【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田克也さん、初官邸11ヶ月で去る 「ガラスのコップいまだに分からず」

2012年12月31日 15時28分53秒 | 岡田克也、旅の途中

[官邸]歴代民主党員唯一の金融担当大臣を全うした中塚一宏・民主党神奈川12区総支部長と岡田克也さん、2012年12月25日、内閣総理大臣官邸。

 日経平均は大納会で1万円回復、レコード大賞はAKB48が2年連続ということになりましたが、やはり私の予想通り東日本大震災・原子力発電所事故の次の年はより厳しいことになりました。火力発電用の燃料輸入に加えて、輸出では中国向け自動車が激減。そして、日本が7割のシェアをもつデジタルカメラ(デジカメ)は年間1000万台減少ということで、欧州向けはしかたないとしても、もう少し日本人はデジカメを使ってほしいです。というのは、スマートフォン(スマホ)は部品も含めて韓国が断然トップなんです。私は今でもケータイとデジカメを使っています。だから、スマホはやめてほしいですね。とはいえ、原発が爆発する映像を見たときは2度も年を越せると思わなかったので、よかったです。

 姥捨山近くの山のてっぺんの百姓として前半生を送った父は達観したところがあります。松代大本営建設の振動や、国鉄三河島事故の衝突音も聞いています。その父が、「父さん初詣に行こう」と言ったら「もう行かない」と言うので、「もう、なんてさみしい言い方しないでよ」として迎えた平成24年でしたが、父や母と一緒に大晦日を迎えることができました。

 そして、この2012年、とても長い一年でした。第180通常国会が6月21日から9月8日まで延長され、地獄の夏休み。でも、社会保障と税の一体改革法が成立し、我ながらよく頑張ったと思います。

 1月13日(金)、岡田克也さんが初めて官邸入りし、12月26日(水)去りました。

 官邸というのは不思議なところですね。

  岡田さんは官邸入り直後の1月27日ブログで、

 「官邸の会議によく出るようになって感じることは、会議の際に熱い緑茶が出るのですが、これがいつもガラスのコップに入って出てきます。これが官邸の作法のようです」「なぜそうなっているのかと、少し不思議に思っているところです」。

 11ヶ月間の官邸暮らしで、ガラスのコップの不思議は解消したのでしょうか。12月25日の卒業会見で、質問してみました。

 答えはこうです。

 「直接官邸で働いている皆さんには聞いていませんが、あのときにたしか某新聞社のベテランの方から、昔も同じような話があったということを聞かせていただきました。それで何となく分かったような気にはなっていますが、本当のところはよく分からないですね、ガラスのコップでというのはいまだに」

 ガラスのコップ、いまだに分からないようです。

 おそらく、総理府(現内閣府)採用で一定の経験後に内閣官房に転籍した職員に聞けば分かるんだろうと思います。

 岡田さんは官邸を離れる前日に、初めて官邸の庭を散策しました。

 「窓の外から綺麗な庭はいつも見えていましたが、実際に庭に入るのは初めてで、それだけ慌ただしかったということが言えると思います。野田さん(野田佳彦首相=当時)に『官邸の庭に降りたことがあるか』と聞きましたら、『全くないまま終わってしまった』と言われていました」(2012年12月28日付岡田かつやTALK-ABOUT)。

 

 10月の改造で唯一の民主党員の金融担当大臣経験者となった中塚一宏さんと官邸の中庭でパチリ。当選3回47歳で金融担当大臣となった中塚一宏さんですが、落選し、臥薪嘗胆となりました。

 思い返せば18年前の夏。箱根・函南町(かんなみちょう)の新生党研修合宿で、中塚一宏秘書が花火を打ち上げました。新生党秘書会青年部というのは体育会系ですが、実力ある後輩をみんなで支える気質がありました。京都大学花火研究会の出身で、先輩秘書らがサポートしながら、みんなで打ち上げを見ました。成り上がろうとする人が多かった新生党員は、花火研究会というよりも、京都大学の方に反応して、「え、中塚秘書って京都大学出ているの」と複雑な表情を浮かべる人が多かったように感じました。

 秘書会青年部員は何人か国会議員になり、政務三役にもなりましたが、閣僚は中塚さんが初めて。やっぱり京都大学だからかな。リーマンショック後、金融大臣経験者は2人ほど、非業の死を遂げています。イチバン長くやった自見庄三郎大臣は医者として200人に死に水をとったそうで、そういう人が金融担当大臣にふさわしいと感じます。インターネット中継、衆参ねじれの中での金融担当大臣の答弁はたいへんですが、中塚総支部長には民主党員唯一の金融担当大臣経験者として、4年後に絶対に国政復帰してもらわないと困ります!「函南町の花火」忘れませんから。で、あまりに口幅ったいけど、若くしてお父さんを亡くし、小沢さんを父と思ってきたと聞きます。これからは来年還暦を迎える12歳年上の父もいるんじゃないでしょうかね。岡田さんは下の写真のようにポケットに手を突っ込んだ不良青年上がりなので、12歳違いの息子がいてもふしぎではない風情です。


