地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鉄路の「大東亜」尽きる処・ザーラム駅 (2012)

2019-08-21 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 最近は、日本人が中国や韓国(そして香港……)を避けて台湾に殺到したり、韓国人が日本を避けて台湾に行こうとしても余り歓迎してもらえず、中国からも飛行機増便を断られ、中国人が「上級の指示」により台湾や韓国を避けて日本に押しかけ、台湾人や香港人はここ数年来中国に嫌気が差すにつれて中国旅行から足を洗って久しく……というように、いわゆる東アジアというか北東アジアの海外旅行事情は、時々の内外の政治情勢に激しく影響を受けるところとなっています。グローバリズムや相互依存を喧伝したところで、短期間のうちにこのような激変が起こるとは、何という脆い関係でしょうか。
 尖閣事件が起こる前、中国経済の爆上げを中心にヒト・モノ・カネの激しい往来がアジアを席捲する中、多くの政治家・研究者・ジャーナリストが「東アジア共同体」の成立可能性を熱く語っていたものですが、そこに予め仕組まれていた各国各様のナショナリズムの怪しさを思えば、それは時期尚早の夢物語としか思えなかったものでした(2004年から始めた当ブログのバックナンバーのうち、近隣諸国の鉄道について触れた記事をご覧頂ければ、安易に友好万歳とは言っていないことがお分かり頂けるかと存じます)。実際「台頭した」と思い込んだ中国や韓国が、自らの「理想」に基づいて国際関係の現状変更に邁進するようになり、様々な不協和音が起こるほど、今まで安易に思い込んでいた「共同性」がガラガラと崩れてしまったのが実情です。私はウヨでもサヨでもありませんが、人間のダークな側面を見て見ぬ振りをしながら、「協力すれば何でも克服できるさ」式の安易なヒューマニズムや共同体論には共感できませんし、砂を固めたような「相互依存」が崩れるリスクを予め損得勘定としてしっかり考えておかなければと思うものです。
 では、昔の大東亜共栄圏に至る日本主導の地域秩序なら良かったのかといえば、これもまたダークな話に蓋をして「協力すれば何でも克服できる」という類の話の日本国体論バージョンですので、やはり全く好きになれません。ただ単に、近代中国も近代朝鮮も余りにまとまりがなかったため、たまたま日本の主導性が持続したということでしょう。
 ただ、日本の主導性が日露戦争後から第二次大戦敗戦まで何と40年も続いたため、「東亜」の地には驚くほどパックス・ジャポニカな近代化の風景が広がり、その中では今となっては信じがたいほどお手軽な旅行環境が満鉄・鮮鉄(やがて華北交通・華中鉄道も)を中心として提供され、その気になれば、カネさえあれば、思いのままに移動できる時代が確かにあったことは注目されるべきでしょう。



