地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

日本DC+中国DL珍編成 (斎藤幹雄様ご撮影)

2011-10-31 00:00:00 | 頂き物画像


 日本の鉄道車両は堅牢で使い勝手も乗り心地も良いことから、メーターゲージや1067mmといった軌間を採用している東南アジア諸国で近年急速に日本の中古車を導入し、経済発展により拡大する輸送需要に対応して利用者の好評を博するという循環が続いているのは周知の通りですが、そんな東南アジアの日本中古車両を丹念に探訪され、RP誌を中心として精力的にレポートされている斎藤幹雄氏からこのたび、ビルマ(ミャンマー)で最近出現したぶっ飛び珍編成の画像を頂きました! 
 事の縁起は……Kuching様が幹事役となられて不定期的に開催されているインドネシアの宴にてお世話になっております斎藤様から「ヤンゴンを最近訪れた際、中国製らしいダークグリーンのDLが自走不能な日本中古DCを牽引しているというシーンが展開されていてびっくりした。このDLの出自は一体何なのやら」というお話を伺い、中国鉄を兼ねている私は「まじっすか!」と思わず反応 (笑)。そこで、このDLの由来や、中国製の罐が日本の中古車を牽引していることが如何に歴史上レアな出来事であるかを解説させて頂いたのですが (^^;)、その内容が先日発売のRP誌の記事にも反映されたという次第です。もっとも斎藤様曰く、紙幅の都合で内容を削られたのみならず、撮りまくられた画像も到底カラーでは収録できなかったとのこと。そこでこのたび大変有難いことに、拙ブログにカラー画像をお送り頂きました! ちょうど拙ブログの7周年にあたり、こんな超珍シーンを掲載させて頂くというのは何という栄誉でしょうか……。



 いや~それにしてもこの組み合わせは凄い……の一言です。詳しい説明はRP誌・斎藤様の記事に譲りたく存じますが、客車代用のDCは日本の三セク中古車 (松浦鉄道)、中間に挟まっているのはビルマ(ミャンマー)国鉄のオリジナル車、そして牽引するのはCNR昆河線 (昆明~ハノイ線) の余剰車という……。三カ国混成部隊のごちゃ混ぜぶりもさることながら、個人的には中国罐+日本客車の組み合わせにとにかく腰を抜かしまくりです……。
 中国を走る鉄道車両には勿論、満鉄系の各種車両にはじまって、1980年代の経済援助で輸出された6K型EL (河南~陝西省で活躍中)、そしてCRHのプロトタイプや最新鋭地下鉄車両の電装品などなど……日本人がかかわった膨大な数の車両がありますので (と申しますか、中国の鉄道システムそのものが相当程度満鉄の遺産)、中国罐と日本客車の組み合わせは単純に考えればそれほど違和感はないのかも知れません。しかし、厳密に《中国で製造された車両》と《日本で日本国内の鉄道のために製造された車両》の組み合わせを考えますと、私の浅薄な知識を動員する限り、戦後中国で生産された各種SL・DLと、戦時中に日本の国策鉄道として設立された華中鉄道に供出するべく新製後約8~9年で特別廃車となったスハ32系列との組み合わせ (90年代初頭まで活躍し、私も中国旅行中に上海近郊でチラッと見かけました……) ぐらいしか思いつきません。中国河北省・承徳の観光鉄道用として、鹿島鉄道のDLと北海道の「海峡」用50系客車を持って行く話が実現していれば、予備機として用意されたDL (この画像のDL・東方紅21型を耐寒化したもの?) が50系客車を牽引するという展開にもなっていたかも知れませんが……。
 というわけで、こんな超珍編成が日常的に見られるというブッ飛びの展開を思うにつけ、う~む、来年3月に取れそうな長い休みは、フツーの観光や撮りバスも兼ねてビルマだな、こりゃ……という妄想が頭をもたげております (笑)。唯一最大の懸念材料は、最近の「軍政系民政」がとっている改革志向の政策がしぼんだりはしないか、ということですが……(鉄道撮影にも影響するでしょうから)。何はともあれ、画像をお送り頂いた斎藤様に心より御礼申し上げます! m(_ _)m


 斎藤様によりますと、関係者としては一応故障したDCも自走可能にしたいという意向を持っているらしいのですが……やはり酷使→使い捨ての観が否めないですね~(苦笑)。まぁ個人的には、罐がDCを牽引するという珍景は大好きですので、自走出来ず放置されるよりは、こうして客車代用としてとことん使われるシーンの方が嬉しいですが (^^;)。そのうち、キハ52もこんな感じで牽引されるのだろうか……。あるいは、DD51を半分に切った魔改造DLのお出ましを願いたいものですが……(貨物入換用らしいのですが)。

