地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

いずれ消えゆく京都の抹茶色113系

2018-01-31 00:00:00 | 国鉄型車両


高崎支社にてついに巨星115墜つ……新潟では待っていても滅多に115は来ない……広島支社では猛烈な勢いで227が増え……奈良線にもついに205が入るのか、いや八高線では205も既に終わりが近い、という今日この頃。そんな中で、湖西線においては一部の列車を除いて普通列車が113・117系で運用されており、天下の京都駅にも日々渋みが際立つ抹茶の香りを添えているのは本当に凄いことです。113系5700・7700番台の場合、耐寒耐雪装備に金がかかっていること、そしてN30・N40延命工事施工車が多いことが、今日でも113系の楽園を京都で現出させている最大の理由なのかも知れません。



しかしながら、最近JRWが大阪環状線や阪和線で見せつけたガチ本気の置き換えスピードを目の当たりにするにつけ、これから追加で225系をドバッと揃えれば、京都の113系はひとたまりもなく急速に離脱してしまいそうな気もします。ここのところ、抹茶色が嫌われているためか、たまに出張で京都駅に降り立ちますと、103系を撮っているヲタを見かけても、113系を撮っているヲタはほとんど見かけません。しかし、だからこそ今が抹茶色113系の旬!と言えましょう。京都駅で撮るも良し、琵琶湖や比良の山々を眺めながらMT54サウンドを愛でるも良し……。はたまた、何故か一部、ボロくて狭いボックスシートのまま残っている5700番台に乗り、正真正銘の昭和旅気分に浸るも良し……。とにかく、引退に関する大本営発表がなされれば、その瞬間に静かに楽しめる環境は終わってしまうのです。

消えゆく高崎の湘南色115系

2018-01-29 00:00:00 | 国鉄型車両


首都圏では銀色の「走るんです」が増え過ぎた結果、最近では205系や211系ですら十分に燻し銀な車両に見えてくるという有様でしたので、115系や185系・189系のような普通鋼製の国鉄型車両を見かけると、とてつもなく古い車両が走っているかのような感覚に囚われることもあります。う~む、どこか既視感を覚えます……ということで考えてみたところ、これは1970年代の中頃から後半と同じですな。まだ幼稚園児に過ぎなかったものですが、半鋼製釣掛式電車と全鋼製カルダン駆動電車との間には凄まじい落差を感じましたので……。その後、そんなボロにビビったお子様は、逆にそのボロさを愛でるようになってしまったわけですが、今や、当時バリバリに新造中だったMT54装備車に、半鋼製釣掛と全く同じような感覚を抱くとは……40~50年という時間が流れるというのは、こういうことなのでしょうか。



したがって、高崎支社がこのほど、3月のダイヤ改正を機に115系を引退させると発表したのは、既に107系も引退したこともありますし、余りにも当然の結果と考えたいと思います。むしろ、東海道線でも新前橋の車両に当たりますと目にすることが出来る115系引退広告を眺めながら、「115系0番台の高崎線配置から半世紀以上……もちろん、今走っている1000番台はもっと新しいけれど、これほどまで永きにわたって一つのエリアの電車を代表できたということ自体、115系の偉大なる汎用性を意味するのだなぁ……」としみじみ。そして個人的には、ここ数年あまのじゃく様のおかげで毎年上信のビール電車に乗っており、その都度 (毎年一回というトホホなペースですが) 115系との触れ合いを楽しめましたし、一昨年の晩秋には中山道歩きの旅で横川線を走る115系を満喫したものです。ボックスシートに座り、MT54サウンドに酔いながら、浅間山に榛名山、妙義山、荒船山……を眺めたのは最高の記憶です。

それにしても、最近は残存編成の正面幕を潰してしまいましたが、あれは一体何故なのでしょうか。幕があるままですと、なおさら湘南色オリジナルな雰囲気を求めるヲタが殺到してヤバい、という判断なのかも知れません。

