地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

さよなら、千代田線6000系!

2018-09-29 01:46:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 東京メトロ千代田線に長年君臨してきた6000系は既に相当数を減らし、インドネシアでチョッパ車だけでなくVVVF車も大量に見かけるようになってからは、最早いつ何時完全に千代田線から撤退してもおかしくないと思っておりましたが、とりわけ最近は代々木上原で16000系の30番台半ばの編成を見かけるようになり、いよいよ秒読みか……と痛感していたところでした。そしてついに昨日、大本営発表で、10月5日に定期運用から離脱、その後しばらく土日限定・綾瀬〜霞ヶ関間1往復の特別運転を行い、11月11日を以て引退するとのことです。



 HMつきの特別運転が千代田線内で完結しているのは、乗り入れ先であるJRや小田急でヲタ殺到状況を発生させないためでしょうが、とりわけ代々木上原折返しではなく霞ヶ関折返しとなっているのは、唯一の撮りやすい地上駅である代々木上原での惨事発生を避けるためであろうと思案します。
 いっぽう、特別運転の開始日が10月13日からとなっているのは、10月最初の週末に開催される日比谷ヲタ祭りの来客がなだれ込まないようにしようという深慮遠謀もあるのでしょう。
 個人的には、ジャカルタに行けばそれこそ湯水のように走っていますので、敢えてメトロ6000さよなら関連行事に参戦しようとは思いません。今でも正面スタイルは決して古くは見えない車両が、既に登場から約半世紀を経ていることに深い感慨を覚えつつ、これでまた一つ昭和が遠くなり、平成も終わり行くのか……という思いを新たにしているところです。
 そしてこんな発表が、鉄コレ営団5000系千代田線バージョンの発表と同じ日になされたことの偶然にしみじみ……。都営三田線といいメトロ5000系といい、早くKAI色でもKCJ色でも良いので出して欲しいものです。メトロ6000は……鉄コレになるのか? マイクロとKATOから出たヤツを既に持っていますので、余り増やさなくても良いかな、とは思うのですが。

常磐線の旅2018夏 (3) 原発区間代行バス

2018-09-27 00:12:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 いわきからの快適極まりない651系普通列車の旅があっという間に終わると、当面の中断点である富岡駅に降り立ちますが、駅そのものは新線同様で、とてもここが7年前に津波に飲み込まれて荒廃していたとは思えません。とはいえ、駅の裏にある巨大な (?) 廃棄物処理プラントと、廃炉作業・復興関係者を最大の顧客と見込んだ真新しいホテルの存在が、ここは津波・原発被災地の最前線であることを示しています。
 そんな富岡駅前で、出発直前までしばし昼寝していた、貸切バス会社・浜通り交通に委託した常磐線代行バス (18きっぷで乗車可) を撮影してみました。JRバスと近似の塗り分けが良い感じです……。なお、浪江駅前は富岡駅前と比べて狭いため、撮るなら富岡駅前がお薦めでしょうか。



 その後、私と甥っ子を含めて10名ほどの客を乗せて発車した代行バスは、真新しい建物が目立つ富岡の街をひとしきり進むと帰還困難区域に入りました。除染された道路であっても結構な線量となり、少々道路から外れると未だに凄まじい線量のようですので (日常的な計測データは福島県等のHPでどうぞ)、窓開けは禁止されています。また代行バスの運行当初、車内を撮影するヲタが余りにも多かったためか、同乗の車掌=ガイドさんから「写真撮影は遠慮願いたい」旨のアナウンスがなされます。
 というわけで、窓外も含めて途中の写真を全く撮っておりません。車窓を眺め続けた感想を一言で申しますと、ある日突然世界が終わるとこうなる……という究極のディストピアを見せつけられるかのようでした。事実上、領土の一部を失っているに等しいことを考えざるを得ません。
 途中ところどころ、近い将来の全通を目指す常磐線の真新しい線路が見え、帰還困難区域内にあるはずの双葉駅も、駅周辺のみ徹底的な除染を進めて再オープンするようです。いやはやそれでも、放射性物質の半減期、そして全滅までの非常に長い時間を考えれば、復興の前途遥かと言わざるを得ないようです。

京急120周年の歩み号を撮る (下) 1521

2018-09-25 00:00:00 | 大手民鉄 (京急)


 以前の歴史ギャラリー号のときもそうでしたが、いま久里浜工場の保存車両でも拝むことが出来る京急初代塗装というものは、木製ドア・リベットゴツゴツの車両にこそ似合うものであって、プレスドアですらない現代の車両に印刷で木製ドアやリベットの雰囲気を再現しようとしても、どうもやっつけ感が否めないのは仕方のないところでしょう。それにもかかわらず、来れば「ハァハァ……」と言いながら激写してしまうのは、のっぺらなステンレス or アルミボディに帯ステッカーを貼っただけ、という巷の流れに少しでも抗っているように見え、何となくシビれてしまうからかも知れません。



 というわけで、大師線+何となく晴天という組み合わせの下、主に後追いで撮影した1521の歴史ギャラリー風……というか初代塗装風ラッピングですが、やはり4連フル編成姿で撮ってみたいですし、今回先頭に出る車両がない赤黄ツートンも、出来れば4連の堂々たる見映えを見てみたいものです。
 それはさておき……今年も早いものでそろそろ年末のことをいろいろ考えなければならない中 (滝汗)、上大岡鉄ヲタホイホイフェスタのネタはやはり、1500形初期車の金型を用意して、この編成になるのでしょうか? もっとも、マイクロやGMでもこの手の企画は十分考えられるところです。また個人的には、京急事業者限定鉄コレでは、この手のネタ車両や消えて久しい釣掛車 (230形が出たのみでご無沙汰) で攻めて欲しいと念願しておりまして、何と言っても、個人的に渇望してやまない400・500番台の車両が今だ鉄コレ化されていない以上、事業者限定鉄コレの席はなるべく引退済み車両のために使って欲しい気もします。
 をっと、1521の存在から話題が遠ざかってしまいましたが (^^;)、ともあれこの手の復活塗装や復活ラッピングというものは、 同じ線路をかつて行き交った車両を思い出すのに十分な存在と言えましょう。

