地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

消えた四日市の骨材輸送・港のDD452

2012-04-06 00:00:00 | 貨物列車 (四日市)


 貨物時刻表の2012年3月改正版、発売早々誤植があったとかで一旦回収扱いとなったようですが、先月末から刷り直しバージョンが神保町○泉などに並び始め、私も目出度くゲットしました。年々、どう考えても荷主向けというよりもファン向けとしか言い様のない部分が増えているような気がするのですが、今回は公益法人創立記念号と銘打って3Dはがきを付録につけているため、相当分厚さが増しているのはご愛敬といったところでしょうか。
 そんな貨物時刻表をパラパラめくっていますと、震災ガレキ輸送列車と思われるスジが設定されていたり、臨高速扱いながらも石巻線列車の記載があったりするのは、将来へ向けた明るい材料と思った次第です。その一方で吉原駅は全列車通過扱いとなって岳南鉄道の記載が消え、常磐線列車は激減、浜川崎発着の石油タキも消滅……というわけで、この約1年で貨物シーンの面白い部分がこれだけダメージを蒙ったのかと嘆息……。



 というわけで、貨物時刻表の中でもとりわけ濃いぃ部分であった私鉄貨物のページは秩父と三岐のみとなってしまいましたが、そういえばその三岐にからんだ輸送もちょっとした変化があったわけで、ホキ10000を使用した骨材輸送がダイヤ改正を前に消えていたのを思い出しました(三岐線内はさよならHMを装着して運行されたようですが、多忙のため撮りに行く由もなし。苦笑)。骨材輸送のルートは、セメントと同じく東藤原~富田~四日市~四日市港であり、四日市港の最末端ではセメント会社のスイッチャーがDD51から引き継いだホキを骨材専用荷役線に押し込む光景が見られたものですが、骨材輸送はあったりなかったり、また四日市港には定例の午後1便目ではなく朝9時台に来ることもあったりで、かなりギャンブル性が強かった (?) ですね……。ただ、運良く当たりさえすれば、午後のド順光を浴びた罐+ホキ10000の組み合わせをじっくり激写することが出来、扇町~三ヶ尻の石炭輸送とは大いに趣を異にするホキ10000の活躍を楽しめたものです……。
 そんな骨材輸送の終了に伴い、四日市港に入線する貨車はセメント用タキ1900のみとなり、またひとつちょっとした多様性が失われてしまいましたが、今後三岐用のホキ10000に新たな使い道があるとも思えませんので、伊勢治田で放置ののち廃車という運命をたどることになるのでしょうか。とにかく「いつまでも、あると思うな、その貨物」ということを肝に銘じて、小さな貨物スポットを探訪する積み重ねこそ重要なのでしょうが、時間が……(^^;
 いっぽう、今回の画像の主役であるDD452は、神奈臨DD55の後期車をセミセンターキャブにしたような風貌と白塗装の組み合わせが大いにお気に入りですので、今後も末永くセメント輸送で活躍して欲しいものですが、黄色い産業罐・OD451と交代で運用されますので、いつでもこのイケメンぶりを楽しめるわけではありません (^^;)。あ、でもそれ以上に個人的には……普段クラの中に仕舞ってあるDD13の生き残りを一度拝んでみたいものです。

貨物天国四日市を歩く (5) DD51重連石油タキ

2011-04-04 18:20:00 | 貨物列車 (四日市)


 JRF四日市塩浜支線を行くDD51貨物のうち、これまで今春で消えたエチレンコキを集中的に (?) 扱って参りましたが、この路線における大本命はむしろDD51重連による石油タキ列車でしょう! そもそも平坦な関西~塩浜線では、DD51を常に重連にする必要はさほど大きくないと思われ、実際単機で来る列車もそれなりに存在しますが、それでも堂々重連シーンが展開されるのは恐らく運用・出入庫の都合によるものと想像されます (それとも「長編成を組む場合には平坦線でも空転防止→関西線旅客列車への影響低減のため念のため重連にしてくれ」とJRCから要請されているのでしょうか? ^^;)。



