地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東急8614F「伊豆のなつ」早くも運行!

2006-06-29 22:10:56 | 大手民鉄 (東急)


 東急HPのプレスリリースで「来る7月1日から運行!」とアナウンスされ、当ブログでも期待交じりの記事を急遽アップした田園都市線8500系「伊豆のなつ」ですが、何と2日早い今日から早速運用に入っていました! 
 最近は東横・大井町線の8000系や、田園都市線8500系の「サークルK車」が存亡の危機に瀕していることから、昼から出勤の日はアタッシュケースにカメラを忍ばせ、出勤ついで鉄に励む回数が増えつつあるのですが (^^;)、「今日も鷺沼か溝の口あたりで」と思いつつ、昨晩8614Fが停車していた検修庫を車窓から眺めてみたところ……何と7月1日から走るとばかり思っていた8614Fが検修庫はおろか長津田検車区の広い構内のどこにもいないことが発覚!
 そこで「これは運用に入っている! どこかですれ違うかも知れない!」と思い、所謂「かぶりつき」に徹していたところ……いつの間にか溝の口に着いてしまいました。
 というわけで「これは遥か遠く東武線内まで行ってしまったかも知れないなぁ。どうせダメでもともと」と思いつつ、目標を「サークルK」に切り替えて溝の口駅にて撮影態勢に入ったところ……待つこと僅か数分、さっそく11K運用でその新鮮な姿を現してくれました! \(^o^)/
 何も知らずにたまたま居合わせたもう一人の方、お互い良かったですね。



 まだ昼の出勤時間までは余裕があるため、今度は一つ戻った梶が谷にて、中央林間からの折り返しを撮影! 梅雨の晴れ間の真夏日ということで、非常~~に蒸し暑い数十分間でしたが、思い出しても見れば、去年の7月も週末ごとにこんな暑さに悩まされながら東横線の線路脇で粘ったものです。「伊豆のなつ」撮影と猛烈な蒸し暑さは切っても切れない関係のようで……(^^;)。トンネルから姿を現した8614Fの超望遠撮影は、水蒸気まで写し込んだような少々もやっとした描写となってしまいましたが、何とも有り難いこと限りない運転士様のご配慮により、何と前照灯点灯状態! v(^o^)v
 こんな感じで、非常に静かな環境の中でさっそく記録が出来、本当にラッキーこの上ないことでした。これで今後しばらくの撮り鉄運を使い果たしていなければ良いのですが……。
 今後東急・東武線内での撮影を計画中の皆さんのご参考になれば幸いです (^^

 それはさておき、梶が谷をはじめ数駅の上下ホーム両端では、東急の腕章を巻いた係員の方が炎天下の中で列車を監視しており、たまに手許の紙に車号らしき数字をゴソゴソと書き込んでいました。後でネットを見たところ、営団8109Fだけでなく、田都線内で運行される他の電車からも車体の傷が発見されたとのことで……どうやら傷が付いている車両を探す作業だったようです (-_-)。
 特にどの車種に多く、どのような原因によって発生したのかは良く分かりませんが、田都線ユーザーの一人として、そして今後この「伊豆のなつ」8614Fを楽しもうと思っている立場として、適切な解決策がとられることを願って止みません。
 急行列車の異常な混雑による車両と線路へのシワ寄せが原因だとしたら……朝夕のラッシュアワーにおける急行運転中止・各停のみ!というのも緊急避難的対策として有り得るのでは、という気がしてきました (-_-;;)。

東急「伊豆のなつ」、田園都市線で運転!

