地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄モヤ700・第2編成登場!

2006-02-28 20:07:52 | 事業用車両


 老朽化した相鉄2000系検測車およびED10の代替として、7000系の横浜寄り増結車2両を改造することによって登場した相鉄モヤ700ですが (正式な形式名はまだ発表されていませんが、多分こうだといわれています)、きょう第2編成 (703+704) が東急車輌での改造を終えて甲種回送されました。そこで、今日は休みなのを良いことに、今後もう1回あるかどうか分からない珍車の甲種シーンを撮りに行ってみました。
 まずは神武寺駅南西側の受渡線へ。東急車輌から出場してJRに入線する車両は、京急逗子線・金沢八景~神武寺間上り線に設けられた3線レールを通ってくるわけですが、まさか真っ昼間に上り線を逗子に向かって逆走するわけにも行きませんので、終電後に工場内DLに牽引されてここまで回送されます。そして、午前中の間は踏切から撮り放題 (笑)。○軍池○住宅のゲート前につき緊張しますが、ゲートにレンズを向けない限り文句は言われません。
 非貫通ののっぺらぼうな運転台が設置された704は、第1編成の702と比較しますと、架線検測用の測定器具が屋根に載っておりません (当ブログ・去年の3月の記事にある画像をご参照ください)。その代わり、窓が黄色く塗りつぶされてアヤシイ雰囲気が……(*^^*)。そして車端部の窓の内側には鉄格子が設けられています。また、あとで逗子駅で観察したところ、車内には赤いナゾの器具や棚が……。恐らく、様々な道具や部品を常備した救援車としての役目があるのだろうかと予想しています (^^;;



 その後、逗子駅に至るヘロヘロ専用線の途中で待ち構え、DE11に牽引されるシーンを撮影。正面がちでしか撮れないため、モヤ700はほんの僅かしか見えず、この寒いのに延々と待ち呆けて何を撮りに行ったのか……という感じでした (後追い撮影はまあまあうまく行きましたけど ^^;)。
 ヘロヘロ専用線を抜けたところには、さらにDLからELに機関車を付け替えるちょっとした側線があり、出場した車両はDLから切り離されてしばし留置されます。しかも、何とも都合が良いことに、停車する位置のすぐそばに歩行専用の踏切が。そこで、モヤ703の先頭が出たところを撮影しました (ここはまさに撮影会状態 ^^;)。モヤ703は704と違い、改造らしい改造は表示幕を埋めた程度のようで、車内はほとんど手をつけていないような雰囲気でした。
 こんな感じで珍車の真新しい (?) 姿を眺め回したあとは、いよいよELと連結されるのを待ちます。(多分つづく)

関鉄常総線・キハ102復活快走中!

2006-02-27 23:59:55 | 地方民鉄 (関鉄系)


 現存するキハ30のひとつにして、スカ色 (常総筑波鉄道色) を身にまとっているという非常に貴重な存在である関東鉄道キハ102は、TX開業時のダイヤ改正で出番を失い、しばらくの間その去就が懸念されていました。そんな中訪れた昨年11月の車庫開放の際には、運転体験用として久々に動いており、当ブログでも思わず大喜びで扱ったものでした (^^;)。しかしこの時点では、この運転体験を最後に廃車……?という悪い予感を拭えなかったのも確かです。
 ところがその後奇跡が……! 昨年12月、関鉄が旅客流動の変化を踏まえたダイヤ再改正を行った際、水海道以北の区間において復活させていた昼間の2連については、恐らく期待ほど乗客が増えなかったことと石油の高騰ゆえに再び廃止となり、その分単行ワンマン運転用の車両が不足した結果、キハ102に再起の白羽の矢が立ったのでした! そこで、冬枯れの風景の中を再び走り始めたキハ102の勇姿をネット上で目にするにつけ、出来るだけ早く行きたい……という思いは募る一方 (^^;)。
 とはいうものの、最近は関東近辺をはじめ本当に撮影を急ぎたい路線・車両が多く、どれを優先させたら良いものか、まさに目が回りそうな気分 (@o@)。そんな中、さる週末は秋葉原からそう遠くないところで宴会があったため、ついでにTXでサッと行って帰って来ることができる関鉄を訪問することにしまして、スカ色キハ102の美しい姿を堪能してきました (^_^)。
 ↑は中妻~三妻間にて。ここは広大な田んぼや畑が広がり、筑波山も見渡すことができるため、水海道以北における定番スポットですが、今回は春霞っぽい天気で近くの筑波山すら見えず……(-_-)。そんなわけで、望遠レンズを使って石下駅近くの豊田城天守閣 (※) を画面右下に入れ、常総線っぽい風景を演出してみました (笑)。