 鉄道史家・小牟田哲彦氏の近刊『明治・大正・昭和 日本人のアジア観光』は、とくに明治から今日までの日本人と海外旅行の関係全体の中で、アジア近隣諸国への旅行の変遷をとらえるもので、満鉄・鮮鉄など戦前の日本「外地」鉄道や植民政策全般に関心がある方、そして戦後の海外旅行自由化以後におけるパックツアーやバックパック旅行の歴史に関心がある方は必見の一冊と言えます(余りにも面白くて一気に読んでしまった。笑)。その中でもとりわけ圧巻なのは、戦前の旅行指南書や統計・時刻表・広告などを丁寧に読み解いたうえで、概ね大正期以後都市部で一般化したサラリーマンなど中産層以上の人々であれば、国内旅行の延長で何の違和感もなく、日本統治下であった朝鮮・台湾・樺太は勿論のこと、満洲国、そして中華民国まで、パスポートを持たず日本円のみで旅行できてしまった、という趣旨です。例えば上海や山海関での中華民国との出入国にあたっても、パスポートは必ずしも必要ではないということに至っては、まさに驚きの一言で、これぞ大東亜共栄圏の極みといったところですが (あるいは、国境を越えるときに必ずパスポートが必要であるという観念自体、近代になって形成されたものなのかも)、その代わりに荷物検査は厳重を極めたとか。また、個別地域への入域に際し、旅行許可証の取得や届け出がそれなりに必要な場合もあったようです。
 また、そのような「ユルさ」は、日本人の大陸渡航と同時に、実は中国人の日本渡航を容易にしていたということかも知れません。1920年代から30年代まで、近代中国のエリートは、何かあるとすぐに日本にやって来る(例えば、中華人民共和国国歌作曲者の聶耳[ニエアル]も、政敵から逃れて日本に潜伏し、藤沢の鵠沼海岸で遊泳中に溺死)というのも、本書が紹介する旅行事情に照らして実に納得の行く話です。
 そして、いくら日本人の間では「ぜいたくは敵だ」「ブラブラしていないで真面目に働け」といった類の、他人を縛る心理的障壁があっても、お伊勢参りの昔からの習いで「参観・視察」と称して「外地」に物見遊山し、とりわけ団体旅行に興じる気運が一般的だったようです。鉄道会社や旅行業界もそんな「参観・視察」需要に応じて、例えば豊臣秀吉の出兵や日本軍の戦跡を紹介するガイドブックの類を出しまくって旅行ブームを煽り、こうした国家・企業体・個人の視線が複雑にからまることによって、戦前における「外地」観が形成されていたことなど、目から鱗の内容です。
 戦後も、極端な外貨不足から脱して海外旅行が自由化された1960年以後、近場の韓国・台湾・香港が、まず下半身系目当てのオヤジツアーを中心として盛り上がり、旅行ガイドもそういうものとして出版されたものの、1980年前後からバックパッカーの一般化、個人旅行女性の海外旅行市場への参入により、あっという間にガイドブックの内容も変わっていった……という趣旨は、私自身も粗悪印刷時代の『地球の歩き方』世代だけに超納得。また、1972年の日本と中華人民共和国の国交成立・台湾にある中華民国との国交断絶に伴い、中華人民共和国に関する記述が大いに中共と毛沢東におもねりまくった内容に変わっているのにもニヤリ。ゴマを摺って忖度しないと到底やって行けない「友好」関係の中で、暗闇の中をまさぐるようにしながら徐々に進んだのが日中の鉄道協力というものであり、その結果として今日のCRHや重量級貨物の大繁盛もあるのでしょう。

 さて、そんな本書を読んでいて「なるほど」と思った点をひとつ。いくら戦前の中華民国にパスポート無しで行けてしまう環境があったとしても、さすがに雲南省は仏領インドシナの勢力圏であり、交通インフラ面でもハノイから昆明までフランスが建設したメーターゲージの昆河鉄道を利用するのが最も至便だけに、パスポートが必要であったとか。
 そんな昆河線がハノイのロンビエン橋を渡って最初に着く主要駅・ザーラム (嘉林) は、ハイフォン (海防) に上陸した日本人がハノイに足を踏み入れるにしても昆明に行くにしても必ず通るターミナルにして、今日でも釜山から続く標準軌がここで途切れ、東南アジア大陸部共通のメーターゲージに切り替わるところです (1枚目の画像では、ちょうど三線レールが途切れている地点が写っています)。鉄道による大東亜共栄圏(そして今日の一帯一路)が、今の大陸部東南アジアを視野に入れる場合、ここザーラムはまさに「勢い尽きる地」であり、さらに南進するためにはここで必ず乗り換え・積み替えをするか、さもなくば改軌・標準軌新線建設をしなければならないことになります。
 かつての日本の大東亜共栄圏は、東京から昭南市 (シンガポール) に至る弾丸列車計画も空しく崩壊し、仏領インドシナと南北ベトナムはゴタゴタの時代の中でここから南を改軌する余裕などなく、ベトナム新幹線計画も宙に浮いているところです。そして、中国からのハノイまでの直通列車も、今や南寧からザーラムまでの一日一本と限られる中 (2枚目の画像の左にチラ見え)、結局中国はシンガポールを目指す高速鉄道の道をラオス・タイ経由と見立てたわけですが、今や航空路の時代、果たしてそんなに乗るのか?という気もします。
 というわけで、ザーラム駅で撮った未アップ画像がまだ多数あるのを思い出してシコシコとレタッチしつつ、鉄道による大東亜共栄圏・諸国連絡輸送は見果てぬ幻であり、何のかの言って戦前の一時期が最も華であったことを思うのみです  ちなみに、ザーラム駅の一つ北に位置するイェンビエン駅から、毎日1本ハロン行きの満鉄客車が走っていますが(一時期運休説が流れていましたが、何だかんだで運転中のようです)、鉄路の大東亜共栄圏が尽き果てるところで奇跡的に生き残っていることもまた、限りなき興趣と感慨を抱かずにはいられないものがあります。乱筆長文失礼しました。