2006-06-29 00:47:49 | 大手民鉄 (東急)


 夏が来れば思い出す~という歌がありますが、東急ファンにとってそれは遥かな尾瀬の神秘的な湿原風景ではなく (^^;)、昨年7月の東横線を走り抜けた「伊豆のなつ」号なのではないかと思います。しかし、このとき伊豆急ラッピングを施した8007Fは、今やジャカルタの急行電車として第二の車生に入ってしまいました。
 そこで、今年は果たしてまた伊豆急ラッピングが復活するのだろうか、復活するとすればどの編成になるのだろうか……と思案していたところ、本当にやって来ました、東急HPのプレスリリース! 詳しくはそちらをご覧頂くとして……何と今年は田都線内での実施です。しかも、今年は週末限定ではなく通常運用への投入で、運行区間も遠く久喜・ミクリに及ぶと言及されていることから、東武非対応の「サークルK」ではないなと思い、先ほど帰りの田都線車内から長津田の検修庫を注視してみたところ、8614Fが既に貼り替えを済ませた姿で留置されていました!
 そして、9月30日まではドアの両脇に伊豆の名所をプリントしたステッカーを貼るものの、10月以降はそれを剥がして運行される旨が示唆されていました。(はっきりとそう書いてあるわけではないものの、文面からそう解釈できるということです ^^;)

 というわけで、この編成の位置づけは短期間のイベント車両というものではなく、「TOQ BOXの伊豆急風バージョン」と言うべき存在なのかも知れません。
 そのことが分かった結果、これから7~8月は多忙と国内不在ゆえに余り撮りに行けない私としては一安心! (^^) むしろ、観光ステッカーを剥がして完全にシンプルな伊豆急カラーリングになったシーンをじっくり撮って行きたいなぁ……と思っています。帯を完全に撤去した東横線8039Fの場合、当初は「伊豆のなつ」フィーバーと重なって、沿線は相当撮り鉄殺到状態でした。しかしその後はずっと沿線で撮り鉄を見かけない状態が続きましたので (そろそろそれも崩れるでしょう T_T)、同じようにこの8614Fの「伊豆のなつ」についても、いずれ落ち着いてじっくりと撮影できるだろうと期待しています。

 最大の難点は、遠く久喜やミクリまで直通するため、一往復するのに非常に時間がかかることですが、それだけにいろいろなカットを撮り貯めるのも時間がかかりそうですね (-_-
 個人的には、割と同じような色 (?) の東武8000系とトブコあたりで並ばないか……と楽しみにしているのですが、トブコ2番線に入るミクリ行が8614F、トブコ3番線に停車中の浅草行区間準急が8000系であるという偶然も重ならなければならないなぁと思っています (-_-)。
 東武さん……ミクリの車庫あたりで、8614Fと東武8000系、または釣掛5050系とを一緒に並べた公開撮影会を開催して頂けないでしょうか? (完全な妄想 ^^;)。
 
 ともあれ気がついてみれば、先週東武の梅島駅を訪れて「なんとなく、いつものように」撮影した、東武線内日中ヘッドライト点灯開始にともなう8614Fの点灯激走シーンが、何と超期間限定レアシーンとなってしまったのでした (^^;)。



 次に少々疑問なのは、果たして今回の「伊豆のなつ」運転にあたり、去年のように毎週いろいろと細かいアイテムが増えていったことの再現はあるのだろうか?!という点ですが (^^;)、ここらへんは半蔵門&東武線への乗り入れの関係上、多分無理でしょうね (^^;)。
 ↑は昨年最終日、最後の1往復を走るシーンです (再掲)。ドア窓にさよならステッカーが……。



 いっぽう、こうして子会社に譲った東急電車がいま身にまとっているラッピング帯を、まだ古巣に残っている車両においても再現する……という手法による宣伝が今後も成果を挙げるのであれば、出来ればひとつの例として、上田電鉄の旧塗装風ラッピングを田都線8500系において再現し (池上線や多摩川線の7650系でやるのが筋!かと思いますが、やはり広告効果は田都の方が巨大ですから……^^;)、「信州の鎌倉号」などと銘打って走らせて欲しいと思うのは私だけでしょうか。(とにかく妄想ここに至れり!という感じでしょうか ^^;)