[写真]ポケットに手を突っ込み官邸を闊歩する我らが岡田組長。


 オープンな場での金融の質問は、記者としての私も気を使います。昨年は8月22日に通して貰った特例公債法案が成立せず、会期末が迫ったことし8月31日、夏休みの宿題よろしく、筆者は岡田さんに次のように質問してみました。

 筆者の質問は特例公債法が成立せず地方交付税交付金が削減されたときに、「政府や自治体に銀行が融資をして、利息を受け取れるわけですよね。これは銀行にとって、あまりにも楽な仕事だと思うのです。世の中にこんなに楽な仕事があっていいのかと、そのくらいに思います」 「そういうところで、一般論として、ちょっとすみません、まとまりがない話でしたが、どう思われますか」

 これについて、岡田副総理は、

 「銀行の判断ですね。リスク判断も含めて、それは特例公債法が絶対通るという確信に満ちて対応されるかどうかという問題もあるのだというふうに思います」 

 と答えています。国会であれだけ特例公債法を通してくれといいながら、「絶対に成立するかどうかはリスクがある」と銀行と自民党をけん制しているわけで、支配する社会が違うだけで、副総理とヤクザの若頭は同じようなものだと勉強になりました。本当に勉強になった1年間でした。ちなみにこの質問は2分間にわたってしまい、金融関係記者クラブ経験者からは「長い」と叱られ、実力のあるNHK若手政治記者は「面白い」。で、それが良いか悪いかは別として、動画のなかで私は岡田さんに長いとたしなめられています。それがオープンガバメントであり、それがすべてだと考えます。

 

 当選回数至上主義批判がありますが、やはり政治は長くやっていると達観視できます。岡田さんは第46回総選挙で、民主党・無所属クラブで最古参の自民党出身議員となってしました。民主党・新緑風会には、21年先輩の石井一さん、4年先輩の前田武志さんがいます。

 2・26事件で、松尾伝蔵政務秘書官(心得)から「とうとう来ました」と言われた岡田啓介首相は「何がどれくらい来たんだ?」。松尾秘書官は「兵隊です。300人ぐらいも押し寄せてきました」と語ると、岡田首相はこう言いました。

 「そんなに来られてしまっては、もうどうにもならないじゃないか」(参考文献『岡田啓介回顧録』)。

 そういう風に達観した人が首相官邸という権力の孤独なお城で仕事ができる。「岡田首相死亡」の見出しが朝日新聞で踊りましたが、実際に亡くなったのは松尾秘書官で、岡田首相は生き延びていました。官邸というのは不思議なところです。

 その10年後、岡田元首相は、鈴木貫太郎首班擁立に成功し、戦争を終わらせました。その日以降、首相官邸に陸軍省・海軍省の官僚は常駐していませんでした。防衛庁出向経験がある警察官僚が事務秘書官が総理執務室の隣の隣に常駐し、防衛庁の連絡をとってきましたが、北澤俊美防衛大臣の働きかけで、終戦後初めて、防衛官僚が総理秘書官として官邸に常駐しています。
 
 さて、「政権交代ある政治」という第1目標のかげに、ひそかに持っていた第2目標。羽田内閣退陣後、羽田さんが民主党特別代表にまつりあげられて以来の見果てぬ夢「岡田内閣」は残念ながら実現できませんでした。海江田内閣、細野内閣ということで、3~4年後の民主党政権に向けてがんばっていきたいと思います。岡田内閣は99%ありません。これからは中塚総支部長をはじめ、優秀な総支部長のサポートに回ることになりました。戦後処理ですね。そういう生き方があってもいいと思うし、その方が楽しい。

 99%ないといった岡田内閣。あるとすれば、日本が今以上に国難になったときです。だから、岡田内閣なんてない方が良いに決まっています。
 
 「何となく分かったような気にはなっていますが、本当のところはよく分からないですね、ガラスのコップでというのはいまだに

 「分からない」ということを認める。そういう謙虚さ、虚心坦懐さが欠けていた民主党。選挙に負けたのは当然です。大事なのは、それがより若い世代に引き継がれていくかどうかです。

 そして、人間というものは、アダムとイブの時代から本質的に弱い者ですから、自民党を攻撃することによってしか、存在意義を見つけられないのだと考えます。来年は経済国会です。清和会を中心として自民党経済閣僚の答弁は咳払い一つ見逃さない。わずかな失言を、緩慢な往復ビンタのように、繰り返し繰り返し7月の参院選まで蒸し返す。公明党閣僚の失言は昔の腐れ縁(新進党)で武士の情けで見逃す。民主党質疑者のミスは、ブログに書かず、それとなく事務所を通じて伝える。そうやって、確実に第23回参院選で自民党を負けさせ、組織ごと、自民党の息の根を止めてやる。できれば、景気回復したうえで、自民党が負ければいいのですが、景気回復は外国との関係もあり、神のみぞ知る。とにもかくにも、自民党を倒さなければいけません。私も経済は得意だし、好きですから、経済国会楽しみでしかたありません。

 ファンファーレの音が聞こえます。2013年1月28日第183通常国会召集。最強野党第1党のスタートが近づきつつあります。それは孫文が言った「革命いまだならず」にならえば、「政権交代いまだならず」。政権交代ある二大政党政治に向けて。岡田克也の可能性への挑戦は、まだ始まったばかりです。

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