物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

現役引退の手紙

2011-04-03 16:47:24 | 日記・エッセイ・コラム

テニス仲間のSさんから昨日、3月末まで税理士として働いていたが、その税理士の現役を引退したという、印象的なはがきをもらった。Sさんは今年の1月に還暦を迎えたばかりで、私より見れば10歳以上も若い方である。

この方は以前から60歳引退説を唱えていた方だが、本当にその自説を実行されるとは思ってもいなかった。彼のあいさつ文によると、彼のお父さんは68歳で亡くなったので、自分の余命も約10年だろうと考えて現役引退に踏み切ったと書かれている。

それだけの蓄えがあるのだろうが、もともとお金があろうとなかろうとそれなりの生活をすればいいのだという風に以前から言われている方である。

生活が苦しい、私などが見習うことの難しい考えではあるが、ある種の割り切った考えの持ち主であり、その人の人柄が自ずと分かるような気がする。

Sさんは別に他の人たちが生涯現役を貫こうとそれはそれでいいとお考えなのだが、自分には今後の10年を楽しみたいという気持ちがありありと感じられる。そのような気持ちには私自身はなかなかなれないが、それにしても生き方の一つではあろう。

本来、私は日曜日には仕事場には来ないで、自宅で無為に過ごすのが通例であるが、今日は3つも書きたいことができたので、このブログを書くためだけに仕事場にやってきた。


「物理数学散歩」出版

2011-04-03 16:21:33 | 数学

「物理数学散歩」が4月1日付で国土社から出版された。これは体裁は新しい本ということになっているのだが、新しい本ではない。

私が以前に同じ国土社から出した「数学散歩」の中から、理工系の大学生が読んだら、役に立つではないかと思われる17編のエッセイを抜き出して編集し、出版したものである。ページ数も110ページほどで薄い書籍である。

だから定価も1200円とぐっと抑えた。それでも売れるかどうかはわからないが、もし自分だったら、いくらの定価だったら購入するだろうということを考えた末に1200円の定価とした。もちろんこれに5%の消費税がかかるので、1260円を読者は購入の際に払わなければならない。

もっともこの値段では著者である私の利益はほとんどなく、むしろ持ち出しであろうが、一種の文化的な寄与のつもりであるから、仕方がない。

一つ数式があると本の売れる数は「がたっと落ちる」と本の編集者の間で言われているとかだが、数式が満載の本であるので、買ってくれる人はどうしても少ないことであろう。私の手元に250冊が送られてきたが、これが在庫になる可能性は大いにある。

前著の場合はクイズのような、エッセイが冒頭にあったためだろうか、自治体の図書館がかなり購入してくれた。全体で何冊ぐらい売れたかは覚えていないが350冊ぐらいだったろうか。

約100冊は私の退職記念として友人、知人に配った。勤務している最後の年2005年2月の出版だったので、直ぐに読んで感想の電話をかけてきてくれた同僚も居られた。今度の本は特に理工系の学生に向けたものであることを鮮明に押し出してみた。


小さな、小さな同窓会 

2011-04-03 15:42:47 | インポート

松山に住んでいる、私の高校の同期生が昨夜集まった小さな会があった。13人の集まりである。その集まりはW君が世話をして、皆に連絡をしてくれたのだが、これは10月に2年に一度の大々的な同窓会をする前準備のためである。

その席上で最近の東日本大震災のことが同期生から口々に語れた。阪神大震災を子どもとか身近なものが経験した人もいた。みないっぱしの地震通になっており、あるものは専門家の地震学者でもたじたじとなるではあるまいかと思えるほどであった。

それに引き換え原発事故のことは話しに出たが、それほど活発な議論はなかった。もっとも東京電力の行き先があまり明るいものではないことは誰も感じていたらしい。

そういう大きな災害があったからでもあろう。もう、65年以上も前の I 市で小さいときに受けた空襲の体験を語るものもいた。私自身もその空襲の体験者であるが、私自身の出る幕はまったくなかった。

それにしても、高校の同期生というのはなんだか気心が知れているというか、リラックスするものである。私のようにつきあいの悪いものでも、そこに包み込んでくれるような気がする。

帰り際に、Y君がそっと小声で、「お前が同窓会の世話をするそうだが、あまり重荷を抱え込まないように」とアドバイスをくれた。なんでも手伝うからと。

実際にはそんなことはほとんどないのだが、そういう細かい心遣いがうれしかった。 


ビラとベランダ

2011-04-02 12:46:43 | インポート

昨日コンサートの公告で、ビラという語を使ったが、本当にビラとはなんだろうと思って広辞苑を引いてみた。ビラともチラシともいうなと思ったが、やはり広辞苑にもそう書いてあった。billの訛りとあった。

billは普通には請求書であるが、紙幣の場合もあるし、明細書の場合もある。「年金暮らし、来るのは請求書ばかりなり」とは私同様に年金暮らしの人がいつも感じていることであろう。

ベランダという語もときどきドイツ人のR氏のいうのと私の思っているものと違っている。私がベランダというときに彼はそれをバルコニーという。それだと大分違ってしまう。だから、べランダとバルコニーとを私はごっちゃにして使っているらしい。

