【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田克也副総理、第2次野党期は衆・厚労、内閣委員か 私たちの基本理念は「受け継がれていく」と自信

2012年12月19日 20時43分10秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]第46回衆院選の開票状況を見つめる岡田克也副総理、2012年12月16日午後10時過ぎ、ザ・プリンスパークタワー東京、宮崎信行撮影。

 民主党は2012年12月19日(水)、第46回総選挙の解党寸前的大惨敗の後、初めての両院議員総会を開きました。場所は党本部内ホール。ホールと言っても自民党本部、社民党本部のホールと違って2階席はありません。普通の会社で言えば「大会議室」です。この場所で両院議員総会を開くのは、2009年7月21日の衆議院解散直後の両院議員総会以来3年半ぶり。政権の宴を終え、あの暑い夏の前に戻りました。

 第2次野党期最初の総会と言うことで、昔のような談論風発政党に戻り、小選挙区で2連勝した長野1区の篠原孝さんが口火を切り、輿石東幹事長ら執行部が決めた22日投開票に異論を唱えました。その後も一部産別出身非改選参院議員を除き、相次いで、もっと時間をかけ、落選者、地方議員、党員サポーター、連合らと総括しながら、選挙をすべしとの声が上がり、日程感については1月の定期党大会(例年は1月中旬だが通常国会の日程からして1月下旬も)での新代表選出が発言者の大勢をしめました。

 野田佳彦代表・総理は「敗軍の将、兵を語らず」と短く挨拶し、深々とおじぎ。しかし拍手も合いの手もなく、この辺は、第1次与党期民主党と変わっていない点で、いずれにしろ、表現下手、建設的提案が少ない両院議員総会でしたが、「民主党らしさ」の復活は感じました。

 これに関連して、有力代表候補者周辺は「総括と代表選は別ではないか」として、代表選をしたうえで、新代表の下で総括し、参院選に臨むとのスケジュール感を提示。総括と代表選を混同した発言者が多いとして、「だから駄目なんだ」とコメントしました。

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  岡田克也副総理は敗戦確定後では初めて記者会見を2012年12月18日(火)開き、民主党の今後の方向性について、「(2012)マニフェストで書かれた方向性というのは、私はそのまま引継がれていく」としたうえで、「この党には昔から二つの路線があったんですね。一つは改革路線(略)もともと民主党は改革ということを掲げていた政党なんですよね。もう一つは、ヨーロッパでいう社民的路線ですね、どちらかというと大きな政府というか、国がより重要な役割を果たすべきだと。この二つの路線がありました」として、「これをどうやって融合していくかと、私もこれは二つは矛盾するものでは必ずしもないと思うんですね。今の財政状況を見れば、様々な改革なくして本当に必要な人にきちんと生活を保障していくということもできませんし、この改革路線とヨーロッパの社民的な路線、人に優しいというか、そういう路線をいかに融合させていくかというが、私は民主党の大きな課題ではないか」との考えを示しました。これは、岡田副総理、枝野幸男経産相ら3人がまとめ立党大会で採択した「私たちの基本理念」にも明らかなところです。

  副総理退任後、野党議員として取り組みたい政策については「一つは、やはり子ども・子育てというか、あるいは働く女性が子育てがきちんと両立できる、そういう社会を作っていくということが一つです(略) それからもう一つはオープンガバメントという形、これもある意味では行政事業レビューシートを作って行政事業レビューをやったとかですね、そういったことがここの一環でありますが、そういった、より開かれた広い意味でのオープンガバメントということを進めていくという、この二つは政策的にさらに深めたいし、将来の民主党の政策の柱にしていきたい」と語りました。

 初当選時に所属した衆院厚生委員(現・厚生労働委員)から22年。子ども・子育て新システムすなわち幼保一体化。そして、「配偶者控除から児童手当へ」の民主党路線をつきつめる。これは自民党が配偶者控除を大きくしようとしていることと、真っ向から対立する概念であり、イデオロギー対立に近いものがあり、ぶれないパラダイム設計が必要です。そして、納税者の理解と、有権者への説得の努力、方法が必要です。

 

 それと、第1次野党期執行部や外相として実績を挙げた情報公開に加えて、行政刷新相として政権途中から参画した、仕分けの力を前に進めたいとの考えで、各府省への行政事業レビューシートの運営などを外野から取り組んでみたいということになります。配属委員会としては、衆院厚生労働委員、衆院内閣委員ということになるでしょう。過去の議事録からすると、岡田さんは内閣委員を務めたことはないで、行政刷新相としてことし答弁する中で興味を持ったのかもしれません。


 ところで、岡田さんの「
選挙は最終的には自分の責任です。総理がいろいろな思いを込めて決断したことについて、それを理由に自分は負けたんだと言うのは、私は議員のとるべき態度ではないというふうに思います。そういう、みんな執行部や他人の責任にしちゃうというところは改めないと、この党は再生できないと私は思います」との発言について、1990年自民党非世襲初当選の仲間(現在は参院議員)が、翌日の両院議員総会で、名指しをさけながらマイクを持って岡田発言を暗に批判しました。閣僚になれず下野した悔しさは分かります。しかし、彼に言いたいのはひと言。「だから駄目なんだよ」。

 とにかく、ビシバシと私たちが鍛え直さないといけないようです。来夏の参院選まで、カネはないけど、時間はある、ビシバシと鍛えてそれで駄目なら初めてあきらめがつくというものです。民主党をあきらめないことが日本をあきらめないことにつながります。

 なお、衆院小選挙区で2回連続して落選した総支部長は次の衆院選で公認しないという民主党の内規、ツーアウトルールについて、「それは次の執行部が考えることですから、私の今の立場で何か言うことではないというふうに思います。ただ、ツーアウトルールというのは、小沢さんになって大分覆されたんですね。我々のときにそういうことで、総支部長を外した人が小沢代表のもとで復活したりということが結構ありましたので、今、党としてそういう考え方を今もとっているのかどうかというのは判然としないところはありますよね」と語り、見直しに柔軟な姿勢を示唆しました。