台湾の客車特急「キョ光号」廃止へ……

2006-06-28 18:15:00 | 台湾の鉄道


 さる土曜日、かねてから試運転中だった台湾新幹線 (台湾高鉄) の700T型が、営業運転時の最高速度となる300km/hによる試験運転を無事達成し、この10月からの営業運転開始に向け最終準備段階に突入したようです。李前総統のツルの一声で車両が欧州式から日本式へと変更になった台湾新幹線も、信号システムは欧州式のチャンポンとなり、さらには工期・納期や債務をめぐって日本のメーカーとの間に悶着が起こったりするなど、外国で初めてとなる日本新幹線車両の運行は決して平坦な道程ではなかったのですが、ついに開業するんですねぇ……。

 台湾の次は、台湾に負けじと中国がJREのE2系を数編成こっそりと輸入して性能試験を行い (中国政府は反日ナショナリストの猛烈な非難を深く恐れたものの、いざ正式購入が明らかになれば誰も文句を言わなくなったのがミソ)、さらにJRE・日本側メーカーからライセンスを受けたコピーを青島の車両工場で大量に製造のうえ、秋から華北~華中の在来線を中心に200km/h運行を始めるようですが、果てさてどうなりますことやら (汗)。

 それはさておき、そんな感じで台湾新幹線が走り始めるとなれば、当然割を食うのは在来線の列車……。そこで台湾鉄路局は、新幹線の脅威への対抗策として、短距離~中距離の都市間連絡輸送・近郊輸送に特化する方針を掲げたようです。そして、従来は運賃体系が

◆「自強」……欧州・南ア製電車特急 (釣掛 *^^*)
       韓国製PP式電気機関車&客車の特急
       日本製DCの特急
◆「キョ光 (キョ=くさかんむり+呂)」……オレンジの客車特急
◆「復興」……水色の客車急行
       冷房つき通勤電車 (南アフリカ製は釣掛! 韓国製はVVVF)
       支線の冷房つきDC
◆「普通」……客車鈍行及び非冷房DC

の4カテゴリーに分かれていたのを大幅に整理し、来年客車特急「キョ光」を、そして2011年までに客車急行「復興」を全廃のうえ、「自強」と「電車 (支線の冷房つきDCを含む)」のみとするとか……。
 そのため、これまで台湾鉄道の旅においてのんびりと贅沢な時間を提供してくれていたキョ光号を楽しむことが出来るのも、あと僅かとなってしまいました……(T_T)。台湾鉄の悦楽をすでにご存じの方も、興味は何となくあるけどまだ未訪問という方も、乗って撮るのは早め早めが良さそうです (-_-)。
 特に、海あり山ありの絶景が展開する東部幹線~花東線の旅において、サロ165並みの深々とゆったりとした座り心地を誇り、かつドアを走行中も手動で開閉できるキョ光号は、何度乗っても感動的……(*^^*)。
 しかし先日ついに、3000m級の高山をブチ抜いた台北~宜蘭間の高速道路が完成し、従来台鉄のドル箱だったこの区間の地位が揺らいでしまった結果、台鉄としては瑞芳~福隆間の極めて線形が悪い区間でノロノロ運転しか出来ない客車特急を一刻も早く追放し、間もなく登場する883系「太魯閣 (タロコ) 号」(運賃は自強号と同じはず) に置き換えてしまいたい意向のようです。
 それゆえ、今までは結構な本数が走っていた東部幹線のキョ光号も、消え始めたら一気に消えてしまうのかも知れない……という危機感を抱いています。この冬から来年の春あたり、また行けないものかと思案中……。(↑は花東線・玉里にて)