のど自慢in台湾記念・台鉄万歳

2011-10-30 00:00:00 | 台湾の鉄道


 昨晩放送されたNHKの「のど自慢in台湾」、いや~何の違和感もなくいつもの「のど自慢」テイストが展開されており良かったですね……(^^)。個人的には、全体的にレベルが高めであることもあってか、やけに辛口評価気味ではないかと思われ……とくに最後に出場した小姐が歌った「曼珠沙華」が何故合格ではないのかと激しい疑問が(汗)。ともあれ、これだけ分厚く日本語ソングの歌い手がひしめく以上、今後は高雄・台南・台中といった大都会でも開催されるべきと愚考する次第です。もう日本47都道府県+台湾のローテーションで良かろう……と (爆)。



 そんな台湾、個人的には漢語(といっても国語=北京語オンリーですが……^^;) で何の問題もなく旅行出来てしまうこと、そして台鉄自体が実に親しみやすい雰囲気であることもあって、全く外国という気がしない……と申しますか、北海道や九州に行くのと全く同じノリで臨んでしまうのでありますが、それが逆に災い (?) して、気がついてみれば北海道や九州が個人的に御無沙汰であるのと全く同じく、台湾も3年半御無沙汰……(滝汗)。たまに長めな休みをとれれば外国へ……ということで、特に最近は3年連続でインドネシアに力を注いでしまったからでもありますが、台湾で鉄活動と小吃巡りをしないまま月日が流れて行くとは何という精神衛生上の悪さ……(^^;)。うーん、「のど自慢」の画面を眺めるにつけ、久しぶりにキョ光客車にのんびりと揺られて台湾を一周したいですね……。とくに、スカスカな花東線の車内で池上弁当を賞味すれば、如何なる滋養強壮薬も及ばないほど身も心もリフレッシュ出来るはずなのですが (笑)。その前に足を完璧に治さねば (汗)。

スカ色の旧型国電をのんびり作る (9) 流電・完

2011-10-29 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 本日はいよいよ鉄コレ飯田線・大糸線旧国の発売日ですね……(^O^)。既にクモハ43やクハ47をGM板キットで製作した私としましては、果たして鉄コレがどれだけGM板キットを凌いでいるのか興味をそそられます。とくに、嵌めガラスパーツやリアル1/150スケールの最新設計によって、見映えが一体どう変わるのか注目せずにはいられませんが、それでも何のかの言って自分で悪戦苦闘しながら仕上げた板キットへの思い入れも変わらず残る……と良いなぁ、と (^^;)。
 こうして製品が発売されるタイミングに合わせたのかどうかは分かりませんが、最近製品化予告がなされた第一次流電 (飯田線快速色・スカ色の2種類) につきましても、昨日からトミーテックの鉄コレ公式サイトに正式に掲載されています。それはまさに、旧国ファンの財布を痩せ細らせようという一大攻勢 (笑)。既にオッサンとなって久しい「旧国ギリギリ世代」の私にとっても嬉しい悲鳴です (^^;)。



 そこで、かねてからチンタラ・シコシコと製作を続けて来たGM板キット流電クモハ52につきましても、鉄コレ飯田線・大糸線の発売までには完成させ、増える一方の個人的旧国コレクションに華を添えたい……と思いまして、骨折リハビリ中につき出張以外の遠出を自粛していることで浮いた時間を流電製作のラストスパートに充て、ついに完成!! (*^O^*) しかもちょうど拙ブログ開設7周年、そして板キットに手を染めて約3周年の節目にふさわしい一品となりました♪
 とは申しましても、基本的には単なる素組み。加えて銀河のヘッドライト・グロベンを載せ、一部手すりをモールドからボナ製パーツに変更したのみですので、特にこれといって製作記として特筆する点はございません (^^;)。まぁ、いつまで経っても素組の域を超えられないからこそ、永遠に初心者に過ぎないのですなぁ (^^;;)。それでも敢えて苦労を振り返るとすれば……最初に組む際に必ず生じるマスク部分の継ぎ目を慎重にパテ埋め&ヤスリがけで整形するのは神経を使いましたし (以前流電板キットをもとに製作した撫順ジテ電車と比べれば楽勝であるのは確かですが……)、正面のビミョーなマスキングもヘロヘロ……。
 あ、ちなみに中間車は、飯田線晩年のお約束であるサハ75です♪ GM板キットの妻面・屋根は低すぎる気がしまして、わざわざサロ85 300番台キットのそれを流用しております (余り変わらないか……。貫通扉も違うし。汗)。

東急車輌、JR東日本に売却・・・

2011-10-28 00:00:00 | 大手民鉄 (東急)
 