中国昔は良かった (7) 撫順の満鉄ケハ5

2018-01-27 00:00:00 | 中国の鉄道


 日本の鉄ヲタ界の底力は、単なる鉄ヲタ人口の多さやテーマの幅広さによってではなく、あっと驚くような掘り下げた研究が時折現れることによって推し量ることが出来ますが、とりわけ、テーマとしては無限の沃野でありながら様々な理由により探求が進んでいなかった分野においてブレイクスルー的な作品が現れると、思わず尊敬の念とともに唸らざるを得ないことになります。アジア各国の鉄道シーンは概してこのような可能性に満ちていますが、とくに中国の鉄道の場合、表向きの政治体制の問題や種々の歴史的理由により探求上のブラックボックスが生じやすい反面、実際に訪れてみると何でもありのフリーダムなカヲスであったりしますので、余りの百花繚乱ワケワカメぶりに圧倒されやすい反面、その断絶を埋める努力がなされたときの感動はたとえようもないものがあります。



 そのような怪作、いや快作としてご紹介したいのが、岡田健太郎著『撫順電鉄 (撫順砿業集団運輸部)----満鉄ジテとその一族----』です。岡田氏は、かつて中国の鉄道シーンが最も撮りやすいカヲスだった頃に中国駐在でいらっしゃったという貴重な機会を活かされて、中国人も羨む不世出の名著『中国鉄道大全』を世に問われたものですが、最大の得意分野は人知れず存在する専用線や黄昏系鉄道シーン、とりわけ超地味な客車でいらっしゃるということで、その成果はリンク頂いております『不思議な転轍機』の中でも詳細に語られているところです。
 そして、中国の客車シーンの中でも、とりわけ「何なのだこれは……」と圧倒されるのが、遼寧省撫順の鉱山鉄道。ここは満鉄時代に直流電化され、中国では稀有な都市近郊電鉄が一時は隆盛を極めたものの、残念ながら市街の中心部に駅がないために90年代以後バスに客を奪われて廃れてしまい、2000年代を最後に電車は運休となって久しいところです。そんな撫順電鉄は満鉄ジテや中国国鉄の通勤客車YZ31型を改造した電車が走り、2000年代に撫順を訪れた鉄ヲタの誰もが「三池炭鉱鉄道が電車で運行されていればこんな感じだったのかも」と思わせる光景にコーフンを禁じ得なかっただけに、なおさら運休は惜しい……。しかし、末期に運用されていた電車は現存し、復活の可能性を秘めながら放置されているということで、決して過去の存在になりきったわけではありません。
 とはいえ、いくら興味をそそる電車がゴロゴロ走っていたとは言っても、ここは満鉄・満洲国の金城湯地ではなくなって久しく、とりわけ秘密主義的な中共が支配する世界であるのも確かですので、訪れて「スゲー!」と思いつつも、個別の車両の背後にある細かい来歴については、傍目にはさっぱり分からなかったものです。
 そんなブラックボックス的なカヲスの観を呈していた撫順電鉄の車両について、岡田氏のこの薄い本は、満鉄時代の写真や、改革開放がスタートして外国人にも撫順が開かれた1980年代以後の写真を中心に、しらみつぶしに照合を進められ、正確な車番のトレースこそ未だ極めて困難であるものの、少なくとも戦前の形式まで明らかにすることに成功しています。その結果明らかになったのは、戦前の撫順炭鉱電鉄・満鉄をはじめ、中国大陸各地で日本が走らせていた電車やディーゼルカー・ガソリンカーについて、結局中共鉄道部が各地それぞれでの保守をするのではなく、ごっそり撫順に持ってきて電動車化・トレーラー化したという経緯……。そこで、1980〜90年代の撫順電鉄最盛期は、そんな戦前の「日本製・大陸系電車&内燃動車」の一大牙城であったことが分かり、「嗚呼〜!何故この時期に撫順で電車を撮らなかったのか!……90年代にバックパッカーで何度も中国を訪れた自分としては、ネットが現れる前の時代だけに、中国の鉄道は基本的に撮影禁止だと思っており、そんな自分の無知が恨めしい……」と改めて痛感します (汗)。
 何はともあれ、他にも北京地下鉄に先立つ中国初のチョッパ制御の試みや、最末期の編成陣容など、驚きの内容がてんこ盛り (?) の本書、神保町の書泉でしたらまだまだ多数売っていますので、勝手にオススメさせて頂きます。(多忙のため、今日ようやく書泉を久しぶりに訪れ、まだ売っていたのを眼にした瞬間安堵しました……)
 なお、私自身は残念ながらジテ(ハフセ)編成を撮っていませんので、満鉄ケハ5 (ディーゼルカー) 及びロハフ1 (ジテ編成合造車) 崩れの客車がゴロゴロと行くシーンをアップしておきます。先頭2両が、たぶん107編成に組み込まれていた満鉄ケハ5であり、機関車の脇の1両がロハフ1だということが分かったのは大きな収穫でした。

