地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ジャカルタの203系・激減の時代へ

2020-07-28 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 ジャカルタの電車シーンは、武蔵野線205系の急激な流入によってますます205系帝国の感を呈するようになってきた昨今ですが、205系以前に海を渡った東急・メトロ・203系も勿論重要な戦力として日々奮闘していることは言うまでもありません。しかし、どの車両もチョッパ装置やSIVなど、一点ものと言っても良い部品が供給されなくなって久しく、日本側から取り寄せた廃車発生品のスペアも使い尽くしてしまえば、あとは共食いによって少しずつ本数を減らしながら生き延びるしかない段階となります。既に東急8000・8500系がそのような段階となっているほか、一時はあれほど大所帯だったメトロ6000系や08系も編成ごと離脱する事例が相次ぎ……そしてついに203系のマト68編成もこのたびMM'ユニット2両が致命的な故障に陥り、編成をバラしてマト66編成12両化のために供出することになったとか……。



 その細かい事情につきましては、いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログにて触れられており、かつ203系の動向に関する続報も今後優先的にアップされる模様ですので、当ブログとしては細かい話には立ち入りませんが、恐らく言えるのは、一つの時代の終わりが見えつつある……ということでしょうか。
 2000年代に入って都営6000系がジャカルタで走り始めた頃は、ちょうどインドネシアがアジア経済危機による大混乱から回復しつつあった頃で、以後急激にジャカルタ首都圏への人口集中とハイスピードな経済発展が続く中で、とにかく鉄道に回す予算が足りず、とりわけ電車の新車を購入する余裕がなく、凄まじい混雑で車両がどんどん荒廃するのを少しでも緩和するためにも、ジャカルタの条件に合致する車両であれば半ば手当たり次第に輸入するようになったと記憶しています。その結果こそ、東京の中古電車博物館状態であったわけです。そして2010年代に入ると、インドネシアの経済発展がそれなりの段階に達し、整備能力も格段に向上したことで、チョッパ制御車の黄金時代となって非冷房車も全滅し、KCJ体制のもと新たなる都市鉄道への躍進が始まった、という印象です。
 そして今や、JREが所有していた205系の大部分がジャカルタに来たのではないかと思えるほどの状況になると、2010年代を特徴づけるチョッパ制御車がついに寿命を迎え、今度はE217系の噂が立つ一方、インドネシア・オリジナル通勤電車の登場も期待される時代となりました。ところがそのはずが、周知の通りの疫病の惨禍で、日本もインドネシアも大打撃を蒙り、新車にしても部品にしても、調達のペースが今後どうなるのか全く先を見通しづらくなったように思います。そんな中で、チョッパ制御車が今後一気に (?) 離脱のペースを早め、その一方で日本からの中古車の流れとインドネシア独自新車の投入の流れが細るとしたら、結局のところ205系の12連の短縮化による編成増でしのぐしかなくなるのかも知れません。もっとも、日本の通勤電車だけでなくKCJも昨今の情勢ゆえに輸送量が減少しており、10両・8両でも間に合ってしまうとも言えるわけで……。
 ともあれ、203系の激減・共食い開始というニュースは、そんな大転換点としての2020年のジャカルタ電車シーンを象徴しているのかも知れません。

名門特急パラヒャンガンの復活を祈る!

2020-07-22 12:52:00 | インドネシアの鉄道


 これまで当ブログの更新を楽しみにして下さっている皆様には、一時的な更新停止が続いており、大変申し訳なく存じます。ようやく、昨今の社会経済激変に伴うオンライン化の影響による、黄金連休明け以来の一時的な激務が一山を越しまして、多少は気分的な余裕も生じて参りました。というわけで、新ネタは無いも同然ですが、これまで溜まっていたネタを少しずつ放流するかたちで更新を再開したく存じます。
 そんな折も折の昨晩、鉄関連としては初めてのZOOM飲み会に参加しました。いつもお世話になっておりますパクアン急行様が、現在おいそれと日本に一時帰国できないことから、その代わりにジャカルタと日本をリアルタイムで結びまして、インドネシア・ミャンマー鉄道に関する大家でおられる落花生。様、及び日本の鉄道整備と海外展開の陰の仕掛け人でおられるU様を加えて、夜の8時から午前零時までひたすら語りまくるという激濃なひとときとなりました。皆様どうもお世話になりました! またやりましょう!



