地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

倉賀野貨物ターミナルのDE10を訪ねて

2016-10-31 00:00:00 | 貨物列車 (臨海・専用線)


 ここのところ野暮用で度々高崎線沿線を訪れる機会があったのですが、その際にちょこっと撮り鉄するのは又とない息抜き。というわけで、かねてから一度訪れてみたいと思っていた倉賀野の貨物ターミナルを初訪問してみました。
 倉賀野貨物ターミナル(貨物基地)は、例えばOT所属青タキの一部に「倉賀野駅常備」と記されているように、群馬県一帯に石油を供給するための一大拠点となっているほか、川崎貨物とのあいだでメタノールコキが運行されていたり、すぐ近くを国道17号線が通り工業団地が立地していることから一般のコキも出入りするなど、群馬県における物流の一大拠点となっています。そこでここには複数のDE10が常駐し (JRF子会社・北関東ロジスティックス所有の機械扱い)、しかも国鉄色に塗られていることから、国鉄色DE10の一大聖地となっています。



 というわけで、そんな聖地を巡礼するのにふさわしく、抜けるような秋晴れとなった中 (今年の秋の天候不順を思えば本当に珍しい……)、トボトボと工業団地を抜けて、貨物ターミナルを横断する踏切に着きますと、僅かな距離をおいて2ヶ所ある踏切のそれぞれの目の前に、いましたいました、1102号機と1142号機……♪ まぁ所詮機械扱いということで、たまに大宮で検査を受けたときのみ美しい姿となる他は、もっぱら煤煙で汚れるに任せるばかりのようですが、そんな煤汚れすら国鉄ありし頃を彷彿とさせるかのようです……。
 そんな2台のDE10を前にして10数分間、たった一人の超豪華撮影会を楽しんで、すっかり気分は上々♪ 残念ながら野暮用の都合で、この後の入換開始まで付き合うことは叶わず、徒歩で再びかなり遠ざかったところでホイッスルが聞こえて「何だかなぁ~」という気分にもなりましたが (笑)、幸せなひとときを改めて味わうべく、今度は実際にタキやメタノールコキを転がしているシーンを満喫するべく再訪したいと思ったのでした。当面はDE10の楽園となっていますが、株式上場を視野に入れ始めているといわれるJRFが、思い切った攻めの設備投資で子会社持ちの入換機械にも金をかけ、HD300を倉賀野に集中的に配置しないとは言えませんので、なるべく早めの方が良いのでしょう。しかしヒマが……(こればっかしですね -_-;)。

第四ヤンゴン熱鉄記 (20) ネーピードー急行

2016-10-28 06:00:00 | ミャンマーの鉄道


 いつも当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 当ブログはこのたび、別の名前でスタートして以来ちょうど12周年の節目を迎えました。ほんの気まぐれの内輪受けで始めただけのブログが、まさか干支一回り分も続くことになろうとは……。人生の4分の1以上更新を続けていることになります (笑)。
 その間、個人HPやブログ・掲示板の衰退、ツイッターやFB等SNSへの人口移動 (ツイッターも顔本もやってないという時代遅れな人間です ^^;) 等、世の中の趨勢はあっという間に変わりました。鉄道趣味界においても本邦の釣掛式高速電車や昭和20~30年代技術の抵抗制御高性能電車がほぼ消えるなど、本当に激動続きだったと思います。
 私自身も、最近は鉄道趣味活動の軸足を年に2~3回の海外遠征とヘタクソ模型いじりへと移し、加えて最近は健康維持のために登山やウォーキングにハマり (登山は20代の頃を中心にやっていたので、出戻りです。まぁ公共交通フル活用という点では鉄ヲタ趣味と連続するわけですが)、季節やランダムな受注の集中によって仕事の量も以前と比べて増え、このブログを更新する頻度も下がってしまいました。これまで楽しみにして頂いている方には大変申し訳なく存じます。



 ただ、鉄道趣味から足を洗うわけではなく、むしろいろいろヲタ活動してみたい国や路線は依然山積しており、今後もあくまで備忘録というスタンスでぼちぼち更新できればと考えております。そして何と申しましても、ブログを続けて来たことによって知り合うことの出来た、いつもお世話になっております同好の皆様に楽しんで頂きたいという思いは変わりません。お世話になっております皆様には、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