 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます。 m(_ _)m
 このたび当ブログは開設7周年を迎えました。単なる思いつきと狭い内輪ウケとして備忘録的に撮影画像をアップするブログを始めたはずが、いつの間にか改名を経てここまで続いているというのは何とも我ながら不可思議な限りですが、とりあえず今後もネタと気力が続く限りまったりと続けて行くつもりです。中味はあくまで個人的な思い入れのみで、記録としての正確さと厳密さを追求したものではありませんので、圧倒的多数の生真面目な鉄道ファンの皆様に向けたものではないことを改めてお断りしつつ、それでも道楽な画像と酔狂な戯言の組み合わせをお楽しみ下さる方々とのコミュニケーションのよすがとなれば幸いです。m(_ _)m
 このタイミングにあたり、昨日までは別の記事を用意していたのですが (とは言ってもショボい内容 ^^;)、昨日発表された衝撃のプレスリリースにより吹き飛んでしまいました……。何と、東急とJR東日本はこのたび東急車輌・車両製造部門のJR東日本への売却 (来年4月2日付)・JREの完全子会社化について合意したとか……。



 その背景にあるのは、ひとつは東急車輌自体の業績低迷でしょうか。国内の鉄道車両市場が長期的な景気低迷に見舞われる中、川車・日車・近車・日立は積極的な海外への輸出で補ってきたように見受けられますが、東急は国内の通勤車両中心であるのみならず、ステンレスカー技術もなかばJR新津に持って行かれたような雰囲気で、どうも先細りの気配が……。それに加えて、東急はJAL問題を未だに内々に引きずっていることが想像されます。そこで、これ以上戦後長らく続いた東急車輌の歴史に恋々とすることなく、かねてから関係が深まっていたJREに事業を売却するのも悪い話ではないと判断したのかも知れません。
 もうひとつの背景として考えられるのは、JREのプレスリリースでも暗に匂わせていますが、JRE自身が持つ車両技術の囲い込みという思惑でしょうか。JRCが最近日車を完全子会社化したのは、日車が持つ技術が買収の対象になって流出するのを防ぐため、とりわけかねてからJRCの技術に狙いを定めてラブコールを送りながらもその都度JRCが固く警戒してきたキタイ国の動きを牽制するためでもあるようですが、実際にCRH計画に協力したばっかりにキタイ鉄道省に「完全に自国が知的財産権を有する国産」を騙られ、夜郎自大な第三国での特許申請によって輸出の利益を奪われかけたJREとしても (幸いにして7月23日の事故でキタイ国の悪辣な目論見は破産)、JRCのやり方を真似て有力な鉄道車両製造会社を囲い込み、技術・知識を集約した国際的収益力のある部門を作ろうとしているのでしょう。
 以上はあくまで素人の推測でしかありませんので、あれこれの突っ込みはご勘弁願いたいのですが、それにしても東急ファンのはしくれの素朴な感情としては……米国バッド社の技術とデザインを見事にアレンジして美しくシンプルなステンレスカーを生み出してきた東急車輌の商号が消えることに、時代を画する感慨と寂しさを禁じ得ないですね……。しかも、7000系改め7700系や8000系列がこれから加速度的に東急線上から姿を消して行こうとしている変わり目だけに……。
 あとそういえば、東急車輌構内で保存されているがためにコネがない部外者には撮影の機会が叶わないデハ5201とデハ7052につきましては、別の好ましい場所に移動希望……。電車とバスの博物館のような狭苦しい空間では困りますし、渋谷駅前のデハ5001のように輪切り短縮状態となってしまうのも困りものですが。

第三ジャカルタ炎鉄録 (21) ブミグリス激走

2011-10-27 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 ジャカルタの電車運行を管轄するKCJ (ジャボデタベック通勤電鉄) の公式HPによりますと、去る19日から来月末まで約40日の予定でボゴール線の電力設備のリハビリテーションが実施されています。具体的には、デポック~ボゴール間を中心に一部の列車を間引き、電力設備への負荷を下げて少しずつ機器を更新して行く作業を行うのでしょうが、ラッシュアワーのボゴール発ジャカルタ・コタ行も数本間引かれていることから、こりゃぁ~ただでさえ発生しがちな冷房車のドア開放&鈴なり状態が激化するだけでなく、クーラーがひしめく屋根上にも黒山の人だかりとなりそうな……(-_-;)。KCJはこの夏以降も怒濤の勢いでメトロ05・6000系、そしてJRE203系を購入し、逐次現地化整備を進めているようですが、これら一気に揃った編成をデビューさせるならば当然輸送力増強ダイヤ改正が行われるわけで、その前提として逼迫気味な変電設備の飛躍的なパワーアップ(そして政府による優先的な電力融通)が必要なことは論を俟たないでしょう。したがって、このリハビリ計画と一時的な混雑の激化は、まさにジャカルタの電車シーンが新たな段階へ進むための産みの苦しみなのかも知れません。
 しかし……そんなボゴール線を、電力と関係なくスタコラと駆け抜けているのが、ボゴール~スカブミ間のローカル列車用として活躍するDC「ブミグリス」。タナ・アバン機関区での検査の都合で、月・水・土(土曜は確実に。水曜に走っているシーンは今回初めて目撃しました)に限ってボゴール以北の電化区間に乗り入れ、タナ・アバンまでやって来ます。
 このDC、現在では2扉化されているものもありますが、元はといえば1980年代前半にキハ40系列の3扉インドネシア版として日本にて製造されたという経緯があり、かねてから是非乗ってみたいと思っておりました。しかし、ボゴール~スカブミ間は早朝・夜間しか運行されず (スカブミで要宿泊)、地方で活躍する車両を訪ねようにも時間がかかります。というわけで、ボゴール~タナ・アバン間の曜日限定乗り入れ運用は、最も手軽にこのDCに乗るチャンス。今回の訪問は約1週間にわたり鉄活動の時間を確保していましたので、確実にこの乗り入れ運用が走る土曜の午後~夕方のひとときを乗車体験に充て、東急8500系やJR103系とは一味も二味も異なるボゴールへの山登り爆走を満喫しようと思ったのでした。