 その話題の非常に大きな部分は、昨今の世情による鉄道・公共交通を取り巻く厳しい事情に注がれざるを得ず、実車の動向をめぐる濃いぃ話題は少なめだったのは致し方ないところでしょう。インドネシアの感染状況は日本よりも多いことは否めませんが、これはまあ人口規模を考えれば当然な話であり、究極的にはなるべく責任を取りたくない政府の対応が二転三転する中、個々の国民の意識によって辛うじて何とかなっており、一方で意識の低い連中を中心に感染が広がっているという点で、実は日本もインドネシアも割と似ているということで意見が概ね一致しました (汗)。
 こんな状況の下、誰もが非常に気を遣っており、しかも客の密度も下がっている鉄道は、実はほとんどクラスターになり得ず、新幹線の空き具合、そして座席の回転が禁止されるようになったことに至っては、むしろ昨年までよりもはるかに安全であることから、観光業を救うためにも個々人が責任持ちつつ旅行するのは問題ないはずだ……ということでも意見が一致したのですが、さあGo Toトラベル・キャンペーンはどうなることやら。私も出かけたいです……。
 その一方、インドネシア・KCIの電車や長距離バスはもう普段通りに客が乗っているにもかかわらず、KAIの客車列車は事前のPCR検査必須ということになっているため、せっかく中・長距離列車の運転が次第に再開されても、客がことごとく長距離バスに流れてしまい、空気輸送の惨状になっているとか……。とりわけ、昨年までの約2〜3年間は、渋滞が深刻なバンドゥンへの高速道路から客を奪い返して増発・増結・新車化の好循環が続いていた伝統の名門特急パラヒャンガンは、運転復活後すぐに再び運休しているのだとか……。そもそも指定券の発券を半分に絞っているということでもあり、まさか空調が故障しているわけでもないでしょうから、大丈夫だとは思いますが……。
 というわけで、KAI長距離列車の復活を遥か彼方の日本からも祈念することとしまして、ボロ客車で運行されていた頃のパラヒャンガンの画像をアップ致します。2016年8月の撮影で、要するに……私自身はこれ以後ジャカルタはご無沙汰で、完全に浦島化しているということです (爆汗)。
 また、インドネシアの鉄道と言えば、日本の協力の下で進められる予定のジャワ北本線の高速化を、ジョコウィの鶴の一声で、バンドゥンまで建設中の中国新幹線とつないでジャワ島を縦貫する高速鉄道に変更するという計画が浮上しているわけですが、機器の共通化を図れば不可能ではないとしても、中国とすり合わせなんてメンドクセ……という結論になったことは言うまでもありません (汗)。中国新幹線の完成後は、パラヒャンガンが大幅に打撃を受けることは間違いないところでしょうが、それまでは走り続けて欲しいとの願いも空しい長期運休……。なるべく早く日本とインドネシアの往来も自由化され、長編成化されたパラヒャンガンの勇姿を撮りたいものです。

ジャカルタの赤罐を撮る (1) BB304珍編成

2020-05-16 13:05:00 | インドネシアの鉄道


 新型肺炎問題により、あらゆる外国が遥か彼方の世界になり、海外鉄界はネット経由で情報を収集しながら過去の思い出に浸ることを強いられているところです。とはいえ、そんな中でもインドネシアから流れて来る話題は興味が尽きることはありません。
 周知の通り、当初は蔓延していなかったとされていたインドネシアも、やはり免れるところではなく、3月以後はKAI・KCIの運行の是非をめぐる激しい議論も巻き起こり、電車KCIは頻繁なダイヤ変更を強いられ、長距離列車は断食月明けの帰省による蔓延を阻止するために全列車運休という荒療治がとられたようですが、いややはり再開、やっぱり運休という駆け引きは絶えず、そのある種の妥協点として、「運行再開したふり」の超珍列車が出現しているようです。パクアン急行様撮影による画像を拝見して、まるでお座敷レイアウト用編成を実車化したかのような編成にはビックリ仰天……。こっそり運行するものの、基本的には依然として客を乗せない(客も寄って来ない)ことを前提に、DL+電源車+1等車1両+食堂車+3等車1両+荷物車という、客を載せる車両とそうでない車両の比率が1:2……。



