地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

久留里線キハE130を初めて撮る

2016-11-30 00:00:00 | JR発足後の車両


 先日ミャンマーのキハ38画像をアップした際、「何故日本では関鉄を除いて通勤型DCというジャンルが続かなかったのか」という趣旨を記したものですが、冷静に考えてもみれば、これほど実情に疎く暗い一言もあるまいに……と思わず赤面 (苦笑)。と申しますのも、JREの久留里線ではキハE130 100番台という純然たる3扉ロングシート新系列DCが走っているからです。しかもサッとググってみますと、実は明日、12月1日を以て、久留里線の運用がキハE130に切り替わってから4周年の節目を迎えるということではありませんか……。かくして4年もの間、私の脳裏では如何に久留里線という存在が消えており、そのイメージは悉くヤンゴンに移ったキハ38に代表されていたかが分かろうというものです (そんなヤツ、絶対他にいねぇ……滝汗)。



 そんな中、昨日房総の山をウロウロ歩いた帰りに、初めて久留里線のキハE130 100番台に乗る機会を得ました。初めて乗ったのが木更津からではなく上総亀山からというあたりが何とも狂っているのもさることながら (小湊鐵道沿線から山を歩きました)、ただ漠然と「久留里線は全部新型になっちまった」というノリで上総亀山駅にたどり着いて初めて「あ、そういえばこれも通勤型DCじゃねーか!」ということに気付くのもどうかしています (爆)。
 そして……実際乗ってみますと、これがなかなか悪くない。烏山線のEV-E301もそうですが、車体構造は基本的に「走るんです」のそれであると思われるにもかかわらず、はるかに良く出来ているように思えるのは一体何故なのでしょうか? 椅子の座り心地からして明らかに良いからなぁ……。そして正面の面構えも単純な切妻に近く、幌付きであるというのも大変結構なことです (そういう基準かよ……^^;)。
 というわけで、キハE130の鉄コレは、キハ38鉄コレと同様に一刻も早くリリースされるべきであります。マイクロが好きそうな世界かも知れませんが、長編成化して遊ぼうとすると矢鱈お高くついてしまうではありませんか……。

横川近辺車両めぐり (2) さよなら115系4連

2016-11-28 00:00:00 | 国鉄型車両


 去る8月下旬から始まった高崎地区115・107系の置換は当面、前にも記しました通り115系の4連を集中的に廃車に追いやって行きましたが、それは恐らく115系の4連が併結無しの独立した運用に入っている関係で一斉置換を必要とせず、いち早く手をつけ易かったためなのでしょう……。そして今回、碓氷峠を歩いて越えるのに先立ち、横川入りの際には出来れば115系に当たりたかったことから、直前の段階における4連の残存状況をネットで確認してみたところ、何と、T1146編成が残るのみとなっていたとは……。このため最早、出たとこ勝負で4連に当たるという期待は捨て去り、高崎から3連に当たったことを以て満足すべきなのだろうと思いつつ、ボックスシートから上州三山の眺めを楽しんだのでした。ところが何と!安中の手前ですれ違ったのは115系の4連!! 地震等で東海道~高崎線が大幅遅延していなければ、1本前の列車、すなわちこの最後の4連=T1146編成に乗ることが出来ましたので、「何か悔しい……また高崎から横川行として戻って来ないものか」と思ったのでした。



 しかし、それは往々にして叶わぬ望みでもあります。高崎駅での折返しは、横川・吾妻・水上・両毛の4方向に分かれ、常に同じ路線を機織りしているとは限りません。そこで、高崎へ去って行った4連が再び戻ってくるか否かは、運用表でも持っていない限りリスキーなギャンブルをしているのと何ら変わらず……。
 というわけで、余り期待しないように……と低調な気分に努めていたところ、何と!これぞまさしく天の恵み!! 高崎からT1146編成が戻って来たではありませんか!! そこで、かなり光線状態が厳しくなりつつあったものの、完璧に露出とピントを合わせた上で、横川を発車したT1146編成を激写したのでした……。嗚呼、これで高崎の115系のうち、中間MM'ユニットを挿入した編成にお目にかかるのは最後か……37年間お疲れ様……と。
 ちなみにこの日は、籠原で4連×2、高崎で4連×2の211系が運用入りを待っている光景を眺めておりまして、次はこの115系4連1本が敢えなく全廃となるのが見えていました。恐らく今月末、または来月上旬頃には、又しても長野送りが実施されるでしょうから、もう4連最後の日は焦眉の急として迫っているはずです。
 そんな115系4連が最後に魅せてくれた光景に感謝……。

