地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第八ジャカルタ炎鉄録 (4) タンジュンプリオク線

2016-08-31 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 KCJ (KAI Commuter JABODETABEK) の路線図をつらつら眺めるに、北端のジャカルタ・コタ、ならびに環状東線のクマヨランから分かれて、港町タンジュンプリオクに至る「ちょっとした支線」がありますが、本来これはタンジュンプリオク港に入港した客船との連絡、あるいはタンジュンプリオク港を出入りする貨物輸送のための超重要路線として蘭印時代に建設されたものです。そんな歴史的事実を反映するかの如く、ジャカルタ・コタとクマヨランの双方から複線が延びており、アンチョールで合流してからタンジュンプリオクまでは複々線となっています。しかしながら、タンジュンプリオクという場所は、港湾があることを除けばただの場末……。他の島や外国との往来が航空機主体となり、貨物輸送も道路交通が主体となるにつれ、タンジュンプリオク駅は放置されるに至ってしまったのでした。
 ところが2000年代に入り、ジャカルタの交通事情が劇的に悪化する中、近距離輸送・長距離列車の折り返し・貨物輸送のいずれにおいてもタンジュンプリオク線の機能を活かそうという機運が生じ、ついに2009年4月にはブカシ方面からの電車が運行されるようになり、当ブログでも2011年の訪問時に都営6000系「猫バス」(6151F) に乗りタンジュンプリオクに至った話を載せた次第です。しかし……そもそも毎日4往復程度しか走らない中、環状東線内からタンジュンプリオクへの人の流動などタカが知れており、乗れば必ず空気輸送……(滝汗)。2011年12月1日のダイヤ改正で再びタンジュンプリオク行の電車は運休となり、何だかなぁ~という気分を禁じ得なかったのでした。「港湾地帯で一日に数本しか電車を走らせないということであれば誰も客は寄ってこない」というのは、ヤンゴンの臨港線も全く同じですな……。そして、タンジュンプリオク線復活の切り札は、アンコタ (ワゴン型ミニバス) が頻発するジャカルタ・コタ~タンジュンプリオク間の再開に他ならなかったわけですが、カンプンバンダン駅の前後における長年の運休中の荒廃がひどかったため、作業は遅々として進まず、カンプンバンダン駅で乗降するたびに草ボーボーのタンジュンプリオク線を眺めて嘆息するばかりでした。「ちゃんと運転すりゃぁ~客が増えるのにさ……」と。



