地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東武日光駅前・日光軌道線の保存車

2020-12-31 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 東武の日光・鬼怒川界隈をめぐっては、SL・DLの増備による保存鉄道としての鬼怒川線活用のいっぽう、6050系の20400系への置き換え進行も進み、過渡期を感じる昨今ですが、そんな中、魅力アップの試みのひとつとして、日光軌道線100形の保存車が東武日光駅前にて保存されたのは嬉しい話です。去る10月に奥日光を久しぶりに歩いた際、バスから南栗橋行き急行に乗り換えるついでに、夕暮れ時の表情を撮影してみました。



 この日の当初の予定では、特急日光の新宿までの特急券を購入していたところ、大渋滞で発車時刻に間に合わずパー!となりましたので、トホホな気分ではありましたが、保存開始間もない美しい姿を撮影出来て何よりです。鉄道車両の保存には、時間も労力も金もかかるものですが、今後も少しでも多く、産業遺産としての鉄道車両が残ることを願うばかりです。
 
 最近はただでさえ仕事量が増し、健康のためハイキングに注ぐ時間も増え、撮り鉄に充てる時間が減っていたところ、今年は突然の完全オンライン業務対応のために恐ろしく時間を食ってしまい、自ずと新規撮り鉄の機会減少・レタッチしてこのブログにアップするヒマの減少につながってしまいました。そして何よりも、武漢から広まった疫病のために、鉄道をはじめ公共交通が前代未聞の打撃を蒙るという、本当に痛ましい一年となってしまいました。
 来たる年は、鉄道界、公共交通界、そして世界にとって少しでも明るい話題が増え、皆様にもより多くの幸せがもたらされることを願うばかりです。どの程度頻繁にこのブログを更新できるか全く分かりませんが……(汗)。
 皆様良い新年をお迎え下さい。庵主謹白 m(_ _)m

桜木町駅の鉄道記念物・SL110号

2020-07-23 20:20:00 | 保存・園内・特殊車両


 JR根岸線の桜木町駅界隈は、箱物大好きな横浜市長のテコ入れもあってか、ここのところやけに変貌のスピードが早まり、関内駅前にあったボロボロな横浜市役所が桜木町駅の南の高層ビルに移ってきたほか、横浜港貨物線跡の「汽車道」に沿ってロープウェイを本当に作っています……(これは美観を損ねるから止めて欲しかったのですが -_-;)。そんな中、桜木町駅も新南口が開設され、低層部にはスタバなどの店舗が入り、3階くらいから上はホテルメッツとなるなど、大きな変化がありました。その1階部分には、鉄道発祥の地に相応しいシンボル的存在として、青梅鉄道公園から110号SLが移設されました。



 このSLは、大宮で保存されている1号機関車ともども、明治5年の新橋〜横浜 (現・桜木町) 鉄道開業に合わせて3号機関車として用意されたもので、Wikipediaによると当初は、日本での組み立て精度など不慣れな点もあって余り調子の良くない罐だったものの、次第に手を入れて行くうちに本来の性能を発揮するようになり、改番を経て何だかんだで非常に長寿を保ったのだとか。そこで保存対象となり、大宮、青梅と場所を変え、このたび徹底的に原型に近づけるなど整備を加え、先月末にお披露目となったとのことです。
 そして後ろには、明治期の写真を参考にして新造したレプリカ客車が連結されており、非常に良い雰囲気を醸し出しています。……が、ふだんは車内立ち入り不可で (ご時世に鑑みてそうならざるを得ないでしょう)、デッキ部分から車内を覗くかたちになります。木組みがとても美しく、「ほら……木製車両や半鋼製車両だって、今でも造ろうと思えば余裕で出来るじゃん……」と溜息をつくほどでした (笑)。
 110号SLは、35mmフルサイズで24mmレンズがあれば撮影出来ますし (客車はもっと超広角が必要)、スタバなどが営業する時間帯は基本的にオープンしていますので、横浜にお越しの際はお見逃しなく!

謹賀新年・横浜市電保存館魅惑の青

2020-01-01 17:33:00 | 保存・園内・特殊車両


 あけましておめでとうございます。新年の鉄道界において少しでも明るい話題が多く、皆様のヲタ活動がより充実したものとなることをお祈り申し上げます。そんな中、引き続き時間の許す限り、ひっそりと鉄活動した記録をぼちぼちとアップして行く所存です。
 というわけで新年の一発目は、昨年末の上大岡ヲタ祭り及び根岸貨物のついでに訪れた、横浜市電保存館の模様です (実は根岸駅から歩いても15分で着くことを今回学習しました)。ブログ内検索をした結果、11年半以上ぶりとなってしまっており、こんなにご無沙汰してしまったのかと思うとトホホな気分ですが、それはさておき、コンクリートの壁は白く塗られ、照明も白熱電球色のLEDに変わった結果、優しくレトロな空間らしさがグッと増して大いに好感を抱きました。