べトナム国鉄の客車 (5) 裾絞り冷房軟席

2019-02-24 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 以前、米国と北朝鮮の首脳会談会場がベトナムのダナンではなくハノイであると判明したことで、もしやすると金三胖が将軍様専用列車でハノイまで来る可能性がグッと高まったな……と記したものですが、中朝国境の線路に面したホテル客室が予約を受けなくなった、中国からベトナムに入って最初の駅・ドンダンにて花壇を撤去した、中朝国境からハノイに至る鉄道並行国道に通行止めの時間帯が設定された……そして本当に出発したという慌ただしい動きを伝えるニュースを見るにつけ、自分自身の予知能力の高さに驚いています (笑)。 
 というわけで、ベトナム国鉄のメーターゲージ客車形式写真をちまちまとアップするシリーズの続きとして、今回は裾絞り冷房車の軟席車両です。1枚目の画像は軟臥車のAn11753、2枚目の画像は軟座車のA31412となります。



 窓の間隔が開いた軟臥車の雰囲気は、さすが優雅な感じがしますね……。いっぽう軟座車は、ハノイ~ハイフォン間の機織り急行に組み込まれているものですが、個人的な感想としましては、これがとんだ食わせ物! そもそもボックスシートの硬座車と全く同じ窓割りでリクライニングシートを設けていますので、顔の位置に柱が来るのはよくあることですし、全く集団見合いの固定リクライニングシートということもあり、直前の切符購入で既に進行方向向きの席が埋まっている場合には本当に閉口します。のみならず、備え付けのテレビからやかましく歌謡曲やウリナラドラマの類が流されているのには超トホホ。挙げ句の果てには、各車両の列車員が駅間では涼みに来て大騒ぎしまくりですので、客レの乾いた走行音を楽しみたいなどという幻想は木っ端微塵に打ち砕かれること間違いなしです。最近は路線バスもどんどん冷房付きになりつつあるベトナムですので、ハノイ~ハイフォン間をサクッと移動したい客も率先して1~2両しかない軟座車に集中する傾向があり、軟座が滅茶苦茶混んでいる一方で、数両連結された非冷房硬座はスッカスカという情景も眼にします。
 要は、音鉄な方にはベトナムの冷房車は全く向いていないということなのですが、それでもあの、狂気に満ちた蒸し暑さを考えますと、やっぱり冷房軟座車を選びたくなってしまうもので、難しい問題です (苦笑)。

べトナム国鉄の客車 (4) 裾絞り冷房硬座

2019-02-12 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 東京ネズミーランドで物見遊山するために日本に密入国したマサオさんがタナ・ムラユで暗殺されてから明日で2周年なのだそうですが、下手人である北のペースに米国も東南アジア諸国もすっかり巻き込まれているのは、何とも片腹痛い話です。そんな北の金三胖がベトナムに来る際の目的地が実はダナンではなくハノイなのだそうですが、単に北の大使館があって警護に好都合であるだけでなく、胖子の爺さんにあたる大元帥も社会主義の連帯を称してハノイを訪れていることから、その足跡をたどって胖子の権威づけを図るのだとか。
 そこで、ハノイまで……ということになりますと、鉄道で来る可能性も上がったな、と思いました。将軍様特別列車でハノイまで来たのち、メーターゲージの統一鉄道に乗り換えるという手間がないわけですから……。