 こんな珍編成に激しい写欲をそそられつつも、実際にすっ飛んで行くことは叶いません。とはいえ、そういえばこういうノリは、マンガライ工場の入換や、入出場車の回送シーンに通じるものがあるな……と思いまして、過去撮影した画像を外付けHDの中から漁ってみたところ、あった、ありました……。ジャカルタ・コタ駅で大っぴらに撮影できた09年の初訪問時、高架を下って来た列車が何と!当時既にジャカルタでは客レの牽引から退きつつあったBB304が、回送客車3両をぶら下げて来たのですが、その構成は日本製DCを客車化した超腰高ボロ通勤客車+青胴急行列車用食堂車+Argo特急列車用電源車という超!カヲスぶり……♡ しかも、箱形のカワイイ赤罐タンには、独立記念日直前にあたり国旗がはためき、悩殺されたことは言うまでもありません☆ ひたすら激写しまくって内心Vサイン! このあと駅ホームで買ったアイスティが激ウマだったことは言うまでもありません。
 
 それはさておき、インドネシア方面から伝わって来るネタな話題をもう一つ……パクアン急行様のブログでも触れられている通り、インドネシア政府内部の人事をめぐるあれやこれやのため、国有企業であるKAIの社長も含めて様々な解任劇が発生し、様々な情実で動くTidak Apa Apaな御国柄もあって、様々な事業計画の継続性をめぐる噂が立っているようです。その中には自ずと、日本からの中古車両購入計画の継続性も含まれるわけですが、いろいろとインドネシア発のツイートやネット記事なども勘案してみるにつけ、どうも事態は趣味的に結構面白くなる可能性もあるようです。とくに、親中ベッタリの国営企業大臣が更迭された結果、そのガバナンスの下で凍結されていた様々な計画が本格的に動き出すことになるとかならぬとか……。
 そんなツイートや記事の中には、日本のあんな車両やこんな車両の具体的な形式名が挙がっているほか、あっと驚くダイナミックな変化の可能性もあります。当ブログでいま具体的に形式名を記すことはとりあえず控えておきますが、いやはや本当にこれは続報が待たれる話です。そんな好循環の中で、日本とインドネシアの関係が強まることを期待します。

ジャカルタの東急8500系 (2014年8月)

2020-01-08 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 パクアン急行様ご主催の特別列車がタンジュンプリオクからチルボンまで運転されて約一ヶ月。その模様をパクアン急行様から頂いたメールも含めていろいろ拝見するにつけ、何度でもムラムラと「こういう時に限って絶対に有給休暇を取れない役職なってしまっている俺って一体……」という哀しみがこみ上げて参ります。そしてそういえば、前回、2016年8月にジャカルタを訪問してからの変化が余りにも激しすぎて脳内の浦島化が著しいこともあって、この1ヶ月来、煩悶が脳裏をグルグルと駆け巡っておりました (大袈裟な……笑)。
 しかしようやく、6日間くらい連続で海外逃亡できそうな間合いが出来ましたので、パクアン急行様のご予定も伺った上で「ポチッとな」。少々先の話ではありますが、ジャカルタ浦島状態を解消することになりました♪



 というわけで、以前撮影した画像を少々……早いもので5年以上前、2014年8月の時点での東急8608F・8610Fの雄姿です。2010年以前のセンスの良いカラバリ帯姿に比べて、覆面レスラー青黄帯はイマイチだ、などと言いつつも線路内で激写しまくっていたあの頃が、早くも恐ろしいほど懐かしいですね……。マンガライ駅の構内も、今や高架化工事の真っ最中で、画像に写っている昔ながらのオランダ風な架線も跡形もないでしょうし。
 なお、撮ったきりアップしていない画像は山のようにありますので、たまにこんな感じで掘り起こしてレタッチしてみるのも良いかも知れません。ネタ不足を補うためにも……。
 ちなみに、前回ジャカルタを訪問して以来の主な変化を挙げると、以下の通りです (これだけ変わってしまった……爆汗)。