 ※……遠い昔、実際に城があった頃は藁葺き屋根の武家屋敷と簡単な要塞程度のものしかなかったそうですが、石下町 (→水海道市と合併して常総市に。鉄道路線名が市名に……苦笑) が文化会館をつくった際、ついでにこんな天守閣をこさえてしまったようです。そんな資金、小さな町のどこにあったのやら……(苦笑)。今回は立ち寄っていませんが、天守閣からの眺めはとても良さそうなので、次回訪問時に石下駅付近で撮り鉄したらついでに寄ってみようかと思っています (笑)。

 ところで、このキハ102はいつ走るのか?という点についてですが、私が今回訪れた時にやって来た運用を以下の通り記しておきます (時刻は『東○時刻表』をご参照ください)。少しでも多くの方が、このような美しい復活塗装というファンサービスをしてくれる関鉄で乗り鉄を楽しまれることによって、TXによる逆風が吹いている関鉄の運賃収入に僅かでもプラスになれば……そしてキハ102の寿命が延びれば……と思いまして。(なお、私は今回、キハ102に乗ってしまうと撮れないため、移動はもっぱらキハ2200・2400でした ^^;)

 【土休】 5053レ (多分)→3082レ→5081レ→3106レ
     →5101レ→3124レ (見届けていないので多分)。
 【平日】 分かりません。スミマセン (^^;)
 ※もちろん、他の運用or車庫で昼寝という場合も大いにあり得ます。
 ※3/18のダイヤ改正以後はどうなるか分かりません。悪しからず……。

東武激変秒読み (3) 1800系佐野線撤退間近

2006-02-26 01:12:21 | 大手民鉄 (東武)


 来月18日のダイヤ改正を1ヶ月後に控えて5050系の運用が800・850系に置き換えられた東武佐野線。その5050系のうち、最後の最後である17・18日に佐野線の運用に入っていた5154F・5158Fの2編成は、運用離脱後早くも北館林 (荷扱所。貨物廃止後は実質的に「電車の墓場」) に回送されてしまったようです……。館林から北館林までは一駅半。しかもこれら5050系は毎日北館林を横目に走っていたわけですが、自分もついにそこへ足を踏み入れる……という瞬間の5050系の気持ちは想像するだけで胸を締め付けられるものがあります (すごい擬人化表現ですが)。本当にお疲れ様……。
 いっぽう、5050系とともに佐野・小泉線のローカル運用を担当してきた超異端車・1800系通勤化改造車については、今のところ相変わらず走り続け、800・850系と束の間の競演をしているようです。しかし、来月18日以後は800・850系に全面的に主役の座を明け渡して撤退することが確定していますので、大部分の椅子を撤去してスカスカな雰囲気の車内を味わいながら (笑) 佐野での厄除大師参拝&ラーメン散歩、それに山ふところにある葛生への「終着駅の旅」を楽しむことが出来るのも、残り1ヶ月を切ってしまいました。
 一応『○イヤ情報』最新号の記事によりますと、ダイヤ改正以後も1800系の運用は小泉線で残るようですが、それも恐らく朝夕限定で、遠くない将来にはやはり800・850系に置き換えられるのでしょう。青帯の通勤車塗装に身をやつしながらも優美な車体を輝かせて白昼堂々と走って行く光景を撮影できるのも、もうあと僅か……。
 この画像は、多田駅南側のカーブにて。なかなか良い感じのアングルだと思いつつも、バックにはやつれた感じの木や「○田うどん」の店舗などがあってウルサく、ちょうど1800系の正面がそれらを隠した瞬間にシャッターを切りました (^^

