【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「12・28」から15年 岡田克也兄弟が政倫審会長と党政治改革本部長に就任

2012年12月28日 17時20分48秒 | 第182特別国会(2012年12月)安倍再登板

 ことしも12月28日が来ました。新進党解党から15年目の冬です。私にとっては親や子を目の前で殺され、周囲の人に見て見ぬふりをされた屈辱の日であり、政権交代を実現したうえで小沢一郎さんの息の根を止めてやるとの思いが、この15年間、政権交代可能な二大政党制に向けてがんばってきた最大の理由です。

 私は人生で一回だけデモに参加したことがあります。東京・日本武道館前に集合して「住専に税金を使うなデモ」。私たち旧新生党勢は、細川・羽田内閣をリードしたとはいえ、人数は少ないので小さくまとまりました。妙齢なご婦人たちがいっぱいいらっしゃって、鳩山邦夫議員をみかけると~~「鳩山さ~~ん」と黄色い声援で、握手して、「大きいのねえ」と話し合っていました。創価学会婦人部の方でしょうが、鳩山議員と同じ心持ちだったのでしょう。新進党は「社会主義インターナショナル」にも加盟していて、たしか副会長でしたが、連合のみなさんが先導し、学会婦人部のみなさん、私たち旧新生党系、さらに人数こそ少ないですが、旧日本新党系で「住専に税金を使うなー」と声をあわせてデモしました。このとき、野党第1党の新進党が政府提出本予算一般会計総則から住専の規定を削除したのが国会における予算修正の直近では最後でした。鳩山さんについては、お兄さんが新党を結成することに馳せ参じるために新進党を離党したので、これはやむを得ない。 

 立党からわずか半年後の1995年参院選では、比例第1党に躍進。このとき、フジテレビの開票速報では、兵庫選挙区の石井一二候補が「ゼロ打ち当確」になり、最初に万歳をしました。東京のスタジオから露木茂アナウンサーが呼びかけ、石井候補に対して「再選して何をしたいか?」とたずね、「阪神・淡路大震災からの復興です」と応えたとたんに、露木アナウンサーが「でも石井さんは国会に当選したんだから、(地元のことをやるのは)違いますよね?」とこたえました。露木アナウンサーは番組のどこかでそのフレーズを使おうと用意していたんでしょうが、半年前の阪神・淡路大震災の復興は国家事業でしょう。あのときは、57日目に最後のご遺体を収容していますから、行方不明者はゼロなのが、きょうとの大きな違いですが、まだ三宮駅前に壊れた建物が剥き出しになっていたはずです。そして、この選挙は歴史的な低投票率で、高名な政治学者が「創価学会の創価学会による創価学会のための選挙」と言いました。それはいいのですが、拍手喝采した人に問いたいのですが、1月に村山富市内閣の不首尾な震災対応があった7月の参院選に投票せず、創価学会の影響力がましたのだったら、悪いのは、創価学会ではなく、有権者でしょう。そして、翌年の総選挙で新進党は負けました。



 とはいえ、自民党239、新進党156の伯仲国会となりました。この数字は、新進党と民主党が選挙協力した上で、小選挙区300のうち10分の1の選挙区で自民党から新進党にひっくり返る(スイング)すれば、政権交代できた数字です。新進党には首相経験者が3人、閣僚経験者がたくさんいました。そして、村山内閣から看板をかえた橋本龍太郎内閣で1997年11月、山一證券、北海道拓殖銀行が相次いで破綻。その翌月、小沢一郎氏は新進党を分党。新進党は、野党から攻め上がるために、党首、幹事長、国会対策委員長という順番になっていて、これは正しいと私は考えますが、ことし議員を引退したナンバー3は、引退記者会見で、自身も、創価学会系ナンバー1議員も知らないところで、小沢氏が決めてしまったと証言しています。そいてこの翌夏、未曾有の不況のなか、民主党が結党され、わずか3ヶ月後の参院選に圧勝。これは、連合の執行部が先代と対称的に政治と距離を置き、橋本龍太郎首相(元呉羽紡績社員)の先輩として政府委員をつとめた芦田甚之助会長(UAゼンセン)から、新進党、民主党、社民党の3党に産別の政治対応の股裂きを解消することを目的とした第3代鷲尾悦也会長(鉄鋼労連)・笹森清事務局長(電力総連)の体制にかわった直後だったことがすべてだと考えます。仮に、芦田さんが会長だったら、民主党は最初の参院選でつまずいて、現存しないでしょう。そういう、鷲尾・笹森という井戸を掘った人への感謝の念が、衆院総支部長にほとんどないから、16日の総選挙で大敗したのは当然だと考えます。