先日ラジオを聞くともなしに聞いていたら、ハングルではケーブルカー(die Seilbahn ドイツ語、le funiculair フランス語)は日本でいうロープウエイだと言っていた。もちろん、日本でもロープウエイ(die Seilschwebebahn ドイツ語)のことをケーブルカーという人も皆無ではないが、このごろはケーブルカーとロープウエイとは区別される。ハングルでケーブルカーはなんというのだろうか。

funiculairといえば、パリのモンマルトルの丘のサクレ・クールへと上る、ケーブルカーは印象的である。これは昔まだパリを訪れたことのないときのテレビのフランス語講座で見ていたからである。それから何年後かにまだ小さかった子どもをつれて、妻とそこを訪れたときにはそのスケッチの話を子どもたちと妻にしてやったものだ。

またイタリアのベスビオ火山(?)に登る登山電車か何かの歌を妹が小学校の頃に習って歌っていたが、その中にフニクリ、フニクラという語があったが、それは多分このフランス語でいう、funiculairと関係があるのだろうと思っているが、イタリア語の辞書を引いて確かめたことがない。

よく間違える外国語に、エレベーターとエスカレーターに当たるものがある。フランス語でエレベーターに当たるのはL'ascenseur (der Aufzug , der Lift ドイツ語)であり、L'escalier m'ecanique (die Rolltreppe ドイツ語)となれば、エスカレーターとなる。

単に L'escalier (die Treppe ドイツ語) なら階段である。または L'escalator とも、英語からそのまま使うと辞書にある。しかし、ドイツ語会話で Rolltreppe という語を自分では使ったことがない。


驚き

2011-04-01 13:10:22 | デジタル・インターネット

短期的なことだと思うが、この1週間のアクセス数が「私の知的鍛錬法3」の方がトップページよりも上回った。こういうことは今までなかったので驚いている。

これは、いつもこのブログから気の利いたコメントを拾ってくだっさっている、satamadorujiさんの功績によるものかと思われる。ちなみに、気の利いたコメントは私ではなく、私が引用した書物とか雑誌の著者によるものである。

「私の知的鍛錬法」は地球物理学者だった、竹内均さんの著書だが、これが関心の引いたわけではなさそうである。「私の知的鍛錬法3」に私が書いたメンデーレエフが火薬の材料をどうやって推量したかという、どこかで読んだエピソードを書いたことから、このテーマへのアクセスが増えたのだと思われる。

そして、さらにsaitamadorujiさんはそれを英語の文献にまで調査して実際にメンデーレエフが行ったのはドイツではなくてフランスかイギリスではなかったかととも言われている。その真偽は今おくとしても世の中にはsaitamadorujiさんのサイトをチェックしている方が多いのだろうと思われる。

そのおこぼれで「私の知的鍛錬法3」の方がトップページよりもアクセスが上回るということが起こったのであろう。


東雲コーラス記念演奏会

2011-04-01 12:44:42 | 音楽

今朝、朝食がすんだ後で妻がなにかビラを10枚ほど置いた。これが花の写真の入った明るい色の東雲コーラスの60周年記念演奏会のビラであった。

これは2011年7月9日(土)の18時からの松山市市民会館での演奏会のビラである。このブログの読者はいるとしても、松山市に在住の方は少ないので、PRにはならないだろうが、単なる話題の一つと思って欲しい。

一つの団体が今年60周年を迎える。私は今年の5月に72歳になるから、自分の歳と比べて考えると私が12歳の頃には東雲コーラスは団体としてもう発足していたということになる。なんと息の長いことか。もちろん指導者はその60年の間に何人も代わったことであろう。

妻はこの団体に加わってから、まだ年が浅いが、それでも会計係に今年からなってしまった。団員の人材不足かとも思うが、妻はどこでもすぐに主要な人物になってしまう。これは歌を歌うのが上手だということではない。

週に1回の練習中にも「そこの人、半音違う」と注意されても、その半音をうまく表現できないのだと本人自身が言っているくらいなのだから。

だが、それはともかくこの記念演奏会の公告のビラがきれいなので、ちょっと食卓から一枚だけ失敬して、いまこのブログを書いている。

このビラによれば、問い合わせ先はTEL 089-922-1691(尾下)である。ちなみに尾下さんは東雲コーラスの団長さんである。なお、チケットは¥800円である。

東雲コーラスを指導しておられるのは、指揮の猪木秋彦先生とか田附里英先生である。演奏会の伴奏を担当するのはピアノ一柳英子さん、ヴァイオリン高橋暁子さんである。


エイプリル・フール

2011-04-01 11:35:14 | 日記・エッセイ・コラム

いつかも書いたと思うが、4月1日のエイプリル・フールが来ると何十年も前のエイプリル・フールを思い出す。

これは中学生の頃だったろうか、昭和20年代(1954年だったろうか)も終わりの頃のことである。叔母のうちに母が行く予定になっていたので、自転車で10分ほど前に行って、そこに居た叔母と母方の祖母にお母さんは今日は体の具合が悪くて来れないよと言ったら、「姉さんは昨日来るといっていたのにおかしいわね」と言われた。

その後しばらくして母がやってきたので、嘘をついたと私は叔母と祖母から嘘をつく子だと言って叱られた。もちろん、このことは母には前もって話してあって、母は了解していたのだったが、それにしても後味の悪い話である。多分、今日はエイプリル・フールだと言っても彼らにはまったく通用しないだろうと無意識に思ったから、そのことは言わないで黙っていた。

そういういきさつであるから、いつまでも50年以上も前のことを毎年思い出すのである。それは懐かしいともいえるし、また今でも後味の悪さを感じる。だが、それだから今でも覚えているのだろう。

だから何がよくて何が悪いのかはこれほど時間が経てばわからない。祖母はもちろんだが、母もそれに叔母ももう亡くなってしまって久しい。私の記憶に残るばかりである。