ひたちなか海浜鉄道はいよいよ来る7月3日から勝田~平磯間での運行を再開するのに伴い、代行バスの運行区間も平磯~阿字ヶ浦間に限定され、運行ルートも海沿いではなく段丘の上とすることになっていますが、何はともあれ茨交の協力を受けつつ約3ヶ月半にわたって実施された大部分の区間での代行バス運行が無事終了するというのは、ファンとしても喜ばしいことです。
そんなひたちなかの代行バス、基本的には、最近の茨交バス・那珂湊界隈における主力となっていると思われる富士重工7Eボディで運行されて来たようですが、今回勝田にて常磐線から乗り換えてみますと……あれれ? 長電バスを思い出させる (^^;) 全く変わった色のバスが客を待っているではありませんか……。しかし近寄ってみると車体には「茨城交通」という表示が。新塗装というわけでもなさそうですので、これは一体どういうことでしょう……? (^^;
車内に入って疑問は氷解。昨年茨交と合併した茨城オートからの継承車だったのでした……(^^;;)。しかし個人的に水戸駅前というのはこれまで2回しか降り立ったことがなく、1回は駅前広場をじっくり眺めるでもなく水戸藩校(弘道館)を見物しただけで再び駅へ戻ったのみ。もう1回は深夜常磐線で到着してホテル○ッツに宿泊し、翌朝ひたちなかに出かけた……という程度ですので、全然茨城オート塗装というものが脳裏に認識されていなかったという次第です (汗)。
そこで帰宅後あれこれ検索してみますと、茨城オートは基本的に水戸駅から見て南西方向(県道水戸岩間線メイン)に路線網を広げていた会社であり、車庫がある鯉渕営業所もひたちなか市とは正反対の方向。そして茨交は茨城オートからの継承車を引き続き鯉渕営業所中心に回しているらしい……。というわけで、そんな車両が突如ひたちなか海浜鉄道代行バスに充当されているというのは、ヨソ者にとって本当にびっくり仰天な話ですが、恐らく茨交としても代行バスの分担を様々な営業所に割り当てていたのかも知れません。
何はともあれ、こうして非常に珍しい中根折返しの光景を記録できただけでなく、富士重工7E天国の観がある那珂湊界隈において、如何にも1990年代らしい風貌を伝える日野ブルーリボンの雰囲気を楽しむことが出来たという点でも、今回の仮復旧訪問は意義深いものとなったのでした……。