これまで広島の国鉄型車両を特集してきましたが、まさにそれに華を添えるかのように、いつもお世話になっている165系アルプスさんから感動的な画像を頂きました。
……ああ懐かしの73系!! しかも広島色!!
そこで、極私的ながら73系の思い出をつづってみます (^^;
首都圏の73系は、南武・鶴見・横浜・御殿場線などを最後として大体70年代末までに姿を消してしまい、個人的には結局幼稚園~小学校低学年の頃に乗ったという遠い記憶しかありません (-_-)。
一応、根岸駅のすぐ近くに親戚が住んでいたことから、たまにやって来る横浜線直通の73系をじ~っと眺め続けたものです (根岸駅近くの線路脇にある公園のジャングルジムの上からは、まだ公園の周りの植え込みが成長していなかったこともあって、73系やEF15牽引貨物などが実に良く見えたものです。特にスト権スト闘争の頃は、電車が貼り紙だらけになって幼心に仰天するなど、痛快な思い出が……^^;)。しかし、根岸線に乗るときは103系に当たることがもっぱらで、親は「ボロい電車が来るまで待っていようよ~」などという酔狂な子供の駄々を聞くような人ではありませんから、結局あのニス塗り三段窓車内を根岸線で満喫する機会は少なかったですね……。
いっぽう、当時は御殿場にも親戚が住んでおり、たまに御殿場線に乗って訪れる際にはガラガラの暗~い車内で「寝台列車ごっこ」を楽しんだものです (笑。今では313系の2連が多いことから信じられない方もいらっしゃるでしょうが、73系時代の御殿場線では真っ昼間でもしばしば4+4の8連が空気を運んでいました)。サハ48かサロ45を4扉トイレ付きに改造したサハ78という珍車があったのも覚えています。
というわけで、今では遠い昔の話になってしまいましたが (^^;)、子供心に強烈な記憶を刻みつけた73系。撮り鉄の道に踏み出した中学生時代になってからも可部線や富山港線で最後の活躍をしていましたので、何とか行ってみたかったのですが……毎月の小遣いが1000~2000円程度だった中学生にとって、広島も富山も余りに遠過ぎました (泣)。
可部線の73系が非常に素晴らしかったのは、富山港線の残党たちが全金属車 (920番台および近代化改造車) で占められていたのに対し、何のかの言って63系時代以来のゴツいスタイルを保ち続けた車両が多かったことです。ああ……Hゴムを使っていない正面!! そしてクハ79のプレスドア!! (*^o^*) さすがに三段窓から二段窓に改造された車両が多かったですが、これぞ73系!という風貌は、鉄道雑誌などで可部線73系のレポートを見るたびに、もう惚れ惚れしてため息が出るほどでした……(アヤシイ小・中学生ですな ^^;)。
確か、可部線の73系が105系に置き換えられたのは1985年頃だと記憶していますので、あと2~3年早く生まれていれば、中学時代に比べればほんの少々資力に余裕がある高校生として迷わず広島遠征を敢行し、リバーサルフィルムで73系の最後の姿を激写したはずなのですが……。
そんな、遅く生まれてしまった自分への悔恨とともに (^^;)、今も昔も変わらず「黄金時代の国鉄型車両」天国である広島エリアの魅力を改めて確認するよすがとして、今回の頂き物を思わずじっくりと眺めてしまった私でした (^^;;)。と言うわけで、大変貴重な画像のご投稿、どうもありがとうございました~m(_ _)m