地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

伊豆急冬物語 (5) 魅惑のクモハ103

2008-04-30 15:18:59 | 事業用車両


 伊豆急シリーズの前回のアップでは、ロイヤルボックスとともに入換中のクモハ103の姿をご覧頂きましたが、今回はとっておきシーンとしまして、前パン姿を形式写真風 (?) に激写したところをアップしてみましょう (^^)。
 さて、RBをアルファ編成に連結させたあと、用が済んだクモハ103は一旦下田方に進んだのち、普段の寝場所である検修庫前まで戻って行くわけですが、その際に3番ホーム脇の洗車台前を通過する一瞬が最高の魅せ場! ファインダーの中を華麗に舞うクモハ103の姿に、視線は釘付け、もううっとり……(*^^*) という感じで、危うくシャッターを切り忘れそうになりましたが、最後はきっちりとイメトレ通りの位置で撮影してガッツポーズしまくりです (爆)。しかし次の瞬間我に返りまして速攻で後を追いかけ (よい子は真似をしないように。笑)、手前に電柱などがかからない位置を通過しているシーンを望遠でゲット! (2枚目の画像) 後ろに8000系がチラ見えなのも、新旧ハワイアンブルーという感じで、伊豆急の今を表現できたと思います。



 それにしても、返す返すも我ながら愚かなことに……伊豆急100系の現役時代は結局1枚も記録しなかったことを、いま悔やんでも悔やみきれない思いでいっぱいです。80年代は半鋼製釣掛式電車専門だったため撮っておらず。まだまだ100系が数多く走っていた90年代も、何度も法事のために乗っているはずなのですが……非鉄だったため結局は撮らず仕舞い。たまにガラ空きのサハ180 (元グリーン車) に当たると、椅子を回転させて超ワイドなボックスシートにしまして、巨大な窓からの相模湾の絶景をほしいままにしながら「うひょー、サイコー!」なんて思ったりしたものですが……。そして、撮り鉄に復帰した00年代はじめ頃はと申しますと……100系は辛うじて細々と走っておりましたが、「ただでさえ運用数が少ないのに、ラッピング車「イズノスケ」に当たったらイヤずら (伊豆弁)」と思い、結局撮りに行かないまま引退してしまったのでした。今でこそ、200系がもうすぐ消える……ということであたふたする始末だというのに……。
 というわけで、伊豆の明るい風光を車体に表現したかのような美しい2扉セミクロスの車体を持つ伊豆急100系に対する失礼の数々を、今さらながら厳しく自己批判しまして、それだけに改めてほとばしる懺悔の気持ちをシャッターを切る瞬間ごとに込めた次第です (爆)。そして、今度はいずれ8000系を連結した入換シーンを是非、と思っています。また、この撮影成功の勢いに乗って、マイクロエースの伊豆急100系6連セットを購入してしまったことは申すまでもございません (本棚に並べてうっとり……*^^*)。

麗しの山スカ・08年黄金週間ホリ快鎌倉号

2008-04-29 21:04:28 | 国鉄型車両


 今年も黄金週間に突入してはや4日。ちょうど天気も良いことから、各地の行楽スポットは激混みとなり、電車も駅も時間によっては大混雑……。それでも「鉄」な皆様の多くはここぞとばかり、活動に励んでおられることと思います。
 しかし、私は最近仕事がどうにもこうにも山積し、黄金週間も相当つぶれそうな気配……。まあ、仕事を家に持って帰ってくるのはダメ社員の証だと言われそうですが (苦笑)、金を稼いでも趣味で散財するヒマがないというのは、それはそれで何ともストレスがたまるものでもございます (^^;)。そして気が付いてみたら、何とかれこれ2週間半も走っている列車を撮っていないことに気付きました。
 そこで、たまには気分転換も必要だということで、近場に少々出かけて撮影を楽しんでみました。本当は秩父路のウグイスを見たいのですが、昨晩も夜遅くまでPC仕事で早起きする気もせず……。というわけで、ウグイスがダメならスカ色で勝負! 鎌倉の観光シーズン全開!に合わせてこの黄金週間も走り始めた、豊田区の至宝・M40編成によるホリデー快速鎌倉号を横浜駅で待ち構えてみました。