 いっぽう、キョ光号に使われる客車には、ここ10年ほどのあいだに製造され、やや座り心地の落ちる椅子と少々安っぽい内装、そして緑がかった窓ガラスに自動ドア装備の車両もあります (↑の画像。高雄駅にて)。これらは基本的に、韓国製のプッシュプル自強 (故障続発中 -_-) に準じたショボさだなぁ……と思っていたのですが、製造されてからまだ日が浅いことから、手動ドアの客車とは運命をともにせず、何と自強号へと格上げされるようです。スピードが遅く、スペックが安っぽいのに自強号とは一体……(-_-)。
 まあ、それでも1067mmゲージの客車特急を楽しみたいと思ったら、何だかんだ言って乗ってしまいそうですが……(^^;;

 何はともあれ、台湾鉄道事情の激変によって、主力の座から一気に転落することになってしまったキョ光号。70年代に超高級豪華列車として登場したのも今は昔、台湾の経済発展によって運賃は誰にでも払えるものになったものの、その安くて快適な乗り心地、観光ビジネスから通勤通学までカバーした幅広い活躍 (全ての車種に乗れる「通用定期券」なるものが存在し、登下校の高校生が当然のようにドヤドヤと乗ってきます ^^;) などなど……台湾人はもとより、台湾を訪れる日本人乗り鉄にも広く愛された列車だったと思いますが、今後はその列車名を懐かしさとともに語るのはさておき、現実に走る列車の名前として維持するべきだと思う人はほとんど誰もいないものと思われます。
 何故なら、「キョ (くさかんむり+呂)」という字は、いわゆる春秋戦国時代の大陸で四方を敵に囲まれてしまった国のことで、列車名そのものが「いつか国際的な苦境を打開して中国大陸を取り返してやる~」という蒋介石と国民党の空しい意地そのものだったからです。ですが「今さら中国との統一なんて冗談じゃない」と思っている圧倒的多数の台湾の人々からみて、こんな表現は最早タダの勘違い以外の何者でもないのでしょう。それよりは、台湾の先住民族エリアにある奇勝・タロコ峡谷の名前を冠した最新鋭電車の方が、余程台湾の鉄道新時代を象徴するはずだ……と思っているのかも知れません。

上海市街西部の小駅にて・16年前の光景

2006-06-27 18:13:38 | 中国の鉄道


 目まぐるしく移り変わる中国の鉄道事情のうち、当面の最大の話題は先日もご紹介した青蔵線の開通でしょうが、いっぽう東の上海でも、市街の南西部に国鉄・地下鉄・路線バスを集約した新ターミナル「上海南駅」が完成し、盛大にオープンしたようです。それに先立ち、すでに数本の路線が出来上がっている地下鉄はすっかり市民の足として定着し、さらに近郊輸送として既存の国鉄の線路を改良し、上海南から金山衛 (杭州湾に面した石油化学コンビナートの街) に至る高速電車が近いうちに走り始めるようです。
 そんな上海鉄事情、私が上海を訪れたのは1995年が最後ですので、全然ついて行けません (笑)。1990年に生まれて初めての海外旅行として中国を貧乏旅行したとき、最初に訪れたのは上海でして (金がないので神戸からフェリー「鑑真号」に乗りました。当時は中国を安く旅行したい貧乏学生を満載して大盛況でしたね……)、この街にはそれなりに熱い思い入れはあるのですが、今改めて訪れると当時のイメージがボロボロに壊れそうな気がして……。
 そこで、今から16年前の上海で撮った画像をご紹介することにより、「上海といえばテレビに出てくるとおりの派手派手・ギラギラな街」と思っている多くの方にカルチャーショックを味わって頂くことにしましょう (笑)。

