早いもので4月も最終日。鹿島鉄道の廃止からも一ヶ月が経ちました。廃止直前から廃止後いまに至るまでのさまざまな経過は、すでにネット上でも膨大な量の情報が流れており、静かだった頃の記憶を頭の中にとどめておきたいという思いから敢えて近寄らなかった私でも、いやおうなく廃止の現実をじわじわと感じずにはいられないです。
そういえば去る2週間ほど前、NHK関東版ひるまえ番組「こんにちは一都六県」を見ていたところ、鹿島鉄道の最終日に臨んだ石岡機関区長の一日の模様をプチ特集していました。とくに、生え抜きの鉄道マンとして、どんどん深刻になる遅れを挽回しながら最後の最後まで安全運転の確保につとめられた機関区長氏の奮闘ぶりに、画面を通してジーンとしてしまいました。すべての列車の運行が終わったあと、朝の3時まで機関区で別れを惜しんでいた、というナレーションが印象に残りましたね……。
というわけで、なくなった後もじんわりと鹿島鉄道を惜しむこのシリーズ、今日アップするのは、鉾田行き最終列車の先頭に立ったキハ431です。
キハ432が「赤い金太郎」になったとき、その余りにも懐かしく、でもキュートな雰囲気にクラクラしてしまった私ですが (^^;)、その後を追ってキハ431が「緑の金太郎」になったのを知ったときは、ほとんど狂喜に近いものを感じました。何故なら……緑とクリーム系の塗装をまとったシブい車両というのは、むかしは結構あちこちにあったような気がするのですが、最近はめっきり減っていたからです。そこで、控えめなグリーンの姿がさぞかし沿線の田園風景になじむことだろう……という期待が盛り上がりまくり (^_^)。
でも、私が訪れるといつも「赤い金太郎」キハ432の出番で、結局キハ431が動いているシーンに出くわしたのはイベント運転の2両編成ぐらいでした (汗)。というわけで何の因果か、「緑の金太郎」が単独で走っているシーンを目にしたのはこの日が最初で最後……(-_-)。それでも、浜〜玉造町のカーブを華麗に快走して行くシーンを完璧に決めることが出来て本当に良かったです。
鉾田に最終列車として到着したあとは、キハ431とともに常陸小川に回送されるのではなく、そのまま鉾田に残留している「緑の金太郎」……。鉾田駅を中心とした動態保存施設がもし実現するとしたら、そのときスターとして復活するのを楽しみにしたいと思います……。