 到着に合わせて横浜駅に着いてみますと、6番線は「富士はや」を待ち構える撮り鉄が鈴なり状態 (爆)。早くも約1年後の廃止を控えてフィーバー状態とは……先が思いやられます。その一方で、ホリ快鎌倉号の到着数分前だというのに、7番線には誰もいないという……(^o^)。さすがに到着直前にもう数名増えましたが、山スカ様の横浜御来臨という「富士はや」に勝るとも劣らず貴重なシーンは何故全然人気が下がるのか、何とも摩訶不思議なものがありました。まあ、特急列車よりも何の変哲もない国鉄近郊型電車の方が好きだ……という地味鉄趣味な人間の偏屈な発想だということは百も承知なのではありますが (^^;;)。
 逗子へと走り去った山スカは、夕方まで一旦品川まで引き上げ、午後2時過ぎに再び回送として逗子に向かいます。【4/30訂正:いつもお世話になっております「165系アルプス」さんからのご教示によりますと、東所沢までの回送に変更されたようです。最近DJ誌も満足に立ち読みするヒマがないもので……^^;】 その手間はかなり勿体ないような気もしますが、逗子や横須賀の側線を他の団臨などのために空けておく必要がある以上、まあやむを得ないことなのでしょう。もちろん、鉄道趣味的にみれば、その分撮影機会も増えるわけで大歓迎ではありますが……(笑)。そこで、横浜でしばらく待避していた回送列車が発車するシーンを撮影! バックに小さく相鉄ジョイナスの建物が入り、「如何にも横浜」という感じになりましたが……緊張しすぎて画面左側がカツカツとなってしまいました (滝汗。かなりトリミングしております)。うーむ。やはり撮り鉄という行為は、こまめに動く列車を撮らないと腕が鈍りますなぁ……。
 ともあれ、これまで個人的に山スカのホリ快鎌倉号を撮るとすれば、横須賀線内で済ませることが多かっただけに、横浜駅で無事記録することが出来て良かったなぁ~と思っています。

伊賀甲賀忍び鉄 (4) 伊賀鉄道の旅

2008-04-28 16:47:58 | 地方民鉄 (近畿)


 関西線のキハ120で向かった先は伊賀上野。その目的はもちろん、昨年秋に近鉄から切り離されて発足した伊賀鉄道を初めて訪問するためです! 
 もっとも、伊賀鉄道発足にあたっての上下分離は、車両・設備面では近鉄が従来通り100%保有し、近鉄および沿線自治体による出資も近鉄が98%を負担していることから、当面は単に、近鉄の本線系統と運賃体系を切り離すことによって独自の運賃収入を得るための分離独立であるようにも見えます。
 しかし、今後は沿線自治体の出資比率が増えるにしたがって独自の経営と雰囲気が強まって行くことでしょうし、何よりも車両面で相当年季が入っている860系を廃して別の車両を導入するらしい……という話もあるようです。とくに、近鉄は860系の後釜になるような18m車を保有していないことから、代替車両は他の私鉄の18m級車両となることでしょう。軌間も1067mmであることから、ひょっとして東急7700という選択もありうる……という妄想すら湧いてきます (^^;)。そこでとりあえず、関東人間の私としましては今後の成り行きを注意深く観察したいところですが、その前に近鉄っぽい雰囲気が残っているうちに是非初訪問をしておこうと思ったのでした (^^;)。