 というわけで、昨年8月の訪問後からコタ~タンジュンプリオク間の復活に向けた作業が進み、今年に入ってようやく営業を再開したとの報には、心からの快哉を覚えまして、この路線で細々と営業運転を続けるKFWに乗ることは、今回の訪問のマスト事項となったのでした (笑)。
 活動2日目の10時半、マンガライにて落花生。様と合流しまして、205系に揺られてコタ駅に着きますと、間もなく11時40分発のタンジュンプリオク行が入線~。コタ駅は周囲に、オランダが残し1998年のジャカルタ暴動で荒廃した旧市街があるだけの侘しいところですが、最近は少しずつ観光地としての再開発が進みつつあり、土日ともなれば他の娯楽が少ないジャカルタの人々が暇つぶしに大挙して押し寄せ、ドーム状のコタ駅はてんやわんやの大賑わい状態! とはいえタンジュンプリオク行きは現在のところ復活直後の慣らし運転で本数も少ないため、「この時間に来れば電車はある」と知っている沿線客だけが利用しているようで、4両編成の1両あたり10人も乗っていません (なお、女性専用車の設定はありません)。
 そしていよいよ発車! たまたまカンプンバンダン行の環状線フィーダ列車と同時発車となり、どちらも超ガラ空きのKFW4連がコタ駅の広大な構内で並走するという珍景に大興奮! (笑) その後タンジュンプリオク行は、新たに立ち始めたスラム街を左に眺めつつゆっくりと勾配を登り、客車区の留置車を右下方に見下ろしつつ、やがてカンプンバンダン駅の高架に到着しました! をを……一時は線路内に木が生えていたカンプンバンダン高架に、こうして何事もなく電車が止まるとは!! そして発車後すぐ、ジャカルタで唯一の鉄道立体交差を上から見下ろすとともに、落花生。様がスマフォを取り出し、謹製の「カンプンバンダン駅超ミニミニモジュール」の画像を見せて下さいました (笑)。いやぁ~粋すぎる話です!!
 その後はしばらく、スラム街と高速道路に挟まれた、まるで南海汐見橋線のような雰囲気の区間をチンタラ走り、やがてアンチョールに到着! アンチョールと言えば、かつて2010年頃まで「アンチョール・ドリームランド」への観光客を当て込んだ「アンチョール急行」がブカシとボゴールから土日運行されていましたが、駅とドリームランドの間の連絡が悪く、宣伝も大してなされていなかったためか、登場直後を除けばいつも超ガラガラ。私がクマヨランにて、当時まだ単線復活状態だったタンジュンプリオク線に突っ込んできた黄帯東急8604Fや紺帯都営6121Fに興奮したときも、客はマジでスカスカだったものです……。しかしそんなアンチョール駅も、ジャカルタ・コタ方面とクマヨラン方面のいずれもホームが整備されています。落花生。様は既に一度、ジャカルタ・コタからタンジュンプリオクまでの運行再開直後に乗られたとのことですが、アンチョールは通過であったため、今回アンチョールに停まったこと自体がイキナリの意外事ということで、写真をバシバシ撮っておられました。
 アンチョールを発車すると、やがて草深い複々線をかき分けながら進み、周りにちょっとしたカンプン(下町)が密集すると、壮麗なドーム駅舎のタンジュンプリオク駅に到着! スマフォでの撮影はOKながらも一眼レフでの撮影は不可能とのことですので、既に猫バスでの訪問時に撮ったことがある私はドームを見るだけにして、アールデコ調 (?) のタイルが見事なトイレで用を足した後、今乗って来たKFWを撮ることにしました。かつてメトロ6000系の第一陣が長期間タンジュンプリオク駅に留置されていた頃、ポイントが密集する駅の西側は一大売春ゾーンとなっており、夜になると線路脇の掘っ立て小屋には派手な明かりが灯り、朝になるとコンドームやその袋が散乱していたそうですが (滝汗)、今や環境浄化が進んでそのような雰囲気はなく、脇のカンプンの人々も適度に愛想笑いしてくれます。
 そんな中で待つことしばし、こんな感じで久しぶりにKFWを激写したのですが (今や運用はカンプンバンダン・フィーダとタンジュンプリオク線の4連のみ)、最も海側の線路=ジャカルタ方面上り線は半分土に埋まったような状態で、線路も大してこすられていないため、当初はてっきり「当面下り線を単線として使っているのだろうか」と思い、上り線に立って待ち構えていたのでした。ところが何と!KFWは発車後そのまま直進し、死んでいると思っていた上り線に突っ込んで来ましたので、落花生。様ともども超ビックリ!! ポイントからかなり離れた位置で待っていて良かった……(^^;
 とまぁこんな感じで、復活タンジュンプリオク線 (コタ方面) の初乗車&撮影を果たしたのですが、並行するトランスジャカルタは本数が少なくて使えず、アンコタは狭すぎて辛いため、是非今後電車の運行が安定し、もっと本数が増えることを祈念しています(そのうち30分間隔にするとのことですが、一定の客が増えれば、カンプンバンダン・フィーダと統合して20分間隔でも良いはず。なお、カンプンバンダン・フィーダは、日中見かけるとスッカスカですが、朝夕はスルポン線やタンゲラン線とコタの間を利用する客でかなり混み合います)。そして本数が増えれば、KFWだけでは足りなくなるというわけで、編成替えで生じた205系4連がタンジュンプリオク線に入らないものかと妄想しています。

ハノイ以北サウナ鉄 (10) ハロン駅発車を撮る

2016-08-29 12:00:00 | ベトナムの鉄道


 1ヶ月以上のご無沙汰となってしまった6月のハノイとんぼ返り遠征記、脳内での鮮度が下がらないうちに激戦の備忘録を記しておきたい……というわけで、満鉄客車使用鈍行の到着をハロン駅で出迎えてからの話をば。とにかく6月のベトナム北部は撮り鉄という人種の生存には向かない激烈な蒸し暑さであり、待ち構えて連写するだけでもクラクラになるほどヘタレ果ててしまい、いくらポカリ (ベトナムでは大型スーパーやハノイのコンビニで散見するようになったものの、今のところ粉を日本から持参) を飲んでも気分は全くシャッキリせず、行商人が客車から荷物を下ろす喧噪の風景もほとんど撮る気なし……。また、折り返し時間は1時間以上ありますので、形式写真や車内写真も撮り放題となるはずですが、ハロン駅が全く小綺麗になってしまったこともあって余り写欲が湧かず、とりわけ各客車の車内をしらみつぶしに観察して撮っておかなかったのは愚の骨頂! もっとも、住友製を含む台車は丁寧に記録しておきましたが……。



