地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

06年初秋の頂き物 (2) 165系アルプスさんの広島73系

2006-09-29 08:32:59 | 頂き物画像


 これまで広島の国鉄型車両を特集してきましたが、まさにそれに華を添えるかのように、いつもお世話になっている165系アルプスさんから感動的な画像を頂きました。
 ……ああ懐かしの73系!! しかも広島色!!

 そこで、極私的ながら73系の思い出をつづってみます (^^; 
 首都圏の73系は、南武・鶴見・横浜・御殿場線などを最後として大体70年代末までに姿を消してしまい、個人的には結局幼稚園~小学校低学年の頃に乗ったという遠い記憶しかありません (-_-)。
 一応、根岸駅のすぐ近くに親戚が住んでいたことから、たまにやって来る横浜線直通の73系をじ~っと眺め続けたものです (根岸駅近くの線路脇にある公園のジャングルジムの上からは、まだ公園の周りの植え込みが成長していなかったこともあって、73系やEF15牽引貨物などが実に良く見えたものです。特にスト権スト闘争の頃は、電車が貼り紙だらけになって幼心に仰天するなど、痛快な思い出が……^^;)。しかし、根岸線に乗るときは103系に当たることがもっぱらで、親は「ボロい電車が来るまで待っていようよ~」などという酔狂な子供の駄々を聞くような人ではありませんから、結局あのニス塗り三段窓車内を根岸線で満喫する機会は少なかったですね……。
 いっぽう、当時は御殿場にも親戚が住んでおり、たまに御殿場線に乗って訪れる際にはガラガラの暗~い車内で「寝台列車ごっこ」を楽しんだものです (笑。今では313系の2連が多いことから信じられない方もいらっしゃるでしょうが、73系時代の御殿場線では真っ昼間でもしばしば4+4の8連が空気を運んでいました)。サハ48かサロ45を4扉トイレ付きに改造したサハ78という珍車があったのも覚えています。

 というわけで、今では遠い昔の話になってしまいましたが (^^;)、子供心に強烈な記憶を刻みつけた73系。撮り鉄の道に踏み出した中学生時代になってからも可部線や富山港線で最後の活躍をしていましたので、何とか行ってみたかったのですが……毎月の小遣いが1000~2000円程度だった中学生にとって、広島も富山も余りに遠過ぎました (泣)。



 可部線の73系が非常に素晴らしかったのは、富山港線の残党たちが全金属車 (920番台および近代化改造車) で占められていたのに対し、何のかの言って63系時代以来のゴツいスタイルを保ち続けた車両が多かったことです。ああ……Hゴムを使っていない正面!! そしてクハ79のプレスドア!! (*^o^*) さすがに三段窓から二段窓に改造された車両が多かったですが、これぞ73系!という風貌は、鉄道雑誌などで可部線73系のレポートを見るたびに、もう惚れ惚れしてため息が出るほどでした……(アヤシイ小・中学生ですな ^^;)。

 確か、可部線の73系が105系に置き換えられたのは1985年頃だと記憶していますので、あと2~3年早く生まれていれば、中学時代に比べればほんの少々資力に余裕がある高校生として迷わず広島遠征を敢行し、リバーサルフィルムで73系の最後の姿を激写したはずなのですが……。
 そんな、遅く生まれてしまった自分への悔恨とともに (^^;)、今も昔も変わらず「黄金時代の国鉄型車両」天国である広島エリアの魅力を改めて確認するよすがとして、今回の頂き物を思わずじっくりと眺めてしまった私でした (^^;;)。と言うわけで、大変貴重な画像のご投稿、どうもありがとうございました~m(_ _)m

目黒線急行運転記念 (?)・昔の大岡山

2006-09-28 18:54:07 | 懐かし画像


 先日の東急ダイヤ改正にあたって、これまで東横線と田園都市線を中心に利用している私としては、どうしても東横線(そして田都の8590系)に関心が向かってしまいがちだったのですが、そういえば目黒線でも、武蔵小山駅の改良工事完成に伴い急行運転が始まったんですねぇ……(^^;)。もっとも急行運転とは言っても、路線が短い目黒線だけに、時刻表を見ても全然速くないというあたりがミソですが……(^^;;)。
 それでも、目黒線がまだ蒲田へと向かい目蒲線と呼ばれていた頃に比べれば、まさに隔世の感。そこで、一応急行運転開始を記念しまして、今から22年前の大岡山駅で撮影した目蒲線5000系をスキャンしてみました。



