ジャカルタの電車シーンは、武蔵野線205系の急激な流入によってますます205系帝国の感を呈するようになってきた昨今ですが、205系以前に海を渡った東急・メトロ・203系も勿論重要な戦力として日々奮闘していることは言うまでもありません。しかし、どの車両もチョッパ装置やSIVなど、一点ものと言っても良い部品が供給されなくなって久しく、日本側から取り寄せた廃車発生品のスペアも使い尽くしてしまえば、あとは共食いによって少しずつ本数を減らしながら生き延びるしかない段階となります。既に東急8000・8500系がそのような段階となっているほか、一時はあれほど大所帯だったメトロ6000系や08系も編成ごと離脱する事例が相次ぎ……そしてついに203系のマト68編成もこのたびMM'ユニット2両が致命的な故障に陥り、編成をバラしてマト66編成12両化のために供出することになったとか……。
その細かい事情につきましては、いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログにて触れられており、かつ203系の動向に関する続報も今後優先的にアップされる模様ですので、当ブログとしては細かい話には立ち入りませんが、恐らく言えるのは、一つの時代の終わりが見えつつある……ということでしょうか。
2000年代に入って都営6000系がジャカルタで走り始めた頃は、ちょうどインドネシアがアジア経済危機による大混乱から回復しつつあった頃で、以後急激にジャカルタ首都圏への人口集中とハイスピードな経済発展が続く中で、とにかく鉄道に回す予算が足りず、とりわけ電車の新車を購入する余裕がなく、凄まじい混雑で車両がどんどん荒廃するのを少しでも緩和するためにも、ジャカルタの条件に合致する車両であれば半ば手当たり次第に輸入するようになったと記憶しています。その結果こそ、東京の中古電車博物館状態であったわけです。そして2010年代に入ると、インドネシアの経済発展がそれなりの段階に達し、整備能力も格段に向上したことで、チョッパ制御車の黄金時代となって非冷房車も全滅し、KCJ体制のもと新たなる都市鉄道への躍進が始まった、という印象です。
そして今や、JREが所有していた205系の大部分がジャカルタに来たのではないかと思えるほどの状況になると、2010年代を特徴づけるチョッパ制御車がついに寿命を迎え、今度はE217系の噂が立つ一方、インドネシア・オリジナル通勤電車の登場も期待される時代となりました。ところがそのはずが、周知の通りの疫病の惨禍で、日本もインドネシアも大打撃を蒙り、新車にしても部品にしても、調達のペースが今後どうなるのか全く先を見通しづらくなったように思います。そんな中で、チョッパ制御車が今後一気に (?) 離脱のペースを早め、その一方で日本からの中古車の流れとインドネシア独自新車の投入の流れが細るとしたら、結局のところ205系の12連の短縮化による編成増でしのぐしかなくなるのかも知れません。もっとも、日本の通勤電車だけでなくKCJも昨今の情勢ゆえに輸送量が減少しており、10両・8両でも間に合ってしまうとも言えるわけで……。
ともあれ、203系の激減・共食い開始というニュースは、そんな大転換点としての2020年のジャカルタ電車シーンを象徴しているのかも知れません。