地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

抹茶色化を控えた (?) 京都の221系

2010-01-31 00:00:00 | JR発足後の車両


 先日アップした伊賀鉄道200系の画像をつらつらと眺め返すにつけ、ある重大な事実に気づきました……。何と!折角装備された前パンが上がっていない! (T_T) 小振りな下枠交叉型の前パンの方は冬期早朝の霜取り用だったようで……。
 ともあれ、これまで実に「ナウ」(死語 ^^;)、いやモダンで、新時代を先取りしているかのように信じ切っていた80年代の新車が、ある日あるときを境に前パン化改造を受けることで、突然野武士的風貌 (?) に早変わりするという、何とも濃いぃ展開がしばしば起こっているように思うのですが、その代表的事例としては、伊賀200系のほかにJRE所属211系の「ちょんまげ前パン」といったあたりを挙げることが出来るでしょうか。そして、最近にわかに個人的に注目せずにはいられないのが、山陰線京都口で運用されている221系の前パン車……。
 221系は周知の通り、JRWがアーバンネットワーク整備の嚆矢として放った車両であり、とくに革命的に巨大化した正面のパノラミックウインドウと側面の連続窓の組み合わせが醸し出す流麗さや、ズラリと揃った座り心地の良い転クロは、当時211系ロングシート車ばかりが増備されていた首都圏の一住民からみて、何やら屈辱的なほどうらやましかったものです。本来113・115系は、211系ロング車やE217以降のJREハリボテ (爆) ではなく、221系のような方向で進化すべきだったのだ……ということを、青春18きっぷで西へと下り、米原にて221系に乗り換えるたびに痛感したものです (この点、JRC311・313系は中間点? ^^;)。



 そんな221系も登場から早いもので20年が経ってしまったとは……どうりで自分も老けてしまうわけですな (滝汗)。そして、東海道・山陽線系統から追われた一部の車両が山陰線京都口に回された結果、つい最近まで113系の牙城だったはずのこの区間もすっかり様変わりして、今やほとんどの列車が221系でやって来るようになりました……。113系ファンとしては悲しい話ですが、置き換える側の車両がこれであれば文句のつけようがないのも確かであります。しかも、一部の編成は前パン化されているとなれば……(*^^*)。頼む!前パンを上げてくれぃ! (爆) 
 それにしても、70年代に幼稚園児だった頃から時刻表を読み始めた私にとって、山陰線京都口といえば未だに、昔の時刻表で眺めた京都発浜田行・出雲市行の長距離鈍行や、寝台車つき夜行鈍行「山陰」の印象が強かったりするのですが (^^;;;)、来月の京都~園部間完全複線化完成を控えてすっかり高架中心となった京都市内の区間をこうして221系8連の快速が駆け抜けるようになるとは……。しかも、ラッシュ時には快速が12分前後の間隔で運行され、嵯峨嵐山で緩急接続を行うようになるというからビックリです。実際既に、日中も含めて上下双方向的に利用者は多く、「ついこの間まで (?) のんびりと客車列車やキハ47が走るローカル線だった」という認識は完全に改めなければならないなぁ……と思い知らされます (^^;;)。
 というわけで、今後しばらくの山陰線京都口はカフェオレ、いやアーバンネットワーク色221系の天下だろうと思っていたのですが、最近発表されたJRW各支社ごとの単色塗装化がもし221系にも及ぶとすれば、こんな光景も期間限定の栄華で終わるのでしょうか。221系は対象外なのでは?……という気がしなくもないのですが、少なくとも京都総合運転所(京キト)所属車の車内に掲げられた路線案内は山陰線・東海道線京都以東・湖西線・草津線に限られ、京都以西には行かないと宣言しているようなものですので、やはり221系も抹茶色に……?! (^^;) まぁ個人的には「何やら琴電1301Fの、《お~い○茶》ラッピングを貼る前・試運転中の姿みたいでイケてるかも♪」と思っているのですが、そんな発想もごく少数派に過ぎないことは百も承知です、はい (^^;)。恐らく、かつて東海道・山陽線緩行用として用いられた70系「茶坊主」の、グリーン系塗装による再来 (?) を思わせる雰囲気になるのだろうなぁ……と。人呼んで「抹茶坊主」とか……(超爆)。

京都駅・激変間近 (?) の国鉄型天国

2010-01-29 07:19:00 | 国鉄型車両


急電色117系の堂々8連!



