地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第四ジャカルタ炎鉄録 (16) さよなら線路市場!

2012-10-31 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨晩は、いつもお世話になっております「kucing」様の呼びかけのもと、都内某所にてインドネシア鉄の宴が開催されまして、最近インドネシアはもとより東南アジア各国に遠征された皆様からの最新情報に触れつつ、あんな国のこんな車両の事情でアツくなり、思わずビンタン・ビールも次々と空になって行く……という、毎度の事ながら激しく濃いぃ一夜を堪能させて頂きました♪ 幹事のkucing様をはじめ、ご参加の皆様どうもありがとうございました~!
 しかし……今回の宴は明るい話題ばかりではありませんでした。何と……約1週間前、ジャカルタへ鉄詣でする人々のあいだですっかり定番の超濃厚スポットとなって久しい感のあったドゥリ駅の線路市場が、完全に強制撤去の憂き目に遭ってしまったとは……(ToT;;)。その変わり果てた姿は、リンク頂いておりますパクアン急行様のブログの現地速報レポートに詳しくアップされておりますが、土日の朝晩ともなれば色とりどりの商品や人々の姿で埋め尽くされ、まさにアジア的混沌が良い意味で炸裂する空間であったはずが、いとも無残な更地(と申しますか、ただの線路用地)になってしまうとは……(-_-;;)。



 もちろん、いくつかの理由が瞬時に思い浮かぶのも確かです。まず以前にも触れました通り、ドゥリ駅を始発とするタンゲラン線は現在複線化・空港アクセス線化に向けた工事が急ピッチで進められており、とくにタンゲラン駅は4線を要する一大拠点駅へと生まれ変わりつつありますが、それに対して肝心の始発・乗換駅であるドゥリでタンゲラン線列車が使える線路が実質的に1線しかないというのは何とも貧弱に過ぎます。また、去る8月のラマダーン明け=レバラン輸送以来、バンテン線客車列車の一部のジャカルタ市内折返駅がパサール・スネンからドゥリに変更された結果、従来は環状外回り線用であった2番線が客車列車折返線兼用となり、2番線が埋まっているあいだは従来タンゲラン線専用であった3番線が環状外回り線用に、完全放置の露店スペースと化していた4番線が復活してタンゲラン線用に……といった感じで列車の動きが非常に複雑になっており、全ての列車がどのような方向からやって来てどのように動くのかほぼ見通しがついた8月中旬以前の状況とは一変しています。そこで、いくら市場の保安担当のおっちゃんが「何番線に列車だよ~!」と叫んでも、一般の来客が列車の動きを読み切れずに不測の事態に陥る危険性が非常に高まっていたことは否めません。
 というわけで、ジャカルタの鉄道網を増強し安全を確保するために、ついに来るべきものが来てしまった……と思っていたところ、パクアン急行様から「KCJの公式HPにドゥリ駅橋上駅舎化完成イメージイラストもありますよ」とご教示頂き、改めて激しく腰を抜かそうになりました! (@o@) 何と……あたかも日本の複線新駅を思わせるようなドゥリ駅完成予想図が……!!! まぁこれだけのものが出来れば、空港アクセス鉄道乗換駅として最低限のものを備えることになるのでしょうが、駅前はどぶ川が流れており、そこにかかる橋はせいぜいアンコタ(ワゴン型乗合ミニバス)しか入れないという貧弱なもの。行く行くはMRTやトランスジャカルタを引っ張って来て、駅周辺も含めて大規模再開発しなければ、空港鉄道の真価など発揮しようがないと思われますが、そこも恐らく巨額の円借款によって何とかなることでしょう……。ともあれいずれにせよ、下町ドゥリとその象徴たるドゥリ駅は間違いなく激変するわけで、これまでの訪問でそうなる直前の最後の賑わいを目にすることが出来たことを幸せに感じるとともに (うっかり激写しすぎて骨折してしまいましたが……超滝汗)、これからジャカルタのそこかしこでこのような再開発が大々的に進むものと予想されることから、鉄道シーンのみならず愛すべき下町シーンもスナップで今のうちに記録する必要があるのだろうと痛感する次第です……。