 しかし……滞在中の土曜の朝にうっかり骨折してしまった私(打撲と思い込んでいたのですが。汗)。膝を曲げると激痛が走ることから、泊まっていたジャヤカルタ駅近くの宿から始発のタナ・アバン駅までタクシーに長時間乗るわけにも行かず……。そこで、中央線高架駅の撮り鉄スポットで午後のド順光を浴びるジャカルタ・コタ行電車を撮影したのちマンガライまで行き、マンガライで切符を買い直して「ブミグリス」に乗ろうとしたのでした。
 ところがこの選択は、結論から申しますと大失敗 (号泣)。朝方マンガライにて撮影をしていると姿を現す「ブミグリス」は、必ずと言って良いほどマンガライに停車するのですが、これは単に信号待ちの運転停車に過ぎず、正式にはマンガライ通過扱いであることを全く知らなかったのです……。そもそも「ブミグリス」のタナ・アバン延長運転は毎日の話ではなく、あくまでボゴール~スカブミ間の利用者と鉄道関係者のみが知っていれば良い話ですので、駅掲出の時刻表には載っておらず……。そこで、何も知らない私はマンガライ駅の窓口にて「ブミグリス、ボゴール、サトゥ (1枚)」とごくフツーに切符を購入しようとしたのですが、「ブミグリス? ボゴールに行くならコミューターACの切符をどうぞ」ということで、出て来たのは冷房電車の切符。「うーむ、車内が転クロでデラックスなブミグリスは、冷房無しといえどもビズニス (2等) ゆえ、冷房電車と同運賃なのだろうか」と思い、取り敢えずは目の前で折り返して行くデポック行きの8618Fにも乗らずに (マンガライ始発につき余裕で座れたのですが・・・)、じっと足の痛みと強烈な日射しをこらえつつ「ブミグリス」の到着を待ち続けたのでした。
 そして15時40分頃、必死の思いをしながらもDCの雄叫びを楽しみたい一心でやって来た私の期待が木っ端微塵に打ち砕かれる無情のアナウンスが……「ジャルール ウムヌ! クレタアピ ランスン! アワース、アワース!」 (6番線、通過列車、注意注意!) とう大音量のアナウンスの直後、タナ・アバン方向から猛スピードで突っ込んで来た「ブミグリス」が、凄まじい土埃とゴミを巻き上げながら通過して行ったという……。
 複雑怪奇な大ジャンクションであるマンガライにて、一切の妥協なく高速で通過する列車を目撃したのは初めてですが、それがまさか、自分が乗りたいと思い待ち構えていた列車だとは……(T_T)。乗車率も意外や意外、タナ・アバンを15時30分過ぎに発車するという中途半端さのためもあるかも知れませんが、1両にせいぜい数人という超極楽ぶりでしたので、マンガライ駅にて先刻のデポック行8618Fに乗らずボゴール行を待っていた人々の間からも「通過かよ・・・」という怨嗟の声が上がっていました (汗)。全てを打ち砕かれた私には、足を怪我しているのに今さらメチャ混みが予想される後続のボゴール行き冷房車に乗って夕涼みに行く気力など残されておらず、改めてジャカルタ・コタへの切符を買い直して宿に戻ったことは言うまでもありません・・・。
 というわけで、次回訪問以降に要リベンジ (滝汗)。とにかくエンジン全開の走りは「凄い」の一言に尽きますので(マンガライの他、パンチャシラ大でもスカブミ行の超!カッ飛んだ上り勾配爆走を目にしました)、一乗の価値があると断言出来ます。ジャカルタ市内から「ブミグリス」に乗るのであれば、とにかく運転日を確認のうえタナ・アバンから乗るに限りますので、ご参考を……。