9月下旬以来断続的にお送りしている韓国シリーズ、ネタが多いために年末になってもまだまだ続きます (^^;)。ただ、年が明けても「初秋」では締まりがありませんので (笑)、通勤車両編に移行して表題を変える前に、もう一つの「北を想う旅」としまして、京元線の鉄道中断点・新炭里[シンタンリ]への往復行をご紹介することにしましょう。
ソウルから北へと向かう最も代表的な路線は、前回ご紹介した京義線であることは言うまでもありませんが、ソウルから北東方向に向かい日本海岸の港湾都市・元山[ウォンサン]に達する京元線も、日本植民地時代は元山はもとより重化学工業が集中する咸興[ハムン]、そして鉱産資源が豊富に埋蔵されている咸鏡[ハムギョン]南北道や満洲国東部へと通じる重要路線とされていました (日本の敗戦時、朝鮮半島の工業基盤は圧倒的に北に集中し、南は貧しい農村地帯だったことも、戦後しばらく多くの日本人が北朝鮮を「理想の工業国」と誤解することになった一因とか) 。そこで、戦時輸送が逼迫する中、京元線の一部区間も朝鮮半島最初の電化路線とされ、電気機関車デロイ・デロニが投入されておりました。また、途中の鉄原[チョルウォン]からは金剛山電気鉄道が分岐し、朝鮮半島随一の奇勝・金剛山[クムガンサン]へ近鉄2200系を思わせる重厚な電車が走っており、多くの観光客で賑わったとか……。しかし朝鮮戦争によって、京元線はソウル市内の起点・龍山[ヨンサン]から88.8kmの新炭里と北朝鮮側の平康[ピョンガン]の間で不通となり、電化区間と電気機関車は北朝鮮側のものとなって所在は知れず、乗換駅として賑わった鉄原駅は民間人統制線の中となって草に埋もれ……朝鮮戦争後もしばらく北で運行されていたらしい金剛山電鉄の電車も、金日成が乗った車両が平壌で保存されているのみとなってしまいました (金親子は多分「鉄」ですね ^^;)。
こうして分断され、草木と地雷原のあいだに埋もれ、強者どもが夢のあと……となった京元線。新炭里から南側は純粋なローカル線に転落し、長らく鮮鉄タイプ旧型客車の普通列車 (のちピドゥルギ[鳩]号) が運行されていましたが、ソウル首都圏の急速な拡大により、1970年代には議政府[ウィジョンブ]までが首都圏電鉄化され、議政府から北のローカル区間も1990年代にはピドゥルギ号から新型のローカル輸送用ディーゼルカー9500系に置き換えられ、料金・名称的にも1ランク上のトンイル(統一)号となりました (この点は京義線のローカル列車も同じ)。このディーゼルカー、韓国ではCommuter Diesel Car=CDCと呼ばれ、2004年のKTX開通大改正・トンイル号廃止とともに「通勤列車」と改称されたことで、車両名と列車名が一致するようになりましたが、日本の感覚でみればデラックスな近郊用DCというノリです。車内は恐ろしくシートピッチが広い転クロも並んでおりますので……(*^^* 但し、ロングシートの比重も高いです。なお、登場当初はボックスシートだったためか、シートピッチと窓の幅は全くバラバラです ^^;)。
そして今年に入り、京元線には新たな大変化が! ソウル首都圏のさらなる拡大により、電化区間が沿線の主要都市・東豆川[トンドゥチョン]の一つ北・逍遙山[ソヨサン]まで延び、特に議政府=東豆川間は30分〜1時間間隔から10〜20分間隔へと大増発されました (一部は途中の州内[チュネ]で折り返し)。そこで、従来は議政府=新炭里間の運行だったローカル列車は一律に東豆川始発とされ、6時台から22時台まで終日1時間間隔という単純明快すぎるダイヤで運行されています。