 挨拶の表現が「スラマッ・シアン」から「スラマッ・ソレ」に変わり、海風が吹き始めアザーンが流れる午後3時頃、ぼちぼち夕方の営業が始まります。



 そんな頃合いを見計らったかのように三々五々買い物客が。8月上旬撮影につき、まだ4番線は市場で隠され見えません (爆)。



 土曜の朝、2枚目とほぼ同じ位置で広角側で撮ってみました。めくるめく果物の山……! 甘い香りと腐った臭いが入り交じった原色の世界 (^^;



 「よぉ兄ちゃん、おいらを撮ってくれ!」
 そんなシーンを眺める買い物客の皆さんも良い表情してます♪



 但し真っ昼間は余りにもクソ暑く日除けもないため、線路市場は閑古鳥 (笑)。マト66編成はドアを開けっ放しにして数分間停まってました。



 タンゲラン線の8039Fをバックにボゴール行きの到着をのんびり待つ人々。
 まさかこの駅ホームも一変することになるとは……。


京阪大津百花繚乱 (3) パト電参上!

2012-10-30 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 一昨日アップした昔の上田交通画像をまじまじと眺め返すにつけ、この何ともくっきりとした、しかも武士的風貌を醸し出す塗装を、つい最近どこかで見たなぁ……という気分がこみ上げて来たのですが、上田電鉄の丸窓ラッピング7200系は昨年初夏に若手社員旅行の引率で別所温泉を訪れて以来ご無沙汰 (嗚呼、時間があれば何度でも訪れたいのですが T_T)。そこでもうひとしきり考えてピーンと思い当たりました。そうだ!京阪石山坂本線のパト電ではないですか! (^_^;)



 このパト電というシロモノ、嚆矢として思い出されるのは名鉄のパト電「コノハけいぶ号」ですが (撮ってない ^^;)、その後もいくつかの例があるのでしたっけ? そしてここに来て滋賀県警が県下の民鉄車両を利用して広報宣伝するという挙に出ており、ここ京阪大津地区と近江鉄道にパト電が出現しています。そんな話題はネット上で何となく見聞していても、いざ実際ナマで目にしますと、それなりにビシッと決まっていてインパクトがありますな……(笑)。少なくとも、正面に掲げられた葵の紋所、もとい警察マーク (という呼び方で良いのでしょうか? ^^;) を目にしますと、うっかり交通違反や悪事をやらかすわけには行かないなぁ……と思う私はただの小市民です (^_^;;)。
 そんなパト電、白バイやらゆるキャラやら、そして宣伝文句等は一切要りませんので、純粋なパトカー塗装であれば相当カッコ良いのではないかと思うのですが、逆に威圧感ありまくりでヤバそうですね (汗)。ま、そのうち近江のパト電も撮りに行きたいと思う次第です。近江もしばらく御無沙汰ですし……。


ブログ開設8周年記念・上田交通クハ252

2012-10-28 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは開設から8周年の節目を迎えました。2000年前後に約10年の非鉄時代から目覚め、撮り貯める中で腕もぼちぼち申し訳程度に向上し、さらにデジ一眼の普及と購入によって撮る枚数も増える中、ネット上で知り合ったごく限られた方々にまったりと自分の撮り鉄画像をお楽しみ頂くために(要は自己満足のために)深いことは考えず始めたのが当ブログの縁起でございます。しかし100万アクセスを機にブログ名を改め、小まめにネタを仕込んでアップする日々を続けているあいだにいつの間にか8年という時間が過ぎ、記事の数も約2400に達しているとは! (@o@) 飽きっぽく目移りばかりの自分 (だからこそ撮る対象は絞られずあちこち浮気……^^;)にしては信じがたい話です (笑)。今後も、アクセス数云々には一切関係なく、単純に個人的に気に入った鉄道車両の画像や気になる鉄道事情をめぐる駄文、そしてシコシコ作った鉄道模型 (←8年間における最大の変化は、模型にハマって自分で組むようになったことでしょうなぁ)の製作過程を備忘録的に綴って行くのみですが、そんな箸にも棒にもかからないような落書きを自己責任でご覧頂く皆様に多少なりともお楽しみ頂ければ幸いです m(_ _)m