 いま、上海市街の西部には地下鉄3号線 (明珠線) という路線が走っていますが、このルートはかつて国鉄線でして、いまの「中山公園」駅のあたりに「長寧」という駅がありました。この長寧駅は80年代まで上海西駅と呼ばれていましたが、確か88~89年頃、京滬線 (滬は上海の別名) の「真如」駅にその名を譲り、駅のある区の名前を取って長寧駅となったのでした。小粒ながらも非常にクラシックな駅舎でしたね……(*^^*)。
 その長寧駅から、先述の石油工業都市・金山衛まで、主に工場技術者・労働者の通勤のために毎日4往復の「市郊」列車が走っており、もちろん運賃さえ払えば外国人でも便乗可能でした。
 そこで、中国各地を貧乏旅行して上海に戻り、次の「鑑真号」の出航まで約1週間上海で長居していた私は、ある日ヒマ潰しとしまして上海の西にある古き良き街・松江 (→島根の松江とは姉妹都市) にバスで遊びに行き、帰りは松江から「市郊」列車が停車する「新橋」まで田舎バスに乗り、新橋から長寧まで30分少々の濃いぃ通勤列車乗車を楽しんだのでした。

 上海と松江を結ぶ主要道路から外れて新橋の集落へ向かうバスのプチ旅は、途中木製の太鼓橋を渡ったり、アヒルの大群を蹴散らしながら走ったりと、なかなかワイルドなものでした。そして終点の新橋では、古~い商店街で下ろされたのち、駅まで田んぼの中のデコボコ道を歩いて行くという……何とも言えないのどかさが漂っていましたが、今ではこれら全てが開発の名の下に消えてしまったのでしょうか (-_-)。



 ポツンと小さな駅舎がたたずむ新橋駅で当時0.9元 (約30円) の切符を購入し、しばらく待っていますと……ルーマニア製のND2型に牽引された10両編成がやって来ました。いろいろな客車のごった煮編成でしたが、ニス塗り車内・ボックスシートのYZ21型 (↑がその車内。21系は、恐らく満鉄客車のスペックをベースに、ソ連技術を掛け合わせたコルゲート付き切妻軽量車体として、1950年代に製造された客車) は案の定満席……(-_-)。いっぽうYZ22の両開き2扉ロングシートバージョン (形式名忘れた ^^;) はガラガラ (どんな国でもボックスシートに乗りたいと思うのが人情というところでしょうか。笑)。しかし、これには乗りたくない……。そこで、後者と同じ車両ながらも、着席定員を増すべくロングシートの間にとってつけたような板張りボックスシートが増設されている奇妙奇天烈な客車に目を付け、それに乗車しました。
 途中、春申・梅隴・新龍華・徐家匯といった駅があり、今でこそこれらのエリアは上海の発展を象徴する繁華街やニュータウンとなっているものの (日本人の居住者も多いのでしょうね~)、当時は如何にも場末チックなボロ工場や住宅が広がるのみで……当然のように通過 (笑)。
 というわけで、確か夕方4時半頃、終点の長寧駅に到着。トロリーバスに乗り換えて、バックパッカー御用達の安宿 (外灘の北にある浦江飯店。今では完全に改装され、19世紀中頃に当時の租界随一の豪華ホテルとして誕生した輝きを復活させたようです……当然安い大部屋は廃止されてしまいました T_T) へ帰ろうと思い、バス通りに出てきたところ……踏切がずっと閉まったままで、トロリーバスや自転車が足止めを食らって多くの人がウンザリしたような表情を浮かべていました。どうやら、自分が乗ってきた列車が機回しをするため、到着以後ずっと閉まりっぱなしのようです。ふつう常識的に考えれば、踏切小屋の係員がまめに開閉すれば良さそうなものですが……開閉のたびに自転車とのいたちごっこが繰り返されるために面倒臭がっていたのかも知れません (汗)。
 そんなこんなで踏切待ちの自転車の数は増える一方……そこで私は「これはすごいことになりそうだ!」と直感し、踏切隣の跨線橋に登って一部始終を見届けることにしました。考えてもみれば、自転車の人はチャリをかついでこちらに登ってくれば何の問題もないはずなのですが、そうしないのは一体何故……悠長なのか、それとも踏切番氏と同じように面倒くさがりなのか?
 待つことしばし、ようやくND2型が機回しでやって来ました。所々に木々が混じる石炭臭いモノトーンな街、チャリに跨った半袖半ズボンの人々、そしてダークグリーンの鉄道車両や丸っこいバス……これが私の頭の中の上海です (^^;)。