 当時、私はまだ中学生 (^^;)。ごくたまに、なけなしの小遣いをはたいて撮影に出かける際にはカラーネガフィルムを用いていたのですが、このときだけはネオパンSSを使用しました(勿論自家現像は出来ません→ 今も ^^;)。当時、既に一般の撮影(特に記念写真など)はカラーが常識となりつつあり (?)、私もごく自然な成り行きとしてカラーフィルムを使っていたのですが、「まあ近場の東急だし、カラーで撮る機会もあるだろうから、一度雑誌の記事のようなモノクロでも撮ってみたいな~」という出来心を起こしたのでした (笑)。
 しかし……後々になって、実はモノクロフィルムを使ったのは大正解だったことが発覚! 何故なら、当時のフジHR100なんて呆気なく劣化してしまったのに対し、さすが100年は品質的にビクともしないとも言われるモノクロフィルムだけあって、今でも実に生き生きとした電車の表情をスキャン出来るからです! う~む、中学生時代の全撮影をモノクロにするべきだった……(もう遅いですが -_-)。
 それはそうと、当時の目蒲線は圧倒的に3450・3500形と5000系の天下! 7200系すらごく少数でしたし、後に目蒲線の一時代を彩る7000系改め7700系もまだ存在していませんでした。現在の5080系や3000系、それにメトロや都営の車両が走るなどということは全く想像も出来ず……大岡山駅も古き良き雰囲気を漂わせ、まさに山手線外側の住宅街をのんびり走る電車そのものという雰囲気があふれていたのでした (^o^)。
 青がえるの5000系、東横線での末期は確かに8000系列に追われて見劣りしていましたが、目蒲線に持ってくるとやはり圧倒的に「新型電車」でしたね……(笑)。そんな5000系はおろか、5000系を東横線から追いやった8000系すら東横線から間もなく消滅するとは……。光陰矢の如しとはまさにこのことですね (-_-)。

炭都撫順鉄狂録 (5) 曲者揃いの貨物

2006-09-27 00:54:25 | 中国の鉄道


 少々間が開いてしまいましたが、中国鉄シリーズの続きです~。
 撫順の礦務局鉄道は以前にも記しましたように、撫順で産出される莫大な量の石炭、そしてオイルシェールを加工した石油を輸送するためのものですので、当然のことながら今でも多くの貨物列車が運行されています。その本数は……かなりの頻繁運転であるらしいのですが、私が訪れたときは何故か非常に運行が少なく、凸型電機による重量級の編成を「これでもか」というほど撮影しようと期待していただけに、大いに肩透かしを食らった格好になってしまいました (-_-)。あるいは、時間によっては大部分の鉱車が露天掘りの底の方へと向かってしまうため、その前後を狙って待ち構えるのが良いのかも知れません。
 そんな今回の貨物撮影における最大の成果は、瀋陽滞在中2回目に撫順を訪れた際、朝9時頃の東崗駅にて三連結構造の巨大凸型電機 (チェコ製?ソ連製?) が牽引する空車を撮影したことです。いや~シブい! 



 いっぽうこちらは通勤電車を撮影した新生橋駅にて。石炭を満載しているのではなく、恐らく工事で発生した残土 (ゴミがやたらと多いような……) を運ぶ列車が姿を現したのですが……先頭の車掌室つき鉱石車 (日本ならばさしずめ秩父鉄道のヲキフ?) のユーモラスな姿に注目! 運転の都合上、車掌室を先頭にしたプッシュ運転を行う際、後方の機関車の運転士が確認しやすいように何と車掌室の上に腕木式信号機が!! (^_^;;;) 先頭に乗り込んだ車掌が前方を常に確認し、必要に応じて腕木を操作するのでしょうが、その仕掛けが余りにも分かりやすいかたちで丸出しになっているところが……(^^;;
 というわけで、こういうヘンテコな車両が大好きな人間にとって、撫順 (そして中国の鉱山鉄道) はそれこそ宝の山だなぁ……ということを改めて痛感したのでした。
 しかし、これくらいで済むと思っては大間違い (爆)。もっと強烈な光景が控えていました……。

