日本の鉄ヲタ界の底力は、単なる鉄ヲタ人口の多さやテーマの幅広さによってではなく、あっと驚くような掘り下げた研究が時折現れることによって推し量ることが出来ますが、とりわけ、テーマとしては無限の沃野でありながら様々な理由により探求が進んでいなかった分野においてブレイクスルー的な作品が現れると、思わず尊敬の念とともに唸らざるを得ないことになります。アジア各国の鉄道シーンは概してこのような可能性に満ちていますが、とくに中国の鉄道の場合、表向きの政治体制の問題や種々の歴史的理由により探求上のブラックボックスが生じやすい反面、実際に訪れてみると何でもありのフリーダムなカヲスであったりしますので、余りの百花繚乱ワケワカメぶりに圧倒されやすい反面、その断絶を埋める努力がなされたときの感動はたとえようもないものがあります。
そのような怪作、いや快作としてご紹介したいのが、岡田健太郎著『撫順電鉄 (撫順砿業集団運輸部)----満鉄ジテとその一族----』です。岡田氏は、かつて中国の鉄道シーンが最も撮りやすいカヲスだった頃に中国駐在でいらっしゃったという貴重な機会を活かされて、中国人も羨む不世出の名著『中国鉄道大全』を世に問われたものですが、最大の得意分野は人知れず存在する専用線や黄昏系鉄道シーン、とりわけ超地味な客車でいらっしゃるということで、その成果はリンク頂いております『不思議な転轍機』の中でも詳細に語られているところです。
そして、中国の客車シーンの中でも、とりわけ「何なのだこれは……」と圧倒されるのが、遼寧省撫順の鉱山鉄道。ここは満鉄時代に直流電化され、中国では稀有な都市近郊電鉄が一時は隆盛を極めたものの、残念ながら市街の中心部に駅がないために90年代以後バスに客を奪われて廃れてしまい、2000年代を最後に電車は運休となって久しいところです。そんな撫順電鉄は満鉄ジテや中国国鉄の通勤客車YZ31型を改造した電車が走り、2000年代に撫順を訪れた鉄ヲタの誰もが「三池炭鉱鉄道が電車で運行されていればこんな感じだったのかも」と思わせる光景にコーフンを禁じ得なかっただけに、なおさら運休は惜しい……。しかし、末期に運用されていた電車は現存し、復活の可能性を秘めながら放置されているということで、決して過去の存在になりきったわけではありません。
とはいえ、いくら興味をそそる電車がゴロゴロ走っていたとは言っても、ここは満鉄・満洲国の金城湯地ではなくなって久しく、とりわけ秘密主義的な中共が支配する世界であるのも確かですので、訪れて「スゲー!」と思いつつも、個別の車両の背後にある細かい来歴については、傍目にはさっぱり分からなかったものです。
そんなブラックボックス的なカヲスの観を呈していた撫順電鉄の車両について、岡田氏のこの薄い本は、満鉄時代の写真や、改革開放がスタートして外国人にも撫順が開かれた1980年代以後の写真を中心に、しらみつぶしに照合を進められ、正確な車番のトレースこそ未だ極めて困難であるものの、少なくとも戦前の形式まで明らかにすることに成功しています。その結果明らかになったのは、戦前の撫順炭鉱電鉄・満鉄をはじめ、中国大陸各地で日本が走らせていた電車やディーゼルカー・ガソリンカーについて、結局中共鉄道部が各地それぞれでの保守をするのではなく、ごっそり撫順に持ってきて電動車化・トレーラー化したという経緯……。そこで、1980〜90年代の撫順電鉄最盛期は、そんな戦前の「日本製・大陸系電車&内燃動車」の一大牙城であったことが分かり、「嗚呼〜!何故この時期に撫順で電車を撮らなかったのか!……90年代にバックパッカーで何度も中国を訪れた自分としては、ネットが現れる前の時代だけに、中国の鉄道は基本的に撮影禁止だと思っており、そんな自分の無知が恨めしい……」と改めて痛感します (汗)。
何はともあれ、他にも北京地下鉄に先立つ中国初のチョッパ制御の試みや、最末期の編成陣容など、驚きの内容がてんこ盛り (?) の本書、神保町の書泉でしたらまだまだ多数売っていますので、勝手にオススメさせて頂きます。(多忙のため、今日ようやく書泉を久しぶりに訪れ、まだ売っていたのを眼にした瞬間安堵しました……)
なお、私自身は残念ながらジテ(ハフセ)編成を撮っていませんので、満鉄ケハ5 (ディーゼルカー) 及びロハフ1 (ジテ編成合造車) 崩れの客車がゴロゴロと行くシーンをアップしておきます。先頭2両が、たぶん107編成に組み込まれていた満鉄ケハ5であり、機関車の脇の1両がロハフ1だということが分かったのは大きな収穫でした。