 というわけで、何か記念画像を……と思いつつも、古い画像をスキャンするヒマがありませんし、中高坊の頃にフィルムを超ケチりながら撮った僅かな画像が上手く撮れているわけでもなく、結局最近撮った画像をレタッチするしかありません。いま日本の対外経済&外交関係においても、そして鉄道趣味的観点からみても、最も注目に値する国のひとつであるミャンマーの花形列車のひとつである、ヤンゴン~ネーピードー間の急行31Up・32Downでございます。
 この列車は、ヤンゴンとネーピードーを朝8時ちょうどに出発し、それぞれ夕方5時に着くということで、本来でしたら同区間を走る7Up・8Downとともに、官僚の御用達列車として設定されたのでしょうが、私が初めてヤンゴンを訪れた2013年3月の時点でも既に高速バスに押され、最高速度45~50kmくらいで脱線転覆一歩手前の凄まじい揺れと金属音を発しながらやっとのことで走っていたのを思い出します。それが嫌われて、編成も6~7連と短かったですし……。しかし最近は、日によっては9連くらいに増結されることもあるようで、少しずつ日本の技術協力による高速化が成果を現し始め、高速バスで多発する事故を嫌った客が鉄道に戻り始めているということであれば良いなぁ……と思うものです。
 そして今後は数年以内に、JICAの公式HPにあるような、台湾自強DCの電気式バージョンという風貌の列車へと変わるものと予想しておりますが、とにかくまぁ、客車だけをとっても日本・ウリナラ・中国・インドと複数の国がからんだ超ごちゃ混ぜ編成が、朝と夕方の斜光線を受けつつ、変わりゆくヤンゴンの街を威風堂々進んで行く光景は、これもまた日本中古DCの隆盛と並んで、ミャンマーの2010年代を物語るものとなって行くことでしょう。

小田急EXE α登場への期待

2016-10-26 15:21:00 | 大手民鉄 (小田急)


 先日小田急が放った新型ロマンスカーに関するプレスリリースは、登場から35年を過ぎた7000形の老朽化という現実からして分かっていたとは言え、結構オドロキました。目の覚める朱色オンリーの展望車とは……。名鉄パノラマカーかよ!という気がしなくもありません。勿論実車は、これまでの岡部氏作品との連続性を強く印象づけるものになるでしょうから、ラフスケッチと比べれば名鉄パノラマカー度は下がるのでしょうが、ついでに最近はやりの鉄道間交流の一環として「どけよ~どけよ~」と聞こえるミュージックホーンも拝借すれば面白いのかも知れません (^^;)。



 しかしまぁ、70000形は20m車7連ということで、かつての20000形と同じく、ホームウェイや初詣臨・花火臨の類いを除けば、江ノ島線に入線することはないでしょう。江ノ島賎民としてたまに早朝の「えのしま66号」を利用する者としてもっと切実な問題は、30000形EXEの更新が、果たしてどのようなものになるのかということでありました。とりわけ、椅子が全取り替えとなり、50000・60000形と同じコチコチの薄っぺら椅子になったらイヤ過ぎるぞ……と。誰が何と言おうと、地味だろうが何だろうが、出退勤に伴う疲れを少しでも和らげるためにロマンスカーを使おうとする場合、30000形の落ち着いた車内インテリアと分厚い椅子こそ良いのです。
 というわけで、「EXEα」の洗練度を増した外観と、これまでの椅子を基本的に活用したと思われる内装をプレスリリースで目にして、思わず歓喜の声を上げました♪ もっとも、江ノ島線沿線を離れて、もっと通勤と登山に便利なところに引っ越せば、30000形の新スペックにこれまで一喜一憂する必要もなかったのかも知れませんが、頭金に乏しい非リア充なものでスミマセン (^^;)。
 さて……この塗装も消えることになったということで、撮り貯めておかなければならないと思わなくもないのですが、やはりどうも写真映えしない車両であることは否めません。模型も、60000形は買っても良いかなと思い (まだ買ってない)、EXEαなら欲しいかもと思うものの、従来のEXEでしたら「う~ん」と思いますし……(マイクロの中では秀作であることは認めます)。

増えゆくJRWキヤ143 (斎藤幹雄様ご撮影)

2016-10-25 00:00:00 | 頂き物画像


 秋とは名ばかりの蒸し暑さもいつの間にか去り、確実に冬の大気が近づいている今日この頃。豪雪地帯を走る鉄道では、今のうちから除雪車両の動作確認などに余念がないのでしょう。
 しかし、長年使用されてきたDE15等使用の除雪編成がイイ加減老朽化しつつあることから、各鉄道会社で除雪車両の更新が加速しているように思われます。その一部は、保線用モーターカーを一層ゴツくしたような、車籍のない車両であったりしますが、やはり営業列車の間を縫って走ることも可能な車籍ある除雪車を欲する鉄道会社もあるはず……。