 そして激しく感動したのが、1611と1311の青い並び! 1601は11年以上前の来訪時に既にこの塗装となっていましたが、1311は濃いクリームと青帯の最終塗装でしたので、この水色+クリーム+茶色ドア&窓枠という塗装は初めて目にします。う〜む、ミナト横浜レトロ浪漫としか言いようのない美しい並びに、思わず目が釘付けになりました。そしてひとしきり激写!激写!激写!
 しかし、24mmからの標準ズームしか持参していなかったもので、超カツカツのギリギリになってしまったのは残念 (^^;)。ここに来る際には16/17mmくらいからの広角ズームが必須でしょうか。
 激写のあとは1311の車内でしばしまったりし、木工工芸品の美を極めたニス塗りの車内に心からの安らぎを感じたことは言うまでもありません。惜しむらくは、冬休みのお子様が多く、コンクリートの壁に絶叫、もとい歓声が反響しまくったことでしょうか。ここは来るなら平日がベストです (この手の車両保存展示館の類は全てそうですが)。
 それはさておき、1311と同じ塗装のフリーランス車両を模型で作ってみたい気がムラムラと湧き起こって来ます (それこそ、横浜市営地下鉄が戦前または戦後早い時期に架線集電で建設されたらこんな感じ、というノリで……)。しかし残念ながら、最近はとにかく時間がなく、塗装作業から遠ざかること久し……。この手の悩みが絶えない新年となりそうです。

さよなら、三峰口の秩父100系

2019-05-08 23:21:00 | 保存・園内・特殊車両


 かつて秩父の山峡に釣掛の高らかなる唸りを響かせ、車内に一歩入れば麗しのニス塗りが魅惑の限りを尽くしていた、戦後の秩父鉄道の主力車種・秩父100系 (デハ100・クハニ20・クハユ30・クハ60) は、まず小田急1800形あらため800系の流入で数を減らし、さらに今から31年前、国鉄101系あらため1000系の流入によって全車廃車となりました。幸いにしてその後、デハ107とクハニ29は三峰口の鉄道車両公園にて保存され、古き良き時代の秩父鉄道の雰囲気を伝える生き証人となって来ました。
 ところが最近は再塗装もなかなか行われずに、とりわけ屋根と木製の窓枠が老朽化の極みに耐えかねて、全体として荒れるに任せ、ついにはSL終着駅としての三峰口駅の雰囲気そのものを損ねることになったことから、このたび鉄道車両公園のリニューアルと称して撤去・解体されることとなりました……。秩父鉄道の告知では、具体的にどの車両を解体するかについて触れられていませんが、展示車両の中で最も状態が悪化しているのはこの2両ですので、解体はまず避けられないものと思われます……。



 解体作業と鉄道公園再整備は5月から始まり7月中には終わるとのことで、連休を最後にいったん鉄道公園は閉鎖となるのだろうと思われましたが、少なくとも昨日(7日)に平日休みを使って訪れた際にはまだ作業は始まっておらず、クハニ20の手前ロープまでは近づくことが出来ました。そこで「連休も終わって車両公園全体が立入禁止となっているかも知れないものの、少なくともまだ解体準備作業中で、解体までは始まっていないだろう。せめて最後に一目……」という思いで三峰口を再訪した私は、連休明けということもあって他に誰もいない中、すっかり舞い上がって激写しまくり、100系目当てで秩父鉄道を訪れた1980年代の中坊・高坊の頃を思い出すと同時に、解体自体は本当に残念だと思うものの、逆に「よくぞ雨晒しの中、今まで残っていたものだ……」と労いたい気持ちになったのでした。
 あの琴電ですら、様々な事情により産業遺産級超古参電車の維持を断念せざるを得なくなった以上、秩父鉄道が既に荒廃の極みに達した100系電車の美しい状態を回復するのを断念するに至ったのは、ある意味でやむを得ないのかも知れません。とはいえ、こうしてまた一つ、時代の生き証人と言える貴重な半鋼製釣掛式高速電車の本物が失われてしまうのも事実です。このような産業遺産の持続的な維持管理と活用のために、あくまで一民間企業の自助努力に依存するのみではない、もっと良い方法はなかったのか……とも思うのですが、覆水は盆に返らず。今後このような保存車両の解体は、あちこちで進んで行くことでしょう。そうなる前に撮るものを撮っておかなければならないのは、たとえ元号が改まっても決して変わることのない事柄なのかも知れません。

東武ミクリまつり2018 (3) 14系

2018-12-09 15:44:00 | 保存・園内・特殊車両


 東武はSL「大樹」の運行を始めるにあたり、実際に運用に入れている14系客車だけでなく、部品を確保するため12・14系客車を北海道と四国から調達していますが、南栗橋の車両基地が公開されるということは、これら日常的には全く忘れられた車両を眺める格好の機会でもあります。そこで実際、期待通りにこれら部品取り車両が展示……というか放置されているのを目にすると、大いに盛り上がって激写してしまうのは私だけではないでしょう。



 それにしても、最近は189系や485系が風前の灯火であることからして、14系の残党も本当に減りました。JRで現役で稼働しているのは北海道の釧路湿原を走る車両と「サロンカーなにわ」のみでしたっけ? そして民鉄も、大井川は確かまだ稼働しておらず、日常的に乗ろうと思って乗れるのは東武のみ……。今からみればショボさの極みな簡易(?)リクライニングシートも、昔のワイド・ミニ周遊券旅で乗った臨時急行や臨時特急で当たれば極楽だったものです。そして視線を外に転じれば、タイの豪華客車に改造されたグループはたまに運行され、最近も日本人鉄ヲタグループがチャーターしたと風聞していますが、タイの各地に放置されていた余剰車は次第に解体されつつあるようで、確実に14系は内外で過去の車両になりつつあるのでしょう。平成すらもうすぐ終わるのですから、1970年代の客車が消えて行くのも当たり前でしょうか。