 というわけで、ひとしきり倒れそうな気分で撮り続けた後は、空腹と塩分不足のダブルパンチに耐えかねて、まさに石窯の表面のように凄まじい高熱を孕んだ線路・バラストの上をフラフラと歩き、臨港地帯へ通じる貨物線の踏切から道路に出まして、最初に現れたフォー屋に入ったのでした (フォーはベトナム風米粉うどん)。そして、牛肉をたっぷり載せたフォー (4万ドン) を猛然とすすってスープまで完飲したあとは、13時30分過ぎの折り返し発車に備え、再びとぼとぼと激暑の線路を歩き、ケップ寄りの駅の外れにて待ち構えたのでした……。
 傘を差してじっと午後の凄まじい暑熱に耐えることしばし……いよいよ、中国東風11風のマスクを前に出したD14Eがホイッスルを上げ、骨董品客車の4連がウネウネと構内のカーブを通って迫って来ました。余りにも格好良く……ファインダーの中で追いかけている間だけは、全身にズッシリとまとわりつくような酷暑を忘れていました……。
 撮影後は、急いで国道に出てミニバスを捕まえれば、何カ所かで追っかけ撮影することも出来るな……と思っていたのですが、このどーしよーもない暑さでは、国道まで約1km走ったら確実に熱中症で死ぬ……(@o@)。というわけで、ハロン線の列車が1日1往復しか来ないことを恨めしく思いつつも追っかけはスッパリと諦め、「何時なくなるか分からない旧型客車編成をこんな感じで撮れて良かった」と満足しつつ、国道の駅入口でハイフォン行きのミニバスに乗ったのでした。しかし……数分から10分間隔で来るはずのモンカイ発ハイフォン行ミニバスが、こういうときに限ってなかなか来ない……(-_-メ)。飲み物を売る屋台のパラソルがなければブッ倒れていたことは間違いないでしょう。
 なお、列車がハロン駅を去ってから30分後にようやく乗ったミニバスは、ハロンの一つ手前、イェンクー駅を少々過ぎたあたりで列車を追い抜きましたが、もしミニバスがすんなり来てくれていればイェンクーでも撮り鉄出来た……と思うと遺憾な気分なのでありました (^^;)。あと、ハロンからハイフォンまでミニバスで直行 (1時間40分~2時間程度) するのではなく、ウォンビの街外れで下車してウォンビ炭鉱鉄道 (メーターゲージで、中国製の緑色罐が鉱車を牽引) を探検するのも痛快かと思われますが、暑季に出来ることではありません……はい (11~3月頃の涼しさなら十分可能?)。

鉄コレ名鉄6000系ワンマンをN化する

2016-08-28 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 パッと見、結構イケてるように思います♪ (個人の感想です)



 いもむしとの並び♪ (3400形はスカーレット時代4連ですが ^^;)



 1980年代における支線の超定番・HL車3730形との並び。



 SR車5500系との並びも、名鉄良き時代という感じです……。

-------------------------------------
 鉄コレが始まってからしばらく、名鉄系のモデルは3700・3730・5200・第14弾の3800譲渡車、それにキハ20といろいろ出たものですが、最近しばらく途絶えていたような気がするのは私だけでしょうか。名鉄は、大名古屋民ヲタの皆様でしたら御執心も甚だしいかと存じますが、域外ヲタは余りピンと来ないようでもあり、首都圏南部の模型屋で名鉄系鉄コレの売れ行きが余りよろしくないのを眼にして、かつて中高坊の頃は名鉄に足繁く通った者として「名鉄鉄コレ、続かないのではなかろうか……」という危機感を抱いておりました。
 それだけに、The名鉄通勤車と呼ぶべき6000系の鉄コレが、まずはワンマン2連からリリースされるとの報に接したとき、まさに狂喜乱舞の感を抱き速攻で予約しましたし (笑)、こうして購入してN化すると顔面のニヤニヤが止まりません (キモッ!)。様々な車両と並べてみても、何とサマになっていることでしょう……。
 とりあえず、鉄コレでもこうして下ぶくれ名鉄ボディが可能であることが実証されましたので、次は是非名鉄の幹線~ローカル線直通列車の一時代を築いたAL釣掛7300系を宜しくお願いしたいものです。豊橋鉄道譲渡後のカラバリも出来ますし☆ しかし、豊橋鉄道鉄コレは総じて1800系を除いて余り捌け具合が良くない印象もあり (中古市場でも叩き売りアイテム化)、出るかどうかかなり心配しているのも確かです。あるいは、転クロ冷房車であるにもかかわらず足回りはHLな3780系なんてのもグッド! 否そもそも、膨大な形態を誇るAL車各種を是非体系的に鉄コレ化して頂ければ、涎が止まらなくなって発狂したパブロフの犬の如く (笑) 激しくゲットさせて頂くのですが……。