 そこでJRWではキヤ143と称する、日中の高速運転も可能な新除雪車を増備しつつあり、古き良き除雪車シーンを酷愛する人々からはブーイングを浴びつつあるようですが、かつてはSLのキマロキ編成がDLに置き換えられたときにも凄まじい怨嗟が起こったものと思われますし、これは新旧交代のあるところ必ずや生じる現象と言えましょう。むしろ、新たな特殊車両が出現し、季節限定で結構ワクワクする動きを展開するということ自体を喜びたいものです。とゆーか……個人的に、如何にも事業用車然としたこの風貌好きなのです♡
 そんなキヤ143の落成&甲種輸送シーン、いつもお世話になっております斎藤幹雄様から拝受し、掲載許可を頂きました~。新潟トランシスからたまに内燃車両が出場することはあれど、ここまで特殊な車両が出場する機会はどれほどあるのかを考えますと、本当にレアで有り難いという感じです。

第八ジャカルタ炎鉄録 (10) 東独製?荷物車

2016-10-21 12:00:00 | インドネシアの鉄道


 先日、パクアン急行様のブログを拝見していたところ、先日ASEAN域内での鉄道協力に関する会議が開催され、その席上でインドネシアの中古車両をミャンマー国鉄に供与する旨が決まったとか!! しかもその数は、アメ罐CC201をそれなりに、そして客車は600両とか!! ミャンマー国鉄機関車標準色の茶色+ベージュ+紺帯に身を包んだCC201が、これまたミャンマー国鉄急行色を纏ったINKA客車ヲジャラジャラ連ねてズッコンバッコンと走る姿は、今から想像するだけでもアツくなりますね……。あたかもKAIの客車が、スラバヤからヤンゴンに転勤された落花生。様を慕って移動するかのようです。
 しかし問題は、ココロは熱くなろうとも、車内まで蒸し暑すぎて悶死状態となっては元も子もないこと。ここ数年来インドネシアで展開されてきた全車冷房化の流れの中で、3等エコノミ客車ですらハメ殺しの1段固定窓に改造されつつあったのですが、そんな車両をミャンマーに送り込んで非冷房車として運用しようものなら、JRCキハ40系列の下段窓が開かない状態にじっと耐えているミャンマー人でさえも、即座に音を上げてしまうに違いありません。また、インドネシアの客車は車両限界がユルいためもあってかなり大柄であり、屋根の高さが無事ミャンマーの車両限界をパスするのかどうか、細かい諸元表が手許にあるわけでもないため不明です。
 そこで、INKA客車のミャンマー入りにあたっては、屋根や窓の改造が必須なのではないかと愚考しますが、果たして如何に……。



 なお、古くなった客車を譲渡しようとしても、さすがに1950年代・東ドイツ製と推測されるトンガリ屋根客車を譲渡することは多分ないのでしょう。
 というわけで、去る8月のジャカルタ訪問時、機関車の次位に無人の客車(アリンアリン)を連結する措置が解除されて編成から外されていたランカス鈍行用荷物車も、ミャンマーに行くことは有り得ないのだろうなぁ……と。
 かつてボロ客車の巣窟であったランカス鈍行にあって、東ドイツ製 (?) の荷物車は行商客用の荷物、そして客車に乗りそびれた大量の立ち客を乗せ、ひときわボロい存在感を醸し出していたものですが(私も乗りました♪)、客車の冷房化とアリンアリン連結措置、そしてそれに対応する荷物車の行商客車としての供用停止により、ここ1~2年ほどランカス鈍行の荷物車は、単に新塗装に変わっただけで一切の窓と扉を封じられた存在となっていました。しかし今やその役割も消えて、まとめてランカスビトゥンの側線に放置されている光景こそいと哀しけれ……。まさに一つの時代の終焉を見るかのようであり、かつ東ドイツ製客車と新塗装の組み合わせもどうやら短いもので終わりそうだということを示唆しているようにも思われました(一般客車も大量の新車が計画されており、東独製、さらには1960年代の国産車も一掃されて行くことでしょう)。
 もっとも、こんな光景に感傷を抱く日本人は他に、ランカス鈍行旅でご一緒したパクアン急行様、あるいはKAI研究不動の大御所でおられる落花生。様など、ごく僅かしかいらっしゃらないのでしょうが……。マニアックすぎてスミマセン (^^;

 (1枚目) B 0 58 01。このグループでは珍しく雨樋あり。
 (2枚目) B 0 58 04。ツルツル張り上げ屋根でドア窓あり。