私がこの京元線を目指したのは、ソウル滞在最終日の前日 (^^;)。この日は午後2時から夜まで用務があったのですが、午前中はまるまるヒマ。そこで、せっかく京義線で都羅山まで行った以上、もう一つの「北を目指す路線」である京元線にも乗ってみようと思ったのでした。しかし、私が泊まっている宿から新炭里までは直線距離で100km以上。単純計算でも都羅山よりも全然遠いだけでなく、ローカル列車の起点となる東豆川までの道程も、トロトロ走る各駅停車で延々と北上しなければならない以上、時間的にみて非常に遠い……(汗)。そこで、2時までに戻ってくるためには朝早起きが必要だ!というわけで、朝5時過ぎに起床のうえバスと地下鉄を乗り継ぎ、ソウル駅を6時50分頃に出る東豆川行の電車に乗り込みました。滞在中の観察から、逍遙山・東豆川行の電車は抵抗制御車・1000系で来る確率が高く (この点は改めて別の記事でご紹介します)、約1時間半の103系サウンドの旅を期待していたのですが……やって来たのはVVVFの5000系で残念!! (T_T) でも、如何にもロテムデザインな趣味の悪さを誇る (?!) トゥングリ (丸型) タイプの車体ではなく、JR205系に近い雰囲気の前期型で来たのでまあ良しとしましょう (但し、車内は大邱地下鉄火災をうけて難燃化改造されており、寒々しいのがアレですが……それでもトゥングリよりまし ^^;)。
地下鉄1号線区間を抜け、電車の車庫や京春線貨物ヤードがある城北[ソンブク]駅を経た列車は、左に北漢山、右に道峰山……と、山水画さながらの素晴らしい山々が連なる谷間を淡々と北上して行きます。但し、線路の両側は韓国名物 (迷物?)・耐震構造とはほど遠くマッチ箱のようにパタッと倒れてしまいそうな高層マンションによって埋め尽くされているのが残念! 京元線沿線にある山麓の地下鉄始発駅……4号線のタンコゲ[漢字に直せない固有名詞。語感がミョーですね ^^;]や7号線の長岩[チャンアム]は、最高に侘び寂びな世界だそうですが、その訪問はまた機会を改めてということで……(^^;
議政府に到着しますと、構内の片隅にはローカル列車の起点変更によって打ち捨てられた状態の低いホームが……。日本でしたらどの列車も同じホームを使うために車両・駅の双方で調整がなされますが、韓国の場合は電車用ホームと、ステップつきの長距離列車・ローカル列車用ホームは全く高さが異なり、改札口も分かれております。恐らく、京元線が再び全通し、ソウルと元山・咸興・清津[チョンジン]・恵山[ヘサン]etc..の間に直通列車が走る日まで、息を吹き返すことはないのでしょうか。あるいは、ソウル郊外線 (議政府から北漢山の北麓を経て京義線の大谷[テゴク]に至る短絡線) の旅客営業が復活することを期待しているのですが……。
議政府 (正確には、最近「佳陵」と改称された議政府北部) からはいよいよ、電化開業ほやほやの区間を北上! 駅も高架複線もとにかく金をかけてデラックスで、途中のいくつかの駅には将来の長距離優等列車運行を見越して副本線も設けられています。そして列車自体もいつの間にか「急行」を表示し、乗降客が少ない駅を通過して行きます。しかし……緩急接続という面倒なことはやりたくないようで、普通列車を追い抜くわけでもなく、所要時間も大して変わらず、単純に止まらないだけというシロモノ (^^;
というわけで、ようやく東豆川に到着。ここは38度線を目前に控えた軍事都市で、市街地の周辺は米軍・韓国軍基地だらけ (汗)。ここでいよいよローカルDCに乗り換えます (前置きが長くて失礼……^^;)。東豆川から新炭里まで片道34km、運賃は1400ウォン (180円ほど) となっており、それだけでも韓国の物価水準 (しばしば日本よりも全然高く、そのくせ日本で払うほどの価値はない場合多し -_-; →それが最近の日本人の韓国旅行減・韓国人の日本旅行激増の原因に) からみて激安レベルですが、何と窓口で切符を買ったところ割引で1000ウォン (140円ほど) ポッキリ! 詳しい理由は分かりませんが、恐らく首都圏電鉄からローカル区間に乗り換える際に通し運賃がなく、一旦改札を出ることになって割高なため、乗客の負担減を考慮しているのだと思われます。ただ、その一方で不思議なのは、東豆川=新炭里間はどこまで乗っても均一運賃1000ウォンだということです。うーん、短距離客が思い切り割を食らっていると考えるべきなのか、乗れば乗るほど超おトクと考えるべきなのか、そもそも採算は成り立っているのか、あるいは軍事的緊張が高く生活上の不便も多い地域における一種の社会政策として運賃を低く抑えているのか……いろいろな推測が頭の中をグルグル駆けめぐったのですが、納得行く答えは韓国国鉄 (KORAIL) の当局者のみぞ知るといったところでしょうか (^^;