中国鉄道博物館の保存SL・勝利型と96

2018-09-24 00:00:00 | 中国の鉄道


 昨日は香港と大陸各地を結ぶ高速鉄道が開通したようですが、その事の本質は香港の本土派が強く主張する通り、大陸側の出入境管理も西九龍駅で行い、車内は大陸の法律が適用されることで、特別行政区の特別行政区たる所以が毟り取られてゆくということであり、これこそ国家主権がないことの悲哀というべきでしょう。
 しかし個人的には、そんなことよりも重大な問題が。私の怪社の近所には、何故か (笑)『中国鉄道時刻表』の最新号が出ると必ず広告が貼られるラーメン屋があり、美味しいので毎週1回程度訪れるのですが、今日を以て太麺メニューを止めて、細麺に集中することになったとは……。先週末に食べ納めで訪れたところ、多くの客がケータイでお気に入りの太麺メニューを記録にとどめていました。
 


 というわけで、私の頭の中は高速鉄道が駆け巡る未来ではなく、常に過去へ過去へと向かっておりますので、昔の中国の鉄道を語るネタのひとつとして、北京・中国鉄道博物館にて保存されている勝利型とKD5型の画像を貼っておきます (撮ったきりHDの中で放置していました ^^;)。このうち勝利型は、主に満鉄向けに製造された日本製または満鉄工場製の旅客罐であり、KD5型は日本のキューロクをメーターゲージに改造し昆河線に投入したものの生き残りです。
 もっとも、この2両はそのまま鉄道博物館で保存されているはずですので、別に昔を語るネタでも何でもないかも知れません。しかしご注目あれ……車両の周りがスッキリしていることに! 少なくとも2000年代は誰からも注目されず (近場のタクシーの運ちゃんすら知らない)、訪れる人間のかなりの割合が日本人鉄ヲタであったと思われるこの博物館も、その後の経済発展やら、科学技術教育の重要性強調やら、あるいは鉄道趣味の萌芽とお子様層への浸透やらで、最近は常に参観者がいるようです。しかしここは天朝大中華 (笑)。来客の文明礼貌度に応じて、危険を避け収蔵品を保護しようとすると、車両の周囲に高めな囲いを張り巡らし、絶対に入るなよとアピールしなければならないようです。というわけで、2006年にここを訪れておいて本当に良かった!と思います。

現存するソウルメトロ1号線田の字窓車

2018-09-22 15:00:00 | 韓国の鉄道


 側聞するところによると、奈良線のウグイス103系は消滅に近づき、残る103系的田の字窓車は和田岬線と105系のみとなったようですが、桜井・和歌山線の105系についてもついに代替用の227系がお披露目された今日この頃。寂しいものですね……。
 ところが何と、ソウルメトロ1号線では、極めて103系的な風貌の車両が辛うじて現役で、ソウル首都圏の最重要動脈たる1号線〜韓国国鉄京釜・京仁・京元線を闊歩しています。このサイドビューで製造された韓国国鉄の初期抵抗車はとっくの昔に廃車となり、一部の中間車も中期抵抗車と運命を共にして消え……先月の9年ぶりの訪韓時にはてっきりもう見られないものと思っておりましたが、撮り鉄中に突然、田の字窓車をサハとして組み込んだステンレス新1000系が来たものですから超ビックリ!! 天気は最悪で、かなり厄介なレタッチを強いられましたが、無事その麗しの姿を形式写真的に記録することが出来ました……。



 そこで、何故こんな古株が、「製造後25年で廃車」をルール化している韓国で未だに生き残っているのか……と思いまして、西船junctionどっと混む様での概説を読んでみたところ、ソウルメトロ1号線の1000系 (韓国国鉄の初期抵抗車1000系と同じ車両) は、1989年に編成長大化のために追加新造された3次車がそれなりに多く (?)、中間車のみで編成を組み直した10連が今でもクリーム+赤帯で現役であるほか、ステンレス・VVVFの新1000系 (韓国国鉄5000系と同じ)の10連化にあたっては、サハ8両が4編成に組み込まれて現役とのことです。ステンレス車に合わせてグレーを塗っているのは独特ですが、中には調色を間違えて (?) やけに白っぽい車両があるのも、ケンチャナヨ的な雰囲気を感じさせてくれます。
 というわけで、新1000系に組み込まれた田の字窓サハは、恐らく25年ルールの特例として、新1000系がこの先廃車となるであろう数年後まで活躍を続けることになりそうです (予想)。いっぽう……1989年製グループは先頭車化改造車も含めて現役ということは……途中ですれ違ったクリーム+赤帯編成も電機子チョッパではなく、抵抗制御の田の字窓が特例として現役だったのか!! 
 ソウルメトロ1号線マンセー!! (駅はホーム幅が狭く、自動改札も通りにくい回転バー式なのが宜しくないですが)
 しかし遺憾なのは、1号線〜国鉄直通区間は余りにも長大で、往復するのに莫大な時間を要するため (仁川〜逍遙山とか、どれくらい時間かかるのやら。京釜線からの列車は、見たところ清涼里または光云大 (旧・城北) 折返しがほとんどのようですが、それでも遠いわな……)、クリーム+赤帯の豪華 (?) 編成にしても、ねずみ色サハ組み込み編成にしても、滅多に遭遇出来ないことでしょうか。