 塩浜駅の北を横切る踏切は、そんなド迫力のDD51重連をのんびり・じっくり眺めて撮影しまくることが可能な魅惑のスポット♪ しかも、近鉄の電車が頻繁に通過するたびに必ず踏切が閉まり、撮影中といえども遮断機の外に退出しなければなりませんので、三脚や脚立が林立して場所取りパニックになるなどという凄惨な光景が原理的に起こり得ず、あくまでフットワーク勝負で楽しめる……というのもこの場所の一大特徴でしょうか (^^;)。こうして様々なアングルから眺め回したのち、いよいよDD51のヘッドライトが点灯し、ホイッスルが高らかに鳴ってズドドド……と長大編成が発車! 幼い頃から根岸線で石油タキ列車に親しんで来た私ですが、このDD51重連+タキという編成はまた違った迫力に満ち、関西線・四日市界隈を訪れる際の大きな楽しみになっています。
 そんな、関西線筋を除いて絶滅してしまったかに見えたDD51石油列車ですが、このたびの大震災にあたっては西日本からDD51がかき集められ、東北線が復旧するまでのあいだ磐越西線経由で郡山まで向かう列車が運行されているとか。東北線は4月中にほぼ全線で復旧するとのことで、あくまで一時的な展開に終わるようですが、被災地に暖を送る力強い役割に拍手を送りたいと思います……。
 それにしても、このような非常事態において強力な内燃機関車が果たし得る役割は絶大であると思われます。そこで、たとえ通常の旅客・貨物運用が減ってしまったとしても、あくまで国家戦略としてDD51の代替機を一定数用意する、あるいは少なくとも百済貨物のEL化で余剰となったDD51の計画的な延命を図る……といったことが必要なのではないか?と思うのは私だけでしょうか。

貨物天国四日市を歩く (4) DD51単機エチレン

2011-04-03 11:09:00 | 貨物列車 (四日市)


 新年度に入り、近鉄海山道駅前へのエチレン輸送は無事終了したようですが (延長されたという話が特段入って来ているわけでもありませんので……^^;)、鉄道コンテナを使った化成品輸送の模範生のような存在であった (?) 鹿島~四日市間の酸化エチレン輸送が、度重なる事故や地震に見舞われるという終わり方をしたことには……やはり複雑なものを感じます。バックに暗く厚い雪雲が垂れ込める中、手前のDD51+エチレンコキは文句のつけようもないほどのド順光となるという、最高にドラマチックなライティングに狂喜しながら激写した冬至間際のカットを今改めて眺め返すにつけ、この力強さと寂寥感がないまぜになった一瞬は果たして夢か幻か、それとも今般の結末を暗示するものだったのだろうか……と。



 それにしても、午後2時半頃にスイッチャーが引き出して来たエチレンコキをDD51単機が塩浜駅まで連れて行く小運転 (確か塩浜駅構内入換扱い) は、ちょうど光線の位置がド順光であることに加え、近鉄の駅前という至便な場所でこれだけの絵をゲット出来てしまうという点で夢のような存在でした……。個人的には、海山道と塩浜のいずれで撮影しても、その直後にやって来る近鉄の普通電車に乗り、さらに白子にて特急に乗り換えると、出張先である京都での夕方からの会議にちょうど間に合うという点で最高に美味し過ぎ……(^^;)。快適この上ない近鉄特急の車内にて缶コーヒーを傾けながら、この小運転が魅せる夢のような光景に酔う……というのが四日市訪問の定番ですらあったのです。今後果たして、海山道のヤードと専用線はどうなってしまうのか知る由もありませんが、いずれ新たな輸送が始まって活況を取り戻す、というのは甘すぎる考えでしょうか?

