ジャカルタ遠征撮り鉄の記録はまだまだ膨大な量がありますが、その第2部としてこれから数回、東京の地下鉄車両として生まれ、日本政府の海外援助に関連してジャカルタに送られたため現地で「Hibah (贈り物)」と総称されているグループについてご紹介したいと思います。
その第一回はもちろん、今から9年前に日本中古冷房車の初陣としてジャカルタ入りした都営6000系です! 都営6000系といえば、個人的な印象では……東京の地下鉄網を走る電車の中でも銀座線釣掛や103系1000・1200番台に次いで走行音が物凄い車両でありまして (その次くらいに203系、やや開いて東急8500系といったところでしょうか)、三田線非冷房時代などは全開にした窓から轟音が容赦なく響き渡り「うほっ♪」と思う反面、一般の利用客にとってはさぞかし迷惑な話であろうと思ったものでした (^^;)。そんな都営6000系は90年代に入ってようやく冷房化が進みましたが、その後間もなく東急目黒線乗り入れ&ホームドア設置に備えて6300系の大量増備がなされ、6000系はあっけなく廃車に……。それだけに、6000系のジャカルタ大量移籍は「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉通りだなぁと思ったものです。
その後6000系が冷房通勤車としてジャカルタに定着するまでには、ネットで調べるにつけ相当苦労があったようで……インドネシアに冷房通勤車という文化を定着させてジャカルタの交通事情を改善し、かつ日本・インドネシアの良好な関係を一層増進するためにご尽力された関係者の方々には心より敬意を表したく存じます(おかげで今日の日本中古冷房車の隆盛があり、私のような一介の鉄ヲタにもインドネシアという国がとても身近に感じられるようになったのですから)。以来約9年。都営6000系は、東武東上線乗り入れ計画の中止により幻に終わった8連の勇姿を赤道直下に輝かせながら快走しています! ここ数年都営6000系といえば、秩父5000系3連が緑の中を走る光景ばかり目にしていたものですが、やはり大手町や日比谷といったオフィス街を走っていた都営6000系には、こんな大都会の風景が似合うなぁと思った次第です。もちろん、三田線での現役時代の地上運転は高島平団地付近の高架線しかなかったわけですが (^^;;
さて、そんな都営6000系、ジャカルタ入線当初は三田線時代と同じ青帯にゴツい排障器を取り付けた姿でデヴューしたようですが、のちにこのオレンジ帯に変更となりました。しかし、さらに続々と日本製中古冷房車がデヴューする中、都営6000系についてもデザイン面での模索が続いているようで、南国の陽光に晒されてすっかり色褪せてしまったオレンジ帯は急速に減少しつつあります。とくに、オレンジ帯の8連は6171F (1枚目の画像) のみとなっており、検査入りによって現在流行 (?) の緑+黄帯に切り替わるのも時間の問題かも知れません。この編成……と申しますか、ボゴール所属の都営6000系8連3編成は、基本的にジャカルタ・コタ~ボゴール間の急行「パクアン」(パクアンとは、ボゴール周辺で数百年前に栄えた王国の名称との由)の主力として用いられておりまして、1往復2時間半程度ですので結構頻繁に走っているかの印象があります。さらに、夕方16時40分頃にボゴールを発車後、マンガライとタナ・アバンを経由してスルポンまでの長距離を走る運用や、日曜祝日限定でボゴールからマンガライ・ジャティヌガラ・東線を経由してアンチョール(遊園地あり)まで向かう運用も都営6000系8連が充当されるなど、たとえ東急8000系列が増えようとも急行用花形車両としての位置づけは続いているようです。
いっぽう2枚目の画像は、ラッシュ時にタンゲラン~ドゥリ~タナ・アバン~マンガライというルートで運転される6連の急行「チサダネ」(ボゴールの南の山岳地帯を源流とし、タンゲランを経て海に至る川の名前。先日『神奈川新聞』を読んでいたところ、かつて横浜~ジャカルタ~南米航路の主力として就航していた客船も「チサダネ」を名乗っていたそうな・・・) が、さらにデポック入庫のため南下しているシーン。とりあえず当初すべて8連でジャカルタ・デヴューした都営6000系は、その後の増発や支線への乗り入れに備えて多くの編成が6連化されていますが、その原形先頭車編成も帯色が変わりつつありますので(改めてご紹介)、オレンジ帯の記録は今のうちかと思われます。今月上旬には、6151Fがボゴールを発車後、延々と続く長い急勾配を加速し始めて間もなく、異常のため緊急停車していた非冷房エコノミーに激突する事故を起こしてしまいましたので……。
ボゴール電車区にて、許可を得て撮影。
ATCもATSもないインドネシアの鉄道では目視と無線が頼り。先行する緊急停車中エコノミーの運転士・車掌が無線連絡をせず、何も知らない急行列車の運転士がいつも通り下り坂&右カーブを加速したためにこうなったとか……。お会いしたYさんから伺ったところによると、事故車の再起を検討中だそうですが……この台枠の状態を見るとムリっぽい雰囲気が強く、恐らく廃車は免れないでしょう (T_T)。
こんな感じで、追突事故が多いインドネシアだからこそ、今フツーに走っている編成の記録はなおさら大切なことだと痛感……。JR103系や東急8000・8500がこうなりませんように……。