湘南色オンリーの113系!



奈良線のウグイス103系は京都支社持ちではないので抹茶化の対象外?



山陰線ホームは真っ暗なのが遺憾ですね……。

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 先日の京都出張ついで鉄にあたっては、日没間際のちょっとした空き時間を活用し、京都駅に佇む国鉄型車両たちの表情をスナップしてみました。既に大部分の列車がJR化後の車両で運用されていることは否めませんが、それでもこれだけの国鉄型車両が日常的に京都駅に出入りし、しかも113系の一部や117系は国鉄時代と同じ塗装を纏い、ほぼ原型を保っているという……(*^^*)。昭和の面影を濃厚にとどめたホームのシブさと相俟って、ある意味で日本に残された最後の「国鉄的空間」のひとつなのかも知れません。これらもいずれは京都支社色・抹茶色単色塗装の世界に変わり、485系改造183系にも先が見えることでしょう。というわけで、こんなシーンを一人しみじみと味わえるのは一体あとどのくらいだろう……と思いつつシャッターを切ったのでした。
 ちなみに、今回のスナップにおける最大のお目当ては、16時40分前後に上下相次いで姿を現すはずの「雷鳥」でしたが、一体いつからサンダーバードに変わってしまったのか……かなりショックです (汗)。何時までも昨年3月の全国ダイヤ改正版時刻表を使い続け (^^;)、最新の時刻表を買って確認することを怠ったために、そのような意表を突かれる展開となった次第……(滝汗)。

新忍者参上!・登場間もない伊賀200系

2010-01-27 00:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 昨日、久しぶりの関西出張ついで鉄としまして、新たな活躍を始めて間もない東急1000系改め伊賀200系を訪ねて参りました。恩田での1311+1010の改造の様子を折に触れて眺めてきただけに、なるべく早いうちにピカピカな姿を眺めてみたいなぁ……と思いまして (^_^)。しかし、豈に図らんや……昨晩帰宅して早速PCを開きネットを眺めてみたところ、月曜日の夜に伊賀200系第2陣として1310+1011が恩田を出発したそうで、ちょうど途中ですれ違ってしまったとは! (^^;) そういえば比土の鉄道用地内にも重機用の踏み板が敷かれ準備万端だったなぁ……と。出来れば比土での搬入シーンに是非遭遇したかったのですが、恩田出発後3泊4日前後はかかりそうな (?) 伊賀行きの道中に合わせて出張の日程を変えるわけにも参りませんので、こればっかりは仕方ありません (苦笑)。まずは第1陣・201Fの初々しい様子を記録できただけでもまぁ御の字といったところです (^^)。



 現在のところ200系は、伊賀鉄道公式HPにも記載されております通り、遠来の客にも安心な固定運用に入っています(但し検査時を除く)。そこで、僅かな持ち時間の中で確実に撮影と乗車をこなすべく事前に予定を練り、名張停車伊勢志摩ライナー (デラックス席♪)→2610系急行という乗り継ぎで伊賀神戸に到着したところ、旧忍者編成(緑)がお出迎え~。そこで「これは新旧忍者並び撮影のチャンスか……ムフフ♪ (爆)」と思いつつ、車内からのロケハンに徹していたところ……丸山で名○コン○ル○ン○編成と交換……。「これはまずい……。午後の一定の時間は上野市以南で2運用っぽくなることから、旧忍者が入庫してしまうのではないか?」というイヤ~な予感がしたところ、果たせるかなその通りに……。はぁ……伊賀をたまに訪れるたびに名○編成という貧乏くじを引いてしまう……(T_T)。
 それはさておき、201Fを眺めた感想ですが……一見すると大胆すぎる零○系イラストも、何故か東急1000系ボディと沿線風景の双方にうまくマッチングしているように思われます……(^^)。あくまで感覚的な問題ですので、うまく説明するのは難しいのですが、周囲を低い山々に囲まれた高原に低い雲が流れるという如何にも「どこか荒涼として切なく、でも優しく人を包み込む隠れ里」的な雰囲気が漂う伊賀盆地の風景に、ハワイアンブルーに近い青と薄い肌色の、しかも2編成の旧忍者編成に比べて線が細く押さえ気味なデザインが絶妙に組み合わさっていると申しますか……。
 いっぽう、「撮ってよし」な伊賀201Fは、乗ってもなかなか素晴らしい……。武家屋敷風のデザインが壁と床に貼られた車内は落ち着いた雰囲気が漂い、京阪9000系からの発生品であるシートの座り心地も上々です。そんな201Fに揺られ、とくに比土~上林間の森と貯め池の風景の中を行くのは絶品の味わいです(*^^*)。
 何はともあれ、201Fの今後の活躍、そして202F以後の増備が楽しみです……。こんな感じで短時間のエクスカーションを終えた私は、伊賀神戸からの青山峠越えを宇治山田行き2610系急行で満喫し、さらに伊勢中川からは名古屋行き2610系LCカー急行による豪華リレーを楽しみ、内心で「近鉄万歳!」を叫びつつ (^^;) 次の目的地へ向かったのでした……。


ビスタカーとの並び@伊賀神戸! 
東急出身車両と近鉄の出会いは、過去名古屋で互いにチラッと遠目に見える程度だったのではないかと思いますが(東急3700系改め名鉄モ3880・ク2880……ええと、確か東海道線&新幹線越しに名鉄と近鉄は見えるはずと記憶 ^^;)、今やこうして近鉄子会社所属車としてですから、世の中何が起こるか分からないですね。

銚子デハ1000を撮る (上) 桃電1001

2010-01-25 07:37:00 | 地方民鉄 (銚子)


 銚子電鉄ではデハ702のさよなら運転も終了し、元京王2010系の正式デヴューへ向けた動きは引き続き着々と進められているわけですが、いざ元京王2010系×2が走り始めるとなりますと、これまで(とくに国土交通省による半鋼製釣掛車廃車勧告?の後は)圧倒的主力の座を占めてきた1000形が一気に予備車の座に転落することになります。というわけで、実は当たり前すぎる1000形の営業運転シーンを日常的に記録するのは今のうち。まぁ実際には、客足がガクッと減る観光オフシーズンの平日あたりには、単行運転可能な1000形が引っ張り出されることにもなるでしょうが、そんな日の日中でもしばしば笠上黒生~銚子間で複数の立ち客発生という事態に遭遇していますので(昨年末もそうでした)、基本的には早朝・夜間を除いて2連運転に移行するのかも知れない、という気もしております (どっちだおぃ ^^;)。



 というわけで昨年末の訪問時には、「桃○郎○鉄」ラッピングをまとったデハ1001といえども記録しておこう……と頑張ったのですが、やはり何度見てもこーいうラッピングは気分が萎えます (-_-;)。しかもダメ押しの如く、車内のモケットにまでアレなキャラクターが描かれまくっているという……。たとえスポンサーが一時的に銚子電鉄の危機を救ったとしても、もう少々ディスプレイの仕方に工夫というものがあったのではないか……と。まぁ、ゴリラーマン去ってナゾキャラ現る、といったところなのかも知れません (鬱)。
 そんな私ですので、デハ1001を撮る際にはどうしても正面を強調するアングル中心になってしまうわけです、はい (^^;)。勿論、側面気味のカットも撮っていますが、レタッチせずに放置中……(汗)。嗚呼……ラッピング広告契約満了後は、どうか是非更改されることなく、それこそラムネ色1色・ラムネツートン・小豆ツートン・現標準塗装・銀座線・丸ノ内線のいずれかにして頂きたいものです……(爆)。

南海高野線を撮る (2) 銀色の美6300系

2010-01-24 00:21:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 先週、長らく発売が延び延びになっていたマイ○ロ○ースの南海6100・7100系がようやく発売となりました。生まれてこのかた一貫して関東人の私にとって、河内・泉州・紀州といった南海沿線はとくに馴染みがあるわけではないのですが、南海電車そのものは好きでして、中学・高校時代は貴志川線1201形をたびたび訪ね、撮り鉄復活後も何度か訪れて質実剛健な姿に狂喜乱舞……。って、その割には当ブログでの南海の出現回数は多くないですね (汗)。単に他の話題を優先させ、いつの間にか後回しになってしまっただけです、はい (^^;)。
 まぁ、そんな私ですので、マイクロエー○が発売予告を出した直後速攻で近所の模型屋に予約を入れ、その後も模型ショウで度々製作途上の試作品の姿を細かくチェックし、その出来具合に一層期待を抱くこと久し……。昨日、発売日から数日遅れで、ようやく仕事の切れ目を見計らって模型屋を訪ね、予約品を引き取って来たのでした。まずは、店頭での動作チェック……う、美しい……(*^^*)。6100系と7100系のいずれも満足の見栄えですが、とりわけ銀色の艶を放ち、曲線とコルゲート直線の組み合わせも絶妙な6100系の仕上がりに心底惚れ惚れ……。帰宅後はさっそく、自室本棚の中のキット製作車両用完成展示線 (笑) に6両中4両を並べ、リアルな雰囲気を楽しみまくっているところです♪ (爆)



 というわけで、早いもので一昨年の初夏に撮影したきり放置してしまった南海高野線画像として、6100系改め6300系をアップしてみましょう。
 6100系はもともと、南海における記念すべきステンレスカー第1弾・6000系 (これもそのうち魅惑の雄姿をアップします) の両開き扉・ディスクブレーキ台車バージョンとして1970年に登場した車両であり、早いもので今年で登場40周年……。しかし、車齢40年を感じさせるのは顔とクーラーのみで、側面のギンギラギンなコルゲートが未だに永遠かつ普遍的な新しさを放っているあたりは、さすが東急8000系の兄弟、東急車輌製の逸品であると言えましょう。
 そんな6100系は長年高野線の主力として働いてきたわけですが、ディスクブレーキのPⅢ台車を履いているために6000・6200系(S型ミンデン台車) と混結出来ないという問題が……。PⅢ台車といえば、個人的には釣掛時代の小田急4000形をパッと思い浮かべるのですが、4000形は1800形との混結時に競合脱線を起こして以来単独運用に限定され、さらにカルダン化改造と同時に別のディスクブレーキ台車に履き替えましたので、PⅢというのはじゃじゃ馬な台車だったのかも知れません (なお、私はシロート文系人間につき、詳しい技術的事情は分かりません ^^;)。
 そこで、台車を履き替えることで誕生したのが6300系。私が関西出張ついでに南海をたびたび訪れるようになった数年前の時点で既に6100から6300への変化は進んでおり、6100系は基本的に予備車的存在だったようで……気がついたら1枚も6100系を撮ることなく全車の6300化が完了してしまいましたとさ (滝汗)。
 ともあれ、こうして手を入れられながらますます快走を続ける6300系。このぶんですと車齢50年は余裕で達成することでしょう……。そのシブい活躍を、今後も折に触れて乗って楽しみ、記録して行きたいものだ……と思っています。
 ちなみに、2枚目の画像は割とレア気味 (?) な千代田行き♪ 

【お知らせ】明日から関西出張を含む多忙につき、更新頻度が下がります m(_ _)m