貨物天国四日市を歩く (3) 海山道エチレン出入

2011-03-31 08:00:00 | 貨物列車 (四日市)


 当初の予定では今日を以て最終の積車コキ入れが行われ、明日コキ出しがなされて大団円を迎える予定であったという海山道の液化酸化エチレン輸送……(具体的な予定を操車係の方から伺っていました)。しかし、今月10日には総武線滑河駅にて空車エチレンコキが脱線転覆し、さらにその翌日である11日には大震災のためにJR鹿島線・鹿島臨海・三○化成のエチレン工場が打撃を受けて、そもそも輸送体系自体が崩れてしまったのは周知の通りです。



 しかし本来であれば、今月末まで四日市の川下企業は液化酸化エチレンの供給を受けることを欲していたわけで、果たして代替のエチレン製造元から海山道までオンレールで輸送が続いていたのでしょうか? 単なる一ファンに過ぎず、しばらく外国に出ていた私には知る由もありません。何はともあれ、近鉄海山道駅の敷地から徒歩0秒でかくも素晴らしい光景を激写出来まくりであった素晴らしい貨物スポットが、度重なる事故や天変地異のために寂しい最後を迎えることを悲しく思う限りです……。操車担当の方々は四日市の大手倉庫会社に所属されているようですので今後に問題はないそうですが、願わくばこの美しすぎるスイッチャーたちに佳き再就職先が見つからんことを!

貨物天国四日市を歩く (2) 海山道の緑重連

2011-03-11 00:00:00 | 貨物列車 (四日市)


 昨日成田線の滑河駅で発生した鹿島サッカースタジアム行き貨物列車73レの脱線・横転事故の第1報をネットで目にした際、横転車両から出火して30分後に消し止めた云々という記述から「まさかその車両がエチレンコキで、タンク体の中に残留していた酸化エチレンが摩擦・火花によってちょっとした爆発を起こし火災となったのではあるまいな・・・」という悪い予感が。その後ネット上で続報として無残に横転したエチレンコキの姿を目にし、ただただ愕然としたのは言うまでもありませんが、タンク体が焦げているわけではなかったことから、むしろ脱線した台車から生じた火花が線路脇の草に飛び散って出火したのでしょうか? 
 鹿島 (奥野谷浜)~四日市 (海山道) のエチレン輸送は間もなく約10年の歴史に幕を閉じますが、最後の最後にこのような事故が起こってしまったのは残念……。もっとも、鹿島から来た積車ではなかったこと、そして周囲に民家がなかったことは不幸中の大いなる幸いと言うべきでしょう。もし積車が派手に横転して爆発やガス漏れしたら……そして普通列車と交換するところだったとしたら……と思うとぞっとします (間違いなく死者多数の大惨事でしょう。ISOコンテナの頑丈さはどの程度なのでしょうか? -_-;)。


 
 というわけで物騒な話となってしまいましたが、ここからはまったりと (^^;
 鹿島から来たエチレンコキは近鉄海山道駅前にてJR貨物塩浜線から分岐する専用線に入って行きますが、この専用線は非常に短く、駅から200mほどカーブを走るともう貨車門にたどりついてしまいます。そんな呆気ない専用線ながら、住宅街の谷間を走る小さな鉄路の風情は相模大塚 (休止中・・) を思い出させるものがあり、小~中学生の頃ヒマさえあれば相模大塚にチャリを飛ばしていた私としましては、どうしても海山道を訪れる度にときめきを禁じ得ません (笑)。
 しかもここは、単に線路の雰囲気それ自体が濃いぃだけでなく、エチレンコキを牽引するスイッチャーが余りにも美しいという魅力があります。四日市市内の倉庫会社が運行と保守整備を委託されている2台のスイッチャーは、いつ訪れても必ずピカピカに磨き上げられており、しかも新年に訪れると注連縄を取り付けているという御丁寧さ……。そんなスイッチャーの重連に遭遇した日には、もう宝くじ大当たり並みの喜びが炸裂です! (^O^) 
 では、何故重連だったのか……とても気さくな作業員の方から伺ったところによると、「工場内の荷役線が短いため、コキが4車以上連結されていると重連は出来ない」とのことですが、貨車門から荷役線の様子を窺い知ることは出来ないためチンプンカンプン (^^;)。むしろ、コキの数に関係なく単機で来れば良いのではないか……とも思うのですが、そこを敢えて重連としているのはファンサービスか?と思わずにはいられないほどです♪ 最終日が何時になるのかは、昨日の事故とからめて全く分かりませんが、その日まで作業員の皆様と海山道を訪れるファンの関係が良好であることを願って止みません。