ミャンマー国鉄は今後、日本の援助によりヤンゴン環状線の面目を一新し、最新鋭の電気式DMUを運用するとのことで、そこからさらに地下鉄やら空港鉄道やらの建設・営業に向け、電気を使う車両のノウハウを蓄積して行くようですが、それに先立つはじめの一歩としての意味を兼ねて、ヤンゴン臨港線(カンナー通り線)を電化し、広島電鉄の電車を運行するはこびとなっています。既にネットを介して、ブルーの濃淡に塗られてワダン貨物駅に新設された電留線に佇む広電3000形改めTCE3000形の美しい姿を目にすることが出来、2年半前に初めてヤンゴンを訪れたときに目にした臨港線の終わっている雰囲気を覚えている者としては、まさに浦島太郎気分であります (笑)。
もっとも、この電化に先立ち、ミャンマー国鉄は臨港線の軌道をやっつけで再整備し、一部低床の乗降場を設けるなどして、昨年の今頃から旅客営業に乗り出していました。そこで抜擢されたのが、何と三陸36形2両 (予備としてイセ1両) ! みちのくの潮風に吹かれ、たまに仙台に顔を出す他はローカル輸送に終始していた車両が、大英帝国の栄華を偲ばせる併用軌道を走るかと思えば、住宅街の谷間の線路敷がジャングルさながらの緑に包まれている中をそろりそろりと進むということで、瀕死とばかり思っていた臨港線の余りにも意外な起死回生ぶりに、思わず腰を抜かして超メロメロ! そこで、今年3月の再訪時には、臨港線で三陸に乗って撮ることも最優先課題となったのでした。
訪問時における三陸車の具体的な運用は、以下の通りでした。
*朝6時台に常駐先のマラゴン機関区から2連で出庫したのち、起点のパズンダウンで車掌を乗せて営業運転入り。
*大英帝国の残り香が漂うパンソーダン(対岸への渡し場)まででは2連で走行、到着後単行×2に分割。
*臨港線の東側と西側で日中機織り。
*夕方、再びパンソーダンで2連に組み直し、パズンダウン、そしてマラゴンに帰って終了。
……このため、東西を通し乗りたい場合には、基本的にパンソーダンで乗り換えを強いられていましたが、ミャンマー国鉄としては「まぁそんな通し乗るヤツはいない」と思っていたのでしょう。
しかしその結果、ただでさえ完全な港湾地区である西側では客が乗らず……。そしてそもそも、途中の交換設備が全く存在しないため、本数が1~2時間に1本と極めて少なく、沿線住民にとって決して使い勝手の良い乗り物ではないため、当初の物珍しさが過ぎ去ると朝と夕方以外は客いねぇ……。
その後パンソーダンでの系統分割は中止され、全線を単行で運行することとなりましたが、運転間隔も滅茶苦茶開くことになってしまいました。そして去る9月中旬以降、電化工事のため運休……。
というわけで、三陸36形がヤンゴンの下町や港湾地帯をチンタラ走るという奇想天外な展開はあっという間に終わってしまいましたし、とりわけ2連運行は短期間の流れ星的な存在となってしまいました。これだから、アジア諸国での鉄活動はまさに紙一重の一期一会。あるシーンが目の前にあれば、それを当たり前と見なさずに、逃さず味わい尽くしておくことが肝要というものでしょう……。そして今回、そんな2連をほぼ貸し切りに近い状態で楽しみ (リンスダウン~パンソーダン間は他の客が乗ってきた)、駅で激写することが出来たのは、本当に余りにも貴重な思い出となりました☆
ちなみに2枚目の画像は、パズンダウンからパンソーダンまで2連に乗っている途中に撮影したものですが、何故こんなにも大胆に下車して撮っているのか……?! 理由は簡単。踏切を完全に閉めて動き出すまで2~3分間、脇の軽食屋から乗務員用の朝の弁当と茶を積み込むために運転停車していたのです (笑)。あと、画面右の土嚢が、プラットホームの代わり……(^^;