 というわけで今回は、去る9月2日にアップした上田の平面ガエル・クハ290画像と同じ日に撮影した、上田の古典的秘宝たるクハ252をアップしてみましょう~。
 1986年秋に昇圧するまでの上田交通は、手持ちの電動車の制御方式が統一されていなかったことから、2連を走らせる際にはそれぞれの制御方式に対応するクハを用意するか、ぶら下がりサハを連結するかの選択を強いられておりました。大別するとHL車 (4桁車番の百の位が2)、AL車 (4桁車番の百の位が3) に分けられますが、かといってHL車の制御装置が琴電のように揃えられているということはなく、5250・5260・5270・5370形は結果としてそれぞれ相棒クハが存在し、運用上の都合で相棒クハを動員できない場合は、他の形式に対応するクハもしくは純粋なサハをぶら下げる……という、今日からみれば実に悠長な運用が展開されていたものです。勿論、制御装置が統一されず、それだけ様々なクハを用意しなければならないこと自体、お世辞にも効率的であるとは言えず、車両が老朽化を極める中では部品の融通も利かなかったわけで、それが結局86年秋の昇圧とクリームガエル化につながったものと思われますが、そんなローカル私鉄らしさ全開の風景が消えて行ったことは、当然の成り行きとはいえ返す返すも残念なことであります……(遠い目)。
 そんな状況が展開していた上田交通別所線750V時代末期にあって、クハの主力は電動車最大勢力たる丸窓5250形に対応するクハ290となっていましたが、電動車の第二勢力である5370形に対応するクハ252も非常によく活躍する一両であったと言えましょう。信濃鉄道 (現・大糸線) の木造車をAL化し、さらに小田急クハ1650の車体を大改造のうえ載せたモハ5370が、神中鉄道DC→相鉄クハ1501を譲り受けたクハ252を牽引してガタガタと走る姿は、神奈川県央からやって来た半鋼製釣掛マニアな少年の心を鷲づかみにして離さなかったことは言うまでもありません……(*^^*)。しかもこのクハ252、半室運転台が温存され、ロングシートが最前部まで残っていましたので、前面展望は極上級! 別所温泉で最前部に陣取れば、クハ252・モハ5370の趣深いニス塗り車内や、モハ5370の野太い釣掛サウンドを楽しむ暇はなくなりますので、ある意味で究極の選択でしたね……。そこで私は、5370の車内とモーターを選択し、クハ252は別所温泉で車内の写真を撮るのみだったのですが、ちょっと勿体なかったですね (^^;)。
 ちなみに、元長電の5261・5271には、それぞれに対応するクハ261・271という車両がありましたが、261・271は私の訪問時(といっても中2夏・中3卒業時・高1夏の計3回ですが……)には決まって上田か上田原に放置され、5261がクハ252を代用ぶら下がりサハとして従えているシーンも撮影したものです (汗)。モハもクハも1形式1両という状態では、上田や別所温泉での臨機応変な増解結に261・271を用いるのは面倒だという判断があったのでしょうか……。そんなレア (?) シーンは、また機会がありましたらアップしてみたく存じます。

東急恩田通信・8692F改造待ち編

2012-10-27 00:43:00 | 大手民鉄 (東急)


 昨晩は、いつもお世話になっております「きえふにいさん」様及び「あまのじゃく」様と、都内某所にていろいろな記念にかこつけた宴 (?) を開催しまして、美味い料理と酒を楽しみつつ、あんな鉄道のこんな車両をめぐる事情をはじめ濃すぎる話題を楽しませて頂きました♪ どうもお世話になりました!!m(^^)m 
 それに先立つ昨日の予定は、午前中歯医者→午後仕事につき、途中ちょこっと長津田で田都を途中下車しまして、約1ヶ月ぶりに恩田を訪問してみました。すると……入場したばかりの8625Fが5+5に分割されており、フツーに検査を受けることが見てとれた次第。一方、テクノ側の旧デヤは相変わらず同じ位置であり、正午前のド順光の中でのんびりと日向ぼっこを楽しんでいるかのようでありました (笑)。



