高野線の山岳区間は大型車お断りの泣く子も黙る急勾配・急曲線の連続であり、平日はたまに2000系の大運転が走る他は基本的に2300系2連が往来していますが、土休日ダイヤであれば2000系4連の運用が増えます。たまに関西を訪れる関東人にとって、2000系4連といえば本線の普通の印象が強くなってしまっておりまして (とりわけ平日に訪れればなおさら)、高野線の山岳区間で「2扉車」を掲示しない4連が走っているのを眼にすると、強い違和感を感じるという倒錯した状態に……(笑)。でもやっぱり良いですね。本来の目的で用いられている光景を眺めるのは……。
そして今回高野街道(京・大坂道)を実際に歩いて、南海高野線が如何に高野山を身近にした偉大な路線であるかを痛感しました。1枚目の画像の左に小さく写っている踏切を渡ったのち、高野街道はひたすら長い登りとなり、「やれやれ、紀見峠がすっかり遠くなったな……」と感慨を抱きながら紀ノ川の谷を見下ろして一息ついたと思ったら、急転直下、転げ落ちそうな激坂を下って河根 (かね) の宿場に至り、それまで稼いだ高度がチャラになったかのような絶望を味わうことになります。その直後、脳天に激しいショックの雷が落ちるかのような凄まじい激坂登りが待ち受け、ヒィィ〜と悪戦苦闘を続けると、やっと神谷の集落に至って勾配が緩くなります。
極楽橋駅は、そんな緩い勾配がしばらく続いてヤレヤレ気分で歩いて来た先にあり、撮り鉄休憩は本当にありがたいクールダウンのひとときでもありました。ここで気分をとり直して、ケーブルカーに乗らずに旧街道を登る頃には、標高ゆえに外気もひんやり。ついに真言密教の聖地に入るという清々しさと緊張感とともに山道をこなして行くと、やがてバス専用道と合流して女人堂に到着し、眼前に巨大な宗教都市が開けていったのでした。