第八ジャカルタ炎鉄録 (3) Argo Dwipangga

2016-08-27 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨晩は都内某所のインドネシア料理店にて、日本観光にお越しのKCJ職員の方々を歓迎する宴が開催されまして、例によってインドネシアと日本の鉄道事情をめぐる楽しい話題で盛り上がりました♪ 幹事の井上様をはじめ、お越しの皆様には大変お世話になりました! m(^^)m
 というわけで、先日のジャカルタ遠征の続きですが、滞在中は例えばメトロ6000のVVVF車が試運転を始めたといった類いの超新鮮ネタに遭遇したわけではなく (人が帰国したら試運転実施……-_-;;)、最新の車両の動きはパクアン急行様のブログにて常にフォローアップされているところです。そこで、個人的に昨年と比較して大いに驚き感動した話題から順次アップして行きたいと思います。その一発目は……国産INKA製の客車の最新バージョン登場! 
 もっともこの客車、20m級の幅広車体で、「Argo Bromo Anggrek」専用車のような台形ボディではなく通常の垂直ボディであるという点では、何ら基本構造という点において従来車との違いはありません。しかし、何と言っても窓周りを連続ブラックにしたあたり、「今までとは違う」という印象を強烈にアピールしていますし、極めて重要な点として、1等Eksektifの場合は座席一列分に対して一枚という窓がズラリとならび、しかも一枚当たりの面積が非常に大きいですので、あたかも日本の特ロ客車や国鉄特急型車両のグリーン車を思い出す雰囲気です♪ インドネシアのEksektif従来車の場合、座席と窓の間隔がまるで合わないボロ、座席2列分で1枚の大窓、座席1列分ながらも相当面積の小さい小窓……と完全にまちまちで、1等運賃を払いながらもどのような車両に当たるかは運次第でしたので (勿論、一番の当たりは「座席2列分で1枚の大窓の車両のうち、ワイドビューを楽しめる2列目の窓側」。逆に超ハズレは、間隔バラバラ窓車の、ちょうど真横に壁が来て全く景色が見えない席……)、この車両を使う列車を選べば完全にそんな煩悶が雲散霧消するようになったのは素晴らしい話です。



 この客車は、去る7月のレバラン(ラマダーン明け)帰省輸送をきっかけに、今年度分の車両が一斉大量 (?) 投入され、Argo Dwipangga、Argo Lawu、及びBimaといった看板列車に投入されています。このうち、ジャカルタ界隈で撮り鉄する際に最も好適なのは、ガンビール駅を朝8時に出発するArgo Dwipangga (ソロ・バラパン行) ですので、活動2日目の朝と3日目の朝、2日続けて早朝のブカシ線の客となり、いそいそと線路脇に出掛けてみました。
 ところが、折角遠路はるばるこの新型客車の撮影を楽しみにやって来たというのに、二日連続で朝から天気はドヨ~ン……(-_-;)。とりわけ活動2日目は、朝6~7時台の雲が非常に分厚かったばかりか、「出勤」に使うつもりのジャヤカルタ6時34分発の電車 (所定は205系12連) が大いに遅れまくりの6時59分にやっと到着し、果たしてDwipanggaの撮影地通過に間に合うのか、大いにヒヤヒヤしまくりでした……。もっとも活動3日目には、6時32分のジャヤカルタ駅に、あたかも2分早発であるかの如く20分以上遅れのブカシ行が現れ、しかも東急新8007Fでしたので、内心狂喜乱舞モノだったのですが (笑)。
 幸いなことに、2日とも朝8時頃には何とか光量を確保できるようになり、けたたましい警笛をビシバシ響かせながら時速100km超で猛然と迫ってくるDwipangga新型客車を激写!! 滞在2日目の単独での撮影時には、「スゲー!マジカッケー!」という独り言が止まりませんでしたし (笑)、活動3日目の落花生。様及びパクアン急行様とご一緒した大撮影会においても、「KAIやるじゃん!」という讃辞がしばらく止まらなかったのでした……。
 実に、インドネシアの鉄道車両デザインセンスはなかなか素晴らしい! これが他方面でも活かされているかどうかは別の話ですが……(汗)。
 ちなみに、全くの革命的状況を生み出しているINKA製2016年度の新車ですが、1等Eksektifだけでなく3等Ekonomiもあります。集団見合い式のゆったりした固定クロスということで、ネットを見るとインドネシア人鉄ヲタが相当興奮している雰囲気が伝わって来ます……(笑)。しかし、こちらは現在タマ数が少ないのが実情で、レバラン臨の増結用で使われたきり、定期列車への投入はまだらしいとか何とか……。今年度分はEksektifの大量新造に追われ、そろそろ空港鉄道用の新車新造が本格化する頃合いでしょうから、Ekonomi最新型客車の一斉投入は当分お預けでしょうか。