 そして、もし鉄道で来る場合の到着駅は、標準軌が尽きるザーラムではなく、一つ北のイェンビエンまででしょう。ザーラム駅はホームが狭くデコボコしており、駅前広場も存在せず、黒塗りのリムジンが乗り付けるには適していませんが、イェンビエン駅は大通りに面してホームも車が入れますので。
 というわけで、何てことないたわごとを綴って恐縮ですが、ベトナム国鉄客車ネタの続きとして、裾絞り客車をアップしましょう。
 何となく計画経済時代の車体技術の香りが残るリブつき客車の次の世代が、この裾絞りシリーズだと思われるのですが、個人的な印象では、全体的なタマ数はそれほど多くないようです。とはいえ、ハノイで短時間のうちに鉄活動する際にお手頃な路線であるハイフォン線の列車に冷房座席車として連結されていますので、意外と存在感があるかも知れません。
 今回アップした画像はどちらもボックスシートの硬座車ですが、非冷房車が完全板張りシートであるのに対し、この冷房車はモケットが張られていますので、確かに高級感はあります。もっとも、ハイフォン線に過去2回乗ったいずれも軟座車でしたので、こちら硬座車の具体的な座り心地は分かりません……悪しからず (^^;

べトナム国鉄の客車 (3) リブ付き冷房軟臥

2019-02-08 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 An11723。窓間隔が他の車両と比べて広く、高級感が際立ちます。



 An11718。



 An11740。



 An11767。

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 北の金某と美国の壁マニア大統領が2回目の会談をベトナム・ダナンで開催することになったようですが、そのことと関連して、昨日のN経新聞にマニアックな記事が載っていました。曰く、金一家のプライベート・ジェットは老朽化が甚だしく、先般シンガプラに往復した際にもレンタルしたものであったところ、今回は中国経由でベトナムと北がつながっていることから、将軍様専用列車で往復することも有り得るのではないか……とのこと。
 しかし個人的には、「事はそう甘くはないのでは? 記者はベトナムの鉄道を見聞したことがあるのか?!」と思います。朝鮮半島や中国東北から延びてきた標準軌はハノイのザーラム駅の南で尽き、ロンビエン橋を渡ってハノイ市内中心部に入ることは出来ません。また、北の25m級大型車は台車振り替えでソ連、もとい恐ロシアに直通することは出来ても、ベトナム国内や中越国境に台車振り替え場があるとは聞いたことはなく、中国から来た車両は必ずザーラム (国際客レ) またはイェンビエン (貨物列車) が終点となっています。さらに、ハノイ以南のメーターゲージ統一鉄道が、25m級大型車に対応した車両限界であるとも思えません (25m級大型車にメーターゲージ台車を穿かせることでしたら、サハリンの恐ロシア客車を見る限り、不可能ではないのでしょうけど)。
 したがって、もし金三胖 (金家の三代目のデブ) が列車に乗って来るとしても、必ずザーラム・イェンビエン・中越国境のドンダンのいずれかで、ベトナムの客車に乗り換える必要があります。そこでそもそも、ベトナムの共産党幹部御用達「専運車」とはどんな車両なのか……?? 多分存在するのでしょうが、ベトナム共産党はホーおじさんこと胡志明主席以来の伝統で何事もあっさり・簡素を旨としているようにも思われますので、金三胖のお気に召すような超!重装備の専運車を用意できるのやら……? 結局、疑い深い北の要求を満たすような重装備の客車がベトナムには存在しないため、何だかんだで鉄道は使わず、さっさと飛行機をどこかの国から拝借してダナンに飛ぶような気がしております。まぁ仮に列車で来るとすれば、ベトナムの専運車が大っぴらに国際的注目を集めるということで、私としても興味深々ですが……(笑)。
 というわけで、ベトナム国鉄の客車形式写真のつづき……計画経済時代の香りを僅かに残す (?) リブつき空調軟臥車です。このグループは11700番台を名乗っており、大まかな形態も統一されています。しかし窓間隔 (コンパートメントの広さ) や、トイレ・洗面所部分の窓の設け方がまちまちで、何とも不思議なグループです。その理由は全く知る由もありませんが、恐らくザーラム工場のハンドメイド感覚の現れなのかも知れません。

