先月、伊予鉄道は全面的な車両デザインのイメチェンを発表しましたが、伊予の国を訪れたのは今から13~14年前、まだリバーサルフィルムを使用していた頃の話で、その後すっかり御無沙汰になってしまっていた私は思わず吃驚してしまいました。何てこった……未だ元井の頭の3000系を撮っていないですし、元京王5000系の700系や路面電車の旧型もデジタルでは撮ったことない……。四国と言えば琴電に行くばかりで、安定的に推移していた (?) 伊予鉄を後回しにしていたツケがついに回って来たようです。そして伊予鉄といえば、そのうち日比直中型車が大量に余剰となれば、絶対にメトロか東武から中古車を購入するに決まっていますので、700系の先行きも長くないでしょう。これは是非とも、国鉄型車両の置き換えが始まってしまった広島ともども (広島の末期色も未だ撮ってねぇ~! 滝汗)、瀬戸内遠征を敢行したいものですが、果たしてどうヒマを確保したものか……。
というわけで、以前松山で撮影したカットを漁ってみたところ、古町車庫の片隅で放置されていた300形及び600形の画像が出土しましたので、「をを、これは!」とばかりにマクロレンズでお手軽スキャンしてみました。
個人的には、伊予鉄300形という電車は如何にも田舎くさい小振りな二段窓の「もっさり」と垢抜けない雰囲気が大好きだったのですが (登場当初は14m2扉だったものが、車体延長で19m車になったとか)、とりわけ303Fについては1970年代後半、当時の最新技術の下回りに交換された割には車内はニス塗り半鋼製のまま……という強烈にマニアックなスペックであったということで、80年代に半鋼製電車大好き中高坊をやっていた頃は、いつか303Fに乗ってみたいものだ、と念じておりました。しかしその後非鉄ブランクを経て、初めて松山を訪れてみたところ……嗚呼、やはり車体が車体ということでしょうか、予備車の中の予備車という感じで放置されていました……。性能そのものは元京王の700・800形よりも全然優秀だと思われるのですが……。
それでも、古町車庫の西側に細い道があるおかげで、こんな感じで特異な風貌を記録に残すことが出来ただけでも有り難いと思わなければならないのかも知れません。元東急サハ3350の中間車・サハ500については、手前に600形が放置されていたため、撮れなかったのは残念無念……。とはいっても、伊予鉄オリジナルのカルダン駆動車という非常に貴重な存在である600形をこんな感じで記録出来たのも、これはこれで今眺めて見れば「よっしゃ俺!良く撮った!」という気分です (^^;)。
うう……とにもかくにも、こんな伊予鉄がもしも名古屋あたりの位置にあれば、80年代までの伊予鉄は関東大手私鉄&伊予鉄オリジナルの半鋼製車天国でしたので、関東在住貧乏18きっぱー中高坊であった私でも何度も熱狂的に通ったはずですが……とにかく松山は遠い (-_-;)。富技様におかれましては、京王の中古鉄コレを出して頂くのも悪くないことではございますが (伊予鉄新塗装もそのうち出ることでしょう)、是非以前通常弾で出して頂いたモハ100形の続編として、魅惑の伊予鉄中型車(今回アップの300・600を含む)を体系的に出して頂ければ……激しく購入させて頂きます! (需要が余りなさそうなのがネックか……)