 さて、機回しも終わったことだし、そろそろ踏切が開くか……何でこれだけのことのために20分近く閉め続けたんだろう……と思ったのも束の間、今度は遠くの方から煙が次第に近づいてきました。建設型SL牽引の客車列車! 全国時刻表には載っていなかったものの、掲げられていたサボを見ると、上海市街の南西・閔行へ行く列車でした。(ボロスキャナでのスキャンゆえ、SLのシャドウがノイズだらけな点についてはご容赦を……。ちなみにこの列車、1990年代中頃の全国時刻表には記載があります) 到着してからしばらく停車し、貨物列車と交換して再び発車するまで、とにかくずっと踏切は閉まりっぱなし (苦笑)。ついにしびれを切らしたオッサンが踏切を乗り越え、列車の手前で通過を待っていますね (汗)。このカット、本当は客車や背後の街並みを含めて広角で撮っているのですが、上海のど真ん中をSLが走っており、上海風スタイルのバスとコラボレーション (?) していたことを分かりやすくお見せするため、大幅にトリミング拡大しております (^^;

 かくして、このSL市郊列車が発車したのちようやく踏切は開きましたが、待つこと少なくとも30数分! 既に夕方の帰宅ラッシュも始まっており、このあと踏切の上はどのような状態になったかは……ご想像の通りです (超爆)。

 こんな感じで、延々と踏切を塞ぎながら我が物顔で上海市街を走っていた国鉄線……一刻を争う急激な経済発展の中、地下鉄の高架線に改められてしまったのは当然過ぎる成り行きだったと思いますが、こんなシーンをたまにポジで眺め返すにつけ、悠長だった (?) 時代にやっぱり懐かしさを感じずにはいられないわけです……(^_^;)。

東武・昼間の前照灯点灯開始!

2006-06-26 11:14:07 | 大手民鉄 (東武)


 ここしばらく海外ネタが断続的に続いておりますので、ちょっと箸休めを……(^^;)。
 リンク頂いているmelonpanさん・よしくんさん・narikkoさんのブログでも既にご紹介されている話題で、そろそろ「何をいまさら……」な感じになりつつありますが (^_^;;)、この6月から東武では列車接近時の視認性アップを図るべく、昼間でも前照灯を点灯するようになりました。
 そこで、個人的に「やっぱ前照灯は点いていないよりも点いている方が見栄えがするでしょう!」と思っている私も、先日ようやく梅島駅を訪れまして、しばしのあいだ撮影を大いに楽しみました (^_^)。
 特に6050系……ただでさえ味のある車両がさらに貫禄を増しましたね (*^o^*)。これから寒い季節になって前パンを振りかざすのが待ち遠しいです! (ちなみにこの列車は52レ)



 そして東急8500系も点灯して激走中!! (^o^) 東急は「昼間点灯しない組」でして、トンネルを抜ければすぐに消してしまい、たまに点灯しているのは撮り鉄の存在に気付いて下さる運転士様のサービスである場合が多いため、8500系の点灯シーンはほとんど撮ったことがなかったのですが……これからは東武に行けばいくらでも撮影できます! v(^^)v 
 もっとも、これから5000系の激増によって8500系の東武直通も自ずとレアになるでしょうから、時間との戦いにもなりそうですが……。
 ちなみに、↑のカットを撮影したときは8500系急行が数分遅れだったため、昼間のダイヤでは普段見られない (?) 梅島での日比直との並走が実現しました。どちらも点灯していてさらに迫力UP! いっぽう、8000系初期修繕車の区間準急浅草行がやって来たときは……日比直にカブられてしまいました (泣)。