 そこでさらに、工場内の全体を見回してみますと……あれれ?大井町線の8692Fが検査を受けるわけでもなく、下回りが汚れた状態で放置されています。しかし、屋根と車体は見事なまでにピカピカ! さらに編成自体も、3両の中間車が抜かれ、デハ8692とデハ8592が直接連結されて2連を組んでいる状態に!! 過去の恩田ウォッチにおいて、様々な地方譲渡対象車両を目にするにつけ、決まって「譲渡分だけ組まれて留置され、屋根と車体はピカピカ+床下機器は入場時点のまま」という状態となっており、しかも8590系の先頭車同士のみの2連という状態はこれまで目にしたことがありませんので、これはもう間違いなく通常の検査入場ではなく、譲渡改造待ちということなのでしょう……。
 というわけで今後は、果たして何処に譲渡されるのかに大いなる注目が集まることでしょう。確か8590系は8500系と同様、先頭車にはSIVが搭載されておらず、フツーに考えれば秩父や長野へ向かった8500系と同様、SIV搭載サハも含む3連での譲渡が一番丁度良いように思うのですが、サハを外してSIVを先頭車に移植する改造をわざわざ行ってでもMc2連で使いたい私鉄が購入を打診してきたのでしょうなぁ……。まぁしばらくは、出来上がるまでのお楽しみということで……(^^;)。

京急800形・逗子線ではレアな車両に

2012-10-26 00:00:00 | 大手民鉄 (京急)


 京急蒲田界隈の高架化完成に伴う京急新ダイヤ始動から間もなく1週間。今回の改正では、品川方からの日中空港線直通列車の快特化・横浜方面からのD急行10分間隔化など、空港線に思い切り経営資源を投下する野心的な改変が加えられており、京急蒲田における切り欠き副本線を使った緩急接続なども大いに注目を集めていますが、個人的にはそんなダイヤ大改変の初日は仕事→小田急に時間を使ってしまいましたので、今週2日ほど所用で品川~横須賀中央間を利用したついでに、主に快特の車内からではありますが (^^;)、何となくどんな感じに変わったのだろうか……と観察してみました。すると……確かに変わっているところが実に多い! D急行は完全に横浜周辺における基幹列車の座にのし上がっているものの、上大岡で待避するという「ちょっとそれってどうよ?」的な設定となっていますし (屏風ヶ浦・富岡など普通車のみの駅利用者の割りの食らい方がハンパではない……)、D急行に1500・銀1000などの6連も参入し車種的にカヲスな状態となっているのも頭クラクラ (笑)。平日日中に01Tの新逗子行急行が出現したことに至っては目玉が飛び出モノの事態です (必ず撮りに行かなければ……!)。



 その一方、普通車は日中空港線直通列車の快特化に伴い品川~蒲田間で増発がなされた他は、川崎~文庫間列車のD急行格上げによってキレイに (?) 10分間隔化発売されており、途中新町と文庫で乗り換える列車はあるものの、基本的に品川~浦賀間の一系統に整理されているという……。発売されたばかりの『東京時刻表』に目を通してみますと、深夜と平日朝方を除いて逗子線方面に向かう列車の運行番号にはことごとくDが付与されており、しかも多くの列車はエア急として太字で表記されていることから、とにかく逗子線は全く違った世界になったのだなぁ~と痛感させられます。
 そこで一歩踏み込んで考えてみますと、空港駅ホームドアの関係上、空港線に直通する列車からは4扉のダルマさんが排除されているわけで、したがってD急行には6連であってもダルマさんが入ることはなく、ゆえにほとんどの列車がD急行・D普通となった逗子線にもダルマさんは来なくなったという……(@o@)。先月下旬の東武634型甲種輸送のついでに、某踏切で何気なくダルマさんを撮影したのですが、今後再び日中にダルマさんの逗子線入線が増えない限り (=D急行がバッサリ削減されない限り)、あるいはDではない運番の普通車がそれなりにある平日朝に来るのでない限り、個人的に逗子線での800形撮り納めになってしまう可能性が高いとは、このとき夢にも思っていなかったのでした (滝汗)。
 なお、この踏切は敏感な場所にありますので、すぐそばに見える門やその奥の建物が点在する敷地にはカメラを向けませんよう (東武甲種の時間まで見張りをしていたガードマン氏が「最近厳しくなったんだよねぇ……」とご教示下さいました)。今回アップした画像の撮影は無罪放免でしたが、安全保障上の緊張次第では同じアングルでも制止される可能性があります。当ブログとしては、訪問した方がその結果として拘束その他の不利益を蒙ったとしても一切責任を負いません。悪しからず。m(_ _)m