 う~ん、圧倒的な存在感! KAI新時代を象徴する光景です♪

鉄コレ上田交通5252・5253をN化する

2016-08-26 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 今年の9月は早いもので、上田交通別所線750V時代の末日から30周年となりますが、この30年の間に別所線の電車は釣掛からカエル5000→7200→1000/6000と4世代も変遷し、しかも今や1000/6000はVVVFですから、さすが東急五島家出身地の電車は親会社から手厚く扱われていると感じます。そして鉄コレでも、既に出ている5250形と7200系まるまどりーむに加えて6000系がリリースされる旨発表されていますが、その間隙を突いて、知る人ぞ知る昇圧30年というタイミングを狙い (?)、5252と5253が発売されました。そんな5250形は、今も3両全車が地元で現存するという、まさに上田盆地・塩田平の近代文化財的至宝と言えましょう。
 また上田5250形は、中坊の頃から高1の昇圧時 (年齢バレバレ ^^;) にかけて私が最も狂った車両のひとつであり、第17弾として発売された際には、出来具合の素晴らしさにも感嘆し、思わず大量ゲットに走ってしまったものです。とはいえ、如何せん何個買っても全車同ナンバーというきらいがありました。それだけに、今回5252・5253が発売されたのは、富技様がもたらしてくれた干天の慈雨であると言えましょう♪



 その出来具合は、恐らく広東省の工場の中でも選りすぐりのスタッフをかき集めたであろうと思われるほどで、鉄コレの中では第一級のものであろうと勝手に考えておりますが、屋根上のオレンジの塗り分けが5251と比べて微妙に異なります。まぁ、気にするほどのものでもありませんが。
 しかーし!! そんな超逸品であるかに思われた今回の上田5250にも、唯一最大のバグが!! ヘッドライトパーツの差し込み穴が超ユルユル・ガバガバであるため、1パッケージあたり4個使われているべきパーツのうち1個が最初から欠品している……(@_@;;)。超ユルユル・ガバガバな穴に差し込まれた小さなパーツであるだけに、工場で農民工が手荒に封入する段階でポロポロと落下してしまい、その後の箱詰めの際に検品を行ったとしても全く気付かなかったという可能性大……。これは開封時に気付きましたので、早速富技の苦情フォームに入力したところ、約1週間後にヘッドライトパーツが無事届いて事なきを得ました。もし追加を送ってもらえなかった場合、微妙な色合いの青ヘッドライトであるだけに、他の鉄コレストックからパーツを取って塗り直しても、微妙に色違いとなる可能性もあり……本当にヒヤリとしました。
 この症状は、同時発売の琴電旧型でも発生しております (-_-;
 そこで、今般の上田5250と琴電を購入された方に、声を大にして申し上げます。ヘッドライトパーツは開封後ただちに、ゴム系接着剤で穴に固定した方が良いっすよ!!……と (激鬱)。
 この問題を除けば特に不満はないと申しますか大満足ですので、是非上田交通に関しては続編を宜しくお願いしたいところです。6000系は早速予約してしまいましたが、是非昇圧前の車両もいろいろと……。とりわけ、昇圧直前の相棒である平面ガエル・クハ290を早急にお願いしたいところです。ふだん5250の重連というのは見かけず、2連は基本的にモハとクハ or サハの組み合わせでしたし。