東急田園都市線8695F・運用に入る

2006-09-25 22:20:42 | 大手民鉄 (東急)


 日中の東横線からの8000系引退、目黒線での急行運転実施など、まさに一つの転換点を刻むことになった今日の東急ダイヤ改正。その一方、従来ダイヤが継続している田園都市線においても、非常に地味ながらも重要な動きとして、8590系の運用復活という出来事がありました。元住吉から長津田に移されて以来、かねてから去就が注目されていた8695Fが、今朝から田園都市線の41K運用に入ったのです! 
 今日は昼から出勤したのですが、「東横線のダイヤ改正に合わせるのかどうか分からないものの、試運転をしたという8590系もそろそろ本格的に動きそうだ……」という虫の知らせから、例によってデジ一眼を片手に「サークルKウォッチ」に励んだところ……本当に8695Fがトンネルから姿を現してたまプラに滑り込んできましたので、緊張で思わず手が震えてしまいました (何とか撮れているのは手ぶれ補正のおかげです ^^;)。



 田園都市線で復活した8590系は、どうやら東横線時代の「各停」表示を使用しないようで、遠目には大井町線の8090系のうちグラデーション正面帯化されていない編成と余り見分けがつきません。しかも、大井町線の回送電車もサークルKの長津田入庫運用が集中する時間帯に相次いでやって来ますので、よほど注意していないと接近直前になって慌てることになりかねません。要注意、要注意! (^^;)
 一方、8590系の運用復活によって気になる8500系サークルK車(東武未対応)の状況ですが、取りあえず今日は8606・07・09・10・11Fを目撃しました。そこで、もし今日の時点で離脱が発生しているとすれば、8612Fの可能性が高いと思われます……(違っていたらご容赦を。特に、30Kがどの車種で運用されていたかを目にしておりませんので……^^;)。
 田園都市線の8590系にはもう1本、まだ運用入りしていない編成として8694Fがありますので、サークルKの陣容が今後どう変化するのか、まだまだ目が離せません……。

初秋の東武散歩 (3) 館林界隈の近況

2006-09-25 20:32:25 | 大手民鉄 (東武)


 春日部で特急きりふりを撮影した後は、「そういえば」と思い立ちまして、まずトブコへ。さらに特急りょうもうに乗って一気に館林までワープしました。いや~やはりりょうもうは速い! しかも特急料金も午後割で300円ですし……(^^)。ただ、同じ速達サービスはかつてA準急がこなしていたわけで……。
 館林まで来たのは、リンク頂いている「narikko's Blog」さんのところで「小泉線は9月28日からワンマン化されるため、『普通』の表示も見納め」という記事があったのを思い出したからでした。館林駅の小泉線ホームには、修繕・ワンマン対応工事が終わったばかりでピカピカの8564Fが停車しており、確実に「普通」表示を記録するべく、低速シャッターで撮影しました。
 とは言え、つい最近まで小泉線ホームの常連は5050系や1800系だったわけで、こうして8000系が入線しているのは何となく違和感があります (^^;)。しかも、4連が入線可能だったはずの小泉線ホームは2連用に短縮され、佐野線ホームと同様の案内所 (=切符確認所) がほぼ完成しているなど……館林駅も短い間にすっかり変わってしまいました。そんな中、期間限定の「普通」表示で佇む8564Fの姿は、変化の真っ直中の小泉線をまさに象徴しているのかも知れません。



 いっぽう、佐野線ホームからは前パンの850形が発車して行きました。実は……850形の前パン姿を撮影したのはこれが初めてだったりします (汗)。これはこれで凛々しいですね (*^_^*)。もう夕方近かったので、館林から先へは行っていないのですが、次回訪問時は佐野線や伊勢崎線末端の850形をきっちりと記録したいものだ……と思っています。



 そして西側の留置線には、北館林への回送を待つ1800系と5050系が……。もう二度と営業運転することなく、赤錆びた線路の上に色褪せた車体を横たえ、お互い何を語らっているのでしょうか……(T_T)。
 館林に留置中の車両の編成写真をバランス良く撮影するのは非常に難しいため、何とか館林か北館林で撮影会でも開催して頂けないものか……と思わずにはいられません。