周知の通り、軍政が長らく牛耳る貧困国であり (しかし物産豊富で教育水準もほどほどに高いので、明らかに長年にわたる失政の極みに原因あり)、近所のほどほどに経済発展したタイやインドネシアでもまずないような豪華列車をフツーに走らせても、とても需要があるとは思えない……。外国と外国人をひどく嫌う軍政が、外国人観光客を大々的に誘致するための特別豪華列車を仕立てるとも思えず……(仏教遺跡や大自然の風景など、最高に素晴らしいのですが……)。そもそも、レールの整備状況が悪い鉄道は、いくらハコを良くしても日本や韓国の中古バスがガンガン走っている長距離バス網に勝てるとも思えません (汗)。では、そんな状況の中で何故このような豪華寝台車や特急DCを買うのかを考えてみますと、あくまで予想の域を超えませんが、軍政のせいでムリヤリ空虚な新首都ネーピードーに住む羽目になった多くの軍人や官僚のガス抜きをするため、彼らの親類や友人が多く住む大都会ヤンゴンやマンダレーにこまめに帰る際の快適な輸送手段を用意しませう、ということなのではないかと……(-_-;)。というわけで、恐らく今年の末か来年あたりには走り始める24系客車やキハ183に外国人は乗ることが出来ず、外国人乗車可能な最高ランクの列車は中国・昆河線(雲南省の昆明とベトナムのハノイ[河内]を結ぶため、もとはフランスが造った鉄道。たしか岩盤の崩落で中国領内の路線は昆明近郊を除いてほとんど廃止? 貨物はまだ運行?) からもらってきた「チャイニーズ・トレイン」であり続けるとしたら、もうトホホの限りと言わざるを得ません (-_-;)。 今回輸出される車両が、フツーにヤンゴン=マンダレー間の優等列車に充当されることを願うばかりです……。
 そんな問題も含めて、これらの車両の今後には注目して行きたいと思っています。……というか、RP誌に載っているビルマの日本製DCの話題を読むにつけ、ますますビルマ行きたいよ~状態なのですが、他にもインドネシア初訪問やタイ再訪もしたいしなぁ……時間が……長い休暇が取れねぇだ……(激鬱)。