06年初春の平凡なDLシーン (2) 扇町

2006-02-25 21:13:07 | 貨物列車


 先日扱ったかなりん本牧地区から視線を北東に移しますと、そこは都会のローカル線派にはたまらない魅力を持つ鶴見線。既に当ブログでも扱っておりますし、余りにもその存在は有名ですから、改めて詳しい説明は不要でしょう (^^;)。
 そんな鶴見線の暖かな午後、例によって熊谷からの石炭ホキ返空を撮るため、扇町界隈を訪ねてみました。まず、鶴見発午後1時の電車に乗って浜川崎のヤードの横を通過中、DE10の単機が出発待ちをしているところを眼にしましたので、「扇町にはまだいない。これはそろそろ来るな……」と思い、昭和で下車。外側のカーブ (貨物専用) を通過する単機をさっそく撮影しました (^^)。余りにもありふれている光景ですが、鶴見線のDE10も更新機が運用に入る機会が増えつつあり、いずれは「原色の思い出」になることでしょう。

さよなら富山港線・165系アルプスさんの記録から

2006-02-24 23:54:34 | 頂き物画像


 今月28日限りでJR所有の鉄道線としての歴史に終止符を打ち、約1ヶ月の工事を経て新生LRV・富山ライトレールに引き継がれることになった富山港線。この週末あたりは恐らくいわゆるお名残乗車 (もとい、○式鉄?) の人波で、恐らく大混雑となるのでしょう。
 そんな富山港線、最近は朝夕475系、昼間キハ120の単行という陣容で細々と運行がなされていましたが、1980年代初頭までは旧型国電の73系が運行され、可部線と並んで国鉄最後の73系使用路線のひとつだったことを思い出します。しかし、そんな富山港線で73系に乗りたい!と思っても、当時の私はまだ小学生 (爆)。一人旅も到底かなわず、泣く泣く消え行く73系を雑誌上で見送るしかなかったのでした。
 ところが今回、165系アルプスさんから、富山港線廃止にあたって……ということで、73系時代末期の富山港線画像 (2編成並んでタブレット交換していますので、城川原でのご撮影でしょうか) を頂きました! 自分もあと数歳年上だったら……うらやましすぎ!と思うと同時に、ネットを通じてリアルタイムでこうしてあれこれ追憶できるようになったというのは何ともすごいことです (^^
 
 思うに、富山港線はそもそも富岩鉄道として開通し、富山電鉄→戦時合併で富山地鉄の重要路線となっていたところを、大陸との間の軍事物資輸送のために鉄道省によって買収された路線ですので、以来国鉄・JRでもずっと継子的な存在で (だからこそ飛び地のように直流電化のまま)、本来ならばもっとテコ入れすれば沿線の客もつながるであろうところを放置されたままであったような気がします。したがって、今回の富山ライトレール化は、JRが赤字路線を放出するという以上に、都市鉄道の再生と活用に取り組む富山の街が、岩瀬浜までのレールを本来あるべきだった姿に戻すもの、という風にも考えることが出来そうです。
 特に、富岩鉄道が走らせていた電車は、窓周りの円弧を描いた装飾がとても美しい小型古典電車でしたので、富山ライトレールのLRVはその21世紀版としての再来そのもののような気がします。
 というわけで、不遇な富山港線の一時代を走り続けた73系を思い出しつつ (あ~乗って撮りたかった! ^^;)、新時代の地方交通の模範となることが期待される富山ライトレールにささやかながらエールを送りたいと思います (^^)。非常に貴重な画像のご投稿、どうもありがとうございました!!