ベトナム国鉄の客車 (2) リブ付き冷房硬席

2019-01-19 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 先日の日経新聞には、一旦立ち消えになったベトナム新幹線計画再浮上という記事が載っていましたが、その内容を詳しく読んでみますと、ベトナムは中国と同じ共産党の一党独裁でありながら、財政規律についてかなり神経質な議論が根強いだけでなく (政府債務が毎年のGDPの65%を超えては宜しくないようです)、中共のような甚だしい個人崇拝というわけでもないために党内や国会内での一定の自由な議論の余地もあることが、当初のハノイ~ホーチミン市間を一気につくる新幹線計画の中止の背景にあるのだとか。
 とはいえ、急速な経済発展が続いており、新幹線に限らずインフラ全般が不足していることには変わりはありません。バクニンからザーラム・ハノイ駅を経てナムディンに至る、既存の国鉄線改良による通勤鉄道化なんて全然進んでいないそうですし、昨年末にベトナムビジネスに関わっている先輩と飲んだ際にも「ハノイの地下鉄なんて放置○レイ気味でいつ開通するのかさっぱり分からず、渋滞はますます酷く何じゃこりゃ。ハノイよりもホーチミン市の方が先にどんどん地下鉄が出来て、ハノイの面子は丸潰れになるだろう」とぼやいておられました。



 そんな中、日経新聞によりますと、ベトナム共産党内のリーダーシップの安定、そしてベトナムの外交・経済そのものの安定から、もう少々積極的に長期的な視点で必要なインフラ投資を増やしても良いのではないか、という流れになりつつあるようで、やはりハノイ~ホーチミン市間に段階的に高速鉄道を整備しようという機運が盛り上がって来たようです。日本側としてもかねてから、援助の受け手が無理なく返済できるスキーム作りでは長けているはずですので (そこらへんは中共の「一帯一路」なるものとは違う)、再びベトナム新幹線をめぐる日越協力という話が正式に動き出せば良いのではないかと思います (傍から見ているだけですが ^^;)。
 だいたいそもそも、ハノイとホーチミン市の間に主要都市が連なっている中、せっかく近距離・中距離も含めた膨大な旅客流動需要があるにもかかわらず、統一鉄道の旅客列車が余りにも貧弱なばっかりに、みすみすLCCと高速バス・クルマに客が流れ、空港と道路の過密を招いているわけですから、バランスある交通網形成において高速鉄道が果たす役割は大きいはず……。あるいは、タイとインドネシアで高速鉄道計画がぼちぼち一応進みつつあるのを横目に、前近代から我こそは文明国と思っていたベトナムとしてもおちおちしてはいられなくなったということなのかも知れません。

 というわけで、そんな変わりゆくベトナムの鉄道シーンを……。思いだした頃に超不定期でアップしている客車形式写真の続きです。車体構造そのものはコルゲートつきで、計画経済時代の車両の延長にありながらも、思い切った固定窓 (一部二段窓) でもあり、ドイモイが一定程度軌道に乗り冷房車への需要が高まった時代の車両 (90年代以後の車両?) と思われます。
 1枚目は硬臥車・Bn21405、2枚目は硬座車・B41360となっています。また他にこのグループには軟臥車がありますが、軟臥は形態がまちまちですので、また改めて……。