 昔のことはこの位にしましょう。

 第182特別国会は院の構成をし、2012年12月27日(木)、衆議院第5委員室で、政治倫理審査会を開きました。これは原則傍聴不可なので衆議院インターネット中継はされませんでした。ここで、委員の割りふりは、自民党16人、民主党3人、日本維新の会3人、公明党2人、みんなの党1人となりました。政倫審で小沢一郎氏が所属する政党の委員がゼロになったのは、新進党解党後初めて。

 そして、会長には自民党の村上誠一郎さんが選ばれました。

 一方、民主党の海江田万里代表は2012年12月28日(金)、民主党政治改革推進本部長に岡田克也さんを選びました。主に定数削減に関する3党合意(参考11月17日付エントリ「近いうち解散」の条件である「2013年通常国会での衆院定数削減の法改正」に民自公3党調印)の折衝に当たります。

 ご存じの通り、村上誠一郎さんと岡田克也さんは義兄弟です。村上さんの妹が、岡田さんの奥さんの多津子さんです。ただ、村上さんは世襲議員ですが、おじさんから引き継いでいます。なので、多津子さんは、衆議院議員の姪として育ち、東京女子医科大学を卒業したことになります。岡田さんとは「結婚したときに兄のようには絶対ならないという、それが唯一の条件でした」(2012年10月23日火の副総理記者会見)とのことでしたが、選挙区に入れない岡田さんのかわりに演説をしています。村上誠一郎さんは第2次小泉内閣で、国務大臣を務めました。閣僚適齢期でしたが、この人事は、小泉純一郎首相(自民党総裁)が岡田克也民主党代表(次の内閣首相)に対して、義兄を人質にとった人事とされ、村上大臣は郵政解散の閣議決定に賛同しています。

 村上水軍の末裔で世襲で自民党で、最小派閥(河本派)の悲哀をなめた村上さんと、新興第3次産業経営者の子息で非世襲で民主党で、泣く子もだまる経世会(最大派閥)という二階から竹馬スタートをしながら「岡田君、君が最初に質問できるように裏で手配したから」と経世会先輩に言われて、飛び出した岡田克也さん。いろいろと違います。それは良いのですが、とにもかくにも、小沢一郎氏の新進党解党は許せません。そして、見て見ぬふりをしたと思っていた自分より年齢が上の人が、話をあわせてくれているけど、忘れて居るんじゃなくても、そもそも新進党解党を知らないのではないか。年末のテレビ番組、「笑っていいとも5時間半スペシャル」で「いいとも」と思いますが、ぜひ、この師走のあわただしい仲、衆議院議員という仕事しかしていない、田中角栄秘書すらしたことがない、小沢一郎氏の所行。今回の解散で、赤穂浪士のように小沢を討ち取れたと思ったのですが、8億円が入るようで、また息を吹き返してしまいます。ぜひ、政倫審で、公明党、民主党ら各党の全会一致で、小沢一郎氏を召喚してほしいです。政倫審は国会閉会中でも開けることになっています。絶対に許しません。小沢一郎の息の根を止めるために、新進党16回忌のきょう、ふたたび、思いを強く持ちました。そして、それは見て見ぬふりをする日本人、経団連と違い、労組や学会員を下に見る新聞社幹部、テレビ中心の情報収集などの結集です。すなわち、朝、鏡にうつる自分の顔。それが小沢一郎なんです。そのうえで、「もううんざり」「どうでもいい」というなら、それはそれでけっこうです。