冬の西武系まつり (2) 駿豆線西武イエロー

2018-01-25 13:05:00 | 地方民鉄 (東海道)


 駿豆線開通100周年の節目を迎えて何やら賑やかな伊豆箱根鉄道において、アニヲタから熱い注目を集めるのは3000系第6編成でしょうが、鉄ヲタから圧倒的関心が注がれているのは「イエローパラダイストレイン」と称して西武新101系登場時塗装を復活させた1301編成でしょうか (否、ひょっとすると、それ以上に注目されるのは、高崎の115系引退発表でますますMT54使用車としての希少性が増す185系かも知れませんが……)。
 もっとも、1301編成黄色塗装は、既に登場から1年少々経ちましたので、すっかり駿豆線の日常風景となっているようです。私が先日修善寺駅にてドンピシャで当たった際にも (朝も夕方も運が良かった!) 他に誰も注目しておらず、発車まで悠然と撮影を楽しんだのち (手持ちです)、駅間が離れたところでは台車の上に座ってアツい走りを満喫した次第です♪



 こんな感じで、何を今さらな初撮影に成功した次第ですが、次はちゃんとド順光で撮らなければいけませんな……(^^;
 それはさておき、既に鉄コレで西武新101系がシリーズ化されている関係で、黄色い1301編成も鉄コレ化されていますが、駿豆線鉄コレの真打ちとして7000系や3000系などの鉄コレ化を強く望むヲタは私だけではないでしょう……。それとも、余り需要ないのでしょうか。否!1300系は既に2種類が発売されている以上、カラバリが増えつつある3000・7000系についても、開通100周年という記念すべき年だからこそ是非発売して頂きたいものです。
 駿豆線オリジナル車両の鉄コレとしては「第7弾の大井川がある」と見なすことも出来ますが、これとて譲渡後の姿であり、いずっぱこ社紋が描かれておらず、中間車も存在しません……。
 う〜んそれとも、鉄コレは最早値段が高くなりすぎた結果、全くオリジナルな金型の地方私鉄車両を出すにはリスクが上がってしまったのでしょうか? 以前長電OSカーや阿武隈急行が出たのは奇跡か何かだったのでしょうか……。

第五ヤンゴン熱鉄記 (8) LRBE7動く♪

2018-01-23 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 極端に間が開いてしまいましたが (滝汗)、昨年3月のミャンマー遠征ネタの続き……斎藤様および落花生。様とご一緒させて頂いたピュンタザ機関区訪問のつづきです。RBE2504=名鉄キハ24やLRBE56の感動的光景を激写する傍ら、所属LRBEの中では最も状態が良いように見えたLEBE7は、残念ながら木の影が車体に落ちており、もどかしい思いをしておりました。ところが何と!機関区の皆様のお取り計らいによりエンジン始動!! (^O^) やがてゆっくりと動き出しました……。



 というわけで今度は、LRBE7撮影大会勃発! ヘロヘロな線路上を徒歩以下の速度でユルユルと進むLRBEを、小走りしてはカメラを構え直して激写しまくり! 以前バゴーやニャウンカシーで味わった、脳味噌の奥底がグルグルと回り出して「軽便萌え脳内物質」が体中を激しく駆け巡る感覚が久しぶりに蘇り、「あ〜、やっぱ良いわ、LRBE!」と思ったのでした♪
 機関区の方々談によりますと、そんなLRBE7は良好なコンディションを保っており、いつでもRBEの検査・故障に備えてスタンバイしているとのこと (昨年3月時点)。ミャンマーにとって長年使い慣れた日野トラックの下回りを流用しているLRBEであれば、扱いはお茶の子さいさいなようです。
 というわけで、いくらRBEが主力になろうとも、各ローカル線に1〜2両は予備の予備としてLRBEが配属され続けないものかと思います。まぁ実際には、先日紹介させて頂いた斎藤様の訪問速報からも明らかなように、そもそもLRBEの整備工場自体がRBE用整備工場への業態転換を急いでいるようですので、辛うじて各地に配属され続けているLRBEも、壊れたらそこでおしまい、という先行きが見えているのですが……。