第四ヤンゴン熱鉄記 (22) キハ38

2016-11-26 06:00:00 | ミャンマーの鉄道


 今月久しぶりに関東鉄道を訪れて、改めて遺憾に思ったのは、何故通勤型DCというジャンルがキハ30・35の隆盛を最後として後に続かなかったのかということです。実用一点張りの車体が、ブルブルガラガラとエンジンを震わせながら力強く加速して行く光景はなかなか楽しいものがありますが……。まぁ、キハ30・35という車両自体が、高度成長期における非電化線区での旅客急増に対応したという時代の産物であり、その後は電化によって対応するか、地方の通勤通学輸送の実情に対応したキハ40系列やNDCによって対応するかに分かれ、結局キハ30・35的な車両がその後現れたのは、電化できない関鉄常総線と、中途半端に都会でもド田舎でもない八高線しかなかったのが残念……。しかも八高線用のキハ38は何だかんだでお試しの7両を製造したに過ぎません。もっとも、全車が久留里線でJREでの最後を迎えたのち、2両が水島臨海、5両がミャンマーで現存しているのは、マイナーで終わってしまった車両としては余りにも上出来な結果であると言えましょう。



 というわけで、ヤンゴンでの撮影時には、5連または4連を組んでやって来るキハ38編成を狙うのもお楽しみの一つです♪ ミャンマービールの緑ラッピングを纏ってしまったのは残念な反面、まぁそこそこ似合っているので良しとします。本来は、正面まで緑色のラッピングを貼られているのですが、検査などのため久留里色のままの正面の車両が先頭に立つことも半分日常的な光景となっており、自ずとテンションが上がりますね~。
 そして今後は……ヤンゴン環状線が非電化のままであるのなら、このような車両を新造して投入するべきだと思うのですが、日緬協力にそのようなプログラムは果たして有りや無しや?! 
 そこを狙って、C国企業が割って入る可能性もなくはない、と見ております。と申しますのも……実は既に狙っている、と思われるからです。今年3月の訪問時、キハ38に乗って某撮影地駅まで向かう途中、半分観光客っぽそうで半分そうでもなさそうな中国人らしき人物が近くに座っており、ちらちら私の方を見て意識している様子……。しかし、やがて隣の車両が空いたため、私が移動したところ、何と彼も付いて来たではありませんか……。どうやら、ヤンゴン環状線を観察するためほとんど手ぶらで乗っていたC国人の彼は、ついに退屈さに身を持て余し、話し相手を求めて私のところに来たという次第。そこで彼は、私のことを同胞と思い込んでC国語で話しかけて来まして、私はといえば面倒なうえにエンジン音に集中したかったため、C国語は分からんとシカトすれば良かったのですが、しまった……ついつい返事をしてしまいました。

「Ni是C国人ma?」(君はC国人か?)
「不是!我是日本人」(否、俺は日本人だ)
「Ni雖然是日本人、也可以講C文! 那我們一起聊天ba!」
(君は日本人だと言ってもC国語が分かるのか、じゃぁ話でもしようぜ」

……というわけで会話をしたところ、どうやら彼は中国と日本と東南アジアの鉄道事情についてそれなりに良く知っており、恐らくC国中車あたりのエンジニアとして環状線の日本中古DC事情やら何やらを観察しているのではないかと睨みました。他日、C国からミャンマー政府に対して環状線用通勤DCの売り込みがなされて成功すれば、その彼も一枚噛んでいるのではないか……と思うことになるかも知れません。しかし、昨日の日経新聞にもあった通り、最近はシャン州の対C国国境周辺が極めて緊迫しているとのことで(昔は最高にザルな国境線で、ほとんど出入りしたい放題な雰囲気だったのを思い出すのですが)、緬C関係もどうなるのやら (そしてC国からミャンマーへのインフラ投資がどうなるのか) 日本としても注目しないわけには行かないのかも知れません。

横川近辺車両めぐり (1) 安中のスイッチャー

2016-11-24 22:15:00 | 貨物列車 (臨海・専用線)


 前回の記事で記しました通り、去る祝日には横川から軽井沢まで徒歩で碓氷峠を無事越えてきたのですが (→健康マニア化 ^^;)、そのついでに鉄活動したことは言うまでもありません。そこで、撮りまくったカットを整理がてらアップして行きたいと思います。
 1発目は、高崎から横川まで移動する際に通る安中のスイッチャー。ここは詳論するまでもなく、小名浜と安中を結ぶ亜鉛焼鉱輸送列車「安中貨物」の終着駅ですが、遺憾ながら個人的に撮り鉄したことがない場所でした。とはいえ今回折角中山道の碓氷峠を歩き、横川界隈でついでに鉄ヲタ活動をする以上、手前の安中も無視できないわけです、はい (^^;)。



 というわけで、高崎から無事115系のボックスシートを確保し、しかも横川入りした22日は気温が非常に高かったため、安中駅に着くと堂々と窓を開け、窓からレンズを出して激写! (→良い子は真似してはいけません ^^;;;) 緑色のスイッチャーというのは日本全国を見回しても余りないような気がしまして (海山道駅前の濃緑スイッチャーも無くなってしまった……。隣の塩浜駅の薄緑スイッチャーも予備ですし)、個人的には根岸駅の薄いグリーンのスイッチャーが好きなものですので、このような色と小粒な風貌には好感を覚えます♪
 いずれ是非、先月訪れた倉賀野のDE10入換と合わせて、亜鉛トキの入換を撮ってみたいものだと思います。このブログを始めた頃は、神奈臨にハマっていたことから、他のマイナー系貨物シーンも盛んに撮り歩いたものですが、臨海・入換小運転系はすっかり御無沙汰になってしまい……遺憾なのではありますが、体が幾つあっても足りないのは本当に困ったことです。

碓氷峠鉄道文化むらのクハ189-506

2016-11-23 09:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 185系や651系などJRE波動用車両の転配がじわじわと進み、これからE353系の新造も本格化するということで、豊田の189系がそろそろ風前の灯火モードに入ると言われる (既に入った?) 今日この頃。TOMIXの189系N模型も、豊田所属車6連が相次いでリリースされ、今月末も発売となりますね……。私自身は国鉄特急型ヲタではなく、碓氷峠も昼間に189系で越えたことがないという (80年代は周遊券で夜行列車、または18きっぷで夜遅くの115系。90年代は非鉄)、如何にも「お前本当に鉄ヲタかよ」との誹りを免れない輩ではありますが、中央線のホリ快や鎌倉団臨などで189系を見かけると「諸行無常、盛者必衰」の理に照らしてジワジワと感じるものがあり、ついついTOMIX模型にも手を出しております (^^;



 そして約1年後には、長野新幹線の開業に伴う碓氷峠区間廃止から20年となりますが、今や長野あらため北陸新幹線が完全に定着し、上信越道も繁盛を極め、碓氷峠を列車で越えたのは完全に昔話になった感があります。しかし、こうして昔話になったからこそ、そこを走った車両が完全に廃車になるのを前に、改めて鉄道が走っていた頃、そして歩いて越えていた頃を偲ぼうと思いまして、ちょっくら横川から軽井沢まで歩いてみることにしました (笑)。
 というわけで、この記事は予約投稿。果たしてどれだけキツい急坂が続くのか、武者震いとともにワクワクします (^^)。あ、もちろんその前に、碓氷峠鉄道文化むらも表敬訪問しますが、とりあえず昨年6月に怪社の若手研修旅行引率で訪れた際に激写した、塗り替えほやほやのクハ189-506の画像を貼っておきたく存じます (撮ったきり放置していました ^^;)。