それはさておき、8:50発の新炭里行・5両編成は、首都圏電鉄から乗り換えて来た用務客っぽい背広族とハイキングの中高年登山族を乗せていよいよ出発! 乗客数はだいたい1両に15〜20人といったところでしょうか (土曜休日はハイカーで混むと思われます)。発車後ほどなくして到着する逍遙山は、電車用とDC用のホームが各1面1線の無人駅。ここからはついに住宅も途切れ、臨津江の支流の谷間に沿って北上して行くのですが、いよいよ駐屯地と軍用車両の数は多く、歩哨が監視塔から列車に対して睨みを効かせており、いやが上にも緊張が高まります。次の哨城里[チョソンニ]は、側線に貨車も並ぶとても良い雰囲気の山間の駅ですが、貨車は軍用車、駅の周辺も駐屯地……ということで、うかつに途中下車してまったりとする訳にも行かないのが残念……。
さらに北上して長い鉄橋を渡り、漢灘江[ハンタンガン]に到着する直前、列車はこの路線最大のみどころ・北緯38度線を通過します (1枚目画像の左上)。当初北緯38度線とされた南北間の軍事分界線も、朝鮮戦争の結果として場所によって南北にずれ込んでおり、京義線の都羅山や板門店は38度線よりも南側だったりします。したがって、韓国の鉄道で38度線を越えることが出来るのは、現在のところここだけです。但し、列車はスピードを落としてくれるわけではなく、石碑脇を通過するのはほんの一瞬です……(汗)。
次の全谷[チョンゴク]と漣川[ヨンチョン]は、駅周辺にそれらしい街がある大きな駅で、乗降客が多いだけでなく、駅構内にも貨車がゴロゴロ。しかし、やはり軍用物資を運んでいるのではないか……と思うと、うっかり構内写真も撮れないのは悲しいですね。漣川で交換した東豆川行の列車は、午前中の買い物列車として立ち客も多数で大盛況。東豆川まで電化されるまで、議政府〜東豆川間の混雑は相当なものだったのでは……と思われます。
それにしても、全谷から先の沿線風景は素晴らしいの一言。どっしりと雄大な山々と緑の田園風景が続き、あの鬱陶しい高層マンションは駅前を除けば見られません。そして、新望里[シンマンニ]、大光里[テグァンニ]と続く田舎の駅の風情も最高! この両駅の軍関連の扱いはなさそうです。そして、いつか緑の大地を走る列車をのんびりと撮ってみたいものだ……と思うのですが、時折現れる軍用トラックに爆破用ブロック、そして「警告」と記された軍の看板の数々を見ていると、やっぱり難しそう……(-_-)。
こんな感じで列車に揺られること45分、いよいよ山峡が奥深くなって来たなぁ……というところで、終点の新炭里に到着! 駅舎とその周辺の集落が佇む以外は本当に山ばかりで、ただ鳥の声のみがさえずる静かな駅です (*^^*)。そして駅構内は花が植えられ、常に駅員諸氏によってキレイに掃き清められており、カメラを構えて写真を一生懸命撮っている私にも笑顔で歓迎して下さるなど、まさにオアシスそのものといった風情が漂います (^O^)。しかし、ここから僅か数㎞先は軍事分界線。駅の北側、200〜300mほど歩いて行ったところにある、「鉄馬は走りたい」と記された鉄道分断点 (2枚目の画像右下) に行ってみますと、そこから先の路盤は草木に隠れており……元山まで131kmの道程は余りにも遠いのが実情です。京義線はついに軍事分界線を越えた貨物列車が走り始め、韓国政府は北京五輪に合わせて直通旅客列車を走らせるべく準備中とも伝えられますが (政権交代しても列車の運行計画自体はそれほど大きく変わらないでしょう)、果たして京元線に直通列車が復活するのは何時のことになるのでしょうか。
ともあれ、備忘録的にダラダラと書いてしまいましたが (^^;)、京元線の旅は韓国のローカル線風情をお手軽に楽しみたい方、あるいは南北関係の現状を肌で感じてみたい方には本当にオススメ出来ます。