 伊賀上野で関西線を下車しますと、同じホームの目の前にさっそく860系がお待ちかね! しかも「くノ一」や「名○コンサルタント」ではなく近鉄標準塗装です!\(^O^)/ それに何と言っても860系といえば……兄貴分にあたる800系は、中学時代の修学旅行の際、京都=奈良間の移動で乗った思い出の車両です。
 じつはその当時、「近鉄といえばビスタカー、または紺とオレンジの特急っしょ! 修学旅行用の《あおぞら号》とかもマジで乗りたいなぁ!」という過剰な期待を抱いていただけに、近鉄京都駅に入線してきた修学旅行臨が800系だったのを目にして激しく落胆したものです……。まぁ、所詮は有料車両以外、半鋼製釣掛式電車にしか目が行かなかった愚かなク○○キでしたので、初期新性能電車の奥深い味わい方を全く心得ていなかったのはやむを得ないことでしょう (^^;)。しかし、そんな苦い思い出すら、オヤジの世界に近づくにしたがって美化され (笑)……860系の車内に足を踏み入れた瞬間「懐かしい!」という感激が! (*^^*) 
 ところが次の瞬間、腹部が突如ウルトラフィーバー状態に (^^;)。そこで、関西線に連絡してすぐに発車する上野市行は見送りまして、伊賀上野駅を出たのち線路沿いにダラダラ歩いているとすぐに着いてしまった新居駅でのカット (1枚目) が、記念すべき伊賀鉄道初撮影となったのでした (そんなヤツほとんどいねぇ……^^;;)。
 その後は上野市乗換で一気に伊賀上野へ! 途中の里や街の雰囲気は良く、猪田道駅や比土駅など、途中下車して撮り鉄してみたい駅もあったのですが、時間の都合と光線の関係から省略 (^^;)。明るい曇りの日にのんびりと再訪したいと思っております。いっぽう乗客数につきましては、「関西線連絡列車」と呼ぶべき上野市~伊賀上野間の列車は悲しいほどガラガラでしたが (単行用車両を用意した方が良さそう……)、上野市~伊賀神戸間は各駅で少しずつ客を拾い、伊賀神戸到着時にはほぼ座席が埋まる程度となりましたので、今後の健闘を祈るばかりです。
 伊賀神戸に到着しますと、分離前はノーラッチで近鉄大阪線と乗り換え可能だったはずが、今やがっしりとした柵と専用改札が設けられ、きっちりと運賃徴収がなされています。そんな光景を通じて分離の現実をかみしめつつ、青空のもと発車を待つ上野市行を撮影したのでした……。

ソウル電車漫遊録 (5) 3号線の小田急?

2008-04-27 01:31:23 | 韓国の鉄道


 ソウルの中心部をぐるりと一周する地下鉄2号線では、如何にも日本の70~80年代的な雰囲気の電車が走っているのに対し、ソウルの街を南北方向に貫く3号線では、同じく80年代の開通であるにもかかわらず、恐らく当時のパリあたりの最新鋭車両を意識した (?……確か昔のRF誌か何かで見覚えがあるのですが……^^;) トリコロール・カラーの電車が走っております。
 というわけでこの電車、一般的にはおフランス風、あるいはヨーロッパ風として紹介されることが多いような気がするのですが (そんなことないか……スミマセン ^^;)、小田急に乗り慣れた私にとってはどう見ても、小田急9000形に刺激されたデザインとしか思えず、見れば見るほど「懐かしいっ!」のひとことです。まあ、9000形が引退したのは2年前の話ですが、3000形がこれだけ増えてしまった現在では、遠い昔のことのようにすら思えまして……。実際、車内はイマイチ垢抜けない1970~80年代風で、走行音も実に9000形そっくりのデンジャラス系となれば、ますますこの車両に思い入れずにはいられません (*^^*)。



 ちなみに、3号線電車のトリコロール・カラーですが、個人的にはおフランス風ではなく、韓国国旗=太極旗の色なのではないかと思っております。とくに3号線は、まず独立門 (ドンニプムン。日清戦争で日本が清を破った結果、朝鮮は清の属国ではなく独立国となり、それを記念して建てられた門) から旧把撥 (クパバル→1枚目の電車の行き先) まで開通した路線です。そこで「独立門→独立国→国旗」つながりでこの色にしたのだろうと勝手に推測……(違っていたらすみません。^^;)。
 それにしても、今回の2枚の画像を玉水 (オクス)駅で撮影していて思ったのは、「韓国もすっかり北朝鮮との戦争を想定しなくなり、まったりとした雰囲気に変わったなぁ……」ということです。4年前に初めてソウルを訪問したときは、まだ何となくピリピリした雰囲気が感じられ、鉄橋・トンネル・地下鉄などは尋問・拘束が怖く、カメラを向ける気にはならなかったのですが、今回は漢江の大鉄橋を渡る列車 (2枚目) すら何事もなくフツーに撮りましたので……。あ、それはもちろん、私が如何にも「イルボン (日本) から出張に来ました」という風情で、割とコンパクトなズームレンズを使ってスーツ鉄をしており、警戒には当たらないと判断されたためかも知れません。バズーカ砲のような白レンズを三脚に据えて構えるとしたら、相変わらず警戒されることになると思いますので、悪しからず……(鉄道趣味はまだ一般的ではない国ですし。汗)。

東急恩田通信・若葉の08年4月末編

2008-04-26 09:14:25 | 大手民鉄 (東急)


 ここのところ多忙のため、出勤ついで鉄もままならなかったのですが、そうこうしている間にも、東急の車両事情は目まぐるしく変わって行きます。とくに、桜舞い散る4月初旬の時点ではまだ編成が組まれていた8001F・8005Fも、さすがに3週間を経てしまえば編成をバラされてしまうのも必然的な流れということになります。リンク頂いているMIYAさんのブログ「PRECIOUS」の恩田レポートを拝見していますと、辛うじて工場内に残っている8000系の様子に、いてもたってもいられない気分にならざるを得ません……。そこで、昨日は久しぶりに午前中時間が空いたことから、長津田で途中下車のうえ恩田をちょこっと訪問して参りました。
 こどもの国線に乗って長津田工場が見えて来ますと、あれ……工場正門脇の側線からは完全に8000系の姿が消えており、「カラス」ことデキ3021がぽつねんと佇んでいるだけでした。工場内もかなり空いたスペースが増えつつあるようで、確実に8000系の搬出が進みつつあるようです。



 そこで恩田のホームに降り立ちますと、デワ3043の後ろには8000系のクハが社紋や車号を外された状態で留置中でした。ただ、残念ながらすぐに入換をするような雰囲気ではありませんでしたので、さらに工場南西側の高台に上ってみますと、東急テクノシステムの新しい構内側線には、「PRECIOUS」さんでもご紹介されていた、両端の窓を外された謎のデハ8100の姿が……。歌舞伎の帯も、こどもの国方の車端部を残して剥がされており、まあ間違いなく別の用途へ向けた改造を控えているのでしょう……(解体の場合は帯を剥がさずに搬出されるのがこれまでのパターンだったと記憶しておりますので ^^;)。車内は何だかメチャクチャな状態になっているのが遠目にも分かるのですが、果たしてどうなるのでしょうか?? なお、東急テクノシステムは現在のところ工場本屋が完成しただけで、様々な工具類はこれから搬入するようですので (敷地内に空の棚がいっぱい)、謎のデハ8100が中に吸い込まれるのは連休明け以降と予想しております。
 いっぽう、望遠ズームレンズを使って奥の車両群を眺めてみたところ、デワ3043の次位がクハ8006、1枚目の画像の奥に見える2両はデハ8106 (5だっけ ^^;) とクハ8005でした。これらの車両は社紋・車番を外されたうえに、直接車体にマジックで番号が殴り書きされていましたので、間違いなくこのまま搬出・解体でしょう……。さらにその奥にいた、伊豆急向けと思われる改造を受けていたデハ8118は、ガムテープの上に車番が記入されていましたので、車体に直接車番が記入されるか否かが運命を判断する基準と言えそうです (インドネシア行きの場合は東急の車番を継承しますので、社紋をガムテープで覆い隠すか否かが基準)。
 それにしても気になるのは、クハ8001の行方です。さらに奥の方に1〜2両ほど8000系の車体が見えたのですが、車番は確認できず……。