*空港鉄道運行開始。
*MRT運行開始。
*LRT運行開始。
*KCI電車区間、ランカスビトゥンとチカランに延伸。
 ド田舎のチテラスも新駅舎となり、ランカスまで30分間隔!
 ランカスからさらにセランまで電化区間延伸予定らしい……。
*12両編成出現。
*タンジュンプリオク線8連化。
*ブカシ線複々線化。
*マンガライ駅高架化工事進展中。
*ステンレス客車が登場し急増。
*一時没落していたアルゴ・パラヒャンガンの長大編成化。
……う〜ん、他にもいろいろありそうです (滝汗)。

2009年のパクアン急行 (下) 東西線5000

2019-12-06 19:46:00 | インドネシアの鉄道


 パクアン急行様の人生の廃車回送→新たな門出を祝う特別列車の運行から間もなく1週間となり、パクアン急行様ご本人からも早速メールを頂くなどして (ありがとうございます!)少しずつ詳細な様子が明らかになっているのですが、とにかく大枚はたいて特別列車を貸し切っているのだからやりたい放題やらせろ!とばかりに、厳重な撮影禁止のはずのタンジュンプリオク駅で写真撮り放題、なんちゃってPKDと本物PKDの記念写真 (爆笑)、そして行きも帰りも車内は鉄ヲタの修学旅行状態……と、ただただ羨ましい!俺も参加したかった!の一言に尽きます。そんな中、昔の港市国家のスルタンがそのまま現世に現れたかのようなパクアン急行様の晴れ姿も何とも言えず、さらにはジャティバランの製糖工場訪問というスペシャル・エクスカーションもあり、最高に濃厚な2日間であったようです。
 その模様の一端として、YouTubeにおける西船junctionどっと混む様のアカウント(2427junction)にアップされた前面動画を楽しむことが出来ます。タンジュンプリオクを発車してからブカシを通過するまでの約45分間が、ポイントを渡りまくりの手に汗握る区間となっています。いやはや、複々線化や橋上駅舎化が進んでおり、つくづく浦島になってしまいましたわい。



 というわけで、10年前のジャカルタ初訪問時の画像の中から、「パクアン急行」を掲示していた編成の画像を発掘するシリーズ……2回目で打ち止めです (爆)。散々外付けHDを漁って見つかったのは、東急8608Fと東西線5000系59Fのみでした (滝汗)。
 個人的には、ジャカルタを訪問するようになったのは基本的に東急8000系列とJR103系狙いであり、これに加えて都営6000系も三田線時代に乗る機会がそれなりにあって懐かしく、のち常磐千代田線203系も狙い目の中に加わりましたが、メトロは乗っても静か過ぎて盛り上がりに欠け、東西線はそもそも神奈川県民にとって滅多に乗る機会もないことから、東西線5000系と東葉高速1000系は全く追っかけの対象ではなかったことは否めません。メトロ5000系の、如何にも昭和30年代的なノリの切妻ステンレスボディだけは結構好きですけど……。
 そんなメトロ5000系、KCIのジャボタベック事業部→KCJにとっては、ほとんど故障もせず最高に使いやすい車両だったようで、ある撮影地を訪れると、頼みもしないのに必ずやって来たものでした (笑)。この緑+黄帯はなかなか似合っており、「乗っても面白くねーな」とは思いつつも、撮ればボロさと格好良さのバランスが絶妙でしたので、来れば必ず撮る対象ではありましたが……とりわけこの59Fにつきましては、神奈臨の千鳥町で見送った編成ですので、メトロ5000系の中では思い入れのある編成でもありました。
 今やメトロ5000系+東葉1000系は、全6編成のうち5編成が離脱してしまい、5000系67Fが最後の活躍中とのことですが、大きな事故を起こさないまま205系に押される形で静かに引退しつつあるのは、如何にメトロ5000系が